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ロバート・ゴダード「永遠(とわ)に去りぬ」

2008-09-30 10:16:19 | 読書

                
 夏の盛りの黄金(きん)色の日暮れ時、山歩きの途中で出会った女性。肩までのブロンドの髪は斜陽を浴びてこがね色に見えたが,多分白銀(しろがね)の筋も混じっていたのだろう。
 白いブラウスにさっぱりしたベージュのスラックス、モカシン風の靴の上に細い足首が見える。若々しい装いだが可愛らしさを残しながら今は美しい中年の女性だった。
 ロビン・ティマリオットに「あなたとわたし、本当に何かを変えられると思う?」と言う言葉を残したその女性がレイプの上殺されたことを知る。ロビンには彼女の映像と言葉が心に残り謎から謎へとたどる羽目になる。
 いつものようにゴダードの込み入った仕掛けにも拘わらず、たいした混乱も無く読み終えられたのはゴダードの語りのうまさに尽きるのだろう。
 とにかく殺人犯は逮捕され裁判の結果犯人は一貫して無罪を主張し続けたが、二十年の懲役刑を宣告される。法的な問題は判決で終わったが、被害者の遺族の心の傷は癒されることは無い。遺族の心情は、目には目をとばかり犯人の死を望むものだ。しかし、どのようにして。
 ゴダードは巧妙な作り話と凄惨なクライマックスのバイオレンスへといざなう。それにしても翻訳者の使う日本語には閉口した。辞書を引くのは当然としても、その単語の必然性が全く分からない。少し例を挙げると、“その眼が胸をざわつかせるほどに大きく、頴悟(えいご)にして無垢であることを、わたしはすっかり忘れていた”この頴悟は、非常に賢いことと言う意味だ。他の言い方が出来ないのだろうかと思う。
 こんな例は一杯あるのでもう一つにしておこう。“葉叢を抜ける風のごく軽やかな籟(らい)だけが”この籟は、風が物にあたって発する音と言う意味。訳者の名前は、伏見威蕃(ふしみ・いわん)。
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ジョージ・P・ペレケーノス「変わらぬ哀しみは」

2008-09-26 11:34:58 | 読書

               
 1968年ワシントンDC。デレク・ストレンジは、白人のトロイ・ピーターズと組んでパトカー勤務をしていた。黒人のデレクは、トロイのことをプリンストン大出のお坊ちゃんだと思っていたし、自分は高校出で黒人だということでなんとなく薄い壁を自ら張り巡らし、トロイから夕食の誘いにも素直になれない。
 デレクには素晴らしい両親に恵まれているが、兄のデニスが定職につかず悪い仲間とつるみマリファナと酒で現実逃避しているのが気がかりだった。時代はようやくマーチン・ルーサー・キング牧師の黒人の地位向上運動の兆しが見え始めたが、人種間の対立は容易に収まる気配は無かった。
 そんなある日,デニスが殺される。事件を追うのは、デレクのほかに刑事のフランク・ヴォーンもいた。キング牧師が暗殺されて、暴動が起こるさなかデニス殺しが割れる。神を信じる敬虔な母親、二人の息子の行く末を案じる父親、オルガと言う妻を持ちながら、他に女を囲ってセックスを楽しみ、行きつけの酒場でただ酒を飲む男フランク。そのオルガとも良好な夫婦関係を維持している。
 “腰をオルガに押しつけ、体が反応していることを分からせる。オルガにはうんざりすることもあるが、なんといっても女房であり、恋人でもあるのだ。オルガは激しいのが好みだ。一度、その気になると、袋に入れたオオヤマネコのようになる”
 「袋に入れたオオヤマネコ」にはにやりとさせられる。となるとこのオルガと言うネーミングもなにやら意味ありげに思われてくる。フランクの人間くささにニヤニヤしながら街のチンピラたちをいきいきと活写するペレケーノスの哀愁に満ちた筆致を堪能する。
 比喩も切れ味鋭い。「夕日に染まった通りは、蜂蜜に漬かっているように見えた」「キッチンは狭苦しく、照明も薄暗かったが、手袋をはめたときのようにぬくぬくと気持ちよい空気が流れていた」
 それに音楽に関する記述が数多い。デレクの好みとなっているが、ペレケーノスの好みでもあるのだろう。ソウル・シンガーのオーティス・レディングをはじめ、ジェイムス・カー、O・V・ライト、アレサ・フランクリン等など。
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森村誠一「青春の十字架」

