「愛があれば、その先は?」夫を殺された妻の問いかけなのである。これには70年にも及ぶ英語辞典「オクスフォード英語辞典Oxford English Dictionaly」編纂にまつわる真実の一コマなのだ。
博士というのは、スコットランド生まれのジェームズ・マレーのこと。ジェームズ・マレーは、独学でラテン語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ギリシャ語を身に着けた。1879年「オクスフォード英語辞典Oxford English Dictionaly」の編纂主幹となる。この役を演じるのは、メル・ギブソン。
一方狂人とされているのが、ウィリアム・チェスター・マイナーというアメリカの軍医。南北戦争で北軍の軍医として従軍、脱走兵の頬に「D」の焼き印を押すことを命じられ、それがトラウマとなったようで誰かが自分を殺しに来るという幻想を抱くようになった。イギリス、ロンドンに移ったとき、その幻想から一人の男を撃ち殺した。裁判では精神異常を考慮して無罪、身柄は精神病刑務所に収監される。マイナーを演じるのは、ショーン・ペン。
マレー博士の辞書編纂の手法が奇抜だった。それはボランティア方式というもので、市井の人々からの提言を広く受け取ることだった。それに応募してきたのがマイナーだった。結果的にマイナーが辞書編纂に大きく貢献した。
そういう日常の中でマイナーが行ったのは、アメリカ陸軍からの恩給をすべて被害者の家族に贈るというもの。残された未亡人イライザ・メレット(ナタリー・ドーマー)は、受け取りを拒否する。
しかし、6人の子供を抱えるイライザの生活は苦しかった。街で娼婦まがいのこともしなくてはならない。クリスマスに届いたマイナーからの贈り物で、ひもじい思いをしなくて済んだ。子供たちのことを思うと、憎しみだけで行為を拒否するのも大人げている。マイナーの恩給を受け入れた。受け入れるということは、お礼も言わなければならないし、時折、訪ねてお見舞いもしなければならない。それが人の道というもの。
やがてマイナーという男の人間性にも触れる。イライザが文字が読めないのを知ったマイナーが手ほどきをする。イライザは家族をマイナーに紹介する。イライザからつぶさに聞いていた子供たちの名前を言いながら、一人ひとり目を合わせて挨拶していった。最後の長女のとき、マイナーの頬にビンタが飛んだ。驚き悲しむマイナー。
別の日、イライザが訪れた。長女の無作法を謝るとともに、もう憎しみはないと言いながら、こんな言葉を書いたから後で読んでとメモを渡す。それには「愛があれば、その先は?」と記してあった。好意から淡い愛に変わったイライザ。
マイナーは、これで彼女の亡き夫を二度も殺したことになると思い、それが一層悩みの種となった。自閉的になったマイナー。そして遂に驚くべき行為、自分のペニスを切断した。
「愛があれば、その先は?」の問いかけに編纂者のマレー博士とその妻も「その先」の答えを求めた。マレー博士は「決して償いきれない」と言うし、妻は「試練を与えられたときは、屈しない覚悟が求められる」と答えた。
しかし、イザベラの答えは「愛があれば、愛を呼ぶ」と言う。それで覚醒したのがマイナーだった。歴史に残る偉業を物語るとともに「愛」について語るこの映画、批評家の低評価と裏腹に、わたしには素晴らしい愛についてのメッセージだった。もし「愛がなければ、その先は?」と問われれば、“心が冷え冷えとしたもの“になるだろう。
メル・ギブソン1956年ニューヨーク州ピークスキル生まれ。
ジョーン・ペン1960年カリフォルニア州サンタモニカ生まれ。
ナタリー・ドーマー1980年イギリス、イングランド、レディング生まれ。