Wind Socks

気軽に発信します。

再びクロード・ルルーシュ、機知に溢れた男と女のお話「しあわせ」1998年制作

2016-09-30 18:06:43 | 映画

              
 「男と女」でラブストーリーの金字塔を打ち立てたクロード・ルルーシュによる哲学的命題の提示といってもいいかもしれない。「偶然か必然か」人生で人と人の交わりが偶然と思うか、必然と思うか。この議論を終わらせようとすれば、「神の思し召し次第」ということになる。 が、ルルーシュは、偶然であっても必然へと変容できると言っているようだ。

 この世にウソがないと無味乾燥だと言うのは美術品のオークション会場を仕切り、絵も描くピエール(ピエール・アルディティ)。一方、未来学者のマルク(マルク・オローニュ)は、真実がすべてだと言う。

 ピエールの愛した女性、ミリアム(アレッサンドラ・マルティネス)が空港で置き引きにあったビデオ・カメラをマルクが買ったのが、何のつながりもない二人が心を通わせるようになる。

 このビデオ・カメラには、ミリアムとピエールとミリアムの一人息子との楽しい想い出が詰まっている。他人ではあっても楽しい映像は観る人に安らぎを与える。しかも、その中の女性が魅力的なら「この映像は貴重だから届けてあげたい」と思ってもおかしくない。しかもマルクは、その女性に魅入られてしまったのが、探し当てたい思いが必然ともいえる行動に出る。

 その行動を真実主義のマルクが妻に言ったことから、「真実を話してくれなかったほうがよかった」と言いながらマルクのもとを去っていく。

 現実の世の中はすべてガラス張りでは物事が運ばないのをわれわれは知っている。「嘘も方便」はある程度の許容範囲。

 例えば、ある小説から引用しよう。『私は彼女に興味をそそられていた。妻が死んで以来、女性に心惹かれたことはなかったし、最後に寝た女は妻だった。 が、耳を覆うように長い赤毛をうしろに流しているレイチェル・ウルフを見ると、私の中に性的なものを超えた憧れがよみがえり、深い孤独と胃の痛みを感じた。
 彼女は不思議そうな眼で私を見た。「失礼」と私は言った。「ちょっと考え事をしていたので……」』

 一途にミリアムを求めたマルクにも光が差し込む。まあ、世の中捨てる人あれば、拾う人ありだ。こういう人生の機微は、ルルーシュの人生経験から、機知の富んだセルフが生まれる。

 すべてのセリフを書けないが、一つだけ、ミリアムがピエールの年齢を聞く。「言いたくないなあ」と言いながら「私が120歳になったとき、君は100歳だ」

 20歳の年齢差を言っているが、これが「私が70歳になったとき、君は50歳だ」と言ったとしよう。これは何の変哲もない平凡な言葉だ。この120歳という凡そ到達し得ない年齢を言ったとき、そこには誰しも笑みを浮かべるだろう。これが機知であり人生経験のなせる技と言える。

 しかし、この映画も完璧ではない。セリフには非凡さがあるが、物語の流れの中で手抜きとは言わないが安直さが見える。

 それはピエールとミリアムの8歳の息子が事故で亡くなる場面だ。ピエールはヨットに乗ろうとミリエルと息子を誘う。ミリエルは寝不足だから留守番。ピエールと息子が出かける。

 何時間たっても帰ってこない二人。ヨットに置かれた携帯電話は呼び出し音をむなしく鳴らすだけ。ヨットでなにが起こったのか。

 ピエールは子供に操作を教えてやろうと言って船首の方へ舷側に足をかけていく途中海に放り出される。風を孕んだヨットは急速にピエールから離れていく。子供に向かって「そのまま船に残れ!」と叫ぶが子供も海に飛び込む。

 こんなことがあり得るのだろうか。まずピエール、命綱もつけずに舷側を移動するんだろうか。不用意すぎる。また子供が海に飛び込むだろうか。恐怖でそんなことは出来ないはずだ。それに、携帯電話がヨットに残っていたことを思えば、子供に「警察へ電話しろ」と指示できたはず。

 帆走日和といってもいい天候では、死ぬのは難しい。急な荒天に遭遇したとか、モーターボートに衝突されたとかいくらでも事故は考えられる。安直としか言いようがない。観客は理屈に合わないと不満を持つ。そういう不満もあるが、よくできたラブロマンスとは言える。

 

 
監督
クロード・ルルーシュ1937年10月パリ生まれ。

キャスト
アレッサンドラ・マルティネス1963年9月イタリア、ローマ生まれ。パリ国立高等音楽院卒業後、プルマドンナとして活躍。ルルーシュの妻。
ピエール・アルディティ1944年12月パリ生まれ。
マルク・オローニュ1961年ベルギー生まれ。

ご面倒ですが、クリック一つで私は幸せになります!

