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読書「かくれさと苦界行」隆慶一郎

2012-01-11 10:50:45 | 小説

              
 「吉原御免状」のその後である。吉原惣名主西田屋三代目・庄司又左衛門を名乗る松永誠一郎。宮本武蔵から伝授された二天一流の名手。

 惣名主(そうなぬし)とは、自治的・地縁的結合による共同組織で、その指導的立場を言う。平たく言えば遊里の親玉だろうか。

 老中酒井忠清が、その御免状を狙って裏柳生の義仙を使って奪取しようとする。荒木又衛門まで絡んでくる。
 誠一郎には、幻斎 という唐剣の遣い手である参謀がいる。剣の達人にまとわりつく心象が物語の展開に従って納得させられるのも著者の力量か。つまり、数多くの敵を倒し味方も失った。やむを得ないとはいいながらも心の重荷として居座っている。剣豪は剣で死ぬ。
 ましてや、93歳になる幻斎にとっては、愛妻の腹の上で死ぬなんて、最低の死に方と心得ている。

 物語はクライマックスに到達する。荒木又衛門と幻斎の果し合いだ。ともに嬉々として死の決闘に赴く。そして立会人は、松永誠一郎。スーパースターの揃い踏みといったところか。

 そして、剣の達人は性技も達人で、幻斎なんて93歳なのに吾妻という20代の女を狂喜させている。荒木又衛門の巨根、松永誠一郎の女を狂わせるソフトな愛撫。なかなかの芸達者な連中ではある。

 こればかりではない、著者の薀蓄あるところも垣間見える。西洋の処刑と東洋の処刑の違い。
 引用すると「憎しみのあまり、あるいは見せしめのために、肉体を切り刻んで殺すというのは西欧流のやり方である。いわゆる『鉄の処女』などという処刑用具を見ると、これでは即死である。
 東洋の処刑は違う。その特徴は、何よりも生かしておくことにある。無理にも死なせないのである。ペニスを切り取って寿命の尽きるまで生かしておく宦官(かんがん)の罰。手足を切断して手当てを加え、生きながら甕(かめ)に入れ、厠(かわや)の底の置いたという西太后(せいたいこう)の処刑。立つことも坐ることも、勿論寝ることも出来ない檻に入れて獣なみに餌を与え、一生飼い続けるという罰の方法もある」想像しただけでも背筋が凍る。

 そして吉原の女については「吉原の太夫は、売る女であって、売られる女ではない。そして己を売るのは、惚れた場合だけなのである。つまり太夫は恋の相手であって、単なる情交の相手ではない。
 客としては太夫に恋をし、何とかして太夫にも恋させなければ、断じて肉体関係には入れないことになる。一旦、恋の関係を築けば永年の伝統によって磨き上げられ繊細化された性技が来る。恋という精神的要素に、この絶妙巧緻な肉体的快楽が重なるのである。そこにこそ吉原の太夫たちの『処女の及ぶところにあらず』という絶大な自信のよってくるゆえんがあった」

 松永誠一郎は、過去に高尾、勝山という女に惚れられた。そして、性技を仕込まれたのである。そして、剣士の決闘には死の美学が漂う。
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読書「破獄」吉村昭

2011-10-28 15:38:53 | 小説

              
 北海道旅行計画の参考に観光協会のサイトをぶらついていて、網走刑務所の観光案内があった。その中で長期刑囚の独居房から脱獄した白鳥由栄(しらとり よしえ)という男がいたことを知った。

 1933年26歳の時、仲間と共に強盗殺人を犯し収容されていた青森刑務所を1936年(29歳)脱獄、1942年(35歳)秋田刑務所脱獄、1944年(37歳)網走刑務所脱獄、1947年(40歳)札幌刑務所脱獄。

 特に脱獄不可能と言われていた網走刑務所を脱獄したこともあって「昭和の脱獄王」とまで言われたらしい。となると、どういう人物なのか興味が湧くのも人情だろう。

 この小説では佐久間清太郎とネーミングされた白鳥由栄の生い立ちや性格、家庭環境など人物描写に関心があったが、それは裏切られた。ノンフィクション形式をとって刑務所側から見た小説となっている。

 時代背景も書き込まれていて、私たちが知らなかった側面も教えてくれる。二・ニ六事件から太平洋戦争と戦後にかけての諸相は激動の時代だった。
 冬の網走刑務所の氷点下の監視任務は囚人以上に困窮していたし、食糧事情の悪化で囚人には規定どおりの食料を与えていたが、看守や一般の国民は充分な食べ物はなかった。囚人を空腹のままにしておけば、暴動や脱走の引き金になると危惧してのことだった。

 戦後の食糧事情は、おそらく今の家畜以下の水準だっただろう。私にもひもじい記憶がある。そんなことを嫌というほど思い出させてくれた小説だった。

 ちなみに、白鳥由栄は、1907年7月生まれ1979年2月71歳で病没。仮釈放後行った故郷からは白眼視され元の妻は一切係わりたくないと無視された寂しい人生だった。
 考えてみれば、今時なら手記でも書けば金を稼げたかもしれない。それにしても、頭脳明晰で胆力も備わっていた白鳥由栄が、別の方面に人生の舵を切っていればどうなっていたんだろう? とも思う。
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小説 人生の最終章(最終回)

2007-06-16 12:45:59 | 小説

23

 めぐみは考えていた。あの香田という人は、ほんとに優しい人なんだと。けいが言ったというめぐみの話を、香田に抱かれたいために、でっち上げた嘘なのではと考えても不思議ではない。にも拘らず、あえて、受け入れてくれた香田には包容力を感じていた。
翌日パソコンを起動した香田に、めぐみからメールが届いていた。
「香田さん。きのうはわざわざお越しいただいて、ありがとうございました。
私もやっと心の重荷が下りたように思います。それに、素敵な愛の贈り物をいただいて、嬉しさで涙をとめることが出来ないくらいです。
 本当に心のお優しい方ですね。奥様がうらやましい。でも、私は二度とメールは差し上げないでしょう。それで、こちらへのメールもお止(よ)しになってください。お願いします。
素敵な時間をありがとうございました。
それでは、奥様ともども睦まじくお過ごしくださいませ。     村上めぐみ」
 香田はふーっと息を吐き出した。めぐみは一度きりのセックスを覚悟していたのだろう。彼女も優しい女性だった。

 日増しに陽射しが強くなり六月になっていた。久しぶりに妻と一宮のマンションに来ていた。昨夜、香田はけいとのことを告白した。ただ、めぐみとのことは省いて。
 妻の丸子に怒りはなかった。むしろ穏やかだった。「分かっていた。女の勘ね」と言った。それに「そりゃ分かるわよ。口紅のついたハンカチがポケットから出てきたりやキャンプに一人で行ったり、今までキャンプは家族でしか行かなかったでしょう。それが何度もとなると。
 あなたは今まで、こんなことはなかったでしょう。深入りが心配だったけど。聞いていて、そのけいという人素敵な人なのね。私より美人なんでしょう?」
「うん、まあね」
「何よ、その言い方。私より不美人だったら許せないわ」
「心配しなくていい、少しだけ美人だよ」丸子はぷーっと吹き出した。
「無理しなくていいのよ。まあ、一番気になっていたのは、あなたがずーっと秘密にすることだった。でも、今告白してくれてよかったわ。秘密というのは、私が知らないからでしょう。知っていれば秘密でもなんでもないわ」
「危ないところだったというわけだ」
 長年連れ添った夫婦のいいところは、沈黙の時間が苦にならないことだ。相手を気遣って何か言わなければなどということがない。西に日が沈みはじめ海鳴りの音も耳に心地よく感じられビールの味も格別な気がする。ほろ酔いになっていきなり妻を押し倒した。
「なにするの?」と口では言うが香田の舌が首筋を這い出すと、しっかりとしがみついてきた。
 翌朝、妻は上機嫌で香田にべたべたして来た。幾つになっても女ってやつは、好色なんだからと香田は呟く。それを言うなら男だって同じだろうと陰の声が聞こえた気がした。