2008-09-22 09:48:55 | 読書

                
 “穂高の稜線が夕映えに染まり始め、西の方からひたひたと押し寄せる暮色によって、その染色を強めている。稜線に煮つまる夕映えを反映して、梓川も茜色に染まってくる。
 穂高連峰と、これにつづく明神岳の豪快な岩襖(いわぶすま)が残照を受けて燃え上がる姿は、何度見ても一期一会の自然が贈るためいきをつくような光と影の織りなす豪勢な饗宴であった”
 このように表現される景色に見入っているのは、警視庁に所属する要人警護のSP寒川隆弘だった。同じ景色に見とれる観光客風の二十代後半と思われる女、沖鮎水紀(おきあゆ・みずき)と知り合った。
 ところが、どういうわけかデートは一年に一度、この上高地の同じ場所と日時で繰り返された。何度目かの時、水紀が来年は一緒に穂高に登りたいと言った。
 約束の日時が迫ってきても水紀の携帯電話は、電源が切られたままだった。いぶかりながらも寒川は約束を守って待っていると、水紀が現れた。と思ったのは束の間で彼女の「姉の代わりに来た妹の香代乃です」という言葉がしばらく信じられなかった。
 謎めいた発端ではあるが中身は、寒川の妹の失踪事件が、F県地元支持者で病院をはじめ幼稚園。介護老人ホーム、タクシー会社、運送業、建設業、ガソリンスタンド、農場、倉庫、不動産、食品会社、寺院、墓地など手広く活動する日置医師の恐ろしい本性や談合汚職、外国要人を始め政界、財界のVIP接待に銀座の高級クラブホステスを夜伽に使っているという次元の低い話である。
 わたしがこの本を読みたいと思ったのは、山岳ミステリーで穂高が舞台ということである。わたしも山好きで、奥穂高に登ったことがある。そんなわけでどんな山岳小説になるのか期待したが、残念ながら外れた。
 一人称の視点で語られているが細部に目が届いていない。ある事件のダイジェスト版という趣で、登場人物に感情移入が出来ない。それにA国、F県、T大、五月☓☓日、七月十☓日というあいまいな表現。わたしはこれが大嫌い。
 七十五歳という著者の年齢に敬意を表したいと思ったが残念ながら辛口になった。ひねりも意外性もなく、おまけに偶然性を持ち込み余情もないとなれば仕方ないだろう。
 この本の前に読んだロバート・ゴダードの「リオノーラの肖像」というすばらしい本の余韻が残っていて、あまりにも落差が大きかったのが辛口の原因の一つになったのだろう。それにしてもこの内容の269頁の単行本に1,700円の値段とは、出版社もせこいことをする。
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ロバート・ゴダード「リオノーラの肖像」

2008-09-18 11:48:52 | 読書

                
 最後のページを閉じたとき、長身で立派な骨格を持ち、白く美しい豊かな髪と若い頃は美しかっただろうと思わせる少しやつれた容貌ながらその優雅な物腰は、身についた上品さというより彼女自身の趣味のよさと訓練によるものと思われるリオノーラ・ギャロウェイとともに1916年代に置き去りにされたような妙な気分にさせられた。
 七十歳になったリオノーラが、娘のピネロピに語って聞かせる自らの運命は驚愕に満ちたものだった。第一次世界大戦中、最大のソンムの戦いを背景題材に貴族の館で起こるアメリカ人殺人事件を絡めて謎に次ぐ謎に読み手は翻弄されるが、それは心地よい刺激となって活字を追い回してしまう。
 時には詩的な文体に漂いながら、船の航跡の白い泡立ちを眺めるようにいとおしい気分にもさせられる。そして、まったく予期せぬ結末には呆然としてしまった。 複雑な物語を面白く語る才能に恵まれた作家といわれるゴダードの才知が横溢している。拳銃やライフル、筋肉マンの力こぶなども必要ない。もっと言えば、女の肉体の細部の描写も必要ない。ただ必要なのは人物の的確な描写と人間関係の緊張だろう。
 その点でパワーストック卿の後妻オリヴィアは悪女の典型で、すべての男を虜にして手玉に取っていた。オリヴィアの存在がなければ、わさびのない刺身を食べているようなものになっただろう。この作品は、1988年上梓され二作目にあたる。
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C.J.ボックス「凍れる森」