エンタメ(全般) ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミステリー風味のバレエとタップダンスのクロスオーバー「ホワイトナイツ/白夜」1985年制作

2016-09-28 17:44:09 | 映画

              
 バレエ・ダンサーとタップ・ダンサーの偶然の出会いが、素晴らしいダンス・シーンと運命を左右する脱出劇がスリリング。

 北極圏を飛行中の旅客機には、東京公演に行くバレエ・ダンサー、ニコライ(ミハイル・バリシニコフ)が乗っていた。ニコライはカナダで亡命、今はアメリカ国籍を持っている。順調に行けば何事もなかったが、旅客機の電気系統の故障でシベリアのソ連空軍基地に不時着陸を余儀なくされた。

 着陸のとき怪我をして入院。そこへKGBのチャイコ大佐(イエジー・スコリモフスキ)のさりげない訪問ではあるが「ニコライ、お前の正体は見え見えだぞ!」と脅されながら暴かれる。

 そして預けられたのは、ベトナム戦争で黒人兵が白人兵よりも多く戦死しているとしてアメリカを見限って亡命したレイモンド(グレゴリー・ハインズ)の小さな家だった。レイモンドにはソ連人の美しい妻ダーリャ(イザベラ・ロッセリーニ)がいた。

 ニコライはレイモンドをKGBの手先だと思い、奇しくもアメリカを捨てた男とアメリカを求めた男が対峙する格好となった。KGBのチャイコ大佐は、ニコライを彼の故郷ともいえるキーロフバレエ団の本拠地マリンスキー劇場の舞台にもう一度立たせたいと願っていた。勿論、狡猾な大佐のこと素直には受け取れないが、ニコライのかつての恋人カリナ(ヘレン・ミレン)を練習のスタジオに顔を出させた。何か企んでいるのは確かだ。

 この映画の白眉は、相手を理解したニコライとレイモンドのバレエとタップが融合したダンス・シーンだろう。

 そしてニコライ役のミハイル・バリシニコフのバレエ・ダンサーとしての凄さがオープニングの踊るシーンからも分かる。

 30年ほど前の映画ではあるが、現在の音楽シーンが劇的に変わったとも思えないし、ファッションもしかり、ジーンズとジャケット、スカートとブラウス。現代とさほど変わっていないのには一種の驚きだった。

 これらの文化面ではこれからの30年もあまり代わり映えしない気がする。このDVDには、監督の音声解説が収録してあって、それによるとアメリカ南部では、グレゴリー・ハインズ(黒人)とイザベラ・ロッセリーニ(白人)の濃密なラブシーンに異論がでた。従ってこのラブシーンはカットしたという。

 人種間アレルギーなんだろうか。これは30年前の話。 が、現代はどうだろう。白人と黒人のラブ・ロマンスは結構多く描かれているが、個人的にはやっぱり雰囲気に乗れない。偏見といえば偏見だが。

 

 

 

 

 イザベラ・ロッセリーニが母親のイングリッド・バーグマンにそっくりなのが印象的だった。さて、多くの曲が挿入されていたが、フィル・コリンズとマリリン・マーティンの「Separate Lives」がわたし好みだった。その曲をどうぞ!
   
監督
テイラー・ハックフォード1945年12月カリファルニア州サンタバーバラ生まれ。1982年「愛と青春の旅立ち」では、アカデミー賞助演男優賞をルイス・ゴセットjr、歌曲賞「Up Whre We Wrong」を受賞。この映画にも出演しているヘレン・ミレンは奥さん。

キャスト
ミハイル・バリシニコフ1948年1月ソ連生まれ。
グレゴリー・ハインズ1946年2月ニューヨーク生まれ。2003年8月ガンで死去。
イザベラ・ロッセリーニ1952年6月イタリア、ローマ生まれ。
イエジー・スコリモフスキ1938年5月ポーランド、ワルシャワ生まれ。
ヘレン・ミレン1945年7月ロンドン生まれ。

ご面倒ですが、クリック一つで私は幸せになります!

