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映画 マット・デイモン「ボーン・スプレマシー(04)」

2005-09-30 12:39:49 | 映画
 ドイツ、ベルリンでCIA(米国中央情報局)は、工作員と情報屋との取引を監視中に、何者かに情報ファイルと多額の情報料を強奪される。指紋照合でジェイソン・ボーンと判明する。犯人がボーンの犯行と見せかけたもので、バレないためにはボーンを消す必要がある。

 インドで犯人の狙撃で車ごと川に転落したボーンは、恋人マリーを亡くす。一方CIAもボーンを追う。必死で逃げながら報復の機会を窺うボーン。インド、ドイツ、イタリア、オランダ、ロシアの国々を、臨場感を伴いながらカメラは動き回る。

 ボーンはCIAの工作員のとき、任務だと言われてネスキーという男を殺す。ネスキーだけと思っていたのが、妻も現れ二人を殺すことになる。あとに娘が一人残った。これが悪夢としてたびたび現れ悩まされる。

 生々しい格闘や爆破、どんよりとして寒々としたモスクワでのカーチェイスなどアクション場面には事欠かない。特にカーチェイス場面はハンディ・カメラで、演じる俳優の目線で撮っているので目まぐるしい場面転換が連続し、若くないと目がしょぼつき疲れがひどい。強奪犯とのカーチェイスは迫力があって楽しめる。映画の評価は若い人ほど高い。

 この映画でジェイソン・ボーンの本名や生年月日が明かされる。デビッド・ウェッブ 1971年4月15日ミズリー州ニクサ生まれ。ボーンは傷心を胸に秘め、ニューヨークの街角に消えて行く。音楽は全体に暗い雰囲気の場面によくマッチしていた。

 ボーン・シリーズ三部作のうちの二作目になるが、この映画単独観賞はお勧めできない。一作目の「ボーン・アイデンティティ」を観ないと、ラスト・シーンが理解できないのではないか。

 2004年のこの作品は、監督ポール・グリーングラス1955年8月イギリスイングランド生まれ。マット・デイモン(ジェイソン・ボーン)1970年10月マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ、「レイン・メーカー」「プライベート・ライアン」ほか。フランカ・ポテンテ(マリー)1974年7月ドイツ生まれ。ジョーン・アレン(パメラ)1956年8月イリノイ州ロシェル生まれ、芸歴は古く「フェイス/オフ」にも出ていたそうだが記憶にない。ブライアン・コックス(アボット)。カール・アーバン(キリル)
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ミステリー トマス・H・クック「闇に問いかける男」

2005-09-26 14:16:47 | 読書
 トマス・H・クックの本は、1997年度MWA(アメリカ探偵作家クラブ)最優秀賞の「緋色の記憶」が、今でも鮮明な記憶として残っている。暗さが漂う文体ながら強い印象を残している。

 この本も読者を裏切ることはない。少女が公園で殺された。容疑者のホームレスの男スモールズが否認し続け、10日間の拘留も自白がないと翌朝には釈放しなければならない。ニューヨーク市警刑事ノーマン・コーエンとジャック・ピアースが尋問の長い夜を過ごす。

 大都会の片隅で何の希望もなくあきらめの人生を送るスモールズ、かつて娘を殺され、その面影が消えないピアース、同じアパートの若い娘にほのかな恋心を抱き、たった一人の人生を送る中年のコーエンや麻薬常習者の息子を持つ上司のバーク刑事部長。

 人生の挫折や空虚な心を抱えて、傷つきながら置かれた状況に折り合いをつける人たちを鮮やかに描きながら、最後の最後で真犯人が分かるという見事な展開をみせる。
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映画 へイデン・クリステンセン「ニュースの天才(03)」

2005-09-22 14:09:48 | 映画
 最近も朝日新聞長野支局記者の捏造記事事件があった。この記者の場合、すぐばれるのが分かっているはずなのに、捏造する心理が分からない。分かりたくもないが。