2008-09-14 07:18:20 | 読書

                
 クリスマスまであと三日を残すエルク狩りシーズンの最後の週は、ビッグホーン山脈に嵐が近づいていて、空はどんよりとした雪雲に覆われ風が一段と冷たさを増した。
 ワイオミング州猟区管理官ジョー・ピケットは、緑色のピックアップトラックの四輪駆動車でパトロールしていた。草原を見渡す位置に車を停めて見ていると、最後のエルクが姿を現した。三発の銃声が静寂を破った。群れは動きそのあとに動かない三つの茶色い点が残された。パトロールはあらゆる状況を把握しなければならないが、ジョーはすでに一台のGMCのピックアップトラックを見ていた。一人の男が乗っていたのも確認済みだった。
 その男が発砲したとすれば、法律違反をしたことになる。一人一頭がその法律だった。逮捕した男は、国有林の地区監督官ラマー・ガーディナーだった。ガーディナーは結局七頭を撃ち殺していた。連れ帰る途中ガーディナーに逃げられ、挙句発見したときには二本の矢がガーディナーの体を串刺しにし喉を掻き切られて殺されていた。
 これが物語の発端で、気が滅入るほど寒くて鬱陶しい風景を背景に、殺人事件が権力側の無節操な人間たち――FBI捜査官や郡保安官、森林局職員など――と権力と対峙する組織との確執に飲み込まれていくジョー・ピケットの里子エイプリルの悲劇まで、途切れることのないうねりで厭きることがない。
 読者が親近感を持つ人物や嫌悪を抱く人物を鮮やかに描く。現代の西部劇だ。ただ、最後の決着が法に従わない手段だったのがなじめない。
 間断なく降る綿毛のような雪に身動きが出来なくなる危険にさらされて、ダッシュボードの先を凝視しながらハンドルにしがみついて車体の底から突き上げる衝撃に喉がカラカラになるほど緊張が走る。こんな状況は、かなり荒れたオフロード走行の体験があれば、思い出してにんまりするだろう。
 殺人者は、どんな理由があろうとも法の裁きを受けなければならない。しかし、それ以上に始末に負えないのは、FBIや保安官が代表する権力側の都合のいい判断や無定見さを著者は糾弾しているように思えてならない。
 著者は、ワイオミング州生まれ。牧場労働者、測量技師、フィッシング・ガイド、ミニコミ誌編集者などさまざまな職業を経て旅行マーケティング会社を経営、2001年、デビュー作の「沈黙の森」で絶賛を浴び、主要ミステリー新人賞を独占した。
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ウィリアム・ランデイ「ボストン・シャドウ」