 そしてドライブに出てきて、太東崎漁港の駐車場で海を眺めていた。サーファーが波間から顔をだして好みの波を待っていた。遠くに大型の船が停まっているように見えた。
 ぶらぶらと歩いていると、関東ふれあい道の看板があった。丸子が見つけて登ろうという。階段状になっていて、登りつめたところは眺めのいい丘になっている。 ここはけいときて、初めてのキスを交わしたところだ。生々しい記憶が甦る。ビールケースに支えられたベンチが無人の丘で待っていた。丸子があとから、はあはあといいながら登ってきて隣に座った。手を握ったり、キスをしたりしなかった。
 前方に広がる太平洋は、今日も変わらない姿で、陽光に輝いている。つくづく香田は思う。妻を含めて三人の女性は、なんと素晴らしいのだろう。思慮深くて聡明で包容力に富み動じない精神力にも。
 ある人は、人生は幻想だという。過去は記憶であり未来は想像で、現実だと言い切れるのは、今この瞬間だけ。その瞬間は想像から記憶へ刻一刻と変化している。 香田は素敵な女性たちともども、その瞬間を過ごしたことに、満足感で胸が一杯になった。
 人々の人生が大きなキャンバスに描かれた絵画とすれば、香田の人生はほんの端っこにある小さな部分のようなもの。あるいは、煮炊きする鍋から立ち昇る湯気が、一瞬表れるようなものなのかもしれないと思う。それでも、女性たちが歓喜に震えるのなら、充分だと思った。                  了
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小説 人生の最終章(18)

2007-06-06 13:55:11 | 小説

22

 一ヵ月後、香田の小説は出来上がった。けいにメールを送った。
「けい、元気にしているかい。小説が出来上がったので、メールに添付して送るよ。けい、会いたくて仕方がないよ。だめだろうか?         順一」
けいからの返信
「順一、受け取りました。ゆっくり読ませていただきます。
順一、あなたと過ごした時間は、私にとって、再び青春を取り戻し心から一人の男を愛し、そして愛された女として生涯忘れません。幸せだった日々をありがとう。
では、お元気で                         けい」
 マウスを握る香田の手は震えていて息苦しかった。涙が止まらなかった。いつまでも。香田はメールを再返信しようとしたが、すでにアドレスはなくなっていた。

 それから時間は駆け足で過ぎていって、けいと別れてから五年が経っていた。けいを完全に忘れることは出来ないが、時間はそれを薄めてくれるようだ。香田のいつもの日課、午前中のウォーキングを終え昼食のあと、パソコンを起動した。
いくつかのメールの中に、村上めぐみから来たのを見つめた。メールには
「香田順一様 突然のメールでさぞ驚かれたでしょう。実はお伝えしたいことがありますので、ご迷惑でなければ、私の家にお越しいただけないでしょうか。
 ああ、気を回さないでくださいね。お友達としてお伝えしますので。自宅は京葉線の検見川浜駅の近くのマンションです。駅にお着きになったらお電話ください。お迎えに参ります。電話○四三―二七○―六二××
ご返事お待ちしています。              村上めぐみ」
 香田は苦笑した。キャンプを一緒に楽しんだころは、確か歳が五十四と言っていたように思うが、だとすると六十に近いことになる。それなのに気を回さないでなんて、まだお色気が一杯なんだろうか。

 もともと京葉線は、貨物専用線だったのを、京葉地帯の開発が進み、幕張副都心が出来て、通勤の列車を走らせるようになった。検見川浜駅周辺も団地やマンションの建設が今でも続いている。その中の一角にあるマンションに村上めぐみは住んでいる。
 晴れて気持ちのいい陽春の午前十時、香田は駅に着いた。教えられた電話番号を押して待った。数回のベルでめぐみが出た。
「はい、村上です」
「香田です。今着きました」
「じゃあ、十分ほど待ってください。自転車で参りますから」
その辺をぶらぶらと見ながら時間をつぶしていると、後から「香田さん」と声がした。振り返ってみると、なんとTシャツにブルージーンズ姿のめぐみが、自転車を押しながらこちらに歩いて来るところだった。
 あのキャンプに行った頃とまったく変わっていない。上げ底かもしれないが、胸は豊かでかなり飛び出しているように見える。ウエストもくびれてジーンズのヒップもまるで若い女性のようだ。
「わざわざすみません。わたしのところは歩いて五・六分です」と言って先に歩き出した。香田はめぐみのヒップが左右に揺れるのを眺めながらついて行った。
 エレベーターを十階で降りて、一○○五号室の海の見える3LDKに招き入れられた。マンションの間取りと言うのは、どこもよく似たもので、危うくけいのマンションと錯覚しそうになった。香田をリビングに案内して、キッチンに消えた。そしてキッチンから声がした。
「香田さん。お茶とかコーヒーを差し上げてもいいけど、今日は少し暑いようなので、ビールはいかが?」
「いいですね。丁度喉か乾いていたところですよ。ありがたく頂戴します」
香田は窓によってきらきらと輝く海を見ていた。いやでも、けいが思い出される。物思いにふけっていると、めぐみが
「お待たせしました」と言って瓶ビールとグラス二個、それにチーズを添えてテーブルに置いた。ビール瓶を持って香田に「どうぞ」と勧める。香田が受けて、今度は香田がめぐみのコップに注ぐ。
「それじゃ、いただきます」よく冷えたビールが喉を流れ落ち泡が上唇についた。
「チョット失礼して、着替えてきます。自転車で走ったものですから、汗がべたついて」
香田はビールを継ぎ足してゆっくりと飲んでいた。浴室の方でシャワーの音がしていた。昼間に飲むビールの酔いは早い。ほろ酔い気分になって、ビールが殆ど空になりかけた頃、めぐみが現れた。
 香田は目をぱちくりとしていた。白のTシャツでノーブラの乳首やふくらみがいやでも目に入る。それに短パンで筋肉質の太ももがあらわになっている。参ったなあ。これじゃあ落ち着けない。めぐみはそんな人の思いも知らん振りで
「あら、ビールがないですね。取ってきます」といってキッチンから持ってきた。
「どうぞ。ご遠慮なく」といって勧めてくる。香田もさあどうぞといって、差しつ差されつで、冗談も飛び出すようになった。頃合を見計らって
「で、村上さん。お伝えしたいとおっしゃっていましたが?」と水を向けた。
めぐみは大きく息を吸って
「あのう、落ち着いて聞いてくださいね。ハッキリ言います。けいは亡くなりました」
香田は自分の耳を疑った。聞き間違いであって欲しい。
「亡くなった? 死んだと言うことですか?」当然の事を聞いていた。
「ええ、その通りです」
香田は呆然として前方を凝視していた。めぐみが香田の隣に腰を下ろして肩を抱いた。
香田にはめぐみに抱かれているのも感じていなかった。みるみる涙が頬を伝わり、香田のズボンを濡らしていった。めぐみは香田の肩を抱いてじっとしていた。
しばらくして、落ち着きを取り戻した香田が「すみません。取り乱しちゃって」といってめぐみを見つめる。
「いいんです。私もけいとお友達だったので、辛くてしばらく落ち込んでいました。それで香田さんに連絡が遅れて申し訳ありません」
「いえいえ、そんなこと気にしません」
「どうでしょう、詳しくお話してもいいですか。大丈夫?」
「大丈夫だと思います。どうぞ話してください」めぐみが話し出した。
「亡くなったのは、一ヶ月ほど前です。肺がんでした。分かったのは二年ほど前になります。いろんな治療をしたようですがだめだったのです。
彼女は香田さんから貰った小説をいつも読んでいました。亡くなる前はもうぼろぼろになっていました。それでも彼女は捨てませんでした」
 ここで香田は感極まって泣き出した。大きな声で肩を震わせていた。めぐみはそっと席を立った。キッチンでめぐみも声を押し殺して泣いていた。ようやく治まった香田は、周囲を見回した。めぐみはいなかった。喉が乾いていて水が飲みたくて、キッチンに行った。そこにめぐみが肩で泣いていた。
香田はめぐみを振り向かせて抱き、背中をさすった。めぐみは顔を香田の胸に押し付けた。ふくよかな胸が感じられた。
香田はめぐみをリビングのソファに誘導して座らせた。並んで座り「まだ、何かお話しがありますか?」と訊ねた。ええ、と言って話し出した。
「けいが身を引いたことは彼女から聞きました。彼女が決めたことだし意見を求められることもなかった。私たちは仲のいい友達で居ようねと約束しました。
時折、心ここにあらずと言う風情で、ぼんやりと遠くを見ることもありました。おそらく香田さんのことを思い出していたんだと思います。そして、咳がよく出るといっていました。
 息子さんに強くすすめられて病院に行ったのです。闘病生活の始まりでした」めぐみは言葉を切った。
「あら、飲み物がないわ。取ってきます」ビールを持って戻ってきた。香田の横に座った。まるで指定席だというように。そしてビールを注いだ。香田も大声で泣いたせいか、喉が渇いていて美味しかった。
 再びめぐみが話し始めた。「これからのお話しは、チョット話し辛(づら)いのです。けいとの秘密の話ですから」と言い淀む。
「いや、どうしても聞きたいとは言いません。しかし、けいと言う人をもっと知りたいのです。恐らくけいのことだから、話したからといって〝めぐみとは絶交よ〟とは言わないでしょうね」と冗談っぽく言うと、めぐみは頷いてにっこりと笑みを見せた。めぐみも歯並びがきれいだった。
「けいの話でもあり、私の話でもあるんです。病状が進行していたある日お見舞いに行きました。その時けいが唐突に言うのです。〝めぐみ、わたしね。香田さんから頂いた小説、小説と思ってないの。私にとって、長い長い恋文だと思って、毎日読んでるの。素敵な恋文だわ。
夫は女の悦びを教えてくれた。香田さんはそれを一段と高め、気が狂うほどの
悦びをくれた。私は二人の男性から心から愛された。幸せだわ。
で、あなた香田さんに強い関心があったんでしょう? キャンプやサイクリングのときの仕草で分かるわ。女の直感なのね。
 ここに香田さんの名刺があるわ。ブログも書いてらっしゃるから見てみれば? だからこれあなたにあげる。秘密にしてね〟だったんです。
私なりに解釈しました。自分が生涯を閉じたら、めぐみが香田さんに知らせてくれるだろう。それにめぐみが個人的に接触するのもかまわないと」あらためて香田は、けいの人間性に感動を覚えずにいられなかった。香田の目が潤んで涙が一筋流れた。めぐみが親指で、香田の両目の涙を拭いた。二人は見つめあった。香田がそっと唇を重ねた。