エンタメ(全般) ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月28日がパソコンの日? 知らなかった。

2016-09-28 11:41:50 | Weblog

 どんな由来があるのか、教えてくださいよ。私が使っているPCは、ノートパソコンです。持ち運びと省スペースで利便性の高いところが気に入っています。

 かれこれ5台目ぐらいになります。使用目的は、ブログの作成、株式取引、地図検索、DVDや音額のダウンロードなどなどです。文字の入力はブラインドタッチをマスターしています。パソコンがないと恋人を失ったような気分になります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

20年後にかつての恋人にめぐり会えばどうしますか?恋の炎が燃え上がる? 1986年制作「男と女Ⅱ」

2016-09-26 16:22:03 | 映画

              
 初恋の人とそうでない人とでは違う感情が湧くかも知れない。初恋の人は忘れられないというから再び恋に落ちるかも。そうでない人となれば、人それぞれだろう。

 夫を事故で亡くしたアンヌ、妻が自殺という悲劇で亡くしたジャン・ルイが出会い恋に落ちる1966年の「男と女」の20年後を描いたのがこの映画。

 私はこの映画に感情移入できなかった。雰囲気や余情がわたしに合わないのかも知れない。アンヌ(アヌーク・エーメ)の娘、ジャン・ルイ(ジャン=ルイ・トランティニャン)の息子達は成人していて、アンヌの娘フランソワーズ(エヴリース・ブイックス)は、母親そっくしで女優、ジャン・ルイの息子アントワーヌはボート・レーサーとなっていた。

 アンヌもジャン・ルイも老けていくのが気になる50代になった。プロデューサーのアンヌは、テレビのキャスターと付き合っている。ジャン・ルイは、レーサーの指導役で、息子の妻の妹と恋仲という按配。年齢差が気になるところ。

 その二人が再びレストランで顔を合わせる。アンヌは、かつてのジャン・ルイとの関係を映画化したいと言う。ジャン・ルイは、家族や親戚に知れるのがいやだという。

 アンヌの作る映画がどうも評判がよくない。アンヌは悩む。アンヌの気持ちが徐々にジャン・ルイに傾いていく。パリ=ダカール・ラリーのコース下見行きを控えたある夜、アンヌとジャンは再びベッドイン。

 「今度いつ会える?」アンヌの問いかけに答えぬまま、ジャン・ルイは恋人を伴ってパリ=ダカール・ラリーの下見に出かける。しかし、テレネ砂漠で二人は行方不明になる。安否を気遣うアンヌ。

 その二人をらくだに乗った地元民が助け出す。テレビ局の質問に「私が間違ったコースに誘導した。タイヤを全部パンクさせた。水をすべて捨てた」というジャン・ルイの恋人、つまり無理心中を謀ったわけ。それほど恋人はジャン・ルイと別れられなかったともいえる。その心を思えば同情もしたくなる。

 ところがアンヌは、そのことに触れようともしない。ただ、ジャン・ルイを求める。残酷な女としか映らない。(と私は思うが)ジャン・ルイにしてもシャーシャーとアンヌについていく。この二人は薄情だと私には映る。

 本作でアンヌもジャン・ルイも別の道を歩んでいるのが分かる。では、前作で夜のプラットホームでの熱い抱擁は何のためだったんだと言いたい。

 「まだ元夫への未練が癒されいなかった。時間が必要だった」一言のセリフで片付けられている。しかも「前作のあの抱擁は甘かった」といったセリフ。この甘かったというのは、いい加減な場面で締めくくったということだと思う。

 それに加え「歳の差もあるし一緒に年齢を重ねられない」とジャン・ルイが恋人に言う。また、「あと20年後に会うなんていや!」とはアンヌ。

 いずれも分別のある大人の言うことでもあるまい。好きになれば年齢は関係ないし、20年待つのはムリでも、無理心中の心を癒す1年なら待てるだろうに。どうもこの映画、二人を会わせるためにクロード・ルルーシュが急ぎすぎた感がある。

 レースの映像を長々と流すのであれば、セリフで片付けるのではなく細部を丁寧に描いて欲しかった。とは言っても特筆すべきは、アヌーク・エーメの美貌は衰えていなかったということ。その彼女もすでに80代に突入してしまった。時間はかなり残酷だ。

         

 

 

 

         

         

監督
クロード・ルルーシュ1937年10月パリ生まれ。

キャスト
アヌーク・エーメ1932年4月パリ生まれ。
ジャン=ルイ・トランティニャン1930年12月フランス、ヴォクリューズ生まれ。
エヴリーヌ・ブイックス1953年4月フランス生まれ。

ご面倒ですが、クリック一つで私は幸せになります!

