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読書 カール・ハイアセン「幸運は誰に?」

2008-01-29 12:41:11 | 読書

              
 言うなればコメディ・タッチの犯罪小説だろう。ジョレイン・ラックス35歳、黒人で魅力的な動物病院の助手は、ロトくじで二千八百万ドル(約三十億円)を射止めた。しかし、当選者はもう一人いた。したがって十五億円を手にすることになる。
 ところがもう一人の当選者というのが白人優越論者でトチ狂った野郎のボード・ギャザーだった。この野郎は身長が低いのを三センチ底上げした靴でごまかし、相棒とともにジョレインのくじを強奪する。二人の貧乏白人は、ジャンクフードばかり食べるぶよぶよ男だった。
 当選者の取材に訪れていた新聞記者のトム・クロームは、ジョレインに協力して、強奪犯を追う。こういう展開になれば、結末は容易に想像できる。案の定ジョレインは、くじをとり戻す。文庫本とはいえ、上・下八百ページはちと長すぎる。

 貧乏白人の一人チャブは、全員巨乳のウェイトレスで有名な「フーターズ」のアンバーに一目惚れして、途中で仲間に加えたコンビニ店員のシャイナーに誘拐させて、フロリダ半島沖の無人島につれてこさせたり、怪しげな聖像に観光客が群がったり、トムの上司がその聖像とカメに癒されたりおまけにシャイナーの母親までもがのめりこむ。
 そのほかにもあるが、錯綜しすぎてこの辺でやめよう。ただ、ジョレインの賞金の使い道が野生生物保護のための土地を購入することだった。これは著者の明確なメッセージと受け取って間違いないだろう。
 また、通勤電車や出張のときの読み物としては好著といえる。それに「フーターズ」の事を調べていけば、なおニヤニヤ笑いを浮かべることが出来るだろう。

 そのフーターズ(Hooters)をウィキペディアから引用すると“ジョージア州アトランタのフーターズ・オブ・アメリカ・インクとフロリダ州クリアウォーターのフーターズ・インクの2社のトレードマークで、アメリカ国内で429店舗、アメリカ国外で19店舗のレストランを運営している。
 フーターズは、店舗で働くウェイトレス(フーターズ・ガール)のコスチューム(白地にフーターズのロゴをあしらったタンクトップとオレンジ色のホットパンツ)が有名で、店内で男性客がフクロウのように目をキョロキョロさせることから、この名前がついている(フクロウの「ホー、ホー」という鳴き声を英語で「フート、フート」と表記するためであるが、「フーターズ」には「女性の胸」という意味もある)。
              
 人気メニューは、バッファロー・ウィングとハンバーガー。2006年、ラスベガスでフーターズ・カジノをオープン。カジノ&ホテル業にも進出した”
 著者は、1953年フロリダ州マイアミ生まれ。マイアミ・ヘラルドの記者を経て作家になる。
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映画 ブルース・ウィリス、ミシェル・ファイファー「ストーリー・オブ・ラブ(‘99)」

2008-01-25 12:40:12 | 映画

              
 結婚十五年目の中年カップルが離婚の危機に見舞われる。ベン(ブルース・ウィリス)とケイティー(ミシェル・ファイファー)の夫婦は、日常の些細なことから口げんかが絶えない。
 二人の子供、ジョシュとエリンがサマー・キャンプに出かける時を利用して試験別居を試みる。ベンはホテルに滞在するが落ち着かない。ケイティも同様で、二人はなんとか口実を作ってケイティの家(ベンの家でもあるが)で甘い時間になろうかというとき、またしてもベッドの上で口論になる。
 ベンは親友に、ケイティも友人に相談したりするが、離婚は避けられなくなる。サマー・キャンプが終わる日、自宅の食卓で子供たちに話して聞かせることに合意する。さて、その日ケイティの長広舌でハピーエンドと相成る。なんだか肩透かしを食らったようなんだが、ミシェル・ファイファーのかなり長いセリフと表現力で納得させられる。
              