2008-09-09 13:04:26 | 読書

              
 1963年と1964年前半は、流血の時代だった。アメリカ国民にとっては、ボストン出身のケネディ大統領暗殺事件が心に暗い影を投げかけ、ここボストンではストラングラー(絞殺魔事件)で人々を震え上がらせていた。
 その一方で、古びてみすぼらしい地区のボストン再生事業が行われていた。アイルランド系のデイリー家には、成人した三人の息子がいた。結婚して一児の父で警官の長男ジョー・デイリー、ハーヴァード大出の検察官の次男マイケル、三男のリッキーは自由業といっているが、実は腕のいい空き巣狙いだった。
 ギャングに取り込まれた警官のジョー。空き巣で得たダイヤモンドのせいでギャングに追われるリッキー。ストラングラーに見せかけて殺されたリッキーの恋人。 本物のストラングラーに襲われた母親マーガレット。ボストン再生事業の裏で暗躍するマフィアといった錯綜するストーリーが織り成す人間模様に、どこか暗さをはらみながら収斂していく。ジェイムズ・エルロイのクライム・ノベルを思い出した。
 著者は、生粋のボストン子でイェール大学とボストン大学ロー・スクールで学位を取得後、六年間検事補として公職に就いた。その後、2003年に「ボストン、沈黙の街」を発表し作家デビュー。同書は英国推理作家協会(CWA)賞最優秀新人賞に輝き一躍脚光を浴びた。
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ロバート・B・パーカー「殺意のコイン」

2008-09-05 13:44:29 | 読書

               
 二十年間途絶えていた「物乞いキラー」が再び動き出した。右耳の後ろを銃撃、横たわる被害者の頭のそばに硬貨を三枚残していくのが特長だった。
 その事件を追うのは、外見は安っぽいナイトクラブの雇われ用心棒といった風貌の父フィル・ランドルと元夫のリッチーに言わせるとメグ・ライアン似でタフなフィルの娘サニー・ランドルだった。フィルはすでにボストン市警を退職していたが、乞われて顧問を引き受けていた。父からの希望で娘のサニーも手伝うことになった。
 サニーの家族の人間模様や元夫とよりを戻すかどうかそれに友人のジュリーとの息抜き、精神科医との面談などサイド・ストーリーを織り交ぜながらストレートに捜査は犯人に行き着く。
 プロ野球の投手のようにチェンジアップもカーブボールもスライダーもない。ひねりがなく平板で、琴線には触れなかった。それにパーカーお得意の料理の蘊蓄もない。せっかく家族でホテルの豪華な食事の場面があるというのに。読んでいて作者がなにか気が乗らないという印象を受けた。
 サニーのタフな場面が一度あったきりなので、最後のクライマックスにそれを持ってきたのだろが、無理に付け足したように思えてならない。しかし、amazonのカスタマレビュー3件は、嬉しそうに褒めていた。
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ジェフリー・ディーヴァー「死の開幕」

2008-09-01 13:25:02 | 読書

              
 ルーン三部作。1988年「汚れた街のシンデレラ」に次ぐ1990年の作品。残る1991年の「Hard News」は未訳。
 ルーン、本名アイリーン・ドット・サイモンズと言うらしい。言うらしいという曖昧な表現は、作者が本名であるかもしてないし、そうじゃないかもしれないとぼやかしているからだ。もともとルーンは、“謎”という意味なので仕方がないか。 このルーン、ニューヨークのドキュメンタリー制作会社でアシスタントをしている。アシスタントといっても実態は、コーヒーを入れたり近くのデリカテッセンで昼食のサンドイッチを買ってきたりという使い走りをやらされている。しかし、いつかはドキュメンタリー作品を完成させたいと心から願っていた。
 “細身で身長5フィート(約152センチ)の小柄、栗色の髪、丸顔とともに基本のアイテムは、Tシャツとブーツと恐竜。ヘアスプレーを使うのは、ハエを殺すときか、スクラップブックに何か貼るときだけ”のキュートな彼女が発するウィットいっぱいの言葉が印象的だ。
 そんなある日、タイムズスクエア近くのポルノ映画劇場が爆破される。情報によるとどこかの宗教団体の仕業ということらしい。ひらめいた彼女はこれをドキュメンタリー映画にする決意を固めて、否定的なボスから手空きの時間にすることの約束を取り付けた。そうなると身辺がにわかに騒々しくなった。
 赤いウィンドブレーカーを着た男につけられ殺されかけ、インタヴューをしていたポルノ女優を爆破で失いその女優の親友の巨乳を誇る女優も殺される。とうとう自身も爆弾の餌食に……最後は本当に意外な幕切れが待っているというひねりの効いたプロットに釘付けになる。エンタテイメント味横溢の作品だ。
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