エンタメ(全般) ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノルウェーの良質ミステリー、2011年制作「ヘッドハンター」

2016-09-24 15:38:25 | 映画

              
 首狩りから転じて、人材引き抜きという職業をいう。それを専門に行うロジャー(アクセル・へニー)は凄腕のヘッドハンターではあるが、裏の顔も持っている。

 それは、ヘッドハントの相手を絵画などの美術品収集の趣味の人材を選ぶ。面談のとき情報を集め本人の留守中(夜でも昼でも)に忍び込み模造品と入れ替えて本物を盗み出す。楽々と仕事が出来るのは警備会社の男がセキュリティを解除するからだ。

 どうしてかと言うと、自身の身長が170センチに満たないが、美貌の妻ダイアナ(シヌーヴ・マコディ・ルンド)は180センチという身長差があってコンプレックスと共に嫌われたくないという気持ちが画廊を始めた妻への贈り物だった。

 勿論、ダイアナは正規の値段で買ったものと思っている。ある日の画廊のパーティでダイアナが親しげに話しているクラス(ニコライ・コスター=ワルドー)を紹介される。挨拶と会話の中でクラスがHOTEという会社から離れたのを知る。早速ヘッドハントに取り掛かる。

 ところがこれがとんでもない罠だった。なぜ、クラスがロジャーを殺しに来るのか。謎を秘めたままアクションが展開。その過程がよく出来ていて良質のミステリーに仕上がっている。勿論、最後はハッピーエンド。ノルウェー映画を初めて観た。

 

 

監督
モルテン・ティルドゥム1969年5月ノルウェー生まれ。2014年「イミテーションゲーム/エグニマと天才数学者の秘密」でアカデミー監督賞にノミネート。

キャスト
アクセル・へニー1975年10月ノルウェー生まれ。ハリウッド映画、2015年のマット・デイモン主演の「オデッセイ」にキャスティングされている。

ニコライ・コスター=ワルドー1970年7月デンマーク生まれ。
シヌーヴ・マコディ・ルンド出自不詳

ご面倒ですが、クリック一つで私は幸せになります!

エンタメ(全般) ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なに? 男の子がバレエのレッスン? やめとけ!2000年制作「リトルダンサー」

2016-09-22 15:40:46 | 映画

              
 演出家のスティーヴン・ダルドリーの映画初監督作品。舞台ではローレンス・オリヴィエ賞とトニー賞を2度受賞している。

 サッチャー首相の時代、1984年、イングランド北部ダーラムの炭鉱の町が舞台。父と兄が炭鉱夫という家庭で母はとっくに亡くなり、やや痴呆が入るおばあちゃんと同居する11歳のビリー(ジェイミー・ベル)の物語。

 強制的にボクシングをやらされているとき、体育館の片隅で行われているバレエのレッスンを見て興味を抱く。もともと兄が持っているロックンロールのレコードを聴きながら体を動かすのが好きだった。

 バレエのコーチ、ウィルソン先生(ジュリー・ウォルターズ)が参加を許してくれた。こういう炭鉱町の男たちは、日本の昔のように「男らしく」が譲れない一線のように思っている。男はボクシングとか、サッカーとか、ラグビーをするものと決め付けている。踊るバレエ? けしからん! 父も兄も同様の反応。

 そういう偏見の中を持ち前の強気でウィルソン先生の勧めるロイヤル・バレエ学校のオーディションを受けるところまでになる。一人の少年の成長物語で楽しいダンス・シーンもあってほのぼのとした余韻に浸れる。

 ラストは、トップダンサーになった25歳のビリーの公演を観る父親の涙に濡れた顔が印象に残る。このラストで踊るトップダンサーのビリーを、英国を代表するトップ・ダンサーの一人、アダム・クーパーが演じているのも話題となったらしい。

 なお、本作は、アカデミー賞助演女優賞(ジュリー・ウォルターズ)、監督賞、脚本賞がノミネートされた。

 
         
         

 
         
         

監督
スティーヴン・ダルドリー1961年5月イギリス、イングランド生まれ。本作を含めて2002年の「めぐりあう時間たち」、2008年「愛を読むひと」がアカデミー監督賞にノミネートされている。

キャスト
ジェイミー・ベル1986年3月イギリス、イングランド、ビリングハム生まれ。
ジュリー・ウォルターズ1950年2月イギリス、バーミンガム生まれ。
アダム・クーパー1971年7月ロンドン生まれ。89年から97年ロイヤル・バレエ団に在籍。

ご面倒ですが、クリック一つで私は幸せになります!