 それにしても、脚本家というのはうまくセリフを書くものだと感心する。ベンが黒のエクスプローラのバック・ハッチを閉めたとき「中華の店がいいわ」とケイティが静かに言った。怪訝な表情のベンが「チャウ・ファンズ? あの店じゃ話せないだろ」
「ええ」
「じゃ何で?」
「あそこがいいの」
「子供に話す勇気が出ないのか? 今さら言うなよ」少しムッとして言った。
ケイティは首を振りながら
「みんなでいきたいの、だって家族だもの。私たち家族の歴史は一晩じゃ生まれないわ。メソポタミアでは、古い都市の上に新しい町を建てたけど、私は今のままでいいの。薬の置き場所も、あなたの朝の気分も分かるし、あなたも私が朝は口数が少ないのを知ってるわ。長年の生活の積み重ねよ。結婚生活は想像以上に大変だけどいいこともある。あきらめちゃダメよ。子供のためじゃないわ。あんなにすばらしい子を二人で作ったのよ。何もないところから二人が生まれてあんなに大きくなったわ。
 “ジョシュの手はあなたにそっくり”“エリンが吐いたの”なんてあなた以外に言えないわ。
 誰にだって欠点はあるわ。あなたにもあるし私にだってある。例えば方向感覚は私のほうが上よ。けなしてるんじゃないの。いい点もあるってこと、あなたみたいな“親友”はどこにもいないわ。子供の童話を読むときのあなたが大好きなの。どんなに疲れていても登場人物の声を使い分けるわ。その声を聞くと分かるの。あなたがどんなに優しい人かってことが。
 ヘルメット姿の楽しい私はまだここにいるのよ。あなたに会って知った自分よ。あなたと別れたら、そんな自分も消えるわ。前に言ったこととは矛盾するけど、結婚なんて矛盾だらけなのよ。陰と陽、いいときもある悪いときもあるわ。
 痩せた夫と太った妻の童話もある。今のは関係ないけど、つまり言いたいのはあの店に行きたいのは……愛してるからよ」と言い終わってしっかりと抱き合う二人。
 活字にすると何の変哲もないし、感動も涙腺が緩むこともない。この台本を渡されて観客が納得するように人物造形をしてくれ言われればどうするだろうか。ミシェル・ファイファーは、さすがに力のある女優だ。最初は静かに語りだして感情が高ぶってくると、声が大きく早口になり泣き声も混じってくる。
 少し言葉がつかえたり繰り返したり泣き笑いも混じり、手にも表情を持った表現力を見せた。このときの彼女の顔は、くしゃくしゃの泣き顔で決して美しいとはいえない。美人であってもあえてそれを表現する。だから観客は魅了されるのだろう。彼女のセリフは、離婚予備軍に送るメッセージと受け取れないこともない。
               
 それにしても、アメリカ人はハグと愛しているよの言葉が好きな国民だとつくづく思う。この映画でも、サマー・キャンプの集合場所に送っていったとき、バスに乗り込むまでに両親とハグ、愛しているよを繰り返し、娘なんかはバスから出てきて母親とハグと愛しているよ、そしてバスが出ると手を振る。
 アメリカに住んだことのない日本人としては、いささか理解を超えているように思う。が、考えてみればアメリカ国内向けに作った映画だから、こちらがとやかく言う筋合いでもないか。
 そしてこんなセリフもある。
「夫とセックスしても、キスは嫌な時があるわ」と友人が言う。
「キスのほうが親密なのよ」とケイティ。
 別の友人が「なぜかしら?」
「セックスは惰性だけど、キスは“ときめき”なの」と友人。
「本当ね」そして止めは「結婚なんてロマンスの抹殺装置よ」

 監督 ロブ・ライナー1947年3月ニューヨーク・ブロンクス生まれ。テレビの演出から’86「スタンド・バイ・ミー」がヒット。‘90「ミザリー」で新境地を開く。その後も「ア・フュー・グッドメン」などサスペンスや政治ドラマなど範囲を広げている。俳優の経験もあって、この映画でもブルース・ウィリスの親友を演じている。
 キャスト ブルース・ウィリス1955年3月西ドイツ生まれ。「ダイハード」で有名。
 ミシェル・ファイファー1958年4月カリフォルニア州サンタ・アナ生まれ。’80「マンハッタン・ラプソディー」で映画デビュー。‘89「恋のゆくえ/ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」でアカデミー主演女優賞にノミネートされ、‘92「ラブ・フィールド」でも主演女優賞にノミネートされ、ベルリン国際映画祭、全米批評家協会賞、NY批評家協会賞、LA批評家協会賞、ゴールデングローブ賞などは受賞しているがアカデミー賞には縁がない。
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ますます躍動するジョージ・クルーニー

