Wind Socks

気軽に発信します。

映画「笑う故郷」ノーベル文学賞を受賞したが、ふるさとの人の目は二種類あった。

2018-05-29 15:54:30 | 映画

             
 ノーベル文学賞を受賞したのは、アルゼンチン出身のダニエル・マントバーニ(オスカル・マルチネス)。スウェーデン・アカデミー認定ノーベル文学賞贈呈式でのマントバーニのスピーチ。

 「ノーベル賞に接し私は今、二つの感情が渦巻いています。一つは喜びです。大きなね。しかし、一方で喜びに勝る苦しみを感じています。というのも、こうした賞に選ばれたことは、芸術家としての衰退に直結しているからです。つまり私の作品は、権威の意に沿う内容だということです。

 審査員や専門家、アカデミーや王家の意にです。皆さんにとって私は最も都合のいい芸術家だといえます。その都合のよさは、芸術活動とはほど遠いものです。芸術家の本分は、問題を提起し人々の心を揺さぶることです。それが今や聖人の烙印を押された。

 しかし、人には抗えない感情がある。プライドです。私が謝意を述べるのもそのためです。作家生活の限界を告げるこの賞に対してね。とはいえ、皆さんを責めているわけではありません。誤解です。責める人物はただ一人、この私です。ありがとう」

 拍手は一つか二つ。ほんのしばらく静かな会場。やがてぽつぽつと拍手が起こり始める。観客は周囲を見渡しながら、拍手に同調する。大きな拍手の波となった。おそらくスピーチの意味が的確に伝わらなかったのだろう。まあ、みんなが拍手をするから拍手をしておこうというのが本音に見える。

 映画は始まったばかり。このスピーチの意味するところが、5年後のスペイン・バルセロナにあるマントバーニの自宅から始まる。女性秘書とスケジュールの調整。パルセロナにて図書館の開館式、欠席。ウィーン作家会議、講演とサイン会、欠席。メキシコにて小説賞の創設式、欠席など他に十数件の行事を欠席が並ぶ。おそらく都合よく使われるのが嫌なのだろう。

 その中にどうしてか、「大阪大学の招待は受けるべきかと、もう3回も予定を変更してます」と秘書。マントバーニは「検討しよう」この映画の監督が、大阪大学と縁があるのかもしれない。

 手紙の山の中に、生まれ育ったアルゼンチンのサラスから、名誉市民称号の授与式と講演の依頼があった。はじめは断る気でいたが、思い直して一人で行くことにする。この「ふるさと」というのが有名人になると少々厄介なもの。すべての人が歓迎してくれるわけでもない。

 ふるさとに題材を求めて書いた小説には、名前を変えていてもその人物を特定できる。中にはその描写が気に入らない御仁も出てくる。従って熱烈歓迎派と反対派に分かれる。

 いろんな出来事があったが、マントバーニが政治的に動けない人間も明らか。スピーチの中にも窺えるが、サラスの市長から絵画の選考を頼まれたが、いい作品はないとにべもない。このままでは市長としての立場もあるから、ぜひ選考してくれと頼まれる。「そんなに困るなら、ご自由に」とマントバーニ。

 会場には3つの作品が選ばれ並べられていた。市長の長々とした挨拶を引きちぎるように「私たちの選んだ絵はこの3枚ではない。入選すらしなかった作品だ。まして彼の作品を選ぶなんてありえない。そこの博士のことだ」名指しされた本人をはじめマントバーニに批判的なグループは生卵を投げつけ罵詈雑言を浴びせた。

 騒ぎが収まった後、「中傷や非難を受けることはやぶさかではない。一連の乱暴な仕打ちを受けたにもかかわらず、内心満足している。名声を得たものひいては私に対する反応にね。本題に入ろう。喜劇の観察者として私には世界の恐怖を和らげる責務がある。負け戦だが放棄するつもりはない。あなたたちはそのままここで足踏みすればいい。偽善に満ちた社会を維持し、うぬぼれていればいい。無知で野蛮な自分たちのことを。混乱を招いたことを申し訳なく思う」

 マントバーニは決定的な過ちを犯す。講演会で何度も質問をする若い女性がいた。その女性がホテルのマントバーニの部屋をノックした。ドアを開けたマントバーニにいきなりキスをしてきた。困惑気味のマントバーニだったが、女の色香に勝てなかったのか一夜を共にする。

 女の名前は、ヌリア。そして幼馴染のアントニオ(ダディ・ブリエバ)とイレーネ(アンドレア・フリヘリオ)夫妻の家で娘だと紹介されたのがヌリアだった。婚約者という男も紹介された。マントバーニも頭以外は並みの男、いや並み以下だった。このイレーネもかつてのマントバーニの恋人だった。故郷を40年も振り返らなかったせいで、イレーネはアントニオと結婚した。その二人の間に出来たヌリアと関係をもつとは、なんと皮肉なことか。

 約束の夜のハンティングに同行した。アントニオは車の荷台にいるヌリアの婚約者に「荷物をおろせ」。マントバーニに「荷物を持って出ていけ。いいな? あばよ。クソ野郎」俺の娘と何たることかと怒りは収まらない。