 実話を題材にしたこの映画の場合は、スティーブン(ヘイデン・クリステンセン)が自分の才能に酔いしれた挙句、破滅の闇に飲み込まれる。1914年に創刊されたニュー・リパブリック・マガジンは、政治的論評を得意とし、エア・フォース・ワン(大統領専用機)にただ一社搭載される雑誌として有名だそうだ。98年5月のライター/エディター数は15名、平均年齢26歳、最年少ライターがスティーブン・グラス、この映画の主人公である。最終的に判明したのは、スティーブン・グラスの書いた記事41のうち27が捏造だった。


 どんな動機があって捏造記事を書いたのか?二重三重のチェック体制があるにも拘らず記事になったのか?映画は明らかにしてくれるが、動機については明快さが欠けている。このDVDにはスティーブン・グラス・ドキュメントというのがあって、あるテレビ局のインタヴューを受けている。

 スティーブンは「初めは記事の一部を偽って書いているだけだったが、やがてエスカレートして全体を捏造してしまう。記事を面白くするためにネタを試しに自分で作ってみたら、あまりにいい出来なので思わず使ってしまった。でも掲載された記事を見る度に何度も考えた“もうやめよう”って、でもできなかった。あまりにも反響が大きく病みつきになった。編集会議でアイデアを話すとみんな興奮して聞いてくれる、その快感が忘れられなくなった」セックスの次に好ましいもので、一種の麻薬効果と言ってもいいのだろう。

 そしてグラスの元同僚であるレオン・ウィーゼルティールと言う人は「彼の捏造は完璧だった。出来すぎとも思える内容は読む者の心をとらえ続け、彼の記事の特徴となった。彼が語るストーリーはどれをとっても生き生きとして印象的だった。驚くべき想像力だった」という。

 この映画に出演した俳優の一人は、スティーブンは小説を書いた方がよかったのでは?という。その通りだ。捏造が発覚する発端が、「ハッカー天国」という記事だった。それに目を留めたのがビジネス誌「フォーブス」のアダムという記者だった。グラスは嘘を積み重ね遂には破滅に追い込まれる。あまりにも出来のいい捏造記事のため、書いた本人が真実と錯覚するという怪奇現象に落ち込んだのではないかと思う。

 で、映画の方はというと「ハッカー天国」の記事を巡って裏をとるという作業が行われ、グラスは架空の人物、場所、事件、団体という膨大な嘘を繰り出す。この辺はなかなかスリリングな展開で楽しめたが、ほとんど室内の映像で空間の広がりに欠けて、ややもの足りなさも感じる。実話とはいえ少しは脚色もあっていいと思うが。

 スティーブン・グラスを演じたヘイデン・クリステンセンは頭脳明晰で人好きのする明るいキャラクターの反面、他人には自分の所業を棚に上げて“不確実な記事やミスは許されない”と言う複雑な人物を難なくこなした。

 私はむしろ編集長チャックを演じたピーター・サースガードが気に入った。クビになった編集長の後を受け、部下からのさげすみの眼差しにさらされながら毅然と自分の立場を無言で主張し、正しいことを敢然と実行する男を静かな演技で表出する。最新作「フライト・プラン」では、ジョディ・フォスターと共演する。

 この映画の監督ビリー・レイは脚本家で、初めての監督作品である。ヘンデン・クリステンセン1981年4月カナダヴァンクーヴァー生まれ。ピーター・サースガード1971年3月イリノイ州スコット空軍基地生まれ。「K-19」「キンゼイ」ほか
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映画 「エイプリルの七面鳥(03)」