2008-01-21 15:21:17 | 時事

              
 新聞報道によると、ジョージ・クルーニーが国連の平和大使に任命されたという。国連総長は、紛争が長期化するスーダン・ダルフール地方を自ら訪れるなど、「ダルフールへの関心を高め、行動を促そうとする熱意」があったことを任命の理由にした。
 クルーニーは「世界のもっとも困難かつ危険な場所で、重要な任務への支持を築くため、国連との協力を楽しみにしている」とコメントしている。
 ところでこのジョージ・クルーニーの履歴をallcinema onlineから引用すると“1961年5月6日ケンタッキー州レキシントン生まれ。父は映画解説者として知られているニュース・キャスターのニック・クルーニー。叔父、叔母には名優ホセ・ファーラーと歌手のローズマリー・クルーニーという芸能一家。
 ‘82年LAでTV界に入り、’84年から映画界に移るが、長い下積み生活が続く。しかし、‘94年のTVシリーズ「ER緊急救命室」の小児科医を演じ、甘いマスクで全米のスター・ダムに躍り出る。
 「オーシャンズ11」などのヒットにも恵まれ’05「グッドナイト&グッドラック」と「シリアナ」でいきなり監督賞、脚本賞、助演男優賞の3部門がノミネートされる快挙をなし、助演男優部門でアカデミー賞を受賞した”

 ちなみにローズマリー・クルーニーは、「青いカナリア」が日本では大ヒットした。確か60歳は過ぎていたかと思うが、日本公演のときその曲は忘れたと言って歌詞を朗誦(ろうしょう)した。
 そしてジョージ・クルーニーの将来は、まだ46歳という若さからアカデミー賞を狙う監督やどこかの州の知事から大統領まで視野に入れてもおかしくない状況が出来つつあるように思う。映画界であれ政界であれ、目が離せない男に違いない。片方でプレイボーイの名を馳せているので、女性関係の失敗がなければという注釈がつくが。女性の胸や尻に目を向けすぎないように、しっかりと国際平和に目を向けて貢献してもらいたい。
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サブプライムローン(低所得者向融資)問題から別の面も見えてくる

2008-01-20 11:25:10 | 社会

 年が改まっても、依然としてサブプライムローン問題が世界経済を泥沼に引き込もうとしているようで油断がならない。世界の株式市場から膨大な投機資金が原油や金に流れ、ますます混迷を深めている。
 米大統領選にもその影を落として、焦点がイラク問題から景気対策に移行している。危機感を募らせたブッシュ大統領も減税を柱とした15兆円を超える景気浮揚策の骨子を発表した。しかし、NY株式市場の反応はいまのところ、具体策が乏しく不透明だとして値を下げた。
 それほど大きな問題のサブプライムローンだが、その対象はどんな住宅だろうか。ニュース映像で見る限り、一箇所にちまちまと押し込められた長屋のような住宅ではなかった。道路からは広々としたドライブウェイがあって、その奥に玄関ドアがある。隣家とはくっつくような間隔ではない。低所得者向けというがイメージが合わない。むしろイメージするのは、アメリカ映画でよく見る平均的な家族の住宅だ。
 NIKKEI NETのビジネス・コラム(http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/harada.cfm?i=20070910c3000c3&p=1)でも触れてあるが、サブプライムローン対象の住宅は、日本では豪邸だということ。ならば日本人はいまだにウサギ小屋に住んでいて、これからも住み続けるのだろう。
 しかし、これでいいのだろうか。日本人の住感覚は、江戸時代から一向に変わっていないとしか思えない。幕府が江戸に置かれてから、人口が増えたため長屋という住居が建てられた。その感覚がいまだ続いているように思う。
 東京都庁の裏手あたりも車が一台やっと通れるという路地が幾つもある。もし大地震や大火事に見舞われたらと思うとぞっとする。選挙に直接影響しないからか、政治も一向に目を向けない。ゆったりとした住環境を目指すべきだ。
 日本人の住宅百年の計(百年程度では無理かもしれない)として、後世の人に喜んでもらいたいと思う。サブプライムローン問題でこんなことを考えた。
 もちろん株価の行方は気になるところで、毎日インターネットで株価を追っている。それこそ6畳の小さな空間から……
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猫嫌いが猫と同居するハメに……