 歩き去るマントバーニの足元に銃弾を撃ち込む。走り去るマントバーニが倒れる。荷台の婚約者が銃を持って十字を切っていた。マントバーニは悟る。「死、私の名は永遠に刻まれた。おしまい」

 マントバーニの新作「名誉市民」の朗読とサイン会。「本質からは逃れられないスペインの冬が来る夜、私の体は故郷の夏を思い出した。だが今は違う。物語の始まりは1通の手紙だった。思えばずっと故郷から逃げ続けてきた。作品は町を出られず、私は戻れない」

 今まで観てきた映像は、この「名誉市民」そのものだった。どんな作品でノーベル賞を受賞したか明らかになっていくとともに人間の強さと弱さが浮き彫りになる。2016年制作 劇場公開2017年9月
  
監督
マリアノ・コーン1975年12月アルゼンチン生まれ。ガストン・ドゥプラット1969年12月アルゼンチン生まれ。

キャスト
オスカル・マルティネス1949年10月第73回ヴェネツィア国際映画祭で男優賞を受賞。
ダディ・ブリエバ1957年3月アルゼンチン生まれ。
アンドレア・フリヘリオ1961年8月アルゼンチン生まれ。
ノラ・ナバス1975年スペイン生まれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「人生はシネマティック!」人生の1時間半を捧げたくなる映画を作りたい

2018-05-26 10:39:51 | 映画

             
 「人生の1時間半を捧げたくなる映画を作りたい」と言うのは、情報省映画局の特別顧問トム・バックリー(サム・クラフリン)。時はまさに第二次世界大戦下、プロパガンダ映画ばかり作らされているからだ。

 1940年、ドイツの激しい空爆が続くロンドン。男は徴兵されて残されているのは、女、子供と老人ばかり。また一本、プロパガンダ映画の制作を命じられた。

 同じ1940年5月24日から6月4日に起こったイギリス軍大撤退作戦で、双子の姉妹が激しい戦闘の中、兵士救出に全力で行ったと言うダンケルクの戦いがメイン・テーマとなった。

 徴兵されたコピーライターの秘書だったカトリン・コール(ジェマ・アタートン)が代わりに作った広告コピーがバックリーの目にとまり、脚本を書かないかと声をかけられた。
 カトリンには画家を志す正式な夫ではないがエリス(ジャック・ヒューストン)がいて、給料は安いがその仕事を始める。

 始めてみるとなかなか大変で軍部からの注文も多く、脚本の書き直しもざらにある。それにテレビ・ドラマで有名だが落ちぶれ始めた俳優アンプローズ・ヒリアード(ビル・ナイ)の高慢な態度にも対応しなければならない。カトリンは持ち前の機転でクリアしていき、脚本にもそれが反映されるようになる。このころにはバックリーに「脚本を書く能力はカトリンが一番だ」と言うこともある。
同じ部屋で同じ仕事に向かい映画について語る二人がどうなっていくかは火を見るよりも明らか。

 一方エリスも成功の端緒を掴みかけ個展で地方に出かけている。一緒に行こうと言われたが、多忙を極める脚本の仕事で「個展の最終日に行く」ことで妥協。しかし、その最終日にも多忙で行けなかった。撮影現場からカトリンがアパートに帰った日、エリスは女を連れ込んでいた。踵を返してカトリンは、エリスから去って行った。

 関係者が楽しく集いヒリアードが歌っているところへ戻って来たカトリンを不審に思ったバックリーは、問いただそうとし「結婚しよう」とまで言う。これはバックリーの勇み足。
「私は既婚者よ」カトリン
「いいや、違う」バックリー
「ミス・ムーアとの秘密だったのに」カトリン
「自分で指輪を買ったんだろう。生活苦で君を帰そうとした男に気を遣うな。クソマヌケな男だ。君ほどじゃないが。名前まで変えられて自尊心はないのか?」バックリー
「言い過ぎよ。恋人もいないくせに」カトリン
「男を選べ」バックリー
「あなたとか? そう?」カトリン
「君の魅力はその切れ味だ」バックリー
「あなたも酔って威張り散らす男だわ」カトリンは言って立ち去る。

 バックリーはこんな展開は予想もしなかっただろうし、カトリンも売り言葉に買い言葉で本心ではなかった。そして和解の日が来て熱いキス。ところが運命は皮肉だった。撮影現場の鉄の足場が倒れて下敷きになったバックリーは帰らぬ人となった。

 バクリーの映画についての哲学「なぜ人は映画が好きなのか? 構成されているからだ。ストーリーには形、目的、意味がある。不幸な展開も作為的で意味がある。人生とは違う。たまには価値ある映画を作りたい。人生の1時間半を捧げたくなる映画を」

 目の前でバックリーを失ったカトリンの傷心の日々も、完成した映画を観て、彼の心が宿っているのを確信するカトリンだった。2016年制作 劇場公開2017年11月

監督
ロネ・シェルフィグ1959年5月デンマーク、コペンハーゲン生まれ。

キャスト
ジェマ・アタートン1986年1月イギリス、イングランド生まれ。
サム・クラフリン1986年6月イギリス、イングランド生まれ。
ビル・ナイ1949年12月イギリス、イングランド生まれ。2003年「ラヴ・アクチュアリー」でアカデミー賞助演男優賞受賞。
ジャック・ヒューストン1982年12月イギリス、ロンドン生まれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「静かなふたり」風変わりな男女の歳の差約40歳の清純な愛 2017年制作 劇場公開2017年10月