エンタメ(全般) ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

50年前の愛のかたち 1966年制作「男と女」一時代を築いたクロード・ルルーシュの出世作

2016-09-20 16:18:11 | 映画

              
 新聞記事に、この1996年制作の映画「男と女」が50年を経ていまだにラブロマンスの金字塔であり、記念のデジタル・リマスター版が上映されるとあった。

 実は、フランシス・レイのテーマ曲はよく耳にしたが、この映画は観ていなかった。というわけでDVDを借りた。なんと情緒があって、男女間に一定の距離感を保ちながらも、心の襞を微妙に表現するという心憎いラブ・ストーリーだ。映像と音楽の一体感も素晴らしい。

 男女の出会いはいろいろな局面が考えられるが、この映画の場合は、子供を同じ寄宿学校に預けていて、毎日曜日に子供に会いに来ているという男女が巡り会う。

 このDVDには、「37年後のクロード・ルルーシュと共に」としてインタビュー映像が収録してある。それによると映画製作のきっかけは、ドービルの海岸で女性が子供と犬を連れて朝の6時に散歩している。それを見てあれこれと想像した。寄宿学校も思い浮かべたという。それが「男と女」につながった。

 これを聞いていて、私はイギリスの作家バージニア・ウルフの伝記の中の一節を思い出した。それは姪だったかな、を連れてロンドンへ行く列車に乗ったときのこと、乗客の男を見てその職業や家庭を思い描くというのがあった。

 作家にしろ映画製作者にしろ創造する人の共通点が見えた気がした。想像力がモノを創造させる。さて物語の男は、ジャン・ルイ(ジャン=ルイ・トランティニャン)といい表の稼業はレーサーで裏稼業は売春婦の上がり金を回収するという卑しい仕事だった。

 ここで文句を一つ、裏稼業は割愛してもよかったと思う。ジャン・ルイの独白以降裏稼業は出てこないからだ。

 娘を寄宿舎に預けたあとアンヌ(アヌーク・エーメ)は、列車に乗り遅れた。ちょうどそこに息子を預けに来たジャンの車で送ってもらうよう教師に促されたのが出会いのきっかけだった。当然のことに次の日曜日も一緒に行きましょう。 ということになるのは必定だろう。しかも美人のアンヌとくれば、誰でも誘いたくなる。

 実際のところアヌーク・エーメは、色香もあり知的な雰囲気でジャンが心を奪われるのはよく分かる。この映画で男の心情を特に描写しているのが面白い。手と手の指の使い方と車の中で彼女に接する方法を考える場面だ。

 子供たちと一緒にレストランで食事をする場面で、隣に座るアンヌの椅子に手をかけているジャン。アンヌの背中に触れている。この場面のアヌーク・エーメの表情が実によかった。

 あとで船に乗るが手の表情は、アンヌの手に触れようかどうしようという迷いの手の動きがよかった。それに帰路の車の中でジャンがギヤー操作のあとアンヌの手を握る。ちょっと冷ややかな表情で「奥様の話をして」とアンヌはいう。

 アンヌにしてみれば妻のある男と愛し合うのは避けたいという思いだろう。レース中ジャンは大事故を起こす。危篤状態になった。そのとき妻は心配のあまり精神に異常をきたし自殺したという。アンヌもスタントマンだった夫を事故で亡くしている。同情と共に別の感情も芽生える。

 それはジャンがモンテカルロ・ラリーに参戦して、困難なレースを完遂したのをテレビで観ていたアンヌが打った電報が証明している。

 一度は“ブラボー テレビを観ました。アンヌ”だったのを”ブラボー 愛してます。アンヌ“に変更した。こんな電報を貰って舞い上がらない男はいない。ジャンはすぐパリに向けスタートした。3000キロをぶっ飛ばす。頭の中はアンヌのことで一杯。会ったときにどう言おうとか、電報を打ったほうがいいのかとかいろんなことを考える。

 しかし、現代の私だったらそんな余計なことは考えない。3000キロを不眠不休で走るのは無理だろうから、途中泊まるにしても会ったときには「僕も愛しているよ」と言って抱きしめればいい。これが激情の発露。

 ところが映画は別のストーリーを用意していた。なんとも粋な幕切れを……。やっぱり50年前の愛のかたちだった。心に残るいい映画だったなあ。
 
 
 

 

 

監督
クロード・ルルーシュ1937年10月フランス、パリ生まれ。この作品でカンヌ国際映画祭のパルム・ドール賞を受賞。

音楽
フランシス・レイ1932年4月フランス、ニース生まれ。1970年「ある愛の詩」(アンディ・ウィリアムスの歌唱で有名)でアカデミー作曲賞受賞。

キャスト
アヌーク・エーメ1932年4月フランス、パリ生まれ。本作でアカデミー主演女優賞にノミネート。
ジャン=ルイ・トランティニャン1930年12月フランス、ヴォクリューズ生まれ。

ご面倒ですが、クリック一つで私は幸せになります!