2005-09-18 11:44:17 | 映画
 家出している娘のエイプリル(ケイティ・ホームズ)から、感謝祭に初めての七面鳥の料理を作るから来てほしいというわけで、夫のジム(オリヴァー・ブラット)、妻のジョーイ(パトリシア・クラークソン)、息子のティミー(ジョン・ギャラガー・ジュニア)、娘のベス(アリソン・ピル)の一家四人とジョーイの母親ドッティ(アリス・ドラモンド)を伴って、ニューヨークに住むエイプリルのアパートへ向かう。

 ジョーイは乳がんの手術を受け、放射線治療の後遺症に悩みあまり行きたがらない。エイプリルとの折り合いの悪さを“思い出すのは、万引きや台所の火事だけ、ドラッグとか親不孝ばかり母乳をやれば咬みつくし、ガンもあの子のせいよ。行けないわ”と言うかと思えば、家族を突然恐怖のどん底に落とし込む。

 車の中で、“「ジム、ちょっと停めて」とジョーイ。家族が「大丈夫?気持ち悪い?外に出て新鮮な空気を」と気遣う。「平気よ。ただ なかなか言い出せなかったけど、今のうちに聞いてほしいの。なんていうか、みんな心の準備を」家族は悪い話だろうと不安な表情。「それぞれ考えておいてね。いかにして気づかれずに料理を捨てるか」「やめてくれジョーイ」とジム。「悪い冗談だ」それにひるまずジョーイは「私の作戦はね。一口かじってせき込んで、口元に当てたナプキンにそっと吐き出すの。それからトイレに立って流しちゃうわけ」エイプリルの七面鳥は食べられないと匂わす。

 一方エイプリルは、七面鳥料理に取り掛かるが、オーブンが故障で近所に助けを求めて右往左往する。黒人夫婦の細やかな気遣いや中国人家庭の温かさに触れ改めて家族というものの大切さが身にしみる。

 ご家族ご一行様は、エイプリルのアパートの前に着いたが、入り口は落書き一杯でみすぼらしく、突然現れたエイプリルの恋人黒人のボビー(デレク・ルーク)に面くらい逃げ出しファミリー・レストランに立ち寄る。そのトイレでジョーイは、母親に叱られている少女を見て、かつてエイプリルに同じことをしていた自分がそこにあった。レストランにいたバイカーに頼んで、バイクの後ろに乗せてもらい、会いたくないと思っていたエイプリルのアパートに決然と向かう。残った家族も合流する。

 ジョーイが今までの悪態を忘れたかのように、家族の絆を確かめるアパートの場面は一言もセリフがなく、静止画を中心にした画面構成で、中国人家族やバイカーまで写っていてアット・ホームな雰囲気。セリフがなくても十分伝わってくる。最後は、セルフ・タイマーで家族の写真を撮る。これでようやく家族全員の写真が撮れた。世間の家族と同じように。Happy Thanksgiving!

 監督ピーター・ヘッジズ キャストケイティ・ホームズ「フォーンブース」「バットマン・ビギンズ」期待される女優。パトリシア・クラークソン芸歴は古く「ダーティ・ハリー5」「グリーン・マイル」など。オリヴァー・ブラッド「評決のとき」ほか多数。デレク・ルーク、アリソン・ピル、アリス・ドラモンド、ジョン・ギャラがー・ジュニア、ショーン・ヘイズ。

 パトリシア・クラークソンは、2003年全米批評家協会助演女優賞受賞。アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、インデペンデント・スピリット賞、放送映画批評家協会賞に助演女優賞でノミネート。
パトリシア・クラークソンばかりでなく、アリソン・ピルやジョン・ギャラがー・ジュニアも目立たないところでの演技がごく自然で的確だった。この人たちも将来どんな俳優になっていくのだろうか。楽しみではある。
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ミステリー ナンシー・テイラー・ローゼンバーグ「不当逮捕」

2005-09-14 13:51:09 | 読書
 夫と死別し子供二人を抱え夜勤のパトロールをする婦人警官レイチェル・シモンズ。彼女が直面する警察内部のまがまがしい現実。容疑者への巧妙な暴行や交通違反のでっち上げそれに婦人警官へのセクハラやレイプ、仲間への過剰な忠誠、裏切り者への残酷な復讐など、およそ正義の味方を標榜する警察とは思えない状態に愕然とする。