2018-05-23 15:54:24 | 映画

             
 小説でいえば一人称の作品といえる。田舎からパリに出てきた27歳のマヴィ(ロリータ・シャマー)に起こる風変わりな男ジョルジュ(ジャン・ソレル)との清純な恋の体験。

 故郷の女友達フェリシア(ヴィルジニー・ルドワイヤン)と同居している。フェリシアと男友達が行うセックスの音が耳触りに感じるマヴィ。英国の作家ヴァージニア・ウルフの「自分ひとりの部屋」のページを眺めながら思案に耽る。「女性は小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」これが頭の中で渦巻く。

 マヴィはしょっちゅう手帳を出して何かを書いている。カルチェ・ラタンのいつも行くカフェで見た求人広告の古書店に就職する。店主のジョルジュは、ぶっきら棒で愛想もない。たまたま入って来た客を追い出したりして、「あのバカが」と見下す。時々行き先を告げずに外出したりするジョルジュ。

 午後の3時ごろ、思いついたようにマヴィを誘ってドライヴに出る。運転するジョルジュは無言。その時間と空間を快く感じるマヴィ。丘(ここはカルチェ・ラタンから近いリュクサンブール公園だろうか?)からパリの町を眺めながらも無言。時にカフェで食事を共にするがマヴィは食べていて、ジョルジュは無言で時折マヴィに目をやる。

 女友達のフェリシアに「70歳ぐらい。謎めいているわ」と言う。ようやくジョルジュが持つ自分ひとりの部屋を確保したマヴィ。頭痛で休むと電話した後、ジョルジュが見舞いに来た。
マヴィ「一人なのに孤独を感じないのは生まれて初めて。どうしてかしら、何かが変わったみたい」
ジョルジュ「そうさ、明確になったんだ」
マヴィ「昔の話をして」
ジョルジュ「道を誤ったんだ。理由は言えん」
マヴィ「秘密なの?」
ジョルジュ「そうだ」
マヴィ「以前は何をしていたの」
ジョルジュ「編集者だ。よそで。人生なんて最低だ」
マヴィ「でも出会えてよかった」
ジョルジュ「ああ、時に人生は人より空想力が豊かだ。君を信じている」

 マヴィの頭の中ではジョルジュのことを“怒りっぽくて扱いにくい、気まぐれで掴みどころがない。飽きっぽく人間嫌いでいるのかいないのかよく分からない。

 「昨日、君と愛し合う夢を見た」とジョルジュが言うかもしれない。「私もときどき見る」とマヴィ。

 一方ジョルジュも「愛してる」とマヴィが言うかもしれないと想像する。「私もだ。ものすごく」と返す。
「離れていてもいい」マヴィ
「そうだな、君の存在だけでいい」ジョルジュ
「私もよ」マヴィ 

 マヴィが店番をしていたある日、人相の悪い二人の男が訪ねてきた。「ジョルジュはいない。外国に行った。どこか知らない」と答えて追い返した。

 ジョルジュは外国どころかこの近くのアパートに住んでいる。二人の男の訪問を知らせにジョルジュを訪ねる。マヴィはジョルジュの秘密を知っているが、本人には言わない。古い新聞の切り抜きで知るジョルジュは、「“赤い旅団”の編集者いまだ逃走中」だ。

 ジョルジュは「29年間身を隠している。本名は、ジョルジオ・パオロ・サリーナ」と打ち明ける。ジョルジュのアパートに泊まり、何事もなかった翌朝、キッチンのテーブルに置いてある手紙を読む。

 「旅立つよ。許しておくれ。書店と君の部屋の使い道は任せる。手紙をくれ。でも私を待つな。愛してる。ジョルジュ」
 心を通わせただけで十分、これからの彼女の人生に立ち入らないほうがいい。それが人生経験豊富なジョルジュの決断。珠玉のような映画の余韻が残る。

 ジョルジュを演じたジャン・ソレルの実年齢は、1934年生まれだから84歳。とてもそんな年齢には見えない。素敵に老けている。

 マヴィを演じたロリータ・シャマーは、母親がベテラン女優のイザベル・ユペール。母親の血を引いたのか、異色の人物を何事もなく演じる度胸も見応えがあった。観ていて、こんなフランス娘と親しくなったらいいなあと思ったくらいだ。

 もし、私にも40歳年下の親しい女性が現れたとしよう。当然抱きしめたいと思うだろう。そして悩むだろう。さらにジョルジュのような決断が出来るかどうかは今のところ定かでない。素敵なラブ・ストーリーが年代を超えてあるのが「希望」と言えるのは確かだ。
  
監督
エリーズ・ジラール(女性)1974年フランス生まれ。

キャスト
ロリータ・シャマー1983年10月パリ生まれ。
ジャン・ソレル1934年9月フランス、マルセイユ生まれ。
ヴィルジニー・ルドワイヤン1976年11月イル・ド・フランス、オーべルヴィリエ生まれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」情熱的な女にはトゲがありそう 

