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映画 ロバート・レッドフォード製作・監督「大いなる陰謀Lions for lambs(’07)」

2008-12-29 10:39:02 | 映画

          
 ロバート・レッドフォードに加えメリル・ストリープ、トム・クルーズの三人のビッグ・スターが演じるシリアスなドラマ。
 未だに結末が見えてこないテロとの戦い。あの2001年9月11日の衝撃に、ジョージ・W・ブッシュがこれは戦争だ!と叫んだアメリカは、恐怖におののき犯行はアフガニスタンのアル・カイーダと断定。犯人引渡しを要求するが受け入れられず武力行使に踏み切る。
 その後イラク戦争に発展。イラク侵攻後、爆弾テロによって米兵の犠牲者が3,555名を数えるようになった。それを背景に政治的プロパガンダを企む政治家。追従してきたメディア。一方で戦場に赴き命を失う貧困層の若者。裕福な階層の若者は、何もしないで御託を並べるだけ。アメリカはベトナム以後も何も変わっていない。どうやらアメリカは、ユニフォームを着た軍隊との戦いには強いが、そうでないゲリラ戦にはめっぽう弱い。
 映画は、アーヴィング上院議員(トム・クルーズ)とジャニーン記者(メリル・ストリープ)の単独会見でアフガニスタンへの新しい作戦についてのインタビューの場面。その新しい作戦の戦闘場面。高校でのマレー教授とドットという生徒との面接の模様を並行させていく。
 ほとんど室内のシーンでセリフが長くて多い。したがって顔の表情や肉体的しぐさが重要だろう。それらを難なくこなしているように見えるのは彼らの力量か。
 相変わらずの政治家、良心を示したジャーナリスト、若者に禍根を残さないよう指導する教授という図式で、結論は見るものの一人一人にゆだねられている。政治家の低レベルや国民の無関心といったものは、日本でも同じといえる。
 製作・監督ロバート・レッドフォード1937年8月カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。‘80「普通の人々」でアカデミー監督賞を受賞。
 キャスト ロバート・レッドフォード
          
 メリル・ストリープ1949年6月ニュージャージー州生まれ。‘79「クレイマ-、クレイマ-」でアカデミー助演女優章を受賞。’82「ソフィーの選択」で主演女優賞受賞し、現在までノミネートされること14回、うち助演賞1回、主演賞1回受賞。
               
 トム・クルーズ1962年7月ニューヨーク州シラキュース生まれ。‘89「7月4日に生まれて」でアカデミー賞とゴールデングローブ賞にノミネートされ、’90「ザ・エージェント」でゴールデングローブ賞を受賞。
               
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ディヴィッド・エリス「死は見る者の目に宿る(Eye of the Beholder)」

2008-12-25 12:47:55 | 読書

           
 1989年夏、大学の講堂の地下室で並んで横たわる六人の女性惨殺死体が発見された。そのうち四人は売春婦であとの二人は、この大学の裕福な家庭の子女だった。 そして学校の用務員が容疑者として浮かび上がり、自宅地下室から容疑を裏づける証拠物件も発見された。そのなかに聖書から六つの引用箇所を書いた紙切れも見つかった。要するに神のお告げといいたいのかもしれない。
 検事補のポール・ライリーは事件を起訴し、犯人は結局死刑に処せられた。それが16年後の2005年の季節も同じ夏、模倣犯かと思われる事件が発生し始めた。
 1989年当時、検事補だったポール・ライリーは2005年には弁護士に転身していた。そのポール・ライリーが新たな事件にも関与せざるを得なくなる。担当の二人の刑事から容疑をかけられながらも謎を解いていく。
 わたしはミステリーを長く読んできたが、この頃やや食傷気味になってきた。良質の謎解きなら興味深いが、裸の女が切り刻まれ心臓を抉り取られたり、アイスピックで何箇所も突かれた穴から血が流れていたり(傷から血が流れるのは、心臓が動いていた証拠で被害者は生きていたとき傷つけられたことになる)、人相が分からなくなるほど殴られたり浴室の血の海の中にチェーンソーで細切れにされ肉片が散らばっているという情景などを押し付けられるとそんなにこと細かく書かなくてもいいだろうという気分になる。
 この本はそんな情景ばかりでなく、ポール・ライリーの人間的成長のあとも見られることだ。凄惨な殺人事件で問題になる犯人の精神状態について、1989年当時は陪審員に具体的に例証して死刑の判決を得た。しかし、ポール・ライリーは、振り返って次のように言う。
 “法律は両立し得ない社会的憂慮に折り合いをつけ、厳罰主義と温情主義のバランスをとるための苦肉の策として、そうした事情――極度のストレス、一時的な心神喪失――を考慮して刑罰を軽減することを認めている。あのときわたしは、被告にそうした酌量すべき事情があるかどうか、一瞬たりとも考えなかった。
 弁護側が心神喪失を理由に無罪を主張すると、その主張に反する証拠を次々と挙げて反論した。その間、自分にはこう言い聞かせた――被告には弁護人がついている、陪審員もいる、裁判制度はいわば社会の安全装置であり、必ず真実が明らかになるよう万全の対策が講じられている。
 しかし、あのとき検察官としてわたしに求められていたのは、勝つことだけではなかった。あらゆる証拠が、被告は重度の精神障害者であることを示していたにもかかわらず、わたしの目には単なる障害物、避けなければならない地雷としか映らなかった。勝つためにはそうでないことを証明しなければならなかった。自分のやっていることが正しいかどうか、気にもとめなかった。自分にそう問いかけることすらしなかった。
 あるいは、こう言い聞かせることもできるだろう――被告がやったことはいずれ起きることだった。彼はほんのちょっとした刺激でも爆発する爆弾のようなものだ。彼は社会にとって危険な存在だった。そんな男を世間に戻すわけにはいかなかった。そうした議論を、わたしはこれからもずっと自分の中で戦わせるだろう“
 これらの問題は、法律家にとって非常に悩ましいものなのだろう。著者(David Ellis)は、1967年シカゴ生まれ。ノースウェスタン・ロースクール卒業後、弁護士として活躍。イリノイ州下院議長法律顧問を務める。2001年作家デビュー、「覗く」でアメリカ探偵作家クラブ最優秀処女長編賞を射止める。
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スティーヴ・マルティニ「臨界テロ(CRITICAL MASS)」

2008-12-21 12:51:57 | 読書

            
 「CRITICAL MASS」は、臨界質量で核分裂反応が始まる核物質の質量という意味らしい。本の中からもう少し詳しく引用すると‘爆弾は小型だが、起爆した瞬間、そのコアは太陽の表面温度より高い1千万度という熱を発する。とてつもない高熱が電磁放射を生み、近くにある物体は瞬時に溶けて蒸発する。
 放射線はただちに爆弾のまわりの空気に吸いこまれ、かわりにこの空気が白熱光にまで熱せられて火の玉を形成する。火の玉は光速に近いスピードで拡大し、温度は一気に30万度以下に落ちる。そのあと変化のスピードはにぶるが、圧縮された空気によって生みだされた巨大な衝撃波が火の玉より速く、建造物や木々をなぎ倒す。1秒以内に火の玉は同じ範囲に達し、地表にあるすべての可燃物を燃やし、金属を溶かし、人体を蒸気に変えてしまう。
 衝撃波は10秒間に2・25マイル以上のスピードで進み、影響を及ぼす地域を極限まで破壊する。火の玉の光度は薄れていき、衝撃波の猛烈な超過気圧は通り過ぎる。暴れる火の球体から、いまわしいキノコ雲が噴きだし、ぶきみな笠の形がもくもくと成層圏へ上がっていく。
 雲は激しい対流現象を巻き起こしながら空を上昇し、それにつれて冷えていく。内部から稲妻が発することがあり、条件がそろえば、高レベルの放射能で汚染されたチリが雨とともに降ってくる。それが死の雨だ“
 誘蛾灯に誘われる虫のように、チッという音とともに一切が消えてしまう恐ろしい瞬間が浮かんでくる。一瞬で人体が蒸発してしまう。痕跡が残らないというのは、なんともいえない空虚感に襲われる。
 リーガル・サスペンスを手がけてきたスティーヴ・マルティニが、エンタテイメント性豊かに核爆弾テロを描いている。ロシアから盗み出された二基の核爆弾。カナダとの国境に横たわるファン・デ・フカ海峡にあるワシントン州のフライデー・ハーバーに一旦持ち込まれ、やがてホワイト・ハウスに近い国立航空博物館に展示してある、世界で初めて原爆を投下した爆撃機B-29エノラ・ゲイの機体の下にある爆弾のレプリカと入れ替わることになっている。そしてそれは大統領の一般教書演説のはじめに巨大な爆発を起こすはずだった。
 それを阻止したのは、対大量破壊兵器研究所所員ギデオン・ヴァン・ライと弁護士のジョスリン・コールだった。しかし、核爆弾の起動装置になっている携帯電話をはずす作業で、ヴァン・ライは大量の放射能を被爆して命を落とす。
 小型水上飛行機の爆発、フライデー・ハーバーでのテロリストや極右団体との銃撃戦、テロリストがFBIや警察の捜索の網をくぐり抜けるスリル、核爆弾のレプリカのすり替え、核爆弾のある場所へ急ぐヴァン・ライとジョスリン、爆弾の無能力化作業の緊張とヴァン・ライとの別離の悲しみなどエンタテイメント横溢の作品で楽しませてもらった。まさに映画的な展開である。
 そうだとしても、著者のメッセージは内包されているように思う。扉につぎのメッセージがあるのが印象に残る。“ヒロシマでは爆発の閃光でビルの壁や舗道のコンクリートに影を焼きつけた人びとがいた。その影はいまも見ることができる。影を残した何人かの遺体はついに発見されなかった。まるで元から存在しなかったように。
 一方で、堅い地面に焦げついた影を見物する人びとがいる。彼らにとって、それはたんなる歴史の珍しい骨董品であり、過ぎ去った時代のイメージに過ぎない。もし影がそんなものでしかなくなったら、そのとき影はまさに無関心の天使となるだろう”
 現に影は無関心の天使になりつつあるのだろう。今年広島の原爆記念館を訪れたアメリカ下院ペロシ議長の沈痛な表情は、核廃棄に向けて楽観的な希望を持っていい予感を与えてくれたが、果たしてどうだろうか。
 世界には米ロだけでも大小合わせて6万発の核兵器があるという。しかも老朽化した核兵器や核物質の保全問題は万全でなく、この小説のような危険は捨てきれないようだ。人類が影とならないよう願わずにいられない。
 著者(Steve Martini)は、サンフランシスコ生まれ。カリフォルニア大学卒業後、パシフィック・マクジョージ・ロースクールに進み、74年に司法試験に合格、弁護士として活躍の後、カリフォルニア州司法省に勤務する。80年代後半から小説の執筆を始め、ジョン・グリシャムの絶賛を浴びた、弁護士ポール・マドリアニ・シリーズで一躍人気作家となる。
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ジェイソン・スター「嘘つき男は地獄に堕ちろ(NOTHING PERSONAL)」

2008-12-17 10:27:00 | 読書

              
 ギャンブル狂いの男と不倫相手の女に脅される男を、汚い言葉と露骨で卑猥な文章ではあるが、多くの男が持つ自分勝手な振る舞いを白日の下に晒す。
 思うに男は肉体に考える部位が二箇所あるようだ。一つは頭脳でもう一つは股間である。殆どの男は表向き理性的に見えるが、根はスケベである。チョット考えてみれば、男の痴漢はいるが女の痴漢なんて聞いたことがない。
 ギャンブル狂いの男ジョーイは、競馬でかなりの借金をこしらえている。妻のモーリンから再三ギャンブルを止めるように言われているが一向に効き目がない。広告代理店勤務のエリート社員デイヴィッドは、セントラル・パークが望める高級アパートメントに小柄で美しくいいケツをしている妻レスリーと可愛くて頭のいい娘ジェシカの三人で優雅な生活を送っている。
 何にも増して大事に思っている家族がありながら、同じ会社の社員中国系のエイミーと不倫を続けている。しかもみんなが帰った事務所の机がベッド代わりだった。想像しただけで、膝頭が痛くなりそうだ。
 この二人の男、典型的な男の見本にしたいくらいだ。妻たちは友人同士ということでお互いの事情は筒抜けだった。したがってレスリーは、ジョーイが大嫌いだったしモーリンはデイヴィッドのような男と結婚すればよかったと悔やんでいた。
 ジョーイは高利貸しに脅されて二日以内に金を返せと迫られている。一方のデイヴィッドは中国女に結婚を迫られ、これも脅迫されている。切羽詰ったジョーイは、こともあろうにデイヴィッドの愛娘ジェシカ誘拐を企む。デイヴィッドはといえば、中国女のアパートでひょんなことから殺してしまう。一時の浮気がこんなに高い代償を払うとはデイヴィッドも思わなかっただろう。
 おまけにジェシカの身代金に1万2千ドルを払い、妻からも見放される事態を予測しておくべきだった。その1万2千ドルは、ジョーイの高校時代の友人ビリーが実行犯として受け取り二人で山分けした。
 ジェシカが無事保護されてデイヴィッドのアパートにジョーイとモーリンが招かれた。レスリーによるとモーリンのおめでたのお祝いということだった。ジョーイはその心当たりがないので不思議に思っていたが、自分に言い聞かせた。“どうせ女ってのは分からないことだらけだ。妊娠八ヶ月で子供が生まれる場合だってあるのかもしれない。でなきゃ、あいつをはらませたのはあそこの中で腐りかけていた古い精液だったかも。しかしだ。それ以外は人生何もかもうまくいっているってのに、そんなことでぐじぐじ文句を垂れたって仕方がない。レースをいくつか当てたおかげで借金もキレイに清算したし今も賭けを楽しんでいる。これ以上を望んだら罰が当たろうというものだ”
 デイヴィッドの家庭はいまや崩壊の危機に瀕していた。ジェシカが生きて帰ってきたが、そのショックは彼女の人格を変え暗い表情だった。エイミー殺しの捜査は、別の方向に向かう気配がありそうな記事がニューヨーク・タイムズに出ていたが、デイヴィッドの人生からは、過ちとはいえエイミーを殺した事実を背負って生きていかなければならない。
 この本から教訓を得ようとすれば、股間の判断に従うな! もし従うとすれば、金で済む女にせよ!
 ほかに気がついたことといえば、“例によって理由のない乗車拒否が何台か続いた後、ようやく一台が止まってくれた”とあるようにタクシーの乗車拒否が日常茶飯事のニューヨーク事情が見える。
 “今夜は中華にするつもりだから、日本の美味しいビールのほうがいいと思うのよ”とレスリーが言う。で、どうやら著者は日本のビールがお好みのようだ。
 著者は(Jason starr)、1966年ニューヨーク・ブルックリン生まれ。ニューヨーク州立大学在学中から小説を書き始める。大学卒業後、演劇の世界に入っていくつかの脚本を手がけつつ、さまざまな職を転々とする。そのとき出会った不愉快な上司たちとの経験をもとに、1997年「あんな上司は死ねばいい」でデビュー、エドワード・バンカーなどから絶賛を浴びた。以後、ノワールの旗手として次々に不条理サスペンスを発表し続けている。
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フェイ・ケラーマン「正義の裁き」

2008-12-13 11:05:16 | 読書

            
 タイトルからは、なにやら白馬に乗った騎士がばったばったと悪をなぎ倒すのではないかと思うが、ロサンゼルスのデヴォンシャー署殺人課のユダヤ系刑事ピーター・デッカーが、妻や子供たちに支えられて真相を掴むというお話。
 警察小説ではあるが、聡明で献身的な妻リナに加え、謎の高校生クリスとクリスの恋人テリーが絡みながら、人種や宗教が与える根深い偏見を背景に物語は展開する。読後感は、ただ退屈せずに読んだという程度だった。
 たとえば人物造形でも、確かにデッカーの妻のリナの言葉は、的を射ていて夫に対する情愛や誠意が感じられるが、リナ本人の心理描写が物足りない。こんな場面がある。捜査を終えて午前二時ごろ帰宅したデッカーが、キッチンで座っているところへリナが起きてくる。デッカーがなにやら悩みを抱えているらしいと察したリナが話を聞いているところへ暑から電話がかかってくる。
 その電話でデッカーは急いで出かける。ここでこの章は終わっている。しかし、妻は一人ぽつんと残されているのだ。その妻の心は、おそらく夫の仕事と割り切っているが、夫の健康もさることながら自身にとっても心に寒々としたものを感じているはずだ。そういう心理を短い文章ででも描出できないかと思う。著者が女性ならなおのこと。そういう深みが欲しかった。
 この本のもう一つの特徴は、人種偏見を微妙に描いていることだ。この人種偏見は、多民族国家アメリカならではという問題だろうが、日本人には今ひとつ判然としないかもしれない。とはいっても、日本人に人種偏見がないとはいえない。特に近隣の韓国や中国に対してだが。最近の世論調査でも中国を好ましいと思う人が少なくなったという報道があった。中国製品の食中毒事件やその対応に不満があるのだろうが、心の深いところで偏見がうごめいているのかもしれない。
著者は、1952年ミズーリ州セントルイス生まれ。UCLA卒
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映画 ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン「最高の人生の見つけ方(‘07)」

2008-12-10 13:18:08 | 映画

           
 原題は、「THE BUCKET LIST」。映画では、棺おけリストと訳してあった。Bucketはバケツのことで、俗語として死を意味している。つまり死ぬまでにやりたいことのリストというわけ。白人と黒人の二人が繰り広げる死までの楽しい時間。 どういうわけか白、黒の人種である。しかも白人のジャック・ニコルソンは、大富豪。片やモーガン・フリーマンは、自動車修理工。なぜ白人が大金持ちなのか。逆でもいいのではないだろいか。おそらくアメリカの人種問題は、見えざる何かが存在しているのだろう。
 ニコルソンは十代から金儲けにいそしみ大金持ちで妻なし学歴なし、ただし結婚暦があって娘が一人いるが疎遠になっている。フリーマンは大学の哲学科中退、家族は、妻と息子二人に娘一人に恵まれている。
 しかし、二人の男は余命6ヶ月と宣告され、それこそ「Bucket List」を作成して旅に出る。費用はニコルソン持ち。自家用ジェットで世界へ。レース場を借り切って念願の車で走り、スカイダイビング、エジプト、イタリア、エベレスト(嵐で小屋まで)、ホンコンと高齢者のまったく清潔な旅がやがて終わりに近づく。
 フリーマンは家族の元へ帰り、ニコルソンもフリーマンが一人娘に会うべきだと説得するのを頑強に拒否していたが、ある日娘の住いを訪れた。
 この場面はセリフがまったくない。娘の顔もまともに描写されないが、孫娘にキスする場面で「世界一の美女にキスをする」という項目に抹消の横棒が引かれる。 この孫娘役の少女は本当に可愛い。少女の名前は、テイラー・アン・トンプソン。映画に出てくる白人の子供はどうしてこんなに可愛いのだろうかといつも思う。
          
        ワンカットだけの出番のテイラー・アン・トンプソンを抱いてご満悦のニコルソン
 
 そこで私ごとで思い出すのが、息子の結婚式でロンドンへ行った監査役の話。私に向かって「日本人の人種改良をしないと……」ロンドンで見た色白ですらりとした美人を多く見て、年配の女性でもかなり魅力的に映ったようだった。この人は頭脳明晰で70歳を過ぎてコンピューターのプログラミングを独学である程度こなした。外見を飾る人でもなかったが、よほど外見にショックを受けたようだった。私もこの子役を見ると同調したくなる。
 面白いセルフ、といってもありきたりだが、つまり埋葬がいいか火葬がいいかという問題。「埋葬は嫌だ。墓の中で息を吹き返すとどうするんだ。死んでからも閉所恐怖症なんだ」とか「火葬も嫌だな。これも途中で生き返ったら?」駄々っ子のようにあーだこーだと暇人そのものだ。
 結論は火葬にして、遺灰を好きな場所にナッツの空き缶に入れて置いてもらうことになった。そして雪のエベレスト頂上に、空き缶が二つ並んでいた。ご丁寧にナレーションは、「違法行為だ」とわざわざ告げていた。
 特別、感動したわけでもないし、印象に残ったこともない。ベテラン俳優のやり取りをじっくり観ることは出来たが、これも特別のこともなかった。
 監督 ロブ・ライナー1947年3月ニューヨーク州ブロンクス生まれ。‘86「スタンド・バイ・ミー」で人気監督へ。’89「恋人たちの予感」‘90「ミザリー」’93「めぐり逢えたら」など。
 ジャック・ニコルソン1937年生まれ70歳。同じくモーガン・フリーマン1937年生まれ70歳。
 テイラー・アン・トンプソン2002年6月ロサンゼルス生まれ。主にテレビで活躍しているプロデューサー、ラリー・トンプソンとケリー・トンプソンの愛娘。2007年12月“USマガジン”でハリウッドの新しい最もキュートな子役と紹介されている。
    
        6歳とは思えないほど女優顔になっている
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アーロン・エルキンズ「骨の城」

2008-12-04 13:14:03 | 読書

          
 骨というとすぐ人体の骨格模型を思い浮かべる。猫や犬でない限り、魚の骨とか牛の骨を連想することはない。いや、今の猫や犬は、ペットフードに馴らされているので思いもよらないことかもしれない。
 それはともかく、まさに人骨から性別、年齢、身長を割り出し、事故や事件の真相が明らかにされる。人類学者で骨の権威と評価され、しかも歴史と食べることが大好きというギデオン・オリヴァーと妻のジュリーは、イギリス、コーンウォール州、ペンザンスにある古城スター・キャッスルに赴いた。
 “ER(エリザベス女王の治世)1593年”と刻まれた巨大な石門を擁するこの城の持ち主ロシア系のヴァシリー・ロズコフが環境保護を目的とした会議を主宰する集まりに出席するためだった。
 ギデオンとジュリーとは、普通では考えられない出会いだった。ジュリーは、ワシントン州のオリンピック国立公園のパークレンジャーであり、ギデオンは骨の専門家でどう見てもめぐり合うチャンスは殆どない。しかし、神の思し召しは事件の調査という機会を与えて、黒髪の美人にぞっこん引きつけられたギデオン。
 ジュリーも身長6フィート1インチ(約183cm)、広い肩、短い期間プロボクサーで格闘家らしい体格に加えボクサー時代に折った鼻は、チャーム・ポイントで、学者然とした風貌から程遠いギデオンだが、ジュリーから見れば街中で怪しげな男や強い北風の盾の代わりにもなるし、おまけに気心のやさしさに魅かれたというわけだった。さらに、この骨の権威ギデオンが妻のジュリーの尻に敷かれているのがほほえましい。
 スター・キャッスルで会った魅力的な50代の博物館館長マデリン・グッドウェローのたっての依頼で、博物館に保管してあった人骨を調べると古いどころかここ二年以内であることが分かった。地元警察のクラッパー巡査部長と部下のロブ巡査の協力を得て調べが進む。そのうちに会議参加者の転落事故が殺人事件に発展するという事態になった。当然骨の分析が犯人を探し当てるが、謎解きの醍醐味が骨の分析や死体の検死解剖という地味な展開に終始する。
 息抜きにレストランでの食事の場面に目を凝らすことにもなる。といって豪華なフランス料理を堪能するわけではない。例えば“屋外の庭で食べることを想定して、ありあわせの材料でつくった、いかにもイギリス風のメニューだった――クスクスサラダ(細かい粟粒状の世界最小のパスタといわれるクスクスをスープを混ぜて冷ましエビ、ささみ、たこ、トマト、きゅうり、レタスなどをあえたもの)、さいの目切りのピーマンがのったライスサラダ、三色のパスタサラダ。チーズとトマト、ハムサラダ、ハムとチーズ、きゅうりとバター、ツナをはさんだフィンガー・サンドウィッチ。
 ニンジンとセロリの野菜スティック。サワクリームとサルサソースを添えた個別包装のポテトチップス。切り分けられた冷えたピザ。フランスパン、ソフトドリンク、ビール、紅茶それと二瓶のピムズNo1とレモネード。
 このリキュールをレモネードで割ってつくるピムズ・カップの代用品は、正統派のイギリス式ピクニックには欠かせないカクテルだった”
 同じような味のものが並んでいるような気がするが。アメリカ人のようにレストランに出かけなければ、サンドウィッチやピザの類にビールをがぶがぶ飲むという風でもない。お国柄がでている。
 それにしてもつくづく思うのは、食に関しては日本人ほど恵まれている国民はないだろう。和洋中華のほかなんでもありだ。
 著者は、1935年ニューヨーク生まれ。ハンター・カレッジで人類学の学士号を、アリゾナ大学で同修士号を取得。現代アメリカを代表する本格ミステリ作家。
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