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スポーツ:大リーグ 1年目の野茂英雄と松坂大輔

2007-07-31 11:09:24 | スポーツ

 日本プロ球界を振り切るようにドジャーズと契約した野茂英雄、
              
 歴史的高額金が動いてレッドソックス入りした松坂大輔。
              
 1年目の成績はどうだったか。松坂は、まだシーズン途中の数字であるが、平均をとって比較してみると今のところDAISU-KKKKと言われるほどの結果を残していない。
 まず野茂の数字、登板数28試合防御率2.54投球イニング数191回(1試合平均6.8回)被安打124本(1試合平均4.4本)失点63点(1試合平均2.25点)被本塁打14本(1試合平均0.5本)奪三振236個(1試合平均8.4個)となっている。

 松坂は、登板数22試合防御率3.75投球イニング数144回(1試合平均6.5回)被安打133本(1試合平均6本)失点60点(1試合平均2.7点)被本塁打15本(1試合平均0.68本)奪三振142個(1試合平均6.4個)となり、明らかに野茂が勝っている。球種も野茂はストレートとフォークボールだけだった。松坂は球種も豊富で、本領を発揮すれば野茂以上の成績は可能だ。まず防御率を下げることだろう。

 ボストンのファンは、ニューヨークのファンと違って今年は大目に見てくれるだろう。早く野茂を超えることを期待したい。それに野茂は大リーグ在籍中、二度もノーヒッターを達成している。しかもそのうちの一つは、レッドソックスでのものだ。日本球界に風穴を開けた野茂に続いて欲しい。
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読書 ジェフリー・フォード「ガラスのなかの少女」

2007-07-31 09:16:28 | 読書

              
 50年も昔の1932年、主人公が十七歳のときに起きた出来事を語るというもの。
 とにかくいんちき降霊会を開いて、大金を稼ぐ詐欺集団のボス、シェルに助けられて父親代わりに育てられていく。ある時の降霊会でシェルが見たガラスのなかの少女から、事件に巻き込まれ、最後はコメディ・タッチのドンパチアクションで拉致されていたシェルを助け出すというお話。
 ところがこのボス、人生経験豊富で詐欺師のテクニックを通じて主人公にいろんな事を教えていく。ジェフリー・フォードの文体も何故か人を惹きつける魅力を備えていて、読み疲れすることはなかった。
 ただ、最後の方は無理に押し込めた感がしないでもない。この作品は2006年度MWA賞の最優秀ペイパーバック賞を受賞。
 著者は、1955年、ニューヨーク州ロングアイランド生れ。1997年に発表した『白い果実』で世界幻想文学大賞を受賞。そのほか、『記憶の書』(1999)や『シャルビューク夫人の肖像』(2002)といった独特な趣向の作品で高い評価を得ている。
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スポーツ・大リーグ チームの勢いにブレーキをかける井川

2007-07-27 13:29:05 | スポーツ

 7月27日(現地時間26日)カンザスシティロイヤルズとの試合に先発登板した井川、相変わらずピリッとしない投球で3敗目を喫した。防御率は、6.79となる。
 相手投手のデラロサも、防御率5.35という高率で勝つチャンスだった。ところが、意外にデラロサが好投してヤンキースは7-0でシャットアウト負けという、きのうまでの勢いがなかった。
 トーリ監督にもキッチリと6回ぐらいまでゲームを作ってくれれば、勝てるという計算があったはずだ。それをぶち壊した井川。疫病神的存在になってきた。
 井川の投球を見ていて、躍動感や迫力がないし、挙措が沈んでいる。チーム・メイトとも打ち解けているのかどうか疑問だ。投げない日にダッグアウトの井川をカメラが捉える映像は、一人ぼっちで誰とも話していないさびしい画面を見る。それに彼の口元がいつも開いているのも気にかかる。
 五人目の投手に若手の起用が確実に思われる。伊良部の二の舞になるのか。ニューヨークは、日本人投手には鬼門になりつつある。ヤンキースのホーム・ページは「井川は、もがきながら負け続けている」と書いていた。
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読書 ジョン・グリシャム「大統領特赦」