2018-05-20 15:52:07 | 映画

              
 「近代彫刻の父」と言われるオーギュスト・ロダンにしても、卓越した才能を除けば横柄で女に甘い一人の男といえる。

 1880年、国立美術館建設のモニュメント制作の依頼を受ける。ダンテの「神曲」地獄編に登場する「地獄の門」をテーマに選んだ。しかし、なかなか構想がまとまらない。若き弟子で魅力的な女性カミーユの意見を聞いたりする。このころすでにロダンとカミーユは肉体関係にあった。

 制作についてロダンは言う「最高の素材は金、それからブロンズ、石、木、最後が粘土だ。私は序列を覆す。私には粘土が最上位だ」

 ロダンの工房には男の弟子もいるが、そんな目も気にせずしょっちゅうカミーユにキスや肉体的接触を求める。そんな合間に作品を仕上げていく。性的な情熱があるから、いい作品も生まれるのかもしれない。

 狂おしいほど愛するカミーユについて「君は喜びの感嘆符だ」と礼賛する。ダンスも出来ないくせにカミーユを抱いて踊る仕草。カミーユの「ワルツの三拍子は?」の問いに「抱擁・めまい・情熱」とロダン。カミーユは「接近・苦しみ・死」と答える。カミーユの理解は、彼女の生涯を暗示しているように思える。

 というのもロダンにはモデルだった実質的な妻ローズ(セヴリース・カネル)がいる。不用意というかロダンが「イタリア旅行へ行こう。イタリアから帰ってきたら結婚しよう」と言ったときカミーユが何と言ったか。
「契約書を書いて!」と言いながら紙とペンを渡す。「1私を唯一の弟子とする。2周囲に紹介する。3イタリアへ連れていく。4イタリアから戻ったら結婚する。5貞実を誓う。 もう一つ、カミーユが望む場合大理石の小像を与える。書き足しておくわ」
 ここから見てとれるのは、カミーユが勝気で自己主張をする女といえる。

 ロダンは、長年続いているローズとの関係を断ち切ることが出来ず、優柔不断な態度をとり続けた。制作の依頼もロダンに名指しでくるが、カミーユにはない。業を煮やし喧嘩別れをしてしまう。その後カミーユは、パリで彫刻教室を開いていたらしいが、精神を病んで生涯精神病院で暮らしたという。

 ロダンもすべてを評価されたわけでもない。「ロダンは、文芸家協会から小説家オノレ・ド・バルザックの記念像の制作を依頼された。1898年、肖像写真をもとに制作した。これが雪だるま、溶岩、異教神などと言われ、フランスが誇る偉大な作家を侮辱したと協会から作品の引き取りを拒否された。ロダンは像を引き取り終生外に出さなかった。
 1917年ロダンが死に1939年になってパリ市内に設置された。ガウンによって写実的なデイテールが覆われ大胆に要約された形態は、ロダンの作品の中でも最も現代に通じるものである」と箱根にある彫刻の森美術館のホームページにある。この像はこの美術館で屋外展示されている。

 この時代、ロダン1840年生まれ、ルノワール1841年生まれ、モネ1840年生まれ、マネ1840年生まれ、セザンヌ1839年生まれなど、多くの芸術家が輩出した。2017年制作劇場公開2017年11月
  
監督
ジャック・ドワイヨン1944年3月フランス、パリ生まれ。

キャスト
ヴァンサン・ランドン1959年フランス生まれ。2015年「ティエリー・トグルドーの憂鬱」でカンヌ国際映画祭男優賞受賞。
イジア・イジュラン1990年9月パリ生まれ。
セヴリース・カネル1974年5月ベルギー生まれ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ノクターナル・アニマルズ 夜の獣たち」失った愛の代償は計り知れない 

2018-05-17 16:09:05 | 映画
             
 美術関係で大成功を収めセキュリティ万全の大邸宅に暮らすスーザン・モロー(エイミー・アダムス)の夫婦関係は、氷のように冷たく息苦しい雰囲気が漂う。夫は週末も忙しく席を温める暇もない。とはいっても実は不倫に忙しくしているにすぎない。それを知ってか知らずか、夫を見るスーザンの目が冷たく悲しい。

 そんなある日の朝、スーザン宛てに分厚い封書が届いた。差出人はエドワード・シェフィールド(ジェイク・ギレンホール)。“スーザンに捧ぐ”と献辞した「夜の獣たち」という長編小説だった。それは20年ぶりに届いたかつての恋人からだった。

 添えてある手紙には「小説を書いた。出版は春だ。君といたころとは作風が違う。君との別れが着想となった。校正刷りを読んでほしい。仕事で水曜までLAにいる。ぜひ会いたい。連絡を待つエドワードより」とあった。スーザンの心にさざ波が立ったようだ。