2008-01-19 11:08:41 | 雑記

 私は猫に限らず犬も嫌い。その私の家にメスの黒猫が同居することになって二年が過ぎようとしている。
 犬や猫が嫌いな理由といっても、たいした理由はない。相性が悪いというほかない。あえて理由を探せば、ウンチの世話や飼っている生き物の死が見たくないということもある。
 そんな私のところへ猫がやってきたのは、私の娘が原因。娘は私に似合わず犬や猫が大好きで、フィラデルフィアの友人宅からの帰途、猫を買ってきたくらいだ。 そのときは娘が独立して生活していたので、猫との同居に発展しなかった。それが二年前の早春、寒さの残る夜、路傍に捨てられた猫を拾ってきた。かわいそうだからと言って、私に有無を言わせない。私はあきらめた。
 そのかわり一切の世話はしていない。とはいっても可燃ごみの袋には、猫のウンチやおしっこの凝固したビニール袋も入っている。それを私がゴミ収集場所まで運んでいるけれど。そんなことは猫にとってはどうでもよく私にはなつかない。私が振り回す腕に飛びつくくらいだ。娘はまさに猫可愛がりそのもので、暇さえあれば抱いている。
 この猫の名前は、我が家に来たとき手のひらに乗るくらい小さく、歩くとふらふらしていたので「フラ」になった。フラダンスのフラと思う人もいる。私の妻も猫嫌いの部類に入るが、今では可愛いを連発している。確かに前足を揃えて招き猫のように座って、じっと食べ物を待っている姿は可愛い気がする。
 私も少し変わったようだ。遊歩道で野良猫を見かけると、「オーイ」と声をかけるようになった。野良猫は知らん振りしているが。いままでの私なら無視していただろう。
 去年の初夏、車で黒部峡谷の観光に出かけた折、車が嫌いなようでずっと鳴き続けていた。そのかわり無料の町営キャンプ場では、のびのびとうれしそうにはしゃいでいた。翌朝、周辺を散歩したときまるで犬のようについてきて、先に行って振り返って人間が追いつくのを待っていたりした。
              
 帰路はずーっと眠っていた。チョットかわいそうだと思うのは、去勢されてしまうことだ。去勢しなくてもいいが、何匹も仔猫を抱え込んでしまう覚悟がいる。
 人間的に見ると、セックスを強制的に奪い去られることが哀しいことのようにふと思ったりする。猫は自前で仔猫を育てない。時期がくれば野良猫として放り出してしまう。人間から見れば迷惑な話になる。おまけに人間は血統書つきにこだわる。野良猫の行く末はかわいそうなものだ。
 幸運に恵まれた「フラ」は、今日も温めた牛乳やいわしの煮たものを食べて満足そうにしている。そして「この家は私の家よ」と言いたげに……
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映画 アンソニー・ホプキンズ「アトランティスのこころ(‘01)」

2008-01-17 13:19:16 | 映画

“過去はいつも人の心を飲み込んで連れ去る。行き先を知るすべはない。いい思い出があるように願うだけだ”こういうナレーションに続いて、写真家のボビー・ガーフィールド(デヴィッド・モース)の元にサリーの古い野球のグローブ届く。中に子供時代からの親友サリーが交通事故で亡くなったことを知らせる手紙が入っていた。
              
 サリーやキャロルとは遊び仲間で、森の中を走り回ったり小川で泳いだりした三人組だった。観覧車の中でのファースト・キスの相手がキャロルだった。
              
 そしてサリーの葬儀でキャロルも亡くなっていたことを知る。朽ち果てたかつての我が家を訪れて過去がよみがえってくる。

 二階の下宿人としてテッド・ブローディガン(アンソニー・ホプキンズ)がやってくる。何でも見通す不思議な力を持つテッドからいろんなことを学び友情が育まれる。テッドは自分が追われていることも分かっていた。そしてFBIがテッドを連れ去り、母の仕事の都合でサリーやキャロルからも遠くの土地に離れ離れになる。ボビーにとって忘れえぬ思い出だった。
              
“心の目を開き未来へと向けてくれた。彼のことは忘れない。何があろうと、決して”というボビーのナレーションで終わる。

 原作はスティーヴン・キングで、映画手法も「スタンド・バイ・ミー」にそっくり。「スタンド・バイ・ミー」も作家が回想するという形式だった。この映画は、中高年・熟年向きなのではと思う。
 少年時代の過去を振り返ることが出来る年代だからだ。バックに流れるザ・プラッターズの「オンリー・ユー」が1960年代のでかいアメリカ車とともに懐かしく思い出される。中高年や熟年世代ならラスト・シーンは身震いするほど涙腺が緩むのを感じるはずだ。
 過去の追憶から覚めて、あの頃吊るしてあった風鈴を拾い上げて、元に戻しているとボビーに声がかかった。「中に入っちゃダメよ。危ないから」可愛い女の子が声をかけてきた。
「昔住んでた」戸惑った表情でボビーが応えて「君もこの町に?」
「ずっとね」と少女は言いながら歩き去ろうとした。
「待ってくれ。君のママは…もしかして、キャロル・ガーバーかい?」(この場面には伏線があって、ボビーがキャロルの家の前を車で通るとき、玄関ポーチに出てきた少女を目にしていて、いま見当をつけたようだ)
「死んだわ。何年も前に」
「残念だよ、手紙も書かずじまいで」
「それじゃ…観覧車の男の子ね? ママに聞いたわ」
「内緒のはずなのに」
「ステキな子だったて」
ボビーはチョットはにかんで「彼女がね」と言って自宅から持ってきたキャロルのポートレートを娘に手渡した。
 じっと見つめる娘に「ボビーだ」といって手を差しのべた。娘は「モリ-よ」と言って握手に応えながらも、少し涙ぐんでいるようだった。
 モリ-は坂道を降りて行った。モリ-に手を振って別れを告げた。坂道に積もった雪の先に、遅い午後の西日が家々を黄金色に染めながら、輝いているのが見えた。

 監督 スコット・ヒックス1953年3月ウガンダ生まれ。テレビ界からスタート、ドキュメンタリーを手がけ‘96「シャイン」でアカデミー監督賞にノミネートされた。’07「幸せのレシピ」もあり、現在はドキュメンタリーの世界に戻っているようだ。
 キャスト アンソニー・ホプキンズ1937年12月イギリス・ウェールズ生まれ。映画デビューは‘68「冬のライオン」で’91年には「羊たちの沈黙」でアカデミー主演男優賞を受賞。‘93年ナイトの称号を受ける。
 デヴィッド・モース1953年10月マサチューセッツ州ハミルトン生まれ。1980年からの長い芸暦。
 ボビーの子供時代を演じたアルトン・イェルチン1989年3月ロシア・サンクトペテルブルク生まれ。
              
 キャロルを演じたミカ・ブーレム1987年8月アリゾナ州生まれ。
 サリーを演じたウィル・ロスハー1987年1月ニューヨーク州ニューヨーク生まれ。
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米大統領選 クリントン候補、思わず流した一粒の涙

2008-01-14 13:58:05 | 時事

 米大統領選挙は、初の女性大統領か、初の黒人出身大統領か、全世界の注目を集めている。そんな中で、野党民主党のヒラリー・クリントンが、支持者の質問に涙を浮かべたと報道された。
 そのニュースを聞いて、一層立場が後退したと私は思った。そのように思った人も多かったようだ。今日(14日)の朝、NHKラジオでも持田解説委員がそのようなことを言っていた。
 ところがニューハンプシャー州ではクリントンが逆転勝利を果たした。これはあの涙が女性票を集めたらしい。今までの常識では、大統領は米軍を掌握し戦争指揮まで決断しなければならない。そういう過酷な立場に、涙は不要だと思われてきた。過去には、涙を見せたために大統領選から撤退を余儀なくされた人もいたらしい。
 クリントンの場合は、どう解釈すればいいのだろう。私なりに推論すれば、まず時代が変わったのだろう。かつての価値観はもうない。
 クリントンも一人の女であり、妻であり、母である。やや冷たさを感じるクリントンが、思わず見せた涙は、大統領を目指すという雲の上の人から、お隣のケイティおばさんと同じじゃないかという共感を得られたのだろう。
 戦場へ視察に行って戦死者や傷病兵を見て涙を流す、ごく自然な人間的な感情の吐露で、病院のベッドで療養する兵士も、ママが来てくれたと思うのではないだろうか。とまあ、そのようなことを考えたのであります。
 今のところ流れは民主党のようで、このままだと初がつく米大統領になる確率が高い。しかし、選挙は水もの、経済の後退局面にさしかかり有効な政策立案がなされるかが、これからの焦点になりそうだ。
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映画 ジーン・ハックマン、キアヌ・リーヴス「リプレイスメント(‘00)」

2008-01-13 11:35:54 | 映画


 アメリカの映画人はこういうスポーツコメディを作るのがうまい。配役にジーン・ハックマンを据え、人気のあるキアヌ・リーヴスを前面に出して制作費の回収に躍起なっているのが手に取るように分かる。おそらく大儲けとまではいかないが、何とか採算はとれたのだろう。
 アメリカの三大プロ・スポーツの一つフット・ボールが題材だ。話はこうだ。レギュラー・シーズンの終盤、プレイ・オフに3試合を残して待遇に不満の選手会がストに突入した。
 オーナーからジミー・マクギンティ(ジーン・ハックマン)にリプレイスメント、いわゆる代替選手で残りの試合を戦って欲しいと依頼される。力のあるクォーターバックだったがここ一番に弱いと言われて引退していたシェイン・ファルコ(キアヌ・リーヴス)を中心に見事プレイ・オフに進出するという成功物語である。
               
 日本でスポーツものといえば、イコール根性物語になって、悲壮感と涙がほとんどだが、この映画はコメディ仕立てではあるが、爽やかの中にキアヌ・リーヴスとブルック・ラングトンの恋がローリング・ストーンの曲に乗ってロマンティックな雰囲気を醸し出している。
 背景音楽もローリング・ストーン、ポリス、クイーン、ドナ・サマーなどで、陽気にまたしっとりと色を添えている。
 
 監督 ハワード・ドゥイッチ1950年9月ニューヨーク生まれ。
 キャスト キアヌ・リーヴス1964年8月レバノン・ベイルート生まれ。’94「スピード」のヒットで人気を得、’99「マトリックス」でトップ・スターの地位を獲得。
 ジーン・ハックマン1930年1月カリフォルニア生まれ。’71「フレンチコネクション」でアカデミー主演男優賞を受賞、‘92「許されざる者」でアカデミー助演男優賞を受賞した実力派俳優の一人。
 ブルック・ラングトン1970年11月アリゾナ州クーパーマイニングタウン生まれ。サンディエゴ州立大学卒業後、モデルにもなり日本で働いたことがある。’89テレビ・シリーズ「デイウォッチ」から俳優業が始まる。どういうわけか出演作が少ない。
              
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読書 トマス・H・クック「蜘蛛の巣のなかへ」

2008-01-09 11:28:44 | 読書

              
 癌で死にかけている父のもとに、カリフォルニアで教師をしている息子ロイ・スレーターが二十年振りに帰ってくる。ロイには最愛の弟アーチーもいたが、グロリアという娘と駆け落ちするまでになる。
 その夜悲劇の殺人が起こり、アーチーは自白して留置場で首吊り自殺をする。そのショックで母親もこの世を去る。残された父と息子。しかも息子は父親を毛嫌いしていた。カリフォルニアの教師になったのもそれが原因だった。
 
