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今年から8月11日は祝日の「山の日」。思い出すのは……北岳と奥穂高岳登頂

2016-08-11 14:05:32 | 山歩き

 山に魅せられて登山の頻度が高かった頃、1984年(昭和59年)8月南アルプスの北岳(3192㍍)、1985年(昭和60年)8月北アルプス奥穂高岳(3190㍍)への登山がなぜか印象に残っている。北岳は妻と二人で、奥穂高岳は家族で登った。

 北岳には1984年8月19日(日)~21日(火)の日程で、19日午後4時頃夜叉神トンネル経由広河原にある国民宿舎広河原ロッジに到着。翌朝は快晴の天気に恵まれたが蒸し暑く体がだるい。

 日記を見ると午前6時過ぎ大樺沢左岸を登高開始。午前7時ごろロッジで作ってもらったおにぎりの朝食を摂る。太陽が顔を出し容赦なく照りつけてくる。北岳がくっきりと遠くに望めるが雪渓の末端で小休止。ポタポタと落ちる水滴をコップにためて飲む。冷たくて美味しい。

 いつも思うのはこういうときの水の味は、最高級の和牛の味以上に美味だ。そんな寝ぼけたことを考えながら木の根を掴む急登の末、飛び出したのは八本歯のコル。

 ここからは北岳直登コースと北岳山荘へのトラバース・コースに分かれる。私たちは、北岳山荘泊まりなのでトラバース道を行く。秋の高山植物の花盛り。受付を済ませ西日の差す山荘前のベンチでビールを飲む。500円也。

 今日の宿泊者は最盛期の3分の1ぐらい。焼肉のおかずの夕食は午後5時、消灯が8時。ここで不思議に思ったことがある。最盛期の3分の1という宿泊者なら広い広間を自由に使えるはず。これは間違いだった。きっちりと区画された地図が張ってあって、受付のときに渡された位置に寝ないといけない。それは満席のときと同じ状態を意味する。畳1畳ほどのスペースしかない。

 マナーの悪い人もいてぺちゃくちゃと喋るし、何かを食べるがさごそという音。眠れるわけがない。午前4時には点灯され、4時45分には朝食となる。高山への登山はこういう非日常に置かれる。縦走以外なら問題ないだろうが、体調を崩すこともある。

 幸い私たちは寝不足ながら午前5時15分、目の前の北岳への道を歩む。樹林帯のない開けた展望でガスがかかっていたが午前7時前山頂に着く。絶好の見晴台で私たち夫婦二人でお山の大将の気分。あとは下山あるのみ。
            
        
 翌年1985年8月18日(日)~20日(火)の日程で北アルプス奥穂高岳登山。今回は中学生の息子と娘も同行した。交通規制のため車は上高地まで入れない。沢渡の駐車場に車を置いてバスで上高地入りとなる。

 上高地は私の大好きな場所で何度か訪れている。河童橋周辺はいつも観光客が群がり汗みどろの山男を汚いものでも見るような目つきをされる。いまはどうだろう。山ガール全盛となれば、観光にでも行くようなハデハデなアウトドア・ファッションで決めて、観光客の羨望を集めているのかもしれない。

 さて、上高地バスターミナルから横尾まで平坦な道を3時間以上かけて歩く。途中観光ポイントもあるが、そんなものは見向きもしない。ただ、歩くだけ。これが結構きつい。

 横尾から涸沢ヒュッテまで3時間。この歩行時間は地図上のもので実際はそのときの体調もあって通常地図上の時間よりも多くかかる。途中雨にも降られたが午後4時少し前に涸沢ヒュッテに着く。

 今回は個室を予約してあったので、北岳のような窮屈な思いはしなくても済むのがありがたい。山小屋の夕食時間は早い。午後5時ごろ献立は味噌汁とコロッケで、空腹には上等のステーキに匹敵する。満足感とともに睡魔に襲われ、翌朝4時まで死んだように眠りこけた。

 午前7時奥穂高岳に向け出発する。奥穂高岳山荘へのザイテングラードの登りも雪渓に降りてザラザラの雪をビニール袋につめて水筒の水を冷やす。そんな道草をしながら10時過ぎに山荘の前に着く。

 奥穂高岳山頂への岩場が目の前にはだかる。取り付いてみると案外簡単に登高できる。山頂はガスの中。おにぎりやパンの昼食。下りは30分ほどで山荘に着いた。

 着いて山荘に入ったとたん雷と強い雨が降ってきた。豪雨だった。山の天気は変わりやすいといわれるが、間一髪で一粒の雨にも濡れなかったのは珍しい。二時間ほどで嘘のように晴れ渡った。雪渓をのんびりとヒュッテに下った。これが家族で行った最後の山登りとなった。
         
         
             

 今年から「山の日」が制定されて北岳も奥穂高岳も多くの登山者で賑わうことでしょう。2016年の「レジャー白書」によると登山愛好者が730万人という。愛好者が増えるにしたがって遭難者も増えるようで、昨年の登山中の遭難者は3043人と過去最悪という。このうち半数以上が60歳以上だった。

 ヒマラヤ登頂者でも国内の2000m級の山で滑落死することもあるから、一概に60歳以上の登山は危険ともいえない。しかし、経験は何事にも勝ると考えれば、定年後に登山をしようとすれば、3000m級が目標としても始めてから1年ぐらいは1000mから1500mぐらいの山で経験をつんだほうがいいように思う。ヒマラヤの5mも高尾山の5mも同じだから。

 私にとって山は、過去の記憶となってしまった。今は海に癒されることが多くなった。歳ですなあ!

ご面倒ですが、クリック一つで私は幸せになります!

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不可解なこの事件。「福島の登山者2人、死亡確認=平標山から収容―新潟県警」

2015-07-05 20:15:38 | 山歩き

       
 記事を引用すると「新潟県湯沢町の平標(たいらっぴょう)山で倒れた福島県の登山者男性2人について、新潟県警南魚沼署は5日朝、救出活動を再開した。2人は病院に収容され、死亡が確認された。死因はいずれも急性心不全。同署は病死とみて詳しい経緯を調べている。
 
 南魚沼署によると、死亡したのは福島県喜多方市関柴町、会社員蓮沼芳一さん(61)と同市寺町、同真鍋守男さん(64)。
 
 2人は同市の女性(53)と3人で4日朝から平標山の登山道に入った。午前9時半ごろ、蓮沼さんが標高約1600メートルにある山頂との中間付近で、「先に行ってほしい」と声を掛け、真鍋さんら2人は先に山頂へ向かった。2人が山頂に着いた際、登山道を上って来る蓮沼さんが見えたという。
 
 この後、山頂手前で蓮沼さんが倒れているのを他の登山者が発見、近くの山小屋に通報した。真鍋さんら2人は午後1時半ごろに同署から携帯電話で連絡を受け、蓮沼さんが倒れた場所に急いで戻った。
 
 真鍋さんは、集まった他の登山者らと蓮沼さんに心臓マッサージなどの救命措置を施していたが、うずくまるようにして倒れたという。真鍋さんには心臓病の持病があるという」
 
 私も一度登ったことのある山で、ヤマケイのサイトに「平標山は群馬県みなかみ町と、新潟県南魚沼市にまたがる。谷川連峰西端の高峰で、東に接する仙ノ倉山へ続く広い稜線には、ハイマツやシャクナゲの緑地に高山植物の群落が点綴し、山上の楽園を形成している」とあり標高は1984メートル。人気の山である。

 天候に恵まれれば今の時期のんびりと登山が楽しめる。登山口は、不便なところが多い。どういう交通手段で行ったのか不明だが、私は車で沼田市方面から国道17号線の苗場スキー場の先、火打峠を右に入り河内沢に沿って着く登山口から登った。片道3時間ほどの行程で途中急登もあるが登山経験があればさして困難ではない。

 心臓病の持病がある人にはちょっと気になるが、事件の二人の年齢からは、年齢が原因とは思えない。それに偶然とはいえ、二人が倒れた時間の間隔が短いのが気になる。同行した女性の実名報道は控えてあるが、私はあらぬ推理をしている。私の推理が当たらないことを祈る。ミステリー好きには、ついこのような見方をしてしまう。
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山岳遭難、最多2794人=10年間で66%増加―死亡・不明の6割が単独・警察庁という見出しの記事

2015-06-18 17:44:40 | 山歩き


 「山岳遭難が2014年に全国で2293件起き、遭難者は2794人に上ったことが18日、警察庁のまとめで分かった。件数、人数ともに3年連続で増加し、統計の残る1961年以降で最多。この10年間にいずれも66%増えた。単独登山者や中高年の遭難が目立っている」とあり、

 さらに「負傷者や無事救出も含めた全ての遭難者を年齢別にみると、40歳以上の中高年が2136人となり、統計の残る96年以降初めて2000人を超えた。全体に占める割合は76%で、死者・不明者に限ると92%に上っている」という。

 これはこの数字だけをもって「大変だ。登山のモラルや知識をもっと普及しないといけなし中高年者には教育も必要」なんて考えることもない。

 登山を愛好する人が増えれば、当然事故や遭難が増えるのは当たり前。そして今の登山ブームは、中高年者が中心であることが分かる。

 40歳以上の中高年とあるが、40歳から60歳ぐらいまではそれほど体力を心配することもないだろう。私が日本で第二の高峰、北岳に登ったのは57歳の夏だった。ただし、日ごろトレーニングを何もしないで、3000メートル級の登山は無謀としかいいようがない。
       
 車が増えて事故も増えるといって放置できないのと同様、登山の事故や遭難も出来れば皆無を目指したい。じゃあ、どうすればいい? それには最悪の場合を想定した装備と撤退の勇気は必要条件だろう。

 それに山を甘く見ないことだ。エベレストの5メートルも高尾山の5メートルも同じだ。高尾山でも5メートルを滑落すれば怪我や死亡も避けられない。エベレストに登ったベテランの女流登山家が、2000メートル級の山で、浮石に足を取られ滑落死したことがある。山は、ベテランと初心者を選り好みしない。

 いよいよ夏山シーズン、楽しい登山であって欲しい。私はもう汗臭い登山とは縁を切った。青い海とビキニのお姉さんのほうが断然いい。デッキチェアでトロピカル・カクテルでも飲みながら、広い海原を眺めていれば遭難とは無縁の安全地帯だ。
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上高地開山祭のニュース……上高地と聞くと昔を思い出す。

2014-04-27 21:44:30 | 山歩き

 日本で一番好きなところはどこか? と聞かれれば、即座に上高地と答えるのが私。汗臭くて汚い山男だったからではない。確かに山へはよく登った。山を含めた自然の景色が好きだったし、山男に悪人はいないと当時は言っていた。当時と言うのは、私の若いころで今から30年前かな。

 で、今は様変わりをして、海が好きになった。理由は簡単。3000メートル級の山に登る体力が落ちたことと海は車で波打ち際まで行ける。そう、ずぼらの神にたたられているわけ。でも、茫洋とした大海原に癒されることもある。

 とはいっても、新聞で上高地で開山祭のニューるをみると、たびたび訪れた上高地ではあるが、家族で奥穂高岳登山が思い出される。

 家族は妻と中学生の息子と小学6年生の娘だ。観光客で賑わう河童橋を過ぎて明神、徳沢、横尾といやになるほど歩いて、ようやく槍ヶ岳と奥穂高岳・北穂高への分岐点に到達する。

 小雨降る中を喘ぎながら涸沢ヒュッテにたどり着く。レトルトのハンバーグの夕食も腹を空かせた私には、最高級のディナーに等しかった。

 翌朝早くからヒュッテを出てザイテングラードを登攀する。奥穂高岳の頂上直下の岩場も見るよりも取り付いてみればなんのことはない簡単に頂上に着く。ガスの中の頂上で記念の撮影。

 下ってきて奥穂高山荘の前まで来るといきなり雷雨に見舞われる。山荘の中で小休止。やがて雨はやみ青空も見える。後は涸沢ヒュッテに戻るだけ。

 この行程を鮮明に覚えている。できればもう一度行ってみたい。今は山ガールも多いそうで、どんな様相なのか確かめたい気もする。 苦しくも懐かしい思い出。
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夏山シーズンの山小屋は、すし詰めらしい

2013-07-29 16:32:01 | 山歩き

 今年も夏山シーズンがやってきた。最近は、中高年や山ガールといわれる若い女性の愛好者が増えてブームらしい。今年は特に富士山の世界遺産登録でますます山への指向が強まりそうだ。

 最盛期の山小屋は、登山者で満杯になりすし詰め状態は避けられない。わたしも今から20年以上前には、家族や夫婦で山小屋利用の登山を楽しんでいた。ただし、お盆を含めてその前後の最盛期を外していたが。

 今思うとなんで登山をしたのだろうか。という思いでおかしくなる。わざわざ重いザックを担いで5時間もかけて3000メートルの頂上によじ登り、登ってみなければ見えない景色を満喫し、精神的安定と爽快感を手にして喜んでいた。

 そういう中で残念ながら、山小屋の悪い印象が一つある。それは南アルプスの北岳に登ったときだ。もう、お盆も過ぎて登山者の少ない時期に入っていた。北岳と中白峰の鞍部にある北岳山荘でのこと。

 二階に広い部屋があってそこで雑魚寝をする。広いからどこに寝てもいいわけではなく、あらかじめ範囲が決められている。その範囲というのが、一人一畳位の広さに制限されていた。

 登山者が少ないにもかかわらずこういう状態は理解できなかった。情けなくなった。おまけにマナーの悪い女性登山者がいて、夜中にお菓子の袋を開ける音を平気で立てていた。

 それ以来、山小屋を利用しなくなった。したがって、近郊の山か、山麓でキャンプをして登山を楽しむというふうに変わった。その登山も今では見向きもしなくなり、むしろ海に興味が移った。

 茫洋とした広大な海を見ていると、山の風景とは違った癒しの効果があるように思う。で、今は海を眺めるのがいい。
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千葉にも山があります!「伊予ケ岳」

2005-01-31 14:40:38 | 山歩き
  深田久弥の「日本百名山」には、標高千メートルに満たない山がニ座ある。筑波山(茨城県)と開門岳(鹿児島県)である。筑波山の記述を見ると「筑波山を日本百名山の一つに選んだことに不満な人があるかもしれない。高さ千メートルにも足りない、こんな通俗的な山を挙げるくらいなら、他にもっと適当な名山がいくらでもあるではないかと」名山ともなれば高さも気になるところか。
  
  「安房の妙義」とか「房総のマッターホルン」と称されている千メートルどころか五百メートルにも届かない伊予ケ岳は、本来高い山の意味の「岳」を冠されてもいる。どうしてなのかわからない。私のこれまでの登山は、一度登った山を二度と登ることは稀なことで、谷川岳、安達太良山などに過ぎない。ある日ふと考えて見ると、一つの山を冬、春、秋の三シーズンに訪れるのも悪くなく、むしろ新鮮味が増すのではないか。

  そこで、まず地元千葉の山から始めようと思い立つ。1月27日木曜日は、天気予報も的中して空はブルー、暖かそうな陽光が降り注いでいる。館山自動車道を君津ICで降り(残念ながらこの道路は、全通していない)、国道127号を富津竹岡ICから鋸南富山ICへ。県道89号で天神郷の神社境内に午前10時40分ごろ着く。

  穏やかな里の雰囲気が漂い、時折工事の音が聞こえてくるくらいで静かである。神社の横から登山口に向かって道が伸びている。ハッサクがたわわに実っていて一ついただく、ワラビやゼンマイの出そうな場所もあって、春に来るのが楽しみになる。展望台から頂上まではほんの数分の距離なのだが、勾配が以外にきつく、鎖やロープに頼って登る。この20メートルほどは三千メートル級の北岳とこの低山を比較しても困難度はまったく同じである。低山といえども気を許してはいけない瞬間だ。頂上は鎖が張ってあって岩のピークになっている。これが「房総のマッターホルン」のいわれだろう。

  私たちは夫婦で出かけたが、高齢者の団体など、来る人も結構いるようだ。今日は適当な足慣らしと運動になった。低山もそれなりに楽しめる。山を楽しんだあとは、海やお花畑で遊ぶのも千葉ならではと言ったところだろう。
私のホームページで写真をアップしています。こちらもどうぞよろしく。
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