 校正刷りの内容は、すさまじい暴力に満ちているが、悲しいくらいスーザンへの思いも伝わってくるようだ。

 それはトニー・ヘイスティングス(ジェイク・ギレンホール)が妻ローラ(アイラ・フィッシャー)と娘インディア(エリー・バンバー)を連れてナイトランも恐れず一気に目的地を目指した。広大な荒野の一本の直線道路。街灯もない漆黒の闇をヘッドライトの光芒が切り裂く。生意気盛りのインディアは、携帯をいじくって電波が届かないと不満を言う。それをたしなめながらローラに微笑むトニー。ローラはスーザンに実によく似ている。トニーの思いというよりエドワードの心奥なのだろう。

 そして前方に二台の車。進行方向に一台、対向車線にも一台、二台並んでゆっくりと走っている。追いついて追走するが、業を煮やしたトニーはクラクションを鳴らす。一台が場所を開けてくれたが、追い抜きざまインディアがバックシートから中指をたてて「ファックユー」。

 猛然と二台の車が迫って来た。進路妨害の挙句、急ブレーキでトニーは追突。これが発端で妻と娘は連れ去られ、トニーは荒野に置き去りにされる。

 ようやくたどり着いた保安官事務所。親身なって捜査をしてくれるのがアンディーズ保安官(マイケル・シャノン)。結果は絶望が襲う。妻と娘は殺されていた。犯人逮捕までこぎつけたが、証拠不十分で不起訴になる。

 アンディーズ保安官は、トニー聞く「法を犯す覚悟はあるか?」アンディーズ保安官は、肺がんで余命いくばくもない。トニーに異論がある筈がない。

 トニーは、犯人を追いつめ射殺したが自らも殴られて瀕死の重傷を負う。枯れ草の中に倒れて命脈が尽きるのを悟る。

 校正刷りを読み終えたスーザンのスマホが鳴る。「スーザン 火曜の夜 時間と場所は君に任せる」とエドワードから届く。スーザンはかつてエドワードと愛し合った場面を思い浮かべている。レストランでオンザロックを二杯飲み終えてもエドワードは現れなかった。これで映画は終わる。

 小説を映像化したトニーは死んだが、エドワードは生きている筈。なぜ来ない? 切なさが漂うが、これは監督のトム・フォードに語ってもらうしかない。「スーザンへの怒りの小説だ」という。それなら分かるが、そのようには見えなかった。

 スーザンによく似たローラと結婚してしいるし、命を張ってまで犯人を射殺しているし、怒りとは思えなかった。20年も恨みを晴らそうとしていたエドワードのキャラクターなら、もっと陰湿なほうがよかったかもしれない。

 それにしてもエイミー・アダムスの横顔がキレイだ。私は最近横顔を注意深く見ているのだ。これで美醜のレベルが分かろうというもの。ここで話ががらりと変わる。MLBの試合エンジェルスとツィンズ、大谷翔平が投げていた。彼の横顔も整っていて美男子に入る。2016年制作 劇場公開2017年11月
     
監督
トム・フォード1961年8月テキサス州オースティン生まれ。グッチ、イヴ・サン=ローランのクリエイティヴ・ディレクターを務め、ファッション・デザイナー、映画監督、脚本家、映画プロデューサーの顔を持つ。

キャスト
エイミー・アダムス1974年8月イタリア、ヴィチェンツァ生まれ。
ジェイク・ギレンホール1980年12月カリフォルニア州ロサンジェルス生まれ。
マイケル・シャノン1974年8月ケンタッキー州レキシントン生まれ。
アーロン・テイラー=ジョンソン1990年6月イギリス、イングランド生まれ。
アイラ・フィッシャー1976年2月オマーン、マスカット生まれ。
エリー・バーバー1997年2月イギリス、イングランド生まれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード」モーツァルトもくせ者 

2018-05-14 15:40:55 | 映画

           
 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、3歳でハープシコードを弾き始め5歳のときには作曲したといわれる天才。

 その彼が1786年、オペラ「フィガロの結婚」をオーストリアのウィーンにあるブルグ劇場で初演、翌年プラハで大ヒットした。1787年、モーツァルト(アナイリン・バーナード)はプラハの上流階級から招かれて、ヨゼッファ夫人の邸宅に逗留しながらフィガロの結婚のリハーサルと新作の作曲に情熱を傾ける。

 情熱は作曲ばかりではなかった。フィガロの結婚のケルビーノ役の若手オペラ歌手スザンナ(モーフィッド・クラーク)に妻のある身でありながら心惹かれる。

 もう一人スザンナを狙う男がいた。地元の劇場運営に資金援助もしているサロカ男爵(ジェームズ・ビュアフォイ)だった。いわゆるマスカレード、仮面舞踏会でスザンナと親しく話していて、それを見ていたのがサロカ男爵。モーツァルトが友人に男爵への紹介を依頼したが、男爵はモーツァルトを無視した。男爵は「貧乏人の能なし」とモーツァルトを馬鹿にする。

 上流階級に属するスザンナの父は、男爵からの“スザンナを妻に迎えたい”との申し入れを受けてスザンナに対し強い口調で説得する。スザンナの拒否反応は、モーツァルトの妻帯を承知しながらすべてを捧げる。

 モーツァルト指揮「フィガロの結婚」の舞台を務めた後のスザンナの楽屋に男爵が現れる。有無を言わせぬ口調で馬車に乗せ、自分の屋敷に連れ込んだ。ワインを勧めたがスザンナが飲まないので激昂、頸に指をかけて犯そうとする。セックスの絶頂近く指に力が入ったのか、気がつけばスザンナが死んでいた。駆け付けた父親に「事故だった」との言い訳。

