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映画「博士と狂人The Professer and Madman」劇場公開2020年10月

2022-02-28 13:44:11 | 映画
 「愛があれば、その先は?」夫を殺された妻の問いかけなのである。これには70年にも及ぶ英語辞典「オクスフォード英語辞典Oxford English Dictionaly」編纂にまつわる真実の一コマなのだ。

 博士というのは、スコットランド生まれのジェームズ・マレーのこと。ジェームズ・マレーは、独学でラテン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ギリシャ語を身に着けた。1879年「オクスフォード英語辞典Oxford English Dictionaly」の編纂主幹となる。この役を演じるのは、メル・ギブソン。

 一方狂人とされているのが、ウィリアム・チェスター・マイナーというアメリカの軍医。南北戦争で北軍の軍医として従軍、脱走兵の頬に「D」の焼き印を押すことを命じられ、それがトラウマとなったようで誰かが自分を殺しに来るという幻想を抱くようになった。イギリス、ロンドンに移ったとき、その幻想から一人の男を撃ち殺した。裁判では精神異常を考慮して無罪、身柄は精神病刑務所に収監される。マイナーを演じるのは、ショーン・ペン。

 マレー博士の辞書編纂の手法が奇抜だった。それはボランティア方式というもので、市井の人々からの提言を広く受け取ることだった。それに応募してきたのがマイナーだった。結果的にマイナーが辞書編纂に大きく貢献した。
 そういう日常の中でマイナーが行ったのは、アメリカ陸軍からの恩給をすべて被害者の家族に贈るというもの。残された未亡人イライザ・メレット(ナタリー・ドーマー)は、受け取りを拒否する。

 しかし、6人の子供を抱えるイライザの生活は苦しかった。街で娼婦まがいのこともしなくてはならない。クリスマスに届いたマイナーからの贈り物で、ひもじい思いをしなくて済んだ。子供たちのことを思うと、憎しみだけで行為を拒否するのも大人げている。マイナーの恩給を受け入れた。受け入れるということは、お礼も言わなければならないし、時折、訪ねてお見舞いもしなければならない。それが人の道というもの。

 やがてマイナーという男の人間性にも触れる。イライザが文字が読めないのを知ったマイナーが手ほどきをする。イライザは家族をマイナーに紹介する。イライザからつぶさに聞いていた子供たちの名前を言いながら、一人ひとり目を合わせて挨拶していった。最後の長女のとき、マイナーの頬にビンタが飛んだ。驚き悲しむマイナー。

 別の日、イライザが訪れた。長女の無作法を謝るとともに、もう憎しみはないと言いながら、こんな言葉を書いたから後で読んでとメモを渡す。それには「愛があれば、その先は?」と記してあった。好意から淡い愛に変わったイライザ。

 マイナーは、これで彼女の亡き夫を二度も殺したことになると思い、それが一層悩みの種となった。自閉的になったマイナー。そして遂に驚くべき行為、自分のペニスを切断した。

 「愛があれば、その先は?」の問いかけに編纂者のマレー博士とその妻も「その先」の答えを求めた。マレー博士は「決して償いきれない」と言うし、妻は「試練を与えられたときは、屈しない覚悟が求められる」と答えた。

 しかし、イザベラの答えは「愛があれば、愛を呼ぶ」と言う。それで覚醒したのがマイナーだった。歴史に残る偉業を物語るとともに「愛」について語るこの映画、批評家の低評価と裏腹に、わたしには素晴らしい愛についてのメッセージだった。もし「愛がなければ、その先は?」と問われれば、“心が冷え冷えとしたもの“になるだろう。

メル・ギブソン1956年ニューヨーク州ピークスキル生まれ。

ジョーン・ペン1960年カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。

ナタリー・ドーマー1980年イギリス、イングランド、レディング生まれ。

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読書「11月に去りし者November Road」ルー・バーニー著2019年9月刊

2022-02-22 14:54:57 | 読書
 1963年11月22日金曜日は、第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、テキサス州ダラスで暗殺された日である。FBIの膨大な捜査資料からリー・ハーヴェイ・オズワルトの単独犯行とされている。
 この事件はオズワルドが事件の二日後、ナイトクラブの経営者でマフィアともつながりのあるジャック・ルビーによって射殺された。こうしたことから、もろもろの陰謀論が流布され世間を賑わせている。

 この本もそれらに題材を求め、マフィアの幹部フランク・ギドリーの逃亡劇を著者独特の比喩とユーモアで読者を飽きさせない。

 なぜ、フランク・ギドリーは逃げないくてはならないのか。これにはギャングとかマフィアの冷徹な生存本能によるところが大きい。身の安全のためには、知る者を排除する論理が働く。

 ルイジアナ州ニューオーリンズの犯罪組織のボス、カルロス・マルチェロ(実在した人物で160センチの肉体に秘めた狂暴な資質を持っていた)の幹部としてフィクサー役を務めているのがフランク・ギドリーだった。

 ギドリーは35歳、結婚歴なし、緑の眼に黒髪、顎にえくぼができるハンサムな男。仕事の指図は、カルロスの側近セラフィーヌからやってくる。彼女の口癖は、言葉の最後に「モン・シエール(愛しい人)」をつける。ギドリーのモン・シエールだった時もある。

 テキサス州ダラスで、カルロスの懐に入れたい警視正を酒や食事でもてなし,いら立ちを慰めてやっていた。そこへ「ねえ、ところでモン・シエール、ダラスにいるあいだに、チョットしてもらいたいことがあるの」とセラフィーヌ。

 そのちょっとした仕事というのは、ケネディ大統領を狙った教科書倉庫からすぐの所へ、スカイブルーのキャデラック・エルドラドを置いてくることだった。つまりプロの狙撃犯がこれで逃走することが想像できる。となると実際に事件を仕組んだのは、カルロスということになる。

 ギドリーは誰かに見られているかもしれない。FBIの捜査が目撃証人のウラを取るためにギドリーを参考人として事情聴取するかもしれない。それを受け入れるカルロスではない。なら結論ははっきりする。ギドリーは逃げだす。

 追うのは、カルロス配下の殺し屋バローネ。このバローネ、邪魔なものは即座に殺す。ギドリー、どこへ逃げるか。かつて面識があって可愛がられたラスベガスのマフィア、エド・ツィンゲルを頼ることだった。カルロスと対立していて仲が悪いのもその理由だった。

 そして巡り合ったのが、オクラホマからロサンゼルスに向かうシャーロット・ロイと二人の娘、ジョアンとローズマリーだった。わたしはこの本を読みながら、どんな巡り合いの場面になるのだろう強い関心を抱いていた。さすがに自然な流れの動機を見せてくれた。バーやカフェテラスのようなありきたりな場面ではない。このあたりから俄然ラヴ・ストーリーが展開する。

 著者の細やかな気配りが、ラブシーンにも現れている。物語の初めごろ、バーで赤毛の女に見つめられ軽い会話ののち、カナルストリートを見下ろす近代高層ビルの15階の自宅に連れ帰った。赤毛とはまるでポルノのような描写だったが、シャーロットとはロマンティックで詩的な雰囲気を醸し出していた。そして「人生は一度きり」というフレーズがたびたび出てくる。これはシャーロットに言えるし、ギドリーにも言える。そしてまるで自分に言い聞かせているようでもある。シャーロットとの成り行きは、ネタバレになるのでこの辺で置いておく。

 ニューオーリンズはジャズ発祥の地として名高い。したがってこの本にもたびたび名曲が現れる。その一つ、「Round Midnight」殺し屋バローネが、ラジオのスイッチを押すと流れたりする。
 1944年ピアニストのセロニアス・モンクの作品。アート・ペッパーやマイルス・デイヴィスにも取り上げられ、のちに歌詞も付けられ多くのシンガーに歌われている。

 いろんな曲がこの本には登場する。パット・ブーン「涙のムーディ・リバー」。ギドリーの好きな曲は、アート・ペッパーの「ハウ・キャン・ユー・ルーズ」。シャーロットの娘たちが選んだ曲、シュレルズ「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」。

 ギドリーの逃亡先ベトナムへ一緒に行かないかとシャーロットを誘ったとき、「考えてみる」と言われ一瞬の喜びを感じる。シェイクスピア「真夏の夜の夢」第4幕、デューク・エリントンの楽曲=心地よい雷鳴(サッチ・スィート・サンダー)を感じるギドリー。それは“月の光が静かに歌っていた“あの部屋でのこと。だが「さよなら フランク」、シャーロットは告げた。そしてフランク・ギドリーは理解した。

 ただ一つ解決しておかなければならないことがある。シャーロットと娘たちの運命を。そのためにはギドリーを殺すために追っているボス、カルロス・マルチェロとの取引だ。この取引には命を懸けなければならない。ギドリーは心を決めた。

 ギャング小説であり恋愛小説でもある。ギドリー、シャーロット、バローネ、セラフィーヌという異色の登場人物が生き生きと描かれている。著者のルー・バーニーは、オクラホマシティ出身。

 それでは、「Round Midnight」と「How Can You Lose」を聴いていただきましょう。




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映画「ワイルド・ローズ WILD ROSE」劇場公開2020年

2022-02-09 13:05:27 | 映画
 イギリスのスコットランド南西部に位置するグラスゴーが舞台。人口は郊外も含めれば100万都市でイギリスの4番目に位置する。

 その町でカントリー・ミュージックの歌手を夢見るシングルマザー、ローズ(ジェシー・バックリー)の居場所探しのお話。
 主役を演じるジェシー・バックリーは、映画「もう終わりにしよう」でバレエを踊る場面を見て体の動きがよかったので俄然興味がわいた。

 そしてこの映画、批評家の評価もよく「スター誕生を描く作品が世に不足しているわけではない。しかし、「ワイルド・ローズ」は、その手の作品がなおも面白いものでありうると証明している。また、主演のジェシー・バックリーにとって、キャリアを大きく飛躍させる一作となった」という代表的な評価がある。

 ジェシー・バックリー、ただいま32歳、声量もありルックスもよいし大いに飛躍の可能性が高い女優の一人と言える。

 その彼女が刑務所から出所する場面から映画が始まる。どんな罪で? と思っていたら、刑務所の中に薬物を投げ入れた罪らしい。だから一言でいえば、ガラの悪い女なのだ。刑務所から放免されたとはいえ、足首に電子監視装置の足輪を装着させられてイライラする。それが八つ当たりとなり、かつて勤めていたバーもクビ。
 このバーのステージでカントリーをよく歌っていた。憧れのテキサス州ナッシュビルにあるラジオ局WSM土曜日の有名番組「グランド・オール・オープリー」を目指していたが、それが手が届かないと思うとさらにイライラが募る。二人の子供は、もうおばあちゃん子になっている。典型的な母マリオン(ジュリー・ウォルターズ)対娘の対立の構図なのだ。

 ローズは少し心を改めて、家政婦として働く。このお屋敷の奥様スザンナ(ソフィー・オコネドー)がカントリー・ミュージックが気に入り、なにかとローズを支援する。それを快く思わない夫のサム(ジェイミー・シーヴェス)から「手を引け、引かないと前科をばらすぞ」と脅される。ローズはスザンナにサムの脅しに触れずに、真実を告白する。

 失意に打ちひしがれるローズを見た母親マリオンは、20年働いてきて貯めたお金を「ナッシュビルへ行きなさい」とローズに手渡す。ローズは逡巡するが、思い切ってテキサスへ。ナッシュビルを歩き回り、空気を吸い、ビールを味わい、グランド・オール・オープリーの会場にもなるライマン公会堂の誰もいないステージで歌ったが、なにかが心の琴線に触れた。

 そして、かつてのバーのステージ。母、二人の子供、スザンナとスザンナの子供たち、それに地元の人々で賑やかな雰囲気の中、Glasgow(No Place Like Home)を歌うローズ。グラスゴーは心の故郷、こんな場所は他にはないと、生まれ育った土地への回帰を歌い上げる。
ジェシー・バックリーの歌声が素晴らしい。
それではその「Glasgow」を聴きましょう。
 ちなみに私は今でもカントリーが好きで、家でも車の中あるいはウォーキングにも親密な友となっている。さらにWSMという放送局、wsmonline.comでネットでも放送されている。

ジェシー・バックリー1989年アイルランド、キラニー生まれ。

ジュリー・ウォルターズ1950年イングランド、バーミンガム生まれ。

ソフィー・オコネドー1969年ロンドン生まれ。

ジェイミー・シーヴェス1973年スコットランド、エディンバラ生まれ。
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