2007-07-26 13:18:54 | 読書

              
 リーガル・サスペンスのヒットメーカー、ジェットコースターの展開とまではいかないし会心の作とまでは言えないのではないだろうか。
 ロビイストの大物ジョエル・バックマンが、大統領特赦で連邦刑務所から釈放される。これには裏があって、CIA(アメリカ中央情報局)が画策したものだった。バックマンはCIAのエージェントらしき男とともにイタリアのボローニャに連れて行かれる。バックマンは解き放たれた餌だった。
 イスラエルのモサドやロシア、中国の工作員が追っ手となる。なぜ追われるのか、中国が密かに打ち上げた偵察衛星「ネプチューン」を無力化するソフト「JAM」の存在とそのソフトにバックマンが深いかかわりがあることだった。
 身の危険を感じたバックマンは、あらゆる状況を利用して、スイスの自分の貸金庫にあるJAMのディスク四枚と銀行口座から金を引き出しアメリカに振り込んだりしてミュンヘン経由帰国する。そして、かつてのウソや騙しのテクニックを適度に散りばめ身の安全を確保する。

 今回の作品は国際謀略小説というそうだが、スパイ・テクニックなどは誰でも持っている想像力の範囲内としか思えない。(もっとも、著者あとがきで諜報関係者や電子監視装置類、衛星電話やスマートフォン、盗聴器、録音機、マイクなどについての知識はないに等しいと断っているが)
 やはりジョン・グリッシャムは、弁護士の法廷戦術が似合うようだ。それにこの人は男女の濡れ場をあまり描かない。この作品でもイタリア語習得のためにすらりとした美人のフランチェスカにレッスンを受けるが、二人の関係があまり進展しない。フランチェスカの夫がガンの末期症状で意識不明の状況という設定のせいによるのかも。なら一層のこと夫を死亡させて、急接近を図るのも悪くはないだろう。 バックマンは長い刑務所生活で女性を求めているのは確かで、フランチェスカも病身の夫を抱えていれば性生活も遠のいている筈だ。もし、ロマンスが生れて苦悩とともに再会を待ち焦がれるとすれば、余韻がもっと残る……と思わなくもない。やや禁欲的な記述だった。
 それにボローニャでの記述がかなりのページを占める。著者あとがきによると、バックマンを隠すのはどこでもよかった。前々からイタリアという国やイタリア製品すべてにほれ込んでいたこともあって、現地調査のためボローニャを訪れ魅了されたと言っている。
 ある人が言うには、作家は何かを調べて熟知すると、すべて作品に織り込みたくなるそうだ。グリシャムもその轍を踏んでいるのか。

 著者は1955年生れ。ミシシッピ州立大学、ミシシッピ大学ロースクールを卒業。‘81年から’91年まで弁護士をつとめ、’84年から‘90年まではミシシッピ州の下院議員を兼務した。’89年に『評決のとき』を出版。法曹界を舞台としたサスペンスが爆発的な人気を呼び、著作が次々と映画化された。主な著書に『法律事務所』『ペリカン文書』『依頼人』など。
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時事 遊び心のないNHK