 スザンナの葬儀の日、ドン・ジョヴァンニの銅像の前でモーツァルトは楽想を得た。スペインの伝説上の放蕩児ドン・ファンは、プレイボーイの代名詞であり、イタリア語でドン・ジョヴァンニと呼ぶ。夜を徹しで出来たのがオペラ「ドン・ジョヴァンニ」だった。

 モーツァルトの体験をもとにした喜劇性と悲劇性を併せ持つ作品となったとするのがこの映画。創作だから真実ではない。

 天才と言われたモーツァルトだが、猥談や下品な冗談を多発していたというから並みの男の部分もあった。となれば着想を詮索したくなる。美しい景色を見たり、悲しい出来事にあったりしてヒントが生まれるかもしれない。つまり高尚な次元ばかりでなく低俗なヒントのきっかけもあったかもしれない。この映画を観ていてそんなことを考えていた。あくまでも着想や楽想については、本人以外本当のところは知りえる筈もない。2017年制作 劇場公開2017年12月
  
監督
ジョン・スティーヴンソン出自未詳

キャスト
アナイリン・バーナード1987年5月イギリス、ウェールズ生まれ。
ジェームズ・ビュアフォイ1964年6月イギリス生まれ。
モーフィット・クラーク スェーデン生まれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「セザンヌと過ごした時間」エミール・ゾラとポール・セザンヌの40年を描く 

2018-05-10 16:08:56 | 映画

            
 この映画の監督は、ダニエル・トンプソン。名前から見て男だと思っていたが、なんと女性監督だった。映像が柔らかく絵画的なショットも多い。セザンヌを意識しているのかも。

 1839年生まれで一つ上のセザンヌとゾラの友情の顛末。中学生のころ、イタリア系のゾラがいじめられているのを助けたのがセザンヌだった。以来友達として付き合うことになる。

 裕福な家庭のセザンヌと普通の家庭のゾラ。性格も自由奔放で喧嘩っ早いセザンヌに対して思慮深いゾラ。対照的な二人だから友情が続いたのかもしれない。

 ゾラ(ギョーム・カネ)が「居酒屋」という作品で世に出たが、セザンヌ(ギョーム・ガリエンヌ)はまだ呻吟している最中だった。すごいセリフが出てくる。執筆中のゾラの部屋にやって来たセザンヌ。

 思うように書けないゾラを見て「今でも書きながら、自慰しているのか?」やや冷やかしの言葉。ゾラは返事をしなかったが、実際のところ人物を登場させれば愛の場面も書くことになる。試しに愛欲場面を持てる知識を駆使して書いてみれば、このセリフが実感として分かる筈。

 苦しみながらのゾラの「制作」という作品が二人の間に溝が出来る。内容は「画家クロード・ランティエは、理想の女性像を描こうとして苦闘するが、やがて絶望のあまり自殺する。妻のクリスティーヌは心を病む」というのが大まかなストーリー。

 これに異議を唱えてセザンヌとゾラは喧嘩になった。ランティエをセザンヌをモデルに書いていて、自殺をするのがセザンヌには我慢ならない。悪口雑言の応酬の末、「君には心がない。だから偉大な芸術家になれない。失せろ」とゾラは言い放つ。

 これ以来二人の交流は途絶えた。しかし、お互いの心の中では、尊敬と親愛の情が熾き火のように燃えていた。ゾラが亡くなったことを知って、密かに涙を流したセザンヌだった。

 今から約170年前に生きたゾラとセザンヌ。今の私たちには書物と絵画でしか接することが出来ない。こういう伝記映画の効用として、170年の時間を一気に縮めてくれるという気もする。もう一度、世界文学全集のエミール・ゾラの「ナナ」を読むとか、美術館でセザンヌが描いた南プロバンスの「サント・ヴィクトワール山」を観る気にもなろうというもの。

 映画がリアルさの再現と考えれば、セザンヌの飾らない言葉が身近に感じるのだから面白い。ゾラの家にはお手伝いのジャンヌ(フレイア・メイヴァー)という娘がいる。ゾラはセザンヌに告白する。「太陽だ。彼女から放たれた喜びが激しく僕をかき乱す」
  「やったのか?」とセザンヌ。
   ゾラ「いや」
   セザンヌ「やれよ。後悔せずに、その歳で恋か」
   ゾラ「滑稽だよな」
   結局、ゾラはジャンヌと結婚している。ジャンヌ役のクレイア・メイヴァーには、一言もセリフがなかった。魅力的に思えたのでちょっと残念な気がする。

 エミール・ゾラは、1902年9月一酸化炭素中毒でこの世を去っている。62歳だった。ポール・セザンヌは、1906年10月67歳で没した。2016年制作 劇場公開2017年9月
  
監督
ダニエル・トンプソン1942年1月モナコ生まれ。

ャスト
ギョーム・カネ1973年4月フランス生まれ。
ギョーム・ガリエンヌ1972年2月フランス、パリ生まれ。
アリス・ポル出自未詳 
クレイア・メイヴァー1993年8月イギリス、スコットランド、グラスゴー生まれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「オリエント急行殺人事件」オールスター・キャストの出来栄えは…