エンタメ(全般) ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主役がベンツの6輪駆動スーバーオフローダーかと思わせる「追撃者」2014年制作

2016-09-18 15:43:30 | 映画

               
 アメリカ南西部カリフォルニア州、ユタ州、ネバダ州、アリゾナ州にまたがる広大なモハーヴェ砂漠に近いボラスカ郡保安官事務所からガイドの仕事があると留守電に入っていた。

 ベン(ジェレミー・アーヴァイン)は、保安官事務所に着いて分かったことは、マディック(マイケル・ダグラス)という男が解禁前なのにビッグホーンの狩猟許可を取ってきたという。保安官の話では上にツテがあるらしい。ガイドを引き受けた若いベン。

 保安官事務所の前に巨大なオフロード車が止まっていた。マディックの持ち物で「アメリカに1台しかない。5万ドル(約5千万円)の高級車だ」と自慢げに言う。

 フロント・グリルには高級娼婦を連想するメルセデス・ベンツのエンブレムが媚を売っているようだ。「G63AMG6×6」というネーミングの全長約6メートル、全幅2メートル強、全高2メートル30、最低地上高46センチ、渡河限界深度1メートルという軍用車並の性能を誇る。

 ちなみに最低地上高は、日本のランドクルーザーで22センチ50というから、この車はオフロードでも余裕綽々といったところ。それをマディックはぶっ飛ばす。西部劇でおなじみの風景が飛び去って行く。

 道路から外れて砂漠を疾駆し、獲物が出現する岩山の麓でキャンプ。焚き火で暖を取りながらマディックは特製の椅子で寛ぐ。しばらくするとチンという音がした。車の後部にあるレンジでレトルト食品を温めていた。モハーヴェ砂漠まで来てレンジでチンとは? なんだかちぐはぐで笑っちゃうよ。大金持ちはそんなことは気にしない。安全で便利なら、快適という言葉は俺のためにあると思っている人種だ。

 ベンのガイドとしての責任感が、マディックに狩猟許可証の提示を求める。ところがマディックは、許可証の代わりに札束を取り出す。札束の誘惑は強烈。如何に真面目なベンでもその魅力には勝てなかった。

 翌日、事態は暗転する。ベンは双眼鏡で尾根を探っていた。太陽が真正面から差し込んでくる。はっきりと尾根が見えない。横でライフルを構えていたマディックが動くものを捕らえ引き金を引いた。高性能のライフルとマディックの射撃の腕は獲物を斃したと確信、尾根に上がってみるとベンの老人の友だった。即死だった。

 戸惑うマディックから鍵を受け取り死体を運ぶため車を取りに岩山を降りていった。狡猾で自己中心のマディックの頭の中では、この事態を乗り切るための方策が渦巻いていた。そして決まった。

 ベンのライフルを死体に向けて撃った。戻ったベンに「警察に届けると君にも容疑が降りかかる。死体を埋めて何事もない振りをしよう。君は大学に行き、経済を学べ、卒業したらわが社に迎え入れる。高給で処遇することを約束する」ベンもしぶしぶ了承して握手を交わす。

 ところが、車の中に置いたボストンバッグの半開きのファスナーから通信機が見えた。保安官事務所に直通するものだった。それを手に取ったとき動物的嗅覚を持っているのではないかと思わせるマディックが銃口をベンに向けていた。「裏切り者め!」と言ってパンツ一つの裸にされ、靴も脱がされて町へ帰れと言う。

 町まで150キロ、気温50度の炎天下、たどり着くのは不可能。マディックはベンを殺すつもりだ。ここからがモンスター・ベンツで追いかけながらベンの死を楽しんでいるようだ。

 この映画の面白いのはここまでで、ベンが町にたどり着く過程が、理屈に合わない場面の連続だ。私としては、モンスター・ベンツを知っただけの映画だった。劇場公開2016年5月
         
 

監督
ジャン=バティスト・レオネッティ出自不詳

キャスト
マイケル・ダグラス1944年9月ニュージャージー州生まれ。
ジェレミー・アーヴァイン1990年イングランド生まれ。


ご面倒ですが、クリック一つで私は幸せになります!