 そして自分の身にも降りかかってくる。日本の警察の現実もここまでいかないにしても、例えば、交通違反のもみ消しなどは日常行われているはずだ。私が若いとき、同僚の交通違反を知り合いの警官に頼んでもみ消した経験がある。このように人間社会には、白黒で割り切れないグレーの部分が存在する。

 こういう些細なことを題材に物語を構築するには、巨悪の存在がないとエンタテイメント性に欠けることになる。この本では、グラント・カミングスがその役割を担う。暴力的でかつ頭が切れて署で一番ハンサムな男とされ、30代前半、男女を問わず人をひきつける独特なカリスマ性を備え、冷静でもっとも有能な警官の一人とされている。

 この男から受ける数々の暴力や嫌がらせで、レイチェルが告発に踏み切ることになるが、皮肉なことにカミングスが何者かに銃撃される事件が起こる。レイチェルを目撃したという証言もあって、殺人未遂の容疑者にもされる。単なる警察小説にも思われるが、レイチェルの忌まわしい少女時代の過去や母親が売春していたという事実とともに苦悩の生い立ちや子供二人との生活が克明に語られる。

 レイチェルは悟る。「保釈されて以来自分の自由というものが、食べたいときに食べ、眠りたいときに眠り、行きたいところに行かれるという、これまで当たり前と考えていたいろいろなことが、新たな意味を持つようになった。それが今では、一瞬一瞬、一日一日、一つひとつの体験から得られるごく当たり前の喜びがそこいらじゅうにあると分かったのだ」自由が束縛されるということがどういうものか、体験して初めて分かる。

 この世にある病気も人間に対する諌めといえなくもない。風邪を引いたり怪我をしたりして苦しみや痛みを感じ健康のありがたさを噛みしめることが出来る。それにしても著者は非情だ。最後にレイチェルを銃弾の犠牲にしてしまう。プロットの確かさや人物造形、伏線の張り方も堅実だ。気の利いた比喩やユーモアが少し足りないかなとは思う。
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映画 ワイナリーを巡るロード・ムービー「サイドウェイ(04)」

2005-09-10 13:34:27 | 映画
 中年男マイルス(ポール・ジアマッティ)と結婚を控えた同じく中年男ジャック(トーマス・へイデン・チャーチ)の親友二人が、ジャックの独身生活最後の一週間をワイナリーめぐりで存分に楽しもうというわけ。

 マイルスの方はワインについて造詣が深く、旅の目的がいろんなワインにめぐり合うことだった。一方ジャックはワインもいいがもっぱら女を引っ掛けるのが目的。この相反する二人が遭遇するワインと女性とはどんな展開になるのだろうか。ワイン好きにはたまらない映画だろうと思う。

 何しろサンディエゴのマイルスのアパートから迎えに立ち寄ったロサンゼルスのジャックのフィアンセ宅を出てすぐ車の中で、もう生産していないバイロンの1992年白を二人で飲み始める。101号線をオックスナードに住むマイルスの母親の家に寄り、夕食に赤と白のテーブル・ワインを飲む。

 サンタバーバラ郡に入るとマイルスの薀蓄が始まる。“カリフォルニアの白は人工的すぎる。樽香が強く、二次発酵もやりすぎだ。この地域のピノが優れているのは太平洋からの寒気のせいだ。果実を冷やす、ピノ種は皮が薄く、高温多湿を嫌う、繊細なんだ”

 そしてワイナリーでのテイスティング“まず、グラスを持って日光にかざし色と透明度でワインを判断する。濃いか薄いか。サラサラかドロドロか。次に傾ける。グラスのふちの方が、色の濃さが分かりやすい。この方法で年齢が分かる。赤ワインは色が重要だ。よく嗅いでみろ!グラスにもっと鼻を突っ込め、グラスを置いて空気をまぜろ!酸素に触れてアロマが香る。大事なポイントだ”このテイスティングを真似て万博で試してみたら通に間違われたとallcinema onlineのユーザー・コメントの書き込みにあった。

 ソルヴァング(Solvang)からブエルトン(Buellton)へ。このブエルトンのレストラン「ヒッチング・ポスト」には顔見知りのマヤ(ヴァージニア・マドセン)がいる。ワイナリーのオーナー経営の「ヒッチング・ポスト(The Hitching Post)」は実在し、映画のロケが行われた。あとはロス・オリヴォス(Los Olivos)へ。ここはワイナリーと牧場が集まっているところ。ステファニー(サンドラ・オー)はマヤと友達であることが分かり、早速ダブル・デートとなる。ここでは、ずば抜けたワインで格別の味わいのビエン・ナシドを賞味する。ちなみに値段は、インターネット楽天で3,580円ほどだった。

 その後ステファニーの家で二次会と相成る。そこでマイルスとマヤのワインへの思い入れが語られる。まずマイルスがピノにこだわる理由は「ピノ・ノワールは育てるのが難しいブドウだ。皮が薄くて繊細、性格は気まぐれで早熟、カベルネ種のように強くない。カベルネは放っておいてもちゃんと成長する。だが、ピノはとても手がかかる。この品種を栽培できるのは世界でもほんの限られた土地だ。誰よりも忍耐強く心を込めて世話してやればピノは育つ。可能性を信じて時間をかける者だけが栽培できる品種だ。そんな人間にめぐり合えば最高のピノが開花する。魂をとろかすブリリアントなフレーバー、スリリングで繊細、地球の太古の味だ。カベルネも力強くて華やかだが、僕にはつまらない。つい比べてしまう」

 マイルスのなぜワインの世界に?との問いにマヤは、「最初のきっかけは前の夫かしら?これ見よがしの大きなワインセラーの持ち主よ。私は鋭い味覚を持っていると気づいたの。ワインを飲めば飲むほど考えるようになったわ」「何を?」とマイルス。「ワインの一生を考えるようになったの。ワインは生き物よ。私はブドウの成長に沿って1年を考えるわ。太陽は照ったか。雨はどうだったか。ブドウを摘んだ人のことを考える。古いワインならその人たちはもういない。いつもワインの成長を願うわ。今日あけたワインは、別の日にあけたものとは違う味がするはずよ。どのワインも生きているからよ。日ごとに熟成して複雑になっていく。ピークを迎える日まで、あなたの61年物のように。ピークを境にワインはゆっくり坂を下り始める。そんな味わいも捨てがたいわ」

 映画のこの場面は、夜のポーチで深々と椅子に腰掛け、二人が静かに語る。ヴァージニア・マドセンがことのほか美しい。そしてワインに対する思い入れも、すべての食べ物に当てはまり、子供のころよく言われたのは「お米はお百姓さんが汗水たらして丹精込めて作ったものだから、一粒残らず食べなさい」祖母はご飯を食べる前に必ず両手を合わせて感謝の気持ちを表していた。いま飽食の時代で食べ物の背景は全く顧みられなくなった。その忘れられた大事なものを呼び起こしてくれた。

 いずれにしても、風景を楽しみワインのうんちくに耳を傾け、大人にしか描けない味わい深い映画だった。今年のクリスマスは、ピノ・ノワールで乾杯しよう。

 監督アレクサンダー・ペイン1961年2月ネブラスカ州オマハ生まれ。「アバウト・シュミット」ほか
 キャストポール・ジアマッティ1967年6月ニューヨーク州生まれ。父はイェール大学学長、本人も同校卒。実力派俳優といわれる。
 トーマス・へイデン・チャーチ1961年6月テキサス州エルパソ生まれ。このご面相は西部劇風だな。
 ヴァージニア・マドセン1963年9月イリノイ州シカゴ生まれ。私から見るとどこかスーザン・サランドンを連想させる。
 サンドラ・オー1970年11月カナダ生まれ。中国系か?美人とはいえない。監督の妻だったが2005年3月に離婚。

 助演男優賞トーマス・へイデン・チャーチ助演女優賞ヴァージニア・マドセン監督賞アレクサンダー・ペインがアカデミー賞にノミネート。脚色賞を受賞。ほかに全米批評家協会賞、NY批評家協会賞、LA批評家協会賞、ゴールデングローブ賞なども受賞している。
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ミステリー スコット・フィリップス「氷の収穫」

2005-09-06 09:55:02 | 読書
 この世にお金にまつわる悲劇や喜劇を聞かない日はない。お金を縦糸に何気ない日常の生活のやり取りを横糸に、一人の男がとんでもない殺人を犯し最後に考えもしなかった結末が待っていた。お金というあの紙切れの魔力がすべてだった。

 1979年カンザス州ウィチタのクリスマス・イヴ。ギャングの弁護士チャーリーは仲間と過去二年にわたりくすねたカネ、ギャング経営のストリップ・バーなどの全運営資金やコカインの横流しで得たかなりのカネを持ち逃げしようとしていて、クリスマスの午前二時に仲間と合流、この街におさらばするという手はずになっている。

 それまでストリップ・バーのバーテンやストリッパーに別れの意味を込めて(自分だけがそう思っているだけ)顔を出すため雪のふりつづく街を車をスピンさせながら走り回る。この作家の文体は回りくどくもなく後味のいい書き方だ。氷のような冷たい寒気のするような殺人が行われるにもかかわらず。

 著者の処女作で、高い評価を得、MWA(アメリカ探偵作家クラブ)主催の新人賞にノミネートされて今後に期待が持てる。
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ナイジェル・ニコルソン「ヴァージニア・ウルフ」

2005-09-02 10:48:25 | 読書
 映画「めぐりあう時間たち」がいざなってくれ、たどり着いたのが美人ではあるが可愛くないヴァージニア・ウルフだった。
 「ダロウェイ夫人」「燈台へ」「ヴァージニア・ウルフ短編集」と読んで美しい文体に魅入られたが、難解な部分が多く果たして理解できるかとやや不安である。

 この本は、名門出の女流ベストセラー作家で、ヴァージニアと同性愛関係にあったヴィタ・サックヴィル=ウェスト(日本では出版がないかもしれない。図書館やアマゾンでの検索にヒットしなかった)を母に持つ著者が、10歳のころ身近に接点があったヴァージニア・ウルフについて書かれた評伝である。

 難解だといって自分を卑下する必要もない。何故なら「ダロウェイ夫人」について、多くの読者にとって難解すぎたと著者は言う。もう一つ、私も「波」を読み始めたが途中で投げ出した。“「波」は大変な思索と苦労の産物だった。あまりに独創的な作品で、その意味を解する人はほとんどいなかった”という。

 ヴァージニア・ウルフは、天才でありフェミニストでレズビアン傾向があって、精神を病む難病を抱えていた。精神病は幼少の頃、異母兄弟からの性的いたずらが原因とされ、レナードと結婚後印刷にも手がけかなり多忙で自分の文筆活動との両立に神経を使ったともいう。

 “ヴァージニアはヴァネッサ(姉)の子を別にして、子供は特に好きということもない。それでも著者は“彼女は私たちに興味を持っていた。子供たちは変人、奇人と同じで物珍しく、彼女は私たちを楽しませるふりをして、その実自分が楽しんでいたのだ。
 「さあ、今朝何をしたか教えてちょうだい」
 「そうですね、特に何も」
 「それではだめ、だめ。誰に起こしてもらったの?」
 「太陽、寝室の窓から差し込むから」
 「それは笑った太陽?怒った太陽?」それになんとか答えると、次は身支度について。「どっちの靴下からはいたの?右?左?」そして朝食、この調子で延々、彼女にあった瞬間まで続くのだ。それは観察の訓練でもあり、それとない助言でもあった。「飛び回るアイデアをつかまえてピンで留めておくようにしないと、今に何もつかまえられなくなってしまうわよ」。これは私が一生覚えていることになる忠告だ。”
 ヴァージニアの子供たちに対するユーモアのある態度やユニークさについても引用してみよう。“私たち(子供たち)が黙り込んでいると、かまってくれた。ある日、私たちがアヒルにパンのかけらを投げてやっていると、彼女は言った。「パンが水に落ちる音をどう表現する?」、「パシャッ?」、「ちがうわ」、「ポシャッ?」「ちがう、ちがう」、「じゃあどうなの?」「アンフ」と彼女は言った。「でもそんな言葉はないよ!」、「今出来たのよ」。

 私は(著者)一度、彼女と二人で列車でロンドンに出たことがある。列車が田舎の駅を出ると彼女は私にささやいた。「あの隅に座っている男の人が見えるでしょう?」「うん」「彼はリーズから来たバスの車掌さんなのよ。この辺に農場を持ってる叔父さんのところで休暇を過ごしにきたの」「でも、ヴァージニア、どうしてそんなことが分かったの。あの人に一度も会ったことがないじゃない」「それは聞きっこなし」
 それからロンドンまでの半時間、彼女は私にその男の人生を語ってくれた。当の本人は二十世紀文学の登場人物になっているとも知らず、パイプを吹かしていた。”

 映画「めぐりあう時間たち」のエンディングはヴァージニアの入水場面で終わるが、場面に重なるナレーションは、レナードにあてた遺言で「レナード、人生に立ち向かい、いかなるときも人生から逃れようとせず、あるがままを見つめ最後にはあるがままを愛しそして立ち去る。レナード、私たちの間には年月が長い年月が限りない愛と限りない時間が」脚本家が書いたものだが、本物の遺書がある。

 「最愛の人へ。私は狂っていくのをはっきりと感じます。またあの大変な日々を乗り切れるとは思いません。今度は治らないでしょう。声が聞こえ始めたし、集中できない。だから最良と思えることをするのです。
 あなたは私に最高の幸せを与えてくれました。いつでも、私にとって誰にもかえがたい人でした。二人の人間がこれほど幸せに過ごせたことはないと思います。このひどい病に襲われるまでは。
 私はこれ以上戦えません。私はあなたの人生を台無しにしてしまう。私がいなければあなたは仕事ができる。きっとそうしてくれると思う。ほら、これをちゃんと書くことも出来なくなってきた。読むこともできない。
 私が言いたいのは、人生のすべての幸せはあなたのおかげだったということ。あなたはほんとに根気よく接してくれたし、信じられないほど良くしてくれた。それだけは言いたい。みんなもわかっているはずよ。誰かが私を救ってくれたのだとしたら、それはあなただった。何もかも薄れてゆくけど、善良なあなたのことは忘れません。あなたの人生をこれ以上邪魔しつづけることはできないから。私たちほど幸せな二人はいなかった。」
 
 私は美しい文体から推し量って、天才ヴァージニア・ウルフの遺書は誰にも書けないようなものになるのではないかと思っていたが、気持ちを率直に表現して普通の人が言うように虚飾をまとわず感謝と愛が感じられるものになっている。

 そしてヴァージニアは毛皮のコートのポケットに大きな石を詰め込みウーズ川に身を投げた。検死が済みレナード一人の立会いのもと、彼女は火葬された。その灰はロドメルの庭に埋められた。「波」の結末の言葉を墓碑銘として。

 汝に向かいて飛び込まん、征服されず 屈服せず、おお、死よ。
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