2018-05-06 20:38:32 | 映画

            
 アガサ・クリスティの有名な作品の映画化。二作目になるが、1974年の同名の作品では、アルバート・フィニー、リチャード・ウィドマーク、ローレン・バコール、ショーン・コネリー、イングリッド・バーグマン、アンソニー・パーキンス、マーティン・バルサム、ヴァネッサ・レッドグレイヴというキャスト。

 今回は、ケネス・ブラナー、ペネロペ・クルス、ウィレム・デフォー、ジュディ・デンチ、ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファーという顔ぶれ。どちらも甲乙つけがたいラインアップ。

 ヨーロッパの長距離夜行列車イスタンブール発カレー行きオリエント急行は、山岳地帯でトンネルに向かう橋を渡ったところで雪崩に巻き込まれ脱線、救援を待つことになる。車掌長の「暖かい部屋でお酒や料理を楽しんで、ゆっくりとお過ごしください」その言葉通りの一夜になる筈だった。

 ところが列車という密室で起きた殺人事件。急峻な山に囲まれて雪に閉ざされた橋上の列車では外部からの侵入は到底考えられない。たまたま乗り合わせたシリアで事件解決させ休暇のつもりだったエルキュール・ポアロ(ケネス・ブラナー)が、内部に犯人が存在するとして謎解きが始まる。

 自室で遺体となって発見されたのは、アメリカの富豪サミュエル・ラチェット(ジョニー・デップ)。全身を12箇所に渡りメッタ刺しにされて殺されていた。現場には“小さなディジー・アームストロングのを忘れ”と読める燃やされた手紙が発見される。

 ポアロの頭の中で「アームストロング家の幼い娘ディジーが誘拐され、最初に容疑者とされたディジーの子守役の少女が投身自殺し、妊娠中のアームストロング夫人が事件のショックで早産、母子ともに死んだ。夫のアームストロング大佐も後を追い拳銃自殺した事件」の犯人がラチェットを名乗るカセッティを思い浮かべていた。

 夜中には客車を行き来出来ないように、車掌が車両毎に鍵をかけている。となれば範囲は絞られる。その乗客の一人一人に事情を聴取したがいずれも完璧なアリバイがある。さて、犯人は誰か? よく知られたストーリーのためこの辺でやめておく。

 賛否両論の本作、批評家の見解の要約として「映画史の古典となった1974年版に何一つ新しいものをつけ足せないとしても、スタイリッシュなセットとオールスターキャストのおかげで、オリエント急行は脱線せずに済んでいる」とある。(ウィキペディア)
   
 数多くの映画音楽を作曲しているパトリック・ドイルの曲「Never Forget」が、エンディングロールでミシェル・ファイファーの歌唱で流れる。なかなかいい曲なので聴いていただきましょう。2017年制作 劇場公開2017年12月

監督
ケネス・ブラナー1960年12月イギリス、ベルファスト生まれ。

音楽
パトリック・ドイル1953年4月イギリス、スコットランド・アッディンストン生まれ。

キャスト
ケネス・ブラナー 
ペネロペ・クルス1974年4月スペイン、マドリード生まれ。
ウィレム・デフォー1955年7月ウィスコンシン州アップルトン生まれ。
ジュディ・デンチ1934年12月イギリス、ヨーク生まれ。
ジョニー・デップ1963年6月ケンタッキー州オーウェンズボロ生まれ。
ミシェル・ファイファー1958年4月カリフォルニア州サンタ・アナ生まれ。デイジー・リドリー1992年4月イギリス、ロンドン生まれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「追憶の町 エンパイア・フォールズ」2005年制作の海外ドラマ、テレビ・ミニシリーズ。

2018-05-03 20:57:37 | ドラマ

             
 アマゾン・プライムの無料視聴の映画。出演者が実力派揃い。この映画の製作にも関わっているキレイに老けたと言われたポール・ニューマンも製作時80歳。髭面の目のあたりに面影が残っているかなと思われるメイクがより年寄りに見せている。 が、髭のない写真では往年の面影があって、素敵に加齢したなと思わせる。

 1986年「ハスラー2」でアカデミー主演男優賞受賞の彼も2008年9月帰らぬ人となった。この映画で妻のジョアン・ウッドワードと出演しているのがせめてもの慰めだろう。

 主役はマイルス・ロビー(エド・ハリス)。アメリカ合衆国でのヨーロッパからの移民で出来た最も古い地域のニューイングランド。メイン州のノックス川流域にあった織物工場、シャツ工場と上流の製紙工場がさびれて平凡な町となったエンパイア・フォールズ。

 この町を100年以上牛耳って来たのがさびれた工場で財をなしたホワイティング家。町なかにある「エンパイア・グリル」をホワイティング家のフランシーン(ジョアン・ウッドワード)がマイルスに店を任せている。マイルスが時折思い浮かべる過去の出来事を挟んでフランシーンとの関係が明らかになっていく。