 ところがある日、父親がアーチーの思い出とともに憤怒を爆発させた。ロニー保安官の父親で元保安官のウォレスに対してだった。それがきっかけでアーチーの事件を調べ始める。
 父親のかつての恋やリンチを受けたことが浮き彫りになってくる。ロイにもライラという恋人がいたが、結婚はできなくなったという彼女からの一通の手紙が二人の仲を裂いた。どうして結婚できないかという謎も明らかになってくる。
 親は生まれた子供が気に入っても入らなくても生涯つき合っていかなくてはならない。子供はもっと悲惨で、親を選ぶことが出来ない。親は子供を生むか生まないかの選択が出来る点が子供の立場との違いがある。
 ロイと父親との関係も、父の末期にようやく心が通い合うという切なさに満ちている。この本は地域社会や人間のしがらみを、やや暗い文体で描いていく。この人が描く女性には惹きつけられる。「緋色の記憶」の美術教師のチャニング先生だし、この本でもライラ・カトラーに同じ思いを抱く。
“僕は彼女に花束を渡した。「ここへくる途中で摘んだんだ」
彼女はそれを顔に近づけた。「野生の匂いがするわ。花屋で買う花とは違って」もう一度花のほうにうつむいて、それから顔を上げてぼくを見た。「寄ってくれて、ありがとう、ロイ」
「父さんは僕が君のために戦うべきだったと思っていた」と僕は言った。
彼女は首を横に振った。「もうずっと昔のことだわ」
「君さえよければ、僕はもう少しこの近くにいようかと思うんだ。どういうことになるかはっきりするまで」
彼女は首を振った。「ロイ、もう……」
「君のあとから崖を飛び降りるのとはチョット違うかもしれないけど(子供のころライラに続いて崖から川に飛び込んだことがある)、今の僕にはせいぜいこのくらいしかできないんだ。もう昔ほど敏捷じゃないからね」
彼女はにっこりと笑みを浮かべた。
「ライラ――君が僕のために何をしてくれたか、僕は知っているんだ」
彼女の笑みがすっと消えたが、その目の中で野性的で愛らしい何かがキラリと光った”


最後のこくだりで、ほっと安堵の吐息を漏らした。
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映画 ケヴィン・コスナー、アシュトン・カッチャー「守護神(‘06)」

2008-01-05 13:53:23 | 映画

              
 アメリカ沿岸警備隊の師弟関係を描く男の映画だ。ウィキペディアから警備隊について引用すると“アメリカ沿岸警備隊(United States Coast Guard)は、陸軍、海軍、空軍、海兵隊に次ぐ五番目の軍隊。最小の武装組織でありながら、法の強制執行権を有し、捜索救難、海洋汚染の調査から沿岸警備まで幅広い任務についている。日本国内では、横田基地に極東支部がある”

 お話しというのは、過去にいくつも映画に取り上げられたチョット生意気で突っ張りぼうやが上官と対立しながらも人生や男の友情に目覚めるというものだ。海難救助に焦点を当ててあって、風速三十から四十メートル、波の高さ三メートルないし五メートルという悪条件の中、遭難者の救出にあたる。
                   
 時には自らのチームが救助行動中、ヘリコプターの故障や破損で仲間を失うこともある。そういう任務で実績のあるベン・ランドール(ケヴィン・コスナー)は救助行動中、ヘリコプターの墜落炎上で仲間を失いそのショックから抜け切れなかった。上官からの指導教官をしばらくやって心を落ち着かせればというアドバイスを受け入れた。
              
 その下に新入生としてジェイク・フィッシャー(アシュトン・カッチャー)が配属されてくる。ここからは過酷な訓練が続く。この訓練はいうなれば不適格者を見つけ早く追い出すことと税金の無駄遣いを少なくするのが目的なのだろう。
              
 それに合格したジェイクは、アラスカ勤務が待っていた。そこにはベンもいて、もはや同僚の救難士という立場になった。そしてドラマは、悲しい結末に向けてアラスカの荒海のように画面に叩きつけてくる。
 ほとんどの画面が、ケヴィン・コスナーとアシュトン・カッチャーの場面で推移していく。個人的にはもう少し周辺のエピソードも入れれば、厚みが出てきたのではと思う。荒れた海の救助活動という場面の連続なので退屈することはなかった。男はいつまでも子供の部分を残しているので、現代では乏しくなった男の自己犠牲を堪能できて、理屈ぬきに楽しめるのも確かだ。

 監督 アンドリュー・デイヴィス1946年イリノイ州シカゴ生まれ。イリノイ大学卒業後、カメラマンとして映画界に入り、コマーシャル・フィルムの仕事を経て監督に。‘93「沈黙の戦艦」と「逃亡者」は世界的にヒットする。
 キャスト ケヴィン・コスナー1955年1月カリフォルニア生まれ
               
 アシュトン・カッチャー1978年2月アイオワ州シダーラピッズ生まれ。これから飛躍できるか?
               
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