2007-07-22 13:46:35 | 社会


 7月21日(日本時間22日)アメリカのブッシュ大統領が大腸ポリープを内視鏡で摘出したというニュースがあった。最初に知ったのは、NHKBSのCNNの放送だった。その二時間あまりの間を、チェイニー副大統領に大統領権限を委譲した。 その間チェイニー副大統領は、何をしたか。“読書を楽しみ犬と戯れていた”というコメントを付け加えた。
 一方NHKBSニュースは“大統領権限を使うことはなかった”とありきたりのコメントだった。つくづく思うのは、日米の文化の差というか違いというか、日本人のユーモア感覚の欠如だ。いま参院選たけなわで候補者は絶叫している。しかし、気の利いた言葉で人を惹きつける人を見たことがない。
 現国会議員に限って言えば、むしろ悪い冗談は得意のようだ。柳沢厚生労働大臣の女性蔑視ともいえる“生む機械”、久間元防衛大臣の被爆者の心を逆なでした“原爆投下は仕方なかった”それに選挙さなかに麻生外務大臣の弱者を愚弄する“アルツハマー病の人でも分かる”などというレベルの低さ。これらの延長線上に国会論戦があって、施政方針演説に対し烏合の衆のヤジが飛び交う。もともと民主主義は相手の言い分をよく聞くところから始まる。そんな輩が教育改革を唱えている。こんな国会議員はいらない。
 教育にユーモア感覚の醸成が必要だろう。日本人がこれから国際社会で今以上に活躍するには欠かせない資質といえる。だからNHKも国民を啓蒙する役割があるとすれば、現在のようなまじめ一辺倒のスタイルを改める必要がある。個性豊かなアナウンサーやキャスターを育てることだ。何も吉本興業的なことを言っているのではない。もっと洗練されたさりげないユーモア感覚を求めたい。一つのニュースから何かが見える典型的な事例ではないだろうか。
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映画 ニコラス・ケイジ「ワールド・トレード・センター(‘06)」

2007-07-18 09:52:14 | 映画

 2001年9月11日、この日の出来事は全世界の人々にとって忘れられない日となった。人それぞれに自分の人生で忘れられない日がある。

 大学に合格した日、青春の真っ只中恋人と初めてキスした日、酒の味も知らなかった頃飲みすぎてぶっ倒れた日、結婚初夜などがあるが、いずれもそんなことがあったという程度だ。
 それに引き換え悲劇的な場面は、鮮明な映像となって甦る。太平洋戦争中の空襲のあとの見渡す限りの焼け野原で見た焼死体、沖縄戦でのモンペ姿の女性が米兵の呼びかけに崖から飛び降りる姿の映像、原爆投下あとの町並みの映像、それらに続く9.11のテロ攻撃によるツインタワーへの激突の映像。


 その映像を当時北海道旅行中のニセコの古びた国民宿舎で私は見てショックを受けた。この映画はそれらすべてを描写しているわけではない。事実はすでに詳しく知れ渡っている。むしろその渦中に放り出された港湾警察官の実体験を通じて人間愛を謳いあげている。

 港湾警察官ニコラス・ケイジたちは、ツインタワーへ救助に向かいタワーが崩壊して瓦礫に埋まってしまう。多くの同僚が死亡する中、何とか生きながらえて救出される。それまでの二次災害が心配される状況での救助、見守る家族の苦悶。この映画にはアメリカ国歌もゴッド・ブレス・アメリカも出てこない。ただ描いているのはなんの力もない家族だけだ。世界中どの国にもある家族だ。

監督 オリヴァー・ストーン1946年9月ニューヨーク生れ。‘86「プラトーン」’89「七月四日に生れて」でアカデミー監督賞を受賞。
キャスト ニコラス・ケイジ、マギー・ギレンホール、マイケル・ペーニャ、マリア・ペロほか
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映画 ニコラス・ケイジ、ティア・レオーニ「天使のくれた時間(‘00)」

2007-07-14 13:04:37 | 映画

              
 原題は、The Family Manという何の変哲もないネーミングながら、邦題が夢を見る時間をこのタイトルにしたのはなかなか洒落ている。
 株屋のハットン社で社長をやっているジャック(ニコラス・ケイジ)のもとに、13年前空港で別れたケイト・レイノルズ(ティア・レオーニ)から言伝の電話があったが、ジャックは昔のことだと言って取り合わない。
 クリスマス・イヴに一人で眠りについたジャックは、夢で別の自分を見る。ジャックは伯父の経営するタイア販売会社に勤めていて、妻ケイトと幼い子供二人ともども郊外の瀟洒な家で暮らしている。その状況が理解できない。娘はそんな状況を見て「私のパパじゃないでしょ。エイリアンなの?」と言う始末。
 結婚記念日に妻をニューヨークの高級レストランに連れて行ったり博物館みたいなマンションを見せたりしたが、妻は郊外の生活で充分幸せと言う。
 夢から目覚めたジャックは急いでケイトのアパートを探し当てるが、いまや敏腕弁護士のケイトは、パリの事務所を任される事になりフランスに引っ越しの準備中だった。夢による影響は強力で、ケイトを追って空港で翻意を促す。そしてハッピーエンド。
 一言で言えば、男の身勝手といえなくもない。13年前、空港のロンドン行きゲートの前で
ケイト 「ここで別れたら…」
ジャック「空港にいると誰でも感傷的になるものさ。僕らの決断を信じよう。君はロー・スクールで学び、僕はバークレー銀行で研修、すごい計画だ」
ケイト「全部白紙に戻して―今、この瞬間から二人の生活を始めましょ。最初は手探りでもきっと何とかなるわ。仕事は二の次よ。二人が一緒にいて、初めて幸せになれるの」
ジャック「たとえ100年離れ離れになっても、僕らは変わらないよ」
              
 体よく断ったジャックが自分の理屈で求めている。とはいえ、往年の理想主義で楽天的作品を多く作った映画監督フランク・キャプラ(1897年~1991年、イタリア出身「ある夜の出来事」「オペラハット」「我が家の楽園」でアカデミー監督賞を受賞)を連想して、幸せな気分をくれた時間だった。もっともこの映画の製作スタッフもキャプラの「素晴らしき哉 人生」を参考にしたと言っている。

 ケイトを演じたティア・レオーニが非常に魅力的で作品に光彩を添えていて、ずっと見とれていた。製作者の一人マーク・エイブラハムは、ティア・レオーニを見れば、一緒に生活したくなる筈だと言っている。その通り。
              
この映画のドン・チードルは、天使役で出番も少ない。

 監督 ブレット・ラトナー1969年3月フロリダ州マイアミビーチ生まれ。ミュージック・ビデオ界出身。
 キャスト ニコラス・ケイジ1964年1月カリフォルニア州ロングビーチ生れ。叔父がフランシス・フォード・コッポラ。‘95「リービング・ラスベガス」でアカデミー主演男優賞を受賞。
 ティア・レオーニ1966年2月ニューヨーク生れ。
 ドン・チードル1964年11月ミズーリ州カンザスシティ生れ。’04「ホテル・ルワンダ」でアカデミー主演男優賞にノミネート。
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映画 ビング・クロスビー、グレイス・ケリー、ウィリアム・ホールデン「喝采(‘54)」

2007-07-10 10:46:45 | 映画

              
 今から53年も前の映画を観た。舞台劇を映画化したもので、モノクロで撮ってある。
 演出家のバーニー・ドッドは、プロデューサーの反対を押して新しいショーにフランク(ビング・クロスビー)を起用する。しかし、かつては有名だったフランクは、極度の自信喪失で酒浸りに落ち込んでいる。その原因が、幼い一人息子の手を放した隙に自動車事故で亡くしたからだ。
 若い妻ジョージー(グレイス・ケリー)は献身的に夫を支えているが、当のフランクは映画のセリフから引用すると“新聞や噂にも出なくなると恐れがわく、口実を探し出す。みな事故のせいと信じた。私がそう偽ったのは恐れのせいだ。全盛期にも私は恐れた。いつも恐れた。失敗をカバーするいい口実はありがたかった。飲みすぎても誰も非難しなかった。気の毒がった。それが効かなくなると手首を切った。死なずに人々の注意を集められる程度にね。
 また、みなが私に同情し理解を示した。私の悲劇を話題にした狙った通りに。それを保つためにウソにウソを重ねた。妻までウソの種に”
               
 フランクから真実を告げられる前に、ジョージーの口から事情が語られバーニーは思わず引き寄せてキスをしてしまう。そのあとのセリフ
ジョージー「あなたは私に対しいつも腹を立てた」
バーニー「それは違う。近づくまいとして怒ってたんだ」
ジョージー「もう何年も女として見られてなかった」
バーニー「君は驚きだった。貞節で意志が強く…君を知ったとき…」
ジョージー「キスのこと大げさに考えないで」
バーニー「承知です」そしてバーニーはドアから出て行く。
 残ったジョージーは自分の体を抱くようにして目を細め口元に薄っすらと微笑を浮かべる。私にはこのときのグレイス・ケリーが非常にセクシーに見えた。
 フランクのニューヨーク公演は成功する。バーニーから執拗に求婚してくる。ジョージーは悩むが、結局フランクを選んでハッピーエンドとなる。

 しっかりとした人生ドラマで見応えのある映画だった。監督ジョージ・シートン1911年4月インディアナ州サウスベンと生れ。1979年6月ビバリーヒルズでガンのため死去。映画制作時は、43歳だった。
 音楽ヴィクター・ヤング1900年8月シカゴ生れ。1956年11月カリフォルニア州パームスプリングで、脳溢血の発作のため死去。数々の映画音楽を世に送りだし楽しませてくれた。
 キャスト ビング・クロスビー1904年5月ワシントン州タコマ生れ。1977年10月スペインマドリードで心臓発作のため死去。ビング・クロスビーは、あの有名な曲「ホワイト・クリスマス」の元祖シンガーである。親しみやすい風貌と暖かい歌声で、「わが道を往く」の神父役やボブ・ホープとの珍道中シリーズでコミカルな味を出していたが、この映画のシリアスな演技には目を見張った。本作出演時50歳だった。
              
          左フランク・シナトラ 右ディーン・マーチンと
 グレイス・ケリー1929年11月ペンシルヴェニア州フィラデルフィア生れ。1956年4月モナコ王国レーニエ国王と結婚。世界の男性にショックを与えたと同時に嫉妬も覚えさせた。というのもレーニエ国王というのが、チョビ髭でずんぐりむっくりの冴えない男だったからだ。(私の記憶に誤りがなければ)
 1982年9月モナコで車の運転中、崖から転落して死亡した。(私はそのように記憶している)この映画でアカデミー主演女優賞を受賞し、ゴールデングローブ1955年世界でもっとも好かれる女優に選ばれる。全体に気品があってセクシーな口元に魅了される。本作出演時25歳だった。
              
 ウィリアム・ホールデン1918年4月イリノイ州ファロン生まれ。1981年11月重度のアルコール依存症で、酔って転倒頭を打ち出血多量でサンタモニカで死去。‘53年「第十七捕虜収容所」でアカデミー主演男優賞を受賞。本作出演時は36歳だった。
               
               グレイス・ケリーと
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読書 ドン・リー「出生地」

2007-07-06 15:39:31 | 読書

              
 1980年代の東京が舞台で、アメリカ大使館員トム・ハーリー、麻布警察警部補太田健蔵、カリフォルニア大学大学院生リサ・カントリーマンが主要登場人物。 まずトムは、三十一歳、独身、男盛り。健康と理想体重と小麦色の肌を維持している。身長百八十センチ、容貌は女心をくすぐる白人とハワイ人の混血を思わせる。ウェーブの掛かった濃い黒髪、真っ直ぐ通った鼻筋、高いほほ骨と細くとがった顎、少女を思わせる長いまつげ、両親は白人と韓国人だが、民族的背景を尋ねられたときは、ハワイ出身と答える。そうやって人種的中立を宣言しておけば、たいがいそれ以上の詮索を受けずにすむ。

 太田健蔵は、突然妻から追い出された三十八歳の窓際刑事で、少し英語が解るというだけでつまらない外国人の犯罪案件を押し付けられる。

 リサ・カントリーマンは、児童養護施設の玄関に置き去りにされ、その施設から黒人の夫婦に引き取られてアメリカに渡る。ハーフ、親のない子、在日コリアン、黒人を背負っているが、いまのリサは肌の色は薄く髪は真っ直ぐになり鼻すじも通りイタリア系やイスラエル系、ハワイ系、フランス系、ネイティヴ・アメリカン、ロシア系、レバノン系――色素の濃い、但し決して黒人ほど濃くはない人種の、エキゾチックな混血と間違われることが増えた。そして、博士論文のリサーチのために来日していたリサが失踪したことによって、この三者が交錯する。
 それぞれが捜し求めていた自分の居場所を手に入れるが、リサだけは諦めざるを得なかった。

 読みやすく読者をぐいぐいと引っ張っていき、文体にエネルギーを感じる。二○○五年本書でアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞、アメリカ図書賞などを受賞している著者は、在米コリアン三世で、父が外交官のため、子供時代の大半を東京とソウルで過ごした。
 カリフォルニア大学ロサンゼルス校で文学を専攻し、エマーソン・カレッジで創作の修士号を取得。1988年から非営利の文芸誌Ploughsharesの主幹として活躍し、91年からはフリーの文芸出版コンサルタントも行なっている。90年ごろから短編を発表し始め、2001年に出版した処女短編集Yellowは高い評価を得て多くの賞を受賞した。

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読書 チャールズ・ベノー「レッド・ダイヤモンド・チェイス」

2007-07-02 12:38:04 | 読書

              
 2005年のアメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞にノミネートされた作品。ペンシルヴァニア州ポッツヴィルにあるオーデンバック・ビール醸造に勤めていたダグ・ピアスは、クビを言い渡されて四週間が過ぎようとしていた。(ちなみにポッツヴィルは実在の町)
 カナダのトロントからエドナ・バウアーズという高齢の女性からの手紙が届いた。一族の鼻つまみ者の伯父のラス・ピアスを知っていて、伯父の遺品を渡してもいいと言う。ダグは失業中で、時間だけは有り余るほど持っていた。したがってその婦人宅に赴く。

 次は引用“蔦におおわれたレンガの建物のドアが開いたとき、ダグは住所を間違えたと思った。テレビキャスターの着るようなスーツ姿で、赤味がかかった金髪をボーイッシュといってもいいほど短くカットしたその女性は、誰かのおばあちゃんというより、むしろ、「あのひとは今」欄に載っている五十年代のアイドルスターのよく撮れた写真を連想させた”
 そんな女性から伯父の殺人事件の解明に手を貸してくれと言われる。ダグは、もともとジェイムズ・ボンドを夢見たり、インディ・ジョーンズの物語を空想することも好きだった。冒険を夢見ていたのだ。
 ほとんどの男は子供っぽい部分を残していて、一人で旅や冒険に出かけ美女に出会うのを夢見ている。

 ダグは、モロッコのカサブランカからエジプトのカイロ、サウジアラビアのバーレーン、シンガポールへと飛び回る。いや、飛び回らされるが正しいかも。ステキな美女とベッドをともにしたり迷路のような路地を追っかけられたり壮絶なカーチェイスなど、夢に見た冒険が待っていた。が、文章がだれる部分もあって今ひとつ没入できなかった。さきに読んだジョージ・P・ペレケーノスやトマス・H・クックなどのベテラン作家は独特の文体を持っていて読者を引きずり込むが、この作家は今一歩というところか。しかし、シンガポールの描写は、観光案内の役割を果たしていて、旅行の計画があれば参考になるだろう。

 著者は、ニューヨーク州ローチェスター生れ。アメリカ陸軍に数年勤務したあと、大学で文学と歴史を学ぶ。卒業してからは高校教師、中東での英語教師を経て、現在は広告会社でコピーライターとして働いている。そして彼の自己紹介は、「旅に出ずにはいられない男。ときどきはスキューバダイバー。永遠のサキソフォン初心者」とある。
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