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小説 人生の最終章(17)

2007-05-31 11:12:48 | 小説

21

 香田はキーボードをすばやく叩き、けいにメールを送った。
「元気は回復したかい? 私は疲れていたからよく眠れるはずが眠れなかった。けいの姿態がちらついて、息苦しくなるほどだった。けい、抱きしめたい! 再び、柔らかい二つの乳房の丘と鬱蒼とした森の奥に潜む、小さな突起を攻撃したい。どうだろう、来週の火曜日は?
追って、今、けいとの関係を小説風に書いている。しっとりとしたラブ・ストーリーにしたいと思っている。出来上がったら見せるよ。
                                  順一」

 けいはメールを読み終わり、彼が言う攻撃を思い浮かべると、下腹の奥にちろちろと炎が燃えて、その疼きで切なくなる。もう私たちは、なんの虚飾も捨てて、素直に気持ちを分かち合える間柄になったんだわ。

 こんなメールのやり取りが続き、一宮のマンションやけいのマンションで何度も愛を交わしたり、サイクリング、ジョギングそれにキャンプをしたりして、楽しい時間を過ごした。もっとも、時に村上めぐみも一緒に行くこともあった。そのめぐみの目に香田への強い興味が覗いているのをけいは知っていた。
 香田との愛が充分な満足を与えてくれる度(たび)に、けいは空虚さから来る寂寥感に苦しめられていた。
 このまま二人の関係が続き、離れられなくなったらどういうことになるのか。香田の高齢の妻を追い落とすことになったら。そんなことはできない。
しかし、香田との交わりは容易に断ち切れるものでもないことが、一層苦しみに拍車をかけていた。

 クリスマスや正月は、香田にとっても、けいにとっても冷却期間の役割を果たしたようだ。この時季に出歩くわけにはいかない。それに、けいの場合は、息子の恭一に娘が生れ、おばあちゃんとしての義理も生れた。もっとも、けいとしては、おばあちゃんと呼ばれるのには抵抗があったが。
 息子夫婦は共働きで、子供の養育に頭を痛めていた。そこで息子から提案されたのは、一年後をめどにおばあちゃんのけいが、月島のマンションに移ってくるというものだった。目的は、子供の面倒を見て貰おうとしているのは、明々白々だった。
 けいは、もしそうなったとき、狭くてもいいから、独立した住まいが欲しいと言った。息子夫婦は検討すると言った。けいは香田にもそれとなく事情を説明していた。
 そのときが意外に早く訪れた。年が明けた二月の中ごろ、息子からマンションを下見してくれと言ってきた。出かけて見てみると、海は見えないが隅田川が見える。きれいにリフォームしてあって、息子のマンションや地下鉄駅にも近く値段も手に届く範囲だった。そのマンションに決めて、引越しを三月中ごろとした。千葉のマンションは早速売りに出さねばならない。

そんな合間を縫って香田にメールを送った。
「順一 息子のところへの引越しが決まりました。三月中ごろの予定です。じっくりお話ししたいので、こちらに来ていただきたいと思います。来られる日をお知らせください。
お願いいたします。                        けい」
香田は事務的な文面を読みながら、けいとの関係が終局に向かっているのを感じていた。

 けいのマンションの来客用駐車場に車を止めた。火曜日の午前十一時半だった。偶然かもしれないが、けいと会うのは火曜日が多い気がする。けいが、今日はお昼を用意するからという。香田は途中でカリフォルニア・ワインを買ってきた。
最上階にあるけいの部屋のボタンを押した。中で鳴るチャイムの軽やかな音色が聞こえた。インターホーンから「チョット待って、すぐ行くから」けいはどなたとも聞かなかった。香田であることを確信しているようだった。
ドアが開けられると、いつものけいがそこに立っていた。薄い化粧で口紅をきれいに引き、きれいな歯並びを覗かせて微笑んでいた。着ているのは、ムームーのような裾の長いウエストを絞っていないドレスで、緋色に白いバラの花が散りばめられていた。
ドアを閉めて、けいを抱き寄せキスをする。舌が絡まり始めけいが
「だめよ。今料理中なの」香田はあきらめて、あらためて気がついた。
「部屋がすごく暖かいね」
「暖かくしてあるのよ。外が寒そうだから。上着を脱いで楽にして頂戴」
香田は「はい、ワインだ」と言って手渡す。
「あら、ありがとう。私も買って冷やしてあるわ」
香田は、グレイのスラックスに紺のブレザー、Vゾーンは、ボタンダウンのブルーのシャツにペーズリー模様のアスコットタイという洒落た服装だった。
上着とアスコットタイを、玄関の上がり框(かまち)に続く、来客用のクローゼットに収める。リビングからは、遠く富士山も薄っすらと見える。多分ここから眺めるのは、今日が最後になるのだろうなーと香田は考えていた。
けいが「もうすぐ出来るわよ。テーブルのセッティングをお願い」これはいつも行う二人の役割分担だった。香田はキッチンからせっせと料理を運び込んだ。食欲をそそるいい匂いが漂っている。
テーブルに並べられた料理は、かなり手間のかかるもののようだった。
まず「長ネギのサラダ」長ネギをさっとゆでて玉ねぎ、ニンニクを水に晒したものをヴィネグレットソースで合えたものを長ねぎにかけたもの。
次に「パンケース入り若鶏のクリーム煮」八角形の食パンをくりぬき揚げたものに、若鶏のクリーム煮を盛ったもの。
そして、「帆立貝のソテー松の実バターソース」これは簡単にできる料理。あとは、けいのオリジナルの料理がいくつか。
ワインのグラスを掲げて、まず乾杯。
「けい、ありがとう」けいは、何故か言葉が出なかった。頷いて香田のグラスの縁に合わせて、チリンと小さな音を立てた。まず料理とワインの賞味ということで、食べることが優先される。この無言の時間が気楽に過ごせれば、二人の親密度は本物だ。香田とけいの関係は本物だった。香田は「うん。旨い。これも美味しい」と一人頷いていた。そして
「話と言うのは、けい?」と香田が問いかけた。けいは視線を遠くに這わせながら大きく息を吐いた。
「ええ、前にもお話ししたとおり、息子夫婦の子供のお守りを、どうしてもしなきゃいけなくなって、引越しすることになったの。それだけなら、別にお話があると言わなくてもいいわけなんだけど、私は苦しいの」
「苦しい?」と香田。
「私は考えたわ。順一との関係を続けてもいいのかどうか。だってそうでしょう。このままいつまでも続けるわけにいかないわ。いずれ二者択一に迫られるはずよ。
あからさまに言って、順一とのセックスのあと、どうしても寂しさが残るの。夫婦だったら、終わったあとも同じベッドで眠りにつくよね。それに朝ごはんも一緒でないのも耐えられないの。分かってもらえる?」
「ああ、わかるよ」しんみりと香田。
「順一の奥様に悲しみを与えたくないの。息子の近くに引越しをする機会に、私は身を引くことにしたの。分かって、お願い!」香田は目を閉じた。静寂が二人を包み込んだ。けいが、セックスに溺れた女になるのを、不安に思ったことに恥ずかしさを覚えた。やはりけいの、律儀さが表れていた。大きく息を吐いて香田は
「わかった。けいの言うとおりにするよ。いずれどこかで決断しなきゃならないしね」
「だから、今までのようにメールの交換も出来ない。そんなことをしたらまた、順一のことが恋しくなる」けいはうつむきながら言う。
「それじゃ一切の連絡を絶ってしまうということかい? 例えば、クリスマスや正月の挨拶もない?」
「ええ、そのつもりよ」
「けい、そんなの耐えられないよ」
「順一、分かって! 私、あなた以上につらいのよ」順一は立ち上がって窓辺から海を眺めた。さっきの景色は一向に目に入ってこなかった。しばらくして振り向き、けいの目をじっと見つめ
「そうか、けいの決心は固そうだね。あまり無理を言って、けいを困らせるわけにいかないし、私もけいの言う通りにするよ」
「ごめんなさい」と言ったとたんに咳き込みだした。けいは化粧室に飛んでいった。戻ってきて
「最近咳がちょくちょく出るの。風を引いた気がしないんだけど」
「気をつけなきゃ、けい。孫のこともあるから病気なんかしている暇はないよ」
「そうね、順一の言う通りだわ」
それからは、さっきのじめじめした雰囲気は吹っ飛んでいた。二人とも思い出話は出来るだけ避けていた。けいが唐突に
「ところで、小説は出来た?」と聞いてきた。
「それを聞かれるのが恐くて、びくびくしていたよ。残念ながら道半ばというところかな」
「出来上がったら頂きたいわ」
「いいけど、連絡はどうする? メールは一切しないと、さっき言ったよね」
「あっ、そうか。じゃあ小説の件だけの限定メールと言うのはどうかしら?」
「なるほど、考えるね。OK,了解」
香田は一縷の望みを得たと思った。二人は心が少し晴れた気がして、ワインと料理を堪能した。
「けい、デジカメ持ってるかい?」
「ええ、あるけど?」
「けいのヌードを撮って置こうと思ってさ」香田はにやりとして言う。
「だめ、それはだめよ!」けいはキッとして言った。それにめげず
「しかし、最初のデートのとき撮って置きたいようなこと言わなかった?」
「あれはお愛想よ。本心は厭なの。二十代ならともかく、今の私のはいや」香田は立ち上がって、けいの後ろに回りながら
「じゃあ、眺めるのはいいんだろう?」と言いながら、後から両手で乳房を包み込み愛撫しだした。そのままけいを椅子から立ち上がらせ、抱きしめてキスをする。けいはゆっくりと絶頂に登って行った。これが二人にとって最後のセックスとなった。
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小説 人生の最終章(16)

2007-05-27 12:46:59 | 小説

20

 香田と別れて自宅に戻ったけいは、気だるさとともに何か空虚な気分に襲われていた。あまりにも急展開な三日間だった。予測したとはいえ、自らの積極的な言動に顔が赤くなるのを感じていた。
 しばらく前から、夢でセックスの場面が現れていたし、村上めぐみの「したくなるの」と言う言葉に刺激されたのだろうか。あるいは、あまりにも長いセックスレスの時間にも影響されたのか。香田の放つフェロモンが、われを忘れさせたのか。いずれともけいには判然としなかった。
 ただ、はっきりしているのは、この空虚な気持ちのことだった。セックスのあとそれぞれの家に帰るという、今まで経験したことのない状況が受け入れられない。手を伸ばせば相手がいてくれるという安心感は望めない。まるで売春夫と寝ているみたいだ。売春夫がいるとして。
 それにも拘らず、今日も香田を誘おうとした。あれほど奉仕してくれて、疲れているのが分かっていながら。私は自己本位の女なのだろうか。新しい相手とのセックスがこれほどまで女を変えるものなのか。夏の太陽に輝きを増した東京湾を眺めながら、けいは考えていた。

 一夜明けると、きのううじうじと考えていたものが、かなり薄れているのが分かった。けいは身支度を整えスポーツバッグを持って、自転車でジムに行った。
 ジムにはいつものように京子がにっこりしながら迎えてくれた。京子が「村上さんもトレーニング中よ」と教えてくれた。機器に囲まれて大汗をかいている村上めぐみを見ていて思わず笑っていた。ちらりとけいに視線を向けためぐみは「なに笑ってるの?」と言っている。
 それに答えずに、けいは自転車漕ぎを始めた。しばらくすると強度を強めにしたためか、汗が滴り落ちてきた。足もだるくなってきた。もしかして、香田との交わりが激しかったからか。思い出してにやりとしていた。けいの肩をたたいて横に立っためぐみが
「なんだか嬉しそうね。何があったの? さっき、私を見て笑ったでしょう」
「あっ、あれはあなたを笑ったんじゃないわ。あなたの太ももよ」
「私の太もも?」
「そう、太ももよ」
「それがどうしたのよ」とめぐみは怪訝な顔で言う。
「だってすごい筋肉がついてるじゃない? セックスのとき、その太ももで相手の胴を締め付けたら、アレが縮み上がっちゃうんじゃないかと思って」とめぐみの耳元で言う。めぐみは大笑いをして
「何を言うかと思えば――ああ、分かった。あなたアレをしたんでしょう。嘘つかないで、顔に書いてあるわ」めぐみの口元がにやりとしていた。けいは何も言わなかった。何も言わないのは認めたことになる。まあ、いいや、お好きなように、とけいは思う。
 ひと通りトレーニングを終えて、京子のいるカウンターの前で、早速めぐみが仕切り始め、結局けいのマンションで夕食を共にすることになった。料理当番はけいが努める。

 手間のかからない美味しい料理は、けいの手持ちのレシピではこれしかない。スーパーで豚ロース肉、生クリーム、生ハム、シャンピニヨン、グリュイエールチーズ、きゅうりをはじめ野菜類を買い込み、ワイン五本ビール六本パックを持ち帰った。もうこれで汗だくになってしまった。
 これが、豚ロース肉のフォイル焼きになり、生ハムのサラダと買い置きのチーズ類のカナッペになり、足りなければなんとかなるさというわけで、テーブルにローソクを灯すセッティングで彼女たちを待った。
 彼女たちは午後六時きっかりに、玄関のチャイムを鳴らした。手に手に何か持ってあらわれた。京子はアイスクリーム、めぐみは、ビーフジャッキーの差し入れだった。彼女たちはテーブルを見て、これどういう意味? と聞くがなんでもないわよと軽くいなす。
 三人揃ったところで、形だけの乾杯をする。けいは言った。
「過ぎ去った日々に感謝し、これからの時間は大切に、そのために健康を祈って乾杯」
ワインを一口飲んだめぐみが
「意味深だわね。けい、どうだったのよ」
「そんなに知りたいのなら、ハッキリ言うわ。セックスを楽しんできたわ。それも充分にね!」と言ってワインをグイッと空ける。めぐみの追及はやまない。
「充分にって、どういう意味?」けいはワインをまたグイッと飲んで
「よく聞いてよ。一回しか言わないから。火曜日の夜一回セックスをした。その一回で二回絶頂に達した。翌日、朝セックスをした。そのときも二回絶頂に達した。その日の夜も同じセックス。どう、これで納得?」
二人は、ぽかんと口を開けて、けいを見つめるばかりだった。ようやくめぐみが口を開いた。
「分かったわよ。でも、そんなことがあるのかしら、信じられない。日を置かず時間を置かずによ」京子は可愛そうに
「私、まだ絶頂感の経験がないの。どんな感じなのかしら」めぐみが年長者として訓戒を垂れた。
「お気の毒に。言葉では言えないわ。とにかく、狂いそうになるくらい、気持ちいいのよ。体験しないと分からない。いい男にめぐり合えるのを祈ってるわ。京子さん」
「でもね。そういういい思いをするんだけど、何か空虚な感じが拭えないのよ。だって、そうでしょ。終わったあとは、私は自分の家へ、彼は奥様の待つ家に帰るわけでしょう。一緒にいてくれると言う充足感はないのね。まだ始まったばかりなんだけど」とけいは言いながらどこか空(くう)を睨んでいた。
 ワインやビールを飲んで、お喋りをして二人が帰ったのは、午後十時を過ぎていた。食器の後片付けをしながら、けいはまたもや寂寥感に身がすくむ思いをしていた。香田にまた抱かれたくなった。
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小説 人生の最終章(15)

2007-05-21 14:03:55 | 小説

19

 一宮町東浪見(とらみ)にあるマンションの四○二号室のドアを閉める間もなく、二人は唇を求め合い激情が一気に爆発した。
「あああ…」半ば泣き声のけいが激しく喘ぐ。香田の舌は、けいの首筋から耳を這い回り、右手はサマードレスのベルトを剥ぎ取り、ボタンをはずしてキャミソールの上から胸を愛撫する。しかし、まだサンダルも履いたままだ。
「けい! けい! まだサンダルを履いたままだし、部屋に上がろう」けいの絡まる舌から逃れるように、香田は言う。
 せっかく高潮した気分を阻まれて不満そうな顔が頷いた。部屋は窓を少し開けてある程度で、暑さが満ちていた。エアコンのスイッチを入れて、けいを抱き寄せた。
「マットを敷くよ。ドレスだけ脱いで後はつけたままで。私が脱がせたいから」けいは、軽くキスをして化粧室に消えた。
香田はマットを敷いて、窓のカーテンも閉める。暮色に包まれ始めた部屋は、カーテンを閉めると暗すぎる。娘が癒しに使っている太目のローソク三本を灯す。振り返るとけいが立っていた。
「ロマンティックで素敵ね」言われた通り黒のキャミソールと黒のパンティでセクシーだった。香田はポロシャツと短パンを脱ぎ捨てた。けいを抱き寄せて、そっと寝かせキスをする。キャミソールとパンティをゆっくりと脱がせていく。息を呑むほどふくよかで弾力のある乳房を掌(てのひら)で包みこむ。
 香田の右手は、ゆっくりと下りていき女体の敏感な部分に触れた。興奮が最高潮に達しようとしているようだ。その部分は溢れんばかりの潤いに満たされていた。
けいに香田がのしかかり、やさしくゆっくりと入った。けいは「あっ」と小さく呟いて、二人が合体したことに感動とともに涙が香田の肩を濡らした。
 腿を香田の胴に絡めた。けいは忘我の境地にさまよっているようだった。いよいよそのときがやってきた。けいは、強くしがみついて果てた。しばらく荒い息をしていた。香田はまだだった。けいの背中を撫でてやりながら、耳や肩にキスの雨を降らせた。ようやく顔を上げたけいは、「ありがとう。よかったわ。幸せな気分」そこで気がついたのか「あら、まだ?」
「うん」といってけいの息の回復を待ち再び交わった。ゆっくりとした律動の果てに絶頂に達した。けいは、思わず呟いた。
「ああ、よかったわ。二回も続けてイクなんてはじめて」

 翌朝八時に起きた二人は、海岸を散歩した。昨夜は、セックスのあと食料や衣類の買い物に出かけた。今着ているのが買ったもので、けいは白のTシャツにブルーの短パン、香田は、白のTシャツに黒の短パン、足にはビーチサンダルという恰好だった。どれも驚くほど安い品物だ。それに、部屋では出来るだけ衣類は身につけないことにしようと合意していて、けいが見繕ったものがある。
「いつまでここに居られるの?」とけい。
「そうね。金曜日の夜から娘が来るから、木曜には引き払うことになるだろうね」
「そう、じゃあ、今夜はいいわけね。それから、名前をどう呼べばいいのかしら。香田さん? 順一さん? それとも順一?」
「妻はお父さんと呼んでいるけど、それはないだろうね。順一でいいよ。あなたのことをけいと呼んだから」けいは律儀なところがある。
「それで決まりね。順一説明してよ。この辺のこと詳しいんでしょう」
「早速使ったな。ところで、ノーブラなんだろ?」
「そうだけど、何なの? 映って見えてる?」
「いや、まあ、乳首の辺が突っ立てるから、今の時間やこの辺はいいけど、昼間はTシャツの場合ブラジャーをしたほうがいいだろうね」
「わかったわ。きのう買ったのよ。私ブラジャーつけるの、あまり好きじゃないのね。なんだか窮屈に感じるわ」
「ところで、その胸の話に関連するんだけど、胸の大きな人ってジョギングなんかに不都合はないのかい?」
「それ、私のことを言ってるの?」
「あれえ、けいは自分でも大きいと思っているんだね」
「んー、Dカップだから大きい部類に入るのかしら。でも、心配は要らないわ。スポーツブラでゆれないようにしているから。あっそうそう、そんなことより、女から見て男の一物よ。走るときって、ぶらぶらして邪魔にならない?」
「まいったなー。なんだか一本やられた感じだな。心配いらないよ。うまく収まっているから」こんな他愛もない会話が延々と続いていく。

 今にも雨が降りそうな気配が漂い、鉛色の海は魅力のない女のようだった。かなり年配の夫婦とすれ違うとき、お互い微笑みながら「おはようございます」と挨拶、一瞬心が通ったように思う。けいが
「いいご夫婦ね」と呟く。
「ああ、そうだね。人生の最終章に入ったかな。私のページも随分すすんでいるかも」と順一が返す。
「よして! 夜が元気なんだから、そんなことは考えないで!」とけいはふくれっ面をして腕を絡ませてきた。
部屋に帰りつくと、待っていたように雨が降り出した。けいは買い物袋からなにやら取り出して、こちらに放ってよこした。開けてみると女性用のTバックだった。
「これを穿くの?」
「そお、穿いて。黒光りした一物を見せるより、これで隠した方がいいでしょ」とのたまう。香田は思う。なんとまあ、セックスの前と後がこれほどの違いがあるとは思いもしなかった。主導権が握られた。香田がかろうじて言ったのが
「けいは、何を着るの?」の一言だった。
「ちょっと待って、着替えてくるから」
けいはわざわざ化粧室に姿を隠した。出てきたとき、香田は息を呑んだ。肌が透けるキャミソールにこれも透けるTバック姿だった。キャミソールに包まれた乳房は、乳首や乳輪が浮き出ていて、Tバックは、黒い陰毛が鬱蒼と茂り、余分な毛が横からはみ出していた。
「目の保養を楽しんだら、愛撫してあげる。今日は私が奉仕する番ね」
やれやれ、今日は一日中セックスのお相手なのだろうか。香田の精力が回復する暇もない。

 朝食はトースト四枚とベーコンエッグという献立。それをビールとともに食する。トーストを食べようとすると、けいが「ちょっと待って」と言ってニンニクをすり込んだ。ガーリックトーストの出来上がり。精力回復にというわけ。
 ビールでほろ酔い気分になり、けいが一段とまぶしくセクシーに見え始めた。
トイレに行って戻ると、けいの背後から乳房を両手で包み込んだ。そしてうなじに舌を這わせた。けいは振り向く格好で顔を向けた。唇を合わせると舌を絡めてきた。これがきょう最初のセックスの始まりだった。
 食前食後は大げさかもしれないが、この日の夜遅くにも交わり、香田はどれも射精はなかった。どういうわけか勃起はするので、けいの満足度は高いはずだ。朝、夜それぞれ二回のオーガズムに打ち震えていた。毎回こんなに高まり絶頂感を味わうなんて信じられないとけいは言う。香田はセックスに取り付かれた女の執念の危険性に不安を感じ始めていた。

 翌朝二人は、帰路についた。車の中では、けいが香田の腿に手を当ててさすっていた。
「いやー驚いたね。まさか女性用のTバックを穿かされるとは、思わなかったなー」けいは、くっくっと笑って
「でも、季節向きでよかったでしょ」
「ご主人とはよくあんな恰好をしたのかい?」
「ええ、時々ね。マンネリの打破に」
「効果は?」
「時にはね。あの恰好もマンネリになるようね。きのうは、その必要はなかったようだけど」
「けいの妖艶な姿態が目に浮かぶよ」けいの右手が、香田の太ももをぎゅっと握った。
けいのマンションの前で車を止めた。
「どお、お昼ご飯家(うち)で食べていらっしゃらない?」けいが儀礼的かもしれないが言う。
「うん、でもまだお腹が減っていないし、それに、本当のことを言ってもいい?」
「いいわよ。なんなの?」
「実は、くたくたなんだ。それで食欲もないしね」
「あら、それ私のせい?」
「いや、すべてとは言わないが」
「半分ぐらいはあると? でしょうね。でも、本当に素敵だったわ。私溺れそう。順一とこうして座っていると、もやもやしてきちゃうの。だけど今日はあきらめるわ。残念だけど」
順一が手を伸ばして、けいの手を握りながら
「悪いけど、そうしてもらえるとありがたい」
「それじゃあこれで,本当にありがとう。私のために食欲もなくしたなんて。皮肉を言っているんじゃないわよ。順一、また会って! お願い!」
「ああ、いいよ。メールで連絡するよ」けいは車から降りた。香田は手を振ってアクセルを踏み込んだ。バックミラーには、車が角を曲がるまで立っているけいが見えていた。
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小説 人生の最終章(14)

2007-05-15 13:11:52 | 小説

18

 七月四日火曜日、けいを迎えにモノレールの千葉みなと駅に着いたのは、待ちあわせ時間午前九時少し前だった。車の中から周囲を見渡していると、こちらを向いて手を振っている女性が目に入った。
 けいだった。車を降り、手を振り返して、けいが来るのを待った。すらりとした肢体を、白のコットン地のサマードレスに淡いブルーの柔らかい布で出来たベルトを腰の横で結んでいた。
 襟ぐりの深い胸は、黒のキャミソールで谷間を覆いながら、胸の豊かさを何気なく見せつけると言う心憎い着こなしだった。手には麦わら風サマーハットを持ち、白のショルダーバッグを肩から提げ、足元はサンダルで涼しげな装い。薄化粧に口紅をきれいに引いていて、微笑むときれいな歯並びが見えた。
 香田は、こんな素敵な女性とのドライブに興奮していて、妻への後ろめたさはどこかへ置き忘れたようだった。その香田の服装は、カーキの短パンから日焼けした剥き出しの足にスポーツサンダルを履いて、白のポロシャツを羽織っているだけだった。
 近づいて来たけいは、にこやかに「今日はありがとうございます」と言った。
「いえいえ、こちらこそ」と香田は言いながらドアを開けた。けいはお尻から優雅なしぐさで助手席に座り、シートベルトを締めた。
 エンジンをかけエアコンのスイッチを入れて、車を発進させた。エアコンは強い風の吹き出しで瞬く間に車内を快適にする。混んでいる市街地から、国道二九七号線で勝浦に向かう。今日も夏の日差しが強く、三十度は簡単に越えるだろう。車内の静寂を破ってけいが
「香田さん、奥様には、なんとおっしゃって?」
「ただ一宮に行ってくると」
「それだけ?」
「ええ、その一言だけ。ただ、これには説明が要るでしょうね」
「そのようね。で?」けいの表情は見えないが、笑っていないことは確かだ。香田は話し始めた。
「実は一宮には、私の娘が借りたマンションがあるのです。娘はボディボードをやっていて、サーフィンにも興味があるので海の近くに拠点が欲しかったようです。
娘が言うには、家賃を払っているのでウィークデイに空き室にしておくのは勿体ない。お父さんも利用してと言うのでちょくちょく行っているわけです。
 じゃあ、妻がどうして行かないかという疑問が出てきますね。これにも訳があって、子猫を娘が貰ってきたのです。世話のかかるころで、妻はそれにかかりっきりと言うわけで、一宮に行くのも特に理由が要らないのです。
 しかも、一宮には電話もないし、私は携帯電話も持っていません。と言うわけで、一旦家を出れば糸が切れた凧と同じでふらふらとどこへでも行けるのです。これは悪いことですか?」
「少なくともいいこととは思いません。でも、私もこうしてご一緒しているのですから、ある意味で奥様を欺いていると言えるでしょうね」
「まあ、お気持ちは分かります。でも、折角のドライブですから、楽しく過ごすことにしませんか?」
「ごめんなさい。ちょっと固く考えてしまったようです」
車は田園地帯を走っていた。香田は、MDディスクを再生した。ジョニ・ミッチェルの「ボス・サイド・ナウ」で、大好きな曲だった。

 けいはその曲を聴きながら、なぜあんなことを言ったのか。詰問調で断定的な言葉に苛立ちを感じていた。でも、この曲は本当に心に響くものがある。と思っていると口から言葉が自然に飛び出していた。
「いい曲ですね。心に染み渡るようだわ」とけいは言っていた。
「ええ、何度聴いてもうっとりします。実を言いますと、この曲のことは知らなかったのです。映画の中で使われていて印象に残って、図書館でCDを借りてコピーしたのです。
 映画というのは「海辺の家」と「ラブ・アクチュアリー」に効果的に使われていました。よろしかったら、CDに焼いて差し上げますよ」
「CDに出来るのですか。パソコンを使って?」
「ええ、デジタルカメラの映像もCDに焼付けできます。ご迷惑でなければ、あなたのヌード映像もOKです」香田は思い切って言ってみた。
「あらいやだ。私なんかもう人に見せるようなものではないわ」香田の追及は緩まなかった。
「でも、その映像を自分のためにと言う意味なら分かりますか? よく聞きますよ。まだ張りのあるときの自分の裸体を残しておきたいと言う願望があると」
「もうその辺でおやめになって。ええ、ありますとも」と言いながら、香田の左腕を握った。香田は、そっと彼女の手を握り返した。彼女は、その手を自分の膝の上に置いて撫でていた。香田の股間が疼きだした。

 交通事故も起こさずまた起こされずに、勝浦海中公園の駐車場に車を止めた。時計を見ると午前十一時になろうとしていた。海中公園の見学に一時間ほどかかるとして、昼食はこの中のレストランで摂るしかなさそうに思われた。観光地の食べ物は、どこも似たり寄ったりで、美味しいものが少ない。
 そのあと風光明媚といわれる守谷海岸で、素足で海の渚を歩いたり、周辺の探索に歩き回ったりして、一宮に近い太東崎漁港の駐車場には午後四時ごろに着いた。
 車から降りるとむっとする暑さが襲ってきたが、それは一瞬のことで、海からの風が心地よく頬を撫でて通り過ぎる。西からの陽がまだ強く焼かれるような熱気を額に感じながら、突堤に歩いていった。
 サーファーが波間から勢いよく飛び出してボードに立とうとする姿や、釣り人が糸を垂れて熱心に海面を見ているのを、ぼんやりと眺めながらいつの間にか手をつないでいた。
 太東崎漁港の背後の小高い丘に、関東ふれあいの道があって、眺めを楽しむのにいいところだ。二人は急な階段に息を弾ませながら登っていった。ほんのしばらくで平坦なところに出た。左側は太平洋が広がり,右には房総の小さな起伏が見渡せる。けいに手を出すと、汚れたものでも掴むように指先を絡めてきた。
 三百六十度見渡せる突端には、小さな幅の狭いベンチが置いてあり、プラスチックのビールケースで支えてあるのは、地元の人の気配りだろうか。そのほほえましいベンチに座って太平洋を眺めた。香田は景色を意識していなかった。
 午後の遅い時間で人の気配がない。漁港や民家が見えるが、誰もこの展望台を凝視しているとも思えない。香田はそっとけいの手を取ってきつく握った。けいが顔を向けた。二人は見つめあい自然に唇を寄せ合った。舌が絡まり始め、けいのチュニックの上からノーブラの乳房に香田の手が伸びた。突然強い力で体を離された。
「ここでは――厭!」とけいが肩で息をするように途切れ途切れに言う。香田はうなずきながら「じゃあ、下りようか」二人は無言で下りていった。
 二人は、車に座っていた。西日をさえぎる丘で影が増し暗く感じる。海はまだ輝いていた。
「さっきはごめん。思わずああなってしまった」と香田はしょんぼりとして言った。
「いえ、それはいいの。厭といったのは、あそこではと言う意味。香田さん。して欲しいの」といって香田を凝視する。
「えっ、本当に? 後悔しない?」
「大丈夫よ。私も子供じゃないわ。このままお互いのお家に帰ってしまうなんて、耐えられない」とけいは言って大きく息を吐き、目を閉じた。

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小説 人生の最終章(13)

2007-05-05 12:46:28 | 小説

16

 香田は山に登っていた。新潟県と福島県境にある花の名山と言われる浅草岳である。前日は麓の守門村福山峠緑のふるさと広場キャンプ場に泊まった。このキャンプ場には、雪室(ゆきむろ)や池、ワラビ園がある。
 周囲には民家が一軒も見当たらないし、夜は外灯もなく漆黒の闇に包まれる。そんな山奥なのに、トイレが水洗できれいなことに驚かされる。
 浅草岳への行程は、林道の終点桜ゾネ登山口から約二時間半くらいである。妻の丸子を先に後を香田が、それこそゆっくりと歩く。快晴の中を、ようやく登りつめて周囲を睥睨(へいげい)するように屹立する頂上からの眺めは、蛾蛾(がが)たる山容の鬼が面山や急激に落ち込んでいる別ルートの登山道の向こうに、田子倉湖の水面が銀色に輝いているのが見える。
 キャンプ場で作ったおにぎりの昼食は、大げさに言えばどんな高級料理も比べ物にならないほど美味しい。筑波山以来の登山で、少々不安を抱えていたが、無事登頂を果たした丸子に笑顔が浮かんでいた。
 下山の途中小さな雪渓を渡るが、ここで二人同時に文字通りすってんころりと仰向けに転んで、二人の大笑いが周囲の空気を震わせた。香田は笑いながら見上げる空に白い雲が流れるのを眺めていた。

17

 けいはメールを開いた。香田からのメールは無かった。今日のけいは、いつもと違っていた。頭に浮かんだことをそのまま考えもせず文章にしていた。

「香田様、どうかなさいましたか? お体が悪いとか奥様の具合とか――わたしは、いたって元気です。ここ二・三日、友人とジョギングや食事を楽しんでいます。
とりあえず、お伺いまで                     浅見けい」

 送信ボタンを押してから、気がついた。あれほど悩み逡巡していたのに、あっさりとメールを送った自分に驚いているのを。

 香田の今日は、ジョギングで大汗をかく日だった。気温も二十五度を超えそうで、間違いなく溺れるほどの汗に見舞われる筈だ。そういえばけいもジョギングをしていると聞いた。香田の妻は、ジョギングやウォーキングはしない。ふと、けいとジョギングが出来れば楽しいだろうなと思う。
 帰宅してシャワーを浴び、テレビの大リーグ中継を見て、昼食のあといつものパソコン前の儀式に入る。メールを開くとけいからのメールがあった。一度は、メールはこちらから一切しないと決めていたが、向こうから来るのを拒むことは出来ない。読みたくなければ削除をクリックするだけでよかった。香田は出来なかった。文面を読んだ。
 彼女の気質そのものだった。なんのてらいもなく素直にメールが来ないのを病気か何かによるものと思っているようだ。香田はメールを返信した。

「浅見様。お気遣いありがとうございます。お蔭様で夫婦とも元気でおります。浅見様もお元気で楽しくお過ごしの様子、うれしく思います。
 さて、以前にお誘いしました一宮方面へのドライブは、ぜひご一緒にお願いできればと思います。そちらの日時のご都合をいただければ、プランをお知らせしたいと思います。                  香田順一」
 
 香田は送信のあと、大きく息を吐いて心を落ち着かせた。これで賽(さい)は投げられたのだ。香田の送信の数時間後、けいからのメールが入っていた。
「何事もないのが何よりです。安心しました。早速ですが、日時やプランは香田様にお任せいたしますので、よろしくお願いいたします。
その日がなんだか待ち遠しい気がします。            浅見けい」
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小説 人生の最終章(12)

2007-05-01 22:27:46 | 小説

15

 けいは、パソコンの操作に慣れてきて、今日も家事が一段落したのでスイッチを押し込んだ。素早く反応してヤフーのフロントページが現れる。メールのチェックがいつもの手順だった。香田からのメールは無かった。少し気落ちした。ほかはすべてジャンク・メールで、即座に削除をクリックする。
 ついで香田の名刺にあったブログのアドレスを開く。最新のものは、スティーブン・スピルバーグの映画「ミュンヘン」についての感想が書かれていた。映像も三枚ほど入れてあって、黒の背景に落ち着いた印象を与えている。
 文章は、年齢に合った浮ついたところの無い、好感の持てるものだった。香田の人となりが好ましく感じられる。画面をスクロールして、今までのブログを見ていった。最近は映画の感想が多いようだった。パソコンを閉じて、スポーツウェアに着替えてジムに向かった。
 ジムでは、京子が受付で笑顔を浮かべながら、きれいな歯並びを見せて迎えてくれた。「おはよう」とお互い挨拶しながら、「お変わりない」「ええ、ありがとう。そちらは?」などと言葉を交わす。京子が
「ああ、そうそう、紹介する人がいるのよ。彼女もジョギング仲間に入りたいって言うの。いいでしょ」
「ええ,勿論よ。で、何処にいらっしゃるの?」
「ちょっと待って、連れてくるから」と言って京子は、マシンが林立するフロアに歩いていった。目で追っていくとレッグ・カールをしていた中年女性の前で言葉を掛け戻ってきた。
「すぐ来るわ。彼女、一ヶ月前からこのジムに来ているのよ。すごく運動神経の発達した人で体も見事に鍛えていて、おまけに美人よ。それに性格をいいわ。まるで浅見さんが一人増えたみたい」と京子は言った。けいは、思わず目を大きく開け、驚いた表情で応えた。その彼女がやってきた。京子が手をけいの方に振って、目はその彼女に向けて紹介する。
「こちら浅見けいさん」今度は彼女の方に手を振り
「こちらは、村上めぐみさんです」
浅見と村上は、お互い名乗り合って頭を下げた。けいの見るところ村上めぐみは、けいと同じ年頃に見える。
 それに身長も同じぐらいで、やや筋肉質といったところ。化粧気のない素顔のままという感じで、健康的な肌と目鼻立ちのはっきりした理知的な女性だった。
そして早速鳩首会談となった。全員一致を見たのは、明日午後四時海浜公園集合だった。

 翌日の午後四時、三人の女性が集まった。その三人が三人とも配色は違っても、Tシャツにショート・スパッツという軽快な服装だった。これにはお色気に疎くなった男でも、目を見張って惹きつける魅力、いや魔力といってもいいほどのスタイルである。
 それもその筈、スポーツブラに包まれた胸の隆起、形よく飛び出したヒップラインをぴっちりとスパッツで強調してあれば。
 三人の女性はそんな視線なんかくそ食らえ!とばかりリズムよく走る。けいは、驚いていた。足に筋肉が付いたのか、遅れをとることなく走っていることに。嬉しさで自然に笑みがこぼれる。
 約一時間のジョギングは、かなりの汗を流し、Tシャツを貼り付かせた。そして今宵は、お近づきのしるしに三人の食事会を、イタリア料理店でということになった。

 その料理店は混んでいた。午後六時台はどこでも待たされる。三十分ほど待って席に案内された。午後七時になっていた。店内は広々としていて、ウェイターやウェイトレスが忙しく立ち働いている。
 天井や壁に光を当て、その反射による柔らかな間接照明が全体を落ち着かせていて、テーブルの卓上ランプの仄(ほの)かな明かりが、手元を照らしていた。
 メニューが配られそれぞれが目を通して、肉料理は別として三種を注文して食べ比べると食事を三倍楽しめると勝手に思っているこの三人は、前菜として定番の「マグロのカルパッチョ」「エオリア風ナスのマリネ」「帆立ときのこのサラダ」に絶望のパスタと言われるニンニクと鷹の爪だけのパスタ「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」ベーコンと鷹の爪が入った辛い「スパゲッティ・アマトリチアーナ」「ツナのスパゲティ」
 肉料理は三人とも「チキンの悪魔風」に、加えて白のテーブルワインを注文する。
 待つこともなく白のワインが運ばれてきた。けいが気を利かして、ワインを七分目ほどそれぞれのグラスに注いだ。
 このとき、けいがいつも思い出すのは、ボブ・グリーンの「マイケル・ジョーダン物語」の中の記述で、珍妙な礼儀作法の例えとして書かれているものだった。それは次のように書かれていた。

 〝高級レストランでウェイターにワインを注いでもらう、あの場面だろう。最初の一杯がグラスに注がれ、一口味わうか匂いを嗅ぐかして、ワインの良し悪しを評価するときである。
 たいていの人は、そのワインがいいか悪いかなどまったく分からない。しかし、誰もが、ちょっと味わうか、あるいは匂いを嗅いだあとで、たいてい二、三秒おいてから、少々ぎこちなく愚かな言葉を口にする――「大変結構です」
この喜劇的な光景を、ウェイターたちは昔からキッチンの奥に戻ってから、さんざん大笑いしてきたに違いない〟

 けいはいつも思い出してはにやりとする。今日はその必要はなかった。きりっと冷えたワインをフルーツの香りとともに飲み下したときほど、こよなく幸せな気分は何事にも変えがたい。料理も運ばれてきて、三人の女性はまずは味見と食べる方に専念しだした。
 最近はレストランに行くからといって、特別に着飾ることもないが、Tシャツにジーンズでは雰囲気作りに欠けるので、それなりの服装のセンスは求められる。
 めぐみは、日に焼けた肌に映える薄い黄色のサマードレスを着ていて、ダークレッドの布で出来たベルトを、無造作に結んでいた。浅い襟ぐりではあるが、彼女の豊かな胸は強調されていた。おまけにきれいに化粧をしていて見とれるほどだった。
 けいのゆったりとしたコットンの真っ白な七分袖のブラウスに、濃い紫から下部に黒を配したグラデーションのスカートは、彼女の色白の肌と化粧に映える顔は身震いするほどだった。
 京子の若さを強調した白のコットン地のワンピースは、裾に可憐な花の刺繍が施され、赤いボタンでアクセントをとってある。彼女も化粧をしていて、ボーイッシュな髪形に合わせやや控えめの可愛い女を演出しているようだ。この三人が囲むテーブルは、まるで花が咲いたような華やかさに、周囲の目を集めていた。
 京子は考えていた。こんな素敵な年上の女性を二人も、友人としてお付き合いできるのも何かの縁だし、大事にしたい。それに歳をこんな風にとりたいものだとつくづく思う。そんな考えにふけっていたときめぐみが
「浅見さんとわたし、歳は同じくらいかしら。わたしは五十四なんだけど」と言う。
「あら、三つ違いね。わたしは五十一なの」めぐみは飲んでいたワインのグラスを置きながら
「そう、もっと若く見えるわ。肌の色が白いのがうらやましくて。ほんとう、素敵よ」ワインの影響か、視線がとろんとしているようだ。
「ありがとう、でも村上さんだって若く見えるし健康的な肌色よ」
「わたしは日焼けしやすい性質(たち)なのね。でも、もともと色黒なの」
「お二人とも、ない物ねだりしているみたい。充分魅力的で今でも男をとろけさせているのでしょう?」と京子がにやりとして言う。
「そうでもないわ。第一、中高年でいい男がいる? 巡り会ってないのかもしれないけど、なんだか定年まで持つんだろうかと思うほどくたびれているわね」とめぐみは言った。京子が視線をけいに向けて
「浅見さんは、なんだか心当たりがありそうな気配に見えるけど、この間お邪魔したとき、そのようなことを聞いたように思うんだけど?」
 こんな話が間断なく繰返され、所詮女も生き物で異性に興味があるのも自然なことだし、ワインの心地よい酔いが大胆にさせ、自分のことをお互い開けっ広げに話し合っていた。
 めぐみも六年前夫をなくし、子供たちも独立していて一人身には広い持ち家を処分して今のマンションで暮らしている。高校、大学を通じてのアスリートで、今もトレーニングは欠かさない。アパレル関係の会社に勤めていて社内結婚をしたという。
 同じような境遇のめぐみとけいは慰めあい、ちょくちょく会いましょうということになった。そして唐突に
「浅見さん、その男性とどこまでいってるの?」
「どこまでって?」無表情に聞く。
「分かってるでしょう、肉体関係は? という意味よ」結構大きな声だった。どぎまぎしながらけいが「声が大きいわよ」とたしなめる。
「あら、ごめんなさい。わたし声が大きい? ワイン飲みすぎちゃったかなあ。でも、うかうかしていたら、その人横取りしちゃうわよ」と言いながら声をひそめて「アレがしたいときがあるの。わかる?」これにはけいも京子も声が出なかった。しかし、けいには充分に伝わる言葉だった。最後にめぐみが言ったことが、けいは気になりだした。
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