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御柱祭は世界遺産に

2011-12-18 00:05:05 | Weblog
岡本太郎は、諏訪の「御柱祭」(おんばしらさい)に爆発する。
「諏訪で御柱に血が騒ぐころは、ボクも爆発するんだ」

岡本太郎は「御柱祭」が大好きである。
「御柱祭は、縄文人が満ち満ちている」

「千年以上の歴史をもつ御柱がいいのは、
千年以上たった今も変わらないからだ」

岡本太郎が絶賛する「御柱祭」は、「世界遺産」にならないか。

「御柱祭」は、平安時代の初期(8世紀)に最初の記録があって、
起源は、さらにさかのぼるというから、長い歴史である。

「御柱祭」の絵巻。諏訪市博物館のパンフレットから。

「御柱」を曳く人、縄やてこを持つ人、そして、
おんべや扇子、笹を持って掛け声をかける人と、
住民が分担し、結束してお祭りをしている。

2010年の御柱祭。下諏訪。

「御柱」は、長さ17メートル、重さ10トン。

「御柱祭」は、世界遺産にならないか。
「諏訪大社」は建造物として「有形の文化遺産」であり、
そこで繰り広げられる「御柱祭」は「無形の文化遺産」である。

「諏訪大社」の下社、春宮と「一の御柱」。

「諏訪大社」は、日本で最も古い神社の一つ。重要文化財である。

「世界遺産」といえば、これまで、建造物の「有形文化遺産」が主だった。
京都の「世界遺産」といえば、神社仏閣であり、
「世界遺産」アテネのアクアポリスもといえば、
パルテノン神殿」である。紀元前438年。


アテネのアクアポリスも京都も、
「世界遺産」になっているのは、「建造物」である。
京都の神社仏閣も、アテネのパルテノン神殿も、
中では、神事や祭事、伝統行事が行われていた。

アフリカのチュニジアには、ローマ帝国時代の都市遺跡がある。
ドゥッガで、ローマの属州として4世紀に最盛期を迎える。
ドゥッガの劇場」。世界遺産。

こんなに大きな劇場は、ローマにも残っていない。
壮麗な演劇や祭事が行われていたのだろう。
今は、建造物が遺跡となっている。

ドゥッガについては、
「チュニジアの通知表」、2009年10月25日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/835bb04a26ede8c0236f3a6a151419fa
を参照してください。


建造物の「有形文化遺産」と、
伝統行事の「無形の文化遺産」とは、
入れ物と中身で、ともに重要である。
そして、不可分の総体である。

しかし、これまでの「世界遺産」は、
「形」がある「有形文化遺産」が重要視されて、
「形」がない「無形の文化遺産」は重要視されてこなかった。
「無形の文化遺産」には、廃(すた)れたり、
このままでは、なくなってしまうものもある。

そこで、浦晃一郎 前ユネスコ事務局長は、
「無形の文化遺産」も重要として、
ユネスコ事務局長のときに、
「無形文化遺産」条約を採択した(2003年)。

「ユネスコ事務局長奮闘記」、松浦晃一郎著。講談社。

「ユネスコ事務局長奮闘記」には、
「無形文化遺産」条約の採択にこぎつけたことが、書いてある。

「御柱祭」は、
諏訪大社」の「有形文化遺産」と、
御柱祭」の「無形文化遺産」の両方がある。

「諏訪大社」の上社、本宮。

「諏訪大社」は、日本で最も古い神社の一つ。重要文化財である。

「御柱祭」と「諏訪大社」が同時に「世界遺産」になればいいが、
先に「御柱祭」だけでも、「無形文化遺産」にならないか。

「世界遺産」ユネスコ事務局長は訴える、松浦晃一郎著。講談社。


「無形文化遺産」とは、どんなものか?
「世界遺産」ユネスコ事務局長は訴える、には、
5つの形態が記載されている。
①口承による伝統及び表現、
②芸能、
③社会的慣習、儀式及び祭礼行事、
④自然及び万物に関する知識及び慣習、
⑤伝統工芸技術。

「御柱祭」とは?

諏訪市博物館のパンフレットから。

「御柱祭」は、
②芸能、
③社会的慣習、儀式及び祭礼行事、
④自然及び万物に関する知識及び慣習、
が、当てはまる。

②芸能
「御柱祭」は「芸能」にあふれている。
例えば、はっぴ、はちまきの衣装や「木やり」。

「おんべ」をかざして、「木やり」の音頭で、「御柱」を曳く。

③社会的慣習、儀式及び祭礼行事
木落し」(きおとし)があり(諏訪大社、下社)、

御柱祭のパンフレットから。

川越し」(かわごし)があり(諏訪大社、上社)、


フィナーレ、「建御柱」(たておんばしら)がある。


「御柱祭」は。「山出し」、「里曳き」と変化があり、
難所があり、見せ所がある、勇壮な「大祭」である。

④自然及び万物に関する知識及び慣習
「奥山の大木は、里に下りて神となる」
八ヶ岳山麓からモミの大木「御柱」を16本切り出し、
「山出し」、「里曳き」と20キロほどを人力で曳行して、
里にある「諏訪大社」の4社の四方に建てて神木とする。


「御小屋の山のモミの木は、里へ下りて神となる」(諏訪大社、上社)。

「木落し坂」を恐る恐るのぞきこむ観光客。諏訪大社、下社。

「この急坂を、木にまたがって下りるなんて!」
と、肝を冷やしていたのが聞こえた。

「木落し」は、
「御柱祭」の最大の見せどころ、そして最大の難所で、
「木落し坂」は、斜度35度、長さ100メートルある。

「無形の文化遺産」は、廃れたり、
このままでは、なくなってしまうものがある。

しかし、「御柱祭」は、ますます盛んになっている。
諏訪の住民21万人は、「御柱祭」になると、嬉々とする。
そして、総勢で参加し、結束して「御柱祭」に取り組む。

それに、「御柱祭」の範囲は、
諏訪湖周辺から八ヶ岳にかけて、6市町村、
(諏訪市、茅野市、岡谷市、下諏訪町、富士見町、原村)
と広範囲に及ぶ。

地域の住民が、総勢で手がけるお祭りを、
「御柱祭」以外に見たことがない。
大祭で、しかも、長い歴史がある。

イギリスの「ストーンヘンジ」。2004年撮影。

紀元前2500年の巨石遺跡で「世界遺産」。

1980年代に行ったときは、観光客はストーンヘンジの中に入って、
巨石に触ったりしたが、2004年は遠巻きにするだけだった。
左端に、小さく観光客が写っている。

ストーンヘンジの中では、
数十名の白装束、黒装束、赤装束が、神事を始めた。
しかし、すぐに終わった。

「御柱祭」には、住人がこぞって参加するほかに、
観光客」も増えている。2010年の人出は180万人で、過去最高である。

観光バスで来て、観覧席から上社の木落しを観る。2010年4月。

「御柱祭」には、諏訪の人は嬉々とし、血は湧き、肉は踊る。
そして、民俗の大催事を総勢で取り組み、結束して継承している。

松浦晃一郎 前ユネスコ事務局長は、
文化」とは、
広い意味では、「人間の生活様式」を指す。
狭い意味では、「人間の芸術的活動及びその生産物」と定義したい。
と、言われている。

「御柱祭」は「無形文化遺産」にならないか。
「無形文化遺産」の5つの形態があって、
①口承による伝統及び表現、
②芸能、
③社会的慣習、儀式及び祭礼行事、
④自然及び万物に関する知識及び慣習、
⑤伝統工芸技術。
「御柱祭」は、②、③、④が当てはまる。
②芸能、
③社会的慣習、儀式及び祭礼行事、
④自然及び万物に関する知識及び慣習。

松浦晃一郎 前ユネスコ事務局長は、
③と④の2形態は、文化的景観の定義の軸でもある。
と、言われている。

「御柱祭」は、まさしく「文化」である。
独自の「文化」であり、世界に誇る「文化」である。

諏訪大社を訪れる観光客。

諏訪大社、上社と「一の御柱」。
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