エンタメ(全般) ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クライム・アクションの傑作と言ってもいい2015年制作「ボーダーライン」劇場公開2016年4月

2016-09-16 16:33:23 | 映画

               
 まさに狼の群れに放り込まれた子羊のように翻弄されるFBI女性捜査官。その捜査官は、誘拐事件を主に担当していたケイト・メイサー(エミリー・ブラント)。

 ケイトはチームのリーダーとして実績を上げてきたのを評価され、国防総省のマット・グレイヴァー(ジョシュ・ブローリン)率いるチームの一員に抜擢される。

 このチームは、メキシコの麻薬カルテルの首領マニエル・ディアスを誘拐犯として捜査するのが目的だった。とは言ってもケイトには詳細な説明がなく「われわれを見て学べ」とマットが言うだけだった。

 それでも事態は動いていく。何が起こるかわからない状況ではついて行くしかない。テキサス州エル・パソに移動する国防総省のビジネス・ジェットに乗り込んできたアレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)も謎めいた雰囲気を醸す男だった。ケイトは自己紹介するが、彼は名乗らずに寡黙な時間が過ぎていく。

 メキシコで8番目の大きさ、世界で2番目に危険な町といわれるシウダー・ファレスにアフガニスタン帰りの兵士の護衛つきでシボレーのユーティリティー・ヴィークルに分乗して裁判所へ向かう。

 目的は、麻薬カルテルの首領マニエル・ディアスの弟ギエルモをアメリカに移送してディアスの居所を聞き出すためだった。

 無駄なセリフがなくテンポのいい画面展開で秀逸な音楽と共に観る者は釘付けになる。5台の車がハイスピードで走行するとか、ファレスの街では、麻薬に係わるものの死体を高速道路から吊るして見せしめにしているとか、メキシコの警官には気をつけろ、買収されているものが多いとか、そして道路の渋滞を利用して組織のメンバーがギエルモ奪還に来るという緊張感。アサルトライフルで麻薬組織のメンバーは射殺されるとか。めまぐるしく展開される。この一連の作戦にFBIがたぶらかされ使われていたのを知るケイト。

 徐々にアレハンドロの実像が明らかにされる過程をベニチオ・デル・トロの好演で存在感が増す。最後のシーンまで息を抜くことが出来ない。その最後のシーンですら緊張感が漂う。

 ケイトの部屋を訪れたアレハンドロは、「作戦はすべて法規に準じたもの」だという書類にケイトのサインを求める。

 これは国防総省がアメリカ国内での捜査権がないことからFBIをたらしこんで、しかも法を無視した捜査を正当化するものだった。国防総省に雇われているアレハンドロにも必要なサインだった。

 ケイトは「できない」という。ケイトの拳銃を握り締めたアレハンドロは、ケイトの顎に銃口を当てて「君は自殺することになる」と凄む。

 ケイトはやむなくサインをする。アレハンドロは拳銃を解体してゴミ箱に捨てる。そして「小さな町へ行け、法秩序が今も残る場所へ。君にはここは無理だ。君は狼ではない。ここは狼の地だから」といって去っていく。

 まだ心のコントロールが出来ていないケイトは、拳銃を組み立てて駐車場を歩むアレハンドロをベランダから狙う。気配を感じたアレハンドロは、振り返って見上げる。撃てる筈がないという顔。

 拳銃を握りしめ額に青筋が浮いたケイト、撃つことができない。むやみな殺人はできないのがケイトだ。やっぱり狼の群れにはふさわしくなかった。

 実際の麻薬組織への対応はこのようなのかは分からないが、この映画のようであってもおかいくない。まさに麻薬戦争だから。

 観終わってなぜか清涼感を感じた。サイド・ストーリーに余計なラブロマンスがなかったせいかもしれない。骨太の犯罪映画といえようか。批評家の評価は高く、2016年アカデミー賞の撮影賞、音響編集賞、作曲賞がノミネートされている。
         
         
         

 

 

 

監督
ドゥニ・ヴィルヌーヴ1967年10月カナダ生まれ。

音楽
ヨハン・ヨハンソン1969年9月アイルランド生まれ。本作でアカデミー賞作曲賞にノミネート。

キャスト
エミリー・ブラント1980年2月イギリス、ロンドン生まれ。
ベニチオ・デル・トロ1967年2月プエルトリコ生まれ。2000年「トラフィック」でアカデミー賞助演男優賞受賞。
ジョシュ・ブローリン1968年2月カリフォルニア州ロサンジェルス生まれ。

ご面倒ですが、クリック一つで私は幸せになります!