 こんなことを思ったことはないだろうか。乗り合わせた電車の中で目にとまった人に思いを巡らす。何才だろうか。職業は? 独身? 趣味は? 家庭があればどんな家庭だろう。
 英国の作家ヴァージニア・ウルフを語った本の中にこんな場面がある。ロンドン行きの列車の中、ウルフは友人の息子に話しかける。「あそこに座っている男の人、どんな職業でどこに行くのだろう。どんな家庭だろうと思わない?」

 作家は興味の対象が無数にあるというのだろうか。作家の専売特許ではない。私だって考えることもあるんだから。この映画は、こんな風に事情が明らかになっていく。

 ぐうたらな父マックス(ポール・ニューマン)の過去。家に寄りつかずいつも留守がち。本人いわく「出稼ぎだ」。今でもフロリダから電話をかけてきて、酒と女に囲まれた酔いどれのノー天気。

 亡くなった母グレース(ロビン・ライト)の過去。頼りにならないマックスを当てにせずささやかな職業で糊口をしのいでいる。ある日、母とマイルスがレストランで夕食をとった時、メニュー選びを助けてくれたのがチャールズ・B・ホワイティング(フィリップ・シーモア・ホフマン)。

 ホワイティング家の御曹司。歴代のホワイティング家の男たちに共通しているのが女性に恵まれないこと。チャールズもフランシーンと結婚しているが、フランシーンが一族で唯一大学出で恋の駆け引きにも長けていた。富裕な財産を狙われたチャールズ。メキシコを10カ月も放浪するチャールズだから夫婦関係は明らか。

 夫に恵まれないグレース、妻に愛されないチャールズ。この二人が急速に親密になるのは時間の問題だった。マイルスがいつも思い出す過去は、母とチャールズ。

 そのマイルスの現実はと言うと、元妻ジャニーン(ヘレン・ハント)との間に生まれた娘ティック(ダニエル・パナメーカー)が唯一の気掛かり。親権をジャニーンが握っていて娘と暮らせないのが悩み。ジャニーンの自分勝手な気性もはたから見ていて危なっかしいし、借金があって実質財産ゼロの男と結婚するジャニーンを不安視もする。

 優しいマイルスに思いをかける女性もいる。ホワイティング家の娘シンディ(ケイト・バートン)。シンディは3歳のとき家の外で車にはねられ片足が不自由。一途な思いだが、マイルスにしては心が動かないから友達のままがいいと思っている。

 娘ティックのクラスにはいじめっ子といじめられっ子がいる。いじめっ子は警官の息子。いじめられっ子は、電気もつかない家に住むジョン(ルー・テイラー・プッチー)。どうやらこのジョンがティックに思いを寄せているようなのだ。とはいってもティックがそれに応える気がない。いじめによるフラストレーションが溜まったのか、教室でジョンは銃を乱射する。一命を取り留めたティックも恐怖にぶるぶると震えるばかり。

 マイルスの店にしても、メニューの変更やアルコール類の販売にはフランシーンの許可がいる。そしてフランシーンの過去。シンディの事故の日、チャールズはフランシーンに激怒して車庫から車を急発進させ娘を轢いてしまった。フランシーンは、父親を求めるシンディから彼を遠ざけた。一方ひき逃げの作り話で彼をかばい恩に着せて攻め続けた。彼のグレースとの恋を邪魔するために。

 メキシコから帰って来たチャールズは、拳銃を手にフランシーンの部屋へ行く途中シンディの喜びの「パパ!」という声を聞き、殺意を自らの制裁に向けた。ノックス川畔に立つ東屋で、拳銃は彼のこめかみに当てられ鋭い銃声がこだました。

 原作・脚本を担当するリチャード・ルッソのピューリッツア賞受賞長編小説のテレビ化で、3時間以上の2部構成となっている。エンディングに向けてやや急ぎ足になった感があるが、一人の女に翻弄される田舎の小さな町に起こる人間模様を余情豊かに描いている。お勧めの作品。
  
監督
フレッド・スケピン1939年12月オーストラリア、メルボルン生まれ。

キャスト
エド・ハリス1950年11月ニュージャージー州生まれ。アカデミー賞助演男優賞にノミネート3回の実力派。
フリップ・シーモア・ホフマン1967年7月ニューヨーク州フェアポート生まれ。2014年2月没。2005年「カポーティ」でアカデミー主演男優賞受賞。
ヘレン・ハント1963年6月カリフォルニア州ロサンジェルス生まれ。1997年「恋愛小説家」でアカデミー主演女優賞受賞。
ポール・ニューマン1925年1月オハイオ州生まれ。2008年9月没。妻ジョアン・ウッドワード。1986年「ハスラー2」でアカデミー主演男優賞受賞。アカデミー主演男優賞にノミネート7回。
ロビン・ライト1966年4月テキサス州ダラス生まれ。
エイダン・クイン1959年3月イリノイ州生まれ。
ジョアン・ウッドワード1930年2月ジョージア州トーマスヴィル生まれ。1957年「イブの三つの顔」でアカデミー主演女優賞受賞。
ダニエル・パナベイカー1987年9月ジョージア州生まれ。
ケイト・バートン1957年9月スイス生まれ。父はリチャード・バートン。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする