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ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」

2005-01-20 11:53:30 | 読書
  【ミセス・ダロウェイは、お花は私が買ってくるわ、と言った。】この書き出しで始まり、【やわらかいヴェールのような、灰色がかったブルーの朝の空気に包まれる。時間がたつにつれ、空気はほどけるように澄んでゆき・・・】ロンドンのこの上なく美しい六月の一日が始まる。この一日は、政治家夫人としてのパーティの日になっている。
  
  「意識の流れ」の文体で、老いゆく女性の、あるいは老いゆかざるをえない人間の悲哀を、生命力に満ちた六月のロンドンを背景に、美しくうたいあげた、20世紀文学の最高傑作といわれている。私が受けた印象は、老年のロマンティックな物語といってもいいのではないかと思う。
  
  さかのぼること30年。クラリッサ・ダロウェイはイングランド西部の屋敷で、恋人ピーター・ウォルシュ、旧友のヒュー・ウィットブレッド、夫となるリチャード・ダロウェイ、そして同性愛感情を寄せていたサリー・シートンなどが集まっていた夏。そのときクラリッサはピーターを拒み、リチャードと結婚する決意をした。

  そして今52歳のダロウェイ夫人がセント・ジェイムズ公園でピーターを思い出していた。心の奥底ではピーターを思う気持ちが澱(おり)のように固まっていた。そしてパーティは始まり進行しお別れの時間になる。サリーとピーターは椅子に座って取り留めない会話を交わしながらクラリッサを目で探す。サリーがリチャードにお別れに行ってくるというと【「僕も行くよ」とピーターは言ったが、ちょっとの間そのまま座っていた。このぞっとする感じはなんだろう?この恍惚感は?彼は心の中で思った。俺を異様な興奮で満たしているのはなんだろう?クラリッサだ、と彼は言った。そこに彼女がいたのだった】二人の気持ちが一致した瞬間なのだろう。

  ヴァージニア・ウルフの美しい文体は、ユーモアや比ゆが適当にちりばめられ、読むものにちょっとした休息を与えてくれる。たとえば、「玄関ホールは地下納骨堂のようにひんやりしていた」「ボタンのような丸顔のミス・ピムがすぐに出迎えた」「バラはなんとも新鮮な趣。まるで小枝細工の籠にのせられた、洗濯したての、フリルのついたリンネルみたいだ」。

  また、1920年代の風俗がみてとれ興味が尽きない。ピーターは思う、【この五年間―1918年(大正7年)から1923年(大正12年)までの―はどういうわけかとても重要な時期だったのではないだろうか、人の様子が変わった。新聞も変わった。今ではたとえば高級週刊誌のひとつに、トイレについて公然と書くやつがいる。十年前にはとても出来なかったことだ―高級週刊誌にトイレについて公然と書くなんてことは。それからこんな風に口紅やおしろいのパフをとり出し、人前で化粧するなんてことも。帰国の船にも若い連中がたくさんいたが、人前でも実に堂々とじゃれあっていた】1918年に第一次世界大戦が終わって、すべての転換期だったのだろう。

  ファッションも変化しつつあり、本に挿入されているヴァージニア・ウルフ本人のモノクロ写真は、透き通るような日傘に白い手袋、飾りのついた帽子、足首に届くかと思われる長いコートにひざまであるこれも長いマフラーを無造作に羽織っている。色はわからないが、淡い同色系統でまとめているように思う。当時の代表的なファッションなのだろう。ポーズが決まっていて、いい雰囲気である。映画「めぐりあう時間たち」からヴァージニア・ウルフにたどりつき、ウルフの別の作品にも食指を伸ばしかけている。
コメント (3)
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