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気軽に発信します。

千葉の浜辺から(No5)

2006-06-30 12:59:31 | 見て歩き
 長年千葉に住んでいるのに、その千葉を知り尽くしていないことがはっきりと分かった。千葉の海岸線が外房、内房とも関東ローム層の影響で黒いものと思い込んでいた。そうではなかった。
               
                一宮の海岸は、九十九里浜の一角を占めていて、浜辺の砂は
                黒い。
               
                 大原あたりも少し黒さが薄くなる程度。
               
                 御宿の海岸では、色が明るくなっている。
               
                 勝浦から南の守谷海岸は白砂に近い。小さな湾になっていて
                 水もきれいで子供たちを連れてくるには格好の場所だろう。
                 海岸の背後に大きな駐車場があった。もうすぐ車で埋め尽くされる
                 のだろう。
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読書 マイクル・コナリー「暗く聖なる夜」

2006-06-29 13:12:33 | 読書
 “心に刻まれたものは決して消えない”という言葉と“なんと素晴らしい世界だろう”というのをキーワードとして、退職警官の悲哀を交えた執念をエンタテイメント性豊かに語り、心に残る一冊となった。
              
 警察を退職した52歳のハリー・ボッシュが、現役時代のような緊張感や目標がなくなり落ち着かない日々を送っていた。そんな状態を一変させたのは一本の電話だった。その電話は、強盗に銃弾を浴びせられて眼球だけ動かせるという悲惨な状態で生きながらえているかつての同僚刑事からだった。
 未解決のアンジェラ・ベントン事件の記憶が戻ってきつつあるというものだった。途中で上層部から取り上げられた事件で、気がかりだった。

 これが取掛かりとなって調べ始めるが、ロスアンジェルス市警からの横槍、FBIからの干渉、FBIの別部門 テロ対策のこわもて野郎の嫌がらせは、いずれもボッシュに動くな!と言っていた。
 警察バッジのない身でどういうふうに動いていくのか。実に興味津々で、コナリーは巧妙な仕掛けで事件にせまっていく。こういうパターンはよくあるもので、どう料理するかが問題。マイケル・コナリーは優秀なシェフだ。

 コナリー作品にはよく音楽についての記述があるが、今回はジャズでアート・ペッパー、ルイ・アームストロング、チェット・ベーカーなどが登場する。
 過去の「バドラック・ムーン」では、ルシンダ・ウィリアムズ。「シティ・オブ・ボーンズ」でビル・エヴァンスという具合。

 それにニヤリと笑わせる記述もある。FBIのテロ対策部隊によって、車に衛星追跡装置が取り付けられているのをボッシュは難なく見破る。そのままバーバンク空港の長期駐車場に置きっぱなしにし、自身はラスヴェガスで遊んでいるふうに装う。

 FBIの目は節穴ではなかった。すべてお見通し、ならばお芝居を続ける必要がなくなり、ボッシュは長期駐車場から車を引き上げるとき、隣に駐車していたアリゾナ・ナンバーのピックアップ・トラックにその装置を取り付けてしまう。
 FBIはアリゾナあたりまで必死に追いかけることになる。読者としても痛快で溜飲が下がる。
 コナリーはニヤリとさせてくれたり、ホロリとさせてくれたり,余韻の残る幸せな気分にもさせてくれたりもする。
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読書 ジョイス・キャロル・オーツ「ブラック・ウォーター」

2006-06-25 15:34:55 | 読書
 上院議員は、レンタカーのハンドルを握りながらウォッカ・トニックを飲んでいた。フェリーの時間に間に合わせようと、ここメイン州の北西に浮かぶグレイリング・アイランドの未舗装路をかなりのスピードと荒っぽい運転で疾駆していた。
 車は突然ふわりと浮き上がり、まるで放たれた矢のように汚れた黒い水に向かって突進した。ガードレールや背丈にも達するイグサをなぎ倒しながら。

 乗っていたのは、上院議員のほかにただ一人。上院議員の娘の年頃といっていい年齢差のケリー・ケラハー。このケリーの肺を黒い泥水が満たし死に至るまでの間、ひたすら上院議員が引き返して助け出してくれることを祈りながら、自身の少女時代からこれまでの人生がフラッシュ・バックで描出される。

 上院議員はどうかというと、なんとか沈み行く車から脱出に成功して、公衆電話から友人に電話をする。激しく悲痛な声ではあるが「彼女は酒に酔ってたんだよ、興奮して、横からハンドルをつかんだもんだから、車が道路を飛び出した。人殺しって言われるんだろうな、この俺のことを―」と告げる。

 全く破廉恥な男だ。自分の酔払い運転なのに、死人のせいにするなんて。車が川に落ち気持ちが動転するのは分かる。10人中10人ともかもしれないが、おそらく動転するだろう。それは何も恥ずかしいことではない。サバイバル訓練を受けてもいないのだから。事故の原因を転嫁するという浅ましい男にはなりたくない。

 著者は、男の身勝手を批判しているのだろう。男は女性との関係をほとんどの場合、股間の指示に従う傾向がある。そしてこんな事故に遭うと、社会的地位や政治的命運を第一に考え、他への配慮が欠ける。情けない話だ。よって他山の石とせよ!

 訳者あとがきから引用すると“本書の背景になっているのは、あきらかに1969年のチャパクィディック事件である。同年7月18日、マサチューセッツ州にあるチャパクィディックという島で、エドワード・ケネディ上院議員の運転する車が橋に衝突して水没し、二十八歳のメアリー・ジョー・コペクニという女性が溺死した。
 一人車から脱出したケネディ上院議員が翌朝になってはじめて警察に知らせたことが、スキャンダルをひときわセンセーショナルなものにした。通報の遅れを「弁解の余地がない」と認めたケネディ上院議員に対して禁固二ヶ月(執行猶予一年)の刑が下されたが、ジョン・F・ケネディ、ロバート・ケネディと二人の兄を暗殺で失った跡継ぎの大統領候補として期待を一身に集めていたエドワード・ケネディにとって、この事件はぬぐいがたい傷となった。
 これを著者は被害者の女性に対して「恐ろしいほどの興味と同情」をおぼえ、いつか小説を書くためにノートをとり始めた。しかし、『ブラック・ウォーター』はチャパクィディック事件そのものを扱っているわけではなく、「年上の男を信頼して、その信頼を裏切られた若い女の経験の原型とも言うべきもの」を書きたかったのだ、とオーツは述べている。

 ジョイス・キャロル・オーツは1938年生れ。60年代より作品を発表し、これまで二十冊の長編小説を始め、多数の短編集、詩集、エッセイ、戯曲を出版している「多産」な作家として知られ、全米図書賞、全米文芸協会賞、O・ヘンリー賞など多くの文学賞を受けている”
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読書 トマス・H・クック「孤独な鳥がうたうとき」

2006-06-21 12:32:49 | 読書
 私にとってトマス・H・クックの作品の中で、「緋色の記憶」が忘れることの出来ない一冊となっている。老境に入ったヘンリーの回想の中に出てくる、ミス・チャニングの魅力に圧倒されてしまった。
               
 この「孤独な鳥がうたうとき」はそれとは全く違いエンターテイメント性も加えたものになっている。第一部から第五部までスタンダード・ナンバーのタイトルになっている。例えば第五部は、サムワン・トウ・ウォッチ・オーヴァー・ミー。
               
 息子の嫁セーラが家出する。義父のレオ・ラブリオーラの逆鱗に触れ、なんとしても探し出してやるといって、手下のカルーソに指示する。
 このレオは単なる高利貸しのクセに、いっぱしのギャング気取りで、筋肉質の大きな体で怒鳴り散らして相手に恐怖感を与えるという男だ。

 息子のトニーは、対照的に静かな男。この二人をめぐってカルーソ、人探し専門の探偵スターク、そのスタークに仲介するガンで余命3ヶ月のモーティマー、元ジャズ・ピアニストの酒場のオーナーエイブ・モーゲンスターンたちがそれぞれの人生の中で気を揉む窮地に立たされて、レオ意外の人間がハッピーな気分になるというもの。
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千葉の浜辺から(No4)

2006-06-18 14:22:11 | 見て歩き
 関東ふれあいのみち「九十九里の砂を踏みしめて歩くみち」の起点は、JR外房線の「東浪見(とらみ)」駅から始まる。朝6時から7時台は一時間に4本運転され、8時以降夕方5時台まで一時間に一本の運転という極めてのんびりとしたもの。

 物好きにも、その駅を見に行った。国道128号線に車を走らせながら駅への標識を探したが、そんなものはどこにもない。国道を行ったり戻ったりしながら地図で確かめ、見当をつけて細い道に入った。
 駅は集落に溶け込んだように、背景が森になっている寂しい風景の中にあった。駅は有蓋貨車を改造したもので、もちろん無人駅だ。駅前に商店街もない。うらびれたトイレと名前は知らないが、一本の木が広場といえる場所に立っているだけだった。
                
 時計を見るとちょうど午後1時前の列車が到着する時間で、プラットホームに上がった。その日は気温が高くなり蒸し暑く、海は霞んでいるように煙っていて、風の音も人家に生活音の気配もなく、列車が構内に入ってくる音が唯一静寂を破る音だった。
                
 構内に入ってきたのは四両編成の千葉行き普通列車で、車内はまばらな乗客が散らばっていて、ここから乗り込んだのは3人だけだった。夏休みシーズンになると、海水浴の子供たちの嬌声に満たされるのだろうか。列車が発車したあとは、再び気だるい午後の風景に戻った。
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映画 「クリミナル(‘04)」巧妙な罠でプロ詐欺師を嵌める

2006-06-15 12:59:18 | 映画
 劇場未公開というのが信じられない。私にとって画面に集中でき、最後にニヤリとさせられるのは久しぶりのことだ。
                
 プロの詐欺師リチャード(ジョン・C・ライリー)は、ロスアンジェルスのカジノで仕事の相方を探していた。そこへつり銭詐欺を実行中のロドリゴ(ディエゴ・ルナ)が現れる。
 リチャードは刑事を装って逮捕、連れ出す。車で移動しながら実技指導をする。ある家の高齢者のインターフォンで甥を名乗り、交通事故の寸借詐欺やガソリンスタンドではガソリン代を払わせるという巧妙な策を見せ、コーヒー店では支払ってもいない100ドルを、大声を出すことでせしめるというケチなことまでやる。
 
 こんな男だから親の財産を独り占めにするという策もやすやすと練り上げてしまう。リチャードには、妹ヴァレリー(マギー・ギレンホール)と弟がいるが、妹は兄を相手に裁判を起こしている最中だ。
 そんな折、妹が勤務しているホテルに呼び出されてみると、たれ込み屋のオチョア(ジット・カザン)がおいしい話を持ちかけてきた。
 「銀証券を偽造した。義理の息子が財務省に勤めていて、保管してある写真を使った。取引相手は、モナコ国籍のビジネスマンで古紙幣の収集家のハ二ガン、明日出国しなければ税免除の滞在期間を超えすべての収入が課税対象になる。その額は数千万ドルという。今日中に取引を成立させる必要がある」という。
 リチャードはウラをとるため義理の息子の話を聞く。その話とは、「金証券と銀証券は、1934年に市場から回収され大部分は現金化されたが、収集家は手放さなかった。財務省は証券をリスト化し行方を把握している。だが、副署された3枚だけは除外された。公売に付された記録はない。財務省はこの3枚は何かの原因で紛失したと考えている。もし、見つかったらアメリカの歴史上もっとも高額な通貨になる」これで決まりだ。どんどん行こう。
                
              左からジョン・C・ライリー  ディエゴ:ルナ  マギー・ギレンホール
 
 これからが、なかなか面白い展開になっていく。通常は脇役を専門とする俳優たちが演じるドラマで、演技力を標榜しているだけあって人気だけの俳優とは一味違う。

 監督グレゴリー・ジェイコブズこの作品が初監督。製作にスティーヴン・ソダーバーグ、ジョージ・クルーニが関わっていて、スティーヴン・ソダーバーグは、1963年1月ジョージャ州アトランタ生まれ。‘89年「セックスと嘘とビデオテープ」で監督デビュー。’00年「トラフィック」でアカデミー監督賞を受賞。この人は監督、脚本、撮影、製作など幅広い活動をしている。
キャスト ジョン・C・ライリー1965年5月イリノイ州シカゴ生れ。バイプレイヤーとして、’02年「シカゴ」でアカデミー助演男優賞にノミネートされる実力派。ディエゴ・ルナ1979年12月メキシコシティ生れ。ケヴィン・コスナーの「ワイルド・レンジ」、スティーヴン・スピルバーグの「ターミナル」などにも出演。‘01年ヴェネチア国際映画祭で新人俳優賞を受賞。マギー・ギレンホール1977年11月カリフォルニア州ロスアンジェルス生れ。弟に’05年アカデミー監督賞のアン・リー作品「ブロークバック・マウンテン」に出演しているジェイク・ギレンホールがいる。彼女自身は、‘02年ゴールデン・グローブのコメディ/ミュージカル部門の女優賞にノミネ-トされた実力派女優。ピーター・ミュラン1960年スコットランドピーターヘッド生れ。芸歴が長く監督、脚本も手掛ける。’98年カンヌ国際映画祭で男優賞、‘02年英国アカデミー賞オリジナル脚本賞をそれぞれ受賞している。
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千葉の浜辺から(No3)

2006-06-11 11:09:00 | 見て歩き
 関東ふれあいのみち「九十九里の砂を踏みしめて歩くみち」は、太東漁港から太東崎灯台にも立ち寄る。
 小さな可愛い灯台ではあるが、海抜58メートにあり、灯台の高さは15.9メートル、光の届く距離は約41キロという。この41キロが長いか短いか。JRの路線距離で千葉から東京は39キロ、光の到達距離はかなり遠くまで届いている。
                
 千葉県内で有名な灯台は、犬吠埼灯台であろう。この灯台は高さ27メートル、光到達距離約36キロという。光の到達距離は建物の大きさとは関係がないみたいだ。

 元へ戻って、太東崎灯台には歴史的な場所がある。それは機関銃座跡である。ここには電波探知機が据えられていて、米軍の空母から飛び立ったグラマンF14艦載機や硫黄島からのP51戦闘機の攻撃目標となり、それに迎撃したと説明がある。電波探知機の行く末や交戦の結果などは書かれていない。
 東京空襲の折、戦闘機が日本軍の火器をまず叩き、後続のB29爆撃機を誘導したのではないかと推測する。戦争末期で日本軍の抵抗はほとんどなかっただろう。
                
 そういう時代のことをふりかえってこの盛り土を見ていると、米軍の沖縄上陸に逃げ惑い崖から身を投げる女性。日本の都市の夜空を真っ赤に染めた空爆、爆裂音で防空壕が揺れた記憶が生々しく甦る。太平洋は赤みを帯びた夕暮れの陽射しに、波頭を染めながら変わらぬ胎動を繰返していた。
                 
 これが日本の都市を廃墟にした立役者B-29、日本軍の高射砲も戦闘機も弾が届かない様子が、空爆で明るい夜空で確認できた。なんとも歯がゆい場面だった。敗戦はなるべくしてなったという想いで、驚きや悲しみはなかった。
                 
                 灯台から見る大原方面の海岸線
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映画 「ハンテッド(‘03)THE HUNTED」殺人マシンと化した元特殊部隊員とその教官の死闘

2006-06-08 11:19:36 | 映画
 2003年オレゴン州シルバー・フォールズの森で二人のハンターが惨殺される。惨殺死体の写真を見せられたL.T(トミー・リー・ジョーンズ)は、その手口から犯人の目星をつける。かつての教え子で、米特殊部隊員のアーロン・ハラム(ベニチオ・デル・トロ)の可能性が高い。
 追跡のため単身森に入り、アーロンと遭遇ナイフによる格闘がつづくが、FBIの包囲により逮捕する。L.Tが持たされた無線機が、FBIを誘導する役目を負っていた。
 物語はこれで終わらない。アーロンは脱走して、L.Tとの壮絶な対決がこの映画のメインになっている。アーロンがL.Tに胸を刺されて息絶えるという結末。

 この映画の褒めるところを探したが、残念ながら見当たらない。オレゴン州内の事件なのになぜFBIが出てくるのかといった細かいことは別にして、テーマなりメッセージが伝わってこない。

 アーロンは1999年3月12日、NATO軍の指揮下、米特殊部隊員としてコソヴォのジャコビツアで政府軍指揮官の住民皆殺し命令を阻止したとして、米軍最高の勲章銀星賞が授与されるが、コソヴォでの政府軍による住民虐殺の記憶が脳裏を離れず苦しむ。
 それが高じたのか、ある信念が植えつけられる。森でハンターを殺すときに“生き物を殺すときは敬意を払うべきだ”と言うし、逮捕されて取調室では“今年は60億羽のニワトリが殺された。食物連鎖で人間より上がいたら?その種が人間に対する敬意を忘れて大量虐殺したらどうする?”
 脱走したあと恋人の娘ロレッタに“もう人類は動物を敬わない。機会があれば殺しているんだ”という。人類の謙虚さを忘れた横柄さを指摘しているのだろう。気持ちは分からないでもない。だからといって、人を殺していいことにはならない。

 この辺が狂人殺人マシンたるゆえんなのだろうが、このメッセージの描き方が弱い。このように私にとっては記憶の留まることのない映画であるが、エンディングで今は亡きジョニー・キャッシュが歌う「The man comes around」“イエスが来る”という曲が収穫だった。

 監督ウィリアム・フリードキン‘71年「フレンチ・コネクション」でアカデミー監督賞と作品賞を受賞。

 キャスト トミー・リー・ジョーンズ、ベニチオ・デル・トロ1967年2月プエルトリコ生まれ。’00年「トラフィック」でアカデミー助演男優賞を受賞。コニー・ニールセン1965年7月デンマーク生れ。レスリー・ステファンソン1971年5月ノースダコタ州ファーゴ生れ。ジェナ・ボイド1993年3月テキサス州ベッドフォード生れ。‘03年「ミッシング」でトミー:リー・ジョーンズとともに準主役で出ている。
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千葉の浜辺から(No2)

2006-06-04 13:24:50 | 見て歩き
 関東ふれあいの道は、起点が東京都の高尾山になっていて、一都六県の関東地方をぐるりと一周する1,667キロを144のコースからなり、豊かな自然や優れた文化に触れるのを第一の目的として平成元年に完成した。

 このコースを眺めてみると、海沿いの道は、千葉県と神奈川県の13コースで、そのうち千葉県は6コースとなっている。その中の一つに、ここ一宮(いちのみや)にある「九十九里の砂を踏みしめて歩くみち」と愛称のついた11,9キロがある。
 このコースには、太東漁港の背後の断崖にコースが設けられていて、そこに登ってみた。この日は貴重な晴れ間が広がり、海と空が重なるところまで見晴るかすことが出来た。遠くを大型の貨物船やタンカーが航行していて、こちらからは止まっているように見える。波打ち際の怒涛のうなりも聞こえない。それこそゆったりとした波のうねりが初夏の陽射しに映えていた。

 人はこんな大海原を前にすると、何を感じるのだろう。私は人っ子一人いない山道を歩くときと同じように、大自然の見えない力に怖れを抱く。

参考図書 山と渓谷社1994年8月刊 武村岳男著「首都圏自然歩道」
                                 
              太東漁港、背後の断崖に関東ふれあいの道がある
              
              断崖のてっぺんから、一宮方面の海岸線
              
              同じく太東漁港を俯瞰する
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