エンタメ(全般) ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

性転換手術を受けた史上初めての男「リリーのすべて」2015年制作、劇場公開2016年3月

2016-09-14 15:57:24 | 映画

              
 アイナー・ヴェイナーの体の中で女の部分が蠢動しはじめる。そのきっかけは、妻ゲルダ(アリシア・ヴィカンダー)が描く絵の足のモデルになった時からだった。

 本当はアイナー(エディ・レッドメイン)に言わせれば遠い過去からだと言う。今までそれを封印していた。いずれにしてもアイナーが女装するのは夫婦のゲームとなった。

 そのときのアイナーは、リリーに変身する。すべての男の目がリリーに集中する。それほど妖しい魅力がリリーにはあった。なぜそれほどまでに男の目を引きついるのだろうか。

 ちょっと考えてみた。男の立場から女を見る機会があったアイナーにとって、女の魅力とはどういうものか、またどんな女に男は惹かれるのかがよく分かっていたからだと思う。意外に女自身は自らの魅力を充分に認識していないのではないかとも言える。

 そのリリーに言い寄ったのは若いハンサムな男だった。その二人がキスをする場面を見たゲルダの驚き。夫婦の間に冷たい風が吹き込んでくる。

 しかし、ゲルダは包容力のある女性だった。リリーに耽溺するアイナー。男を捨てて女になりたい。アイナーは自らの裸を鏡に映しながら女性的所作を繰り返す。

 その中の一場面は、今まで観たどの映画にもなかった描写だった。息を呑むというのはこういう場面かと思わせた。言葉で表すのは、猥褻すぎる。ただ、女性への熱望を表現するには的確だと思う。

 アイナーは悩むが、ゲルダは本当の愛をアイナーに持っていたんだろう。その実現に協力する。

 実在した人物リリー・エルベは、1931年5回目の子宮移植手術により念願の母性を持つことになったが、3ヵ月後拒絶反応により孤独の中で死去する。映画ではゲルダに見守られながら息を引き取る。

 この夫婦の愛の物語をデンマークで撮影され、オスカー俳優のエディ・レッドメインと新進のアリシア・ヴィカンダーの熱演によって美しく描かれることになった。

 幾多の賞にノミネートされているが、アカデミー賞には助演女優賞(アリシア・ヴィカンダー)、主演男優賞(エディ・レッドメイン)、衣装デザイン賞、美術賞がノミネートされたが、アリシア・ヴィカンダーが助演女優賞に輝いた。

 10年前、この原作にニコール・キッドマンが惚れ込み映画化を望み、自らプロデューサーとして名乗りを上げたが実現しなかったという。2014年にトム・フーバーを監督に起用して映画化が決定した。キャストにはニコール・キッドマンの名前はなかったとウィキペディアにある。

 しかし、キッドマンはこの映画の完成を喜んだと伝えられる。あの美人のキッドマンがどうしてキャスティングされなかったのか。彼女の唯一の問題点身長にあるのではないか。エディ・レッドメイン身長184センチ。ニコール・キッドマン180センチ。キッドマンにハイヒールは履かせられない。残念! それに年齢も関係するかもしれない。2014年キッドマン47歳。

 蛇足ながらもう一つ気づいたのは、スーツの形だ。レッドメインが着るスーツは、スリーピースで体にぴったりとフィットしていて、ズボンも細身になっている。184センチの彼が着るとかなり格好がいい。

 現在、巷で見かけるスーツも細身で、映画で描かれる時代が1920年代から30年代となっていることから歴史は繰り返すというべきか。
 
 
 
 
 

監督
トム・フーバー1972年10月イギリス、ロンドン生まれ。2010年「英国王のスピーチ」でアカデミー賞監督賞を受賞。

キャスト
エディ・レッドメイン1982年1月イギリス、ロンドン生まれ。2014年「博士と彼女のセオリー」でアカデミー賞主演男優賞受賞。
アリシア・ヴィカンダー1988年10月スェーデン生まれ。


ご面倒ですが、クリック一つで私は幸せになります!

エンタメ(全般) ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする