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東山魁夷の「安曇野を想う」

2011-12-04 00:08:26 | Weblog
信州の長峰山(ながみねやま)には、
東山魁夷の「安曇野を想う」の碑がある。


東山魁夷は、川端康成井上 靖と3人で長峰山を訪れた。

長峰山から安曇野、北アルプスを望む3人の巨頭。
左から川端康成、東山魁夷、井上 靖。1970年5月12日。

3人の巨頭が、安曇野で一堂に会したきっかけは、
川端康成が、東山魁夷と井上 靖に送った手紙である。
「多くの写真などをみますと余りに美しいので、
御誘ひいたしたく存じます」

そして、安曇野を目の当たりにして、
川端康成は、
「残したい 静けさ 美しさ」
と言われた。

東山魁夷は、
「安曇野は、なんと美しかったことか」
と、驚嘆された。

東山魁夷の「安曇野を想う」の碑には、つぎのようにある。


 安曇野を想う
        東山魁夷

五月の若緑に蔽われた安曇野はなんと美しかったことか
上高地から流れ出る梓川が高瀬川と合流し
犀川となって北に流れる平野の上に高く連なる北アルプスの山々
常念、東天井、燕と
長峰山の上で案内人の指し示す残雪の嶺々を仰ぎながら
飽かず眺めたひとときが忘れられない

「安曇野を想う」の碑にある、
「常念、東天井、燕」を写真で見る。
それと、「残雪の嶺々」も。

「常念、東天井、燕」の写真。
この日は、朝焼けがあった。2011年11月。

左のピラミッド型が常念岳、赤い三角が横通岳(よこどおしだけ)、
東天井岳(ひがしてんしょだけ)、中央の大天井岳(おてんしょだけ)をへて、
右端の燕岳(つばくろだけ)へと連なる。
燕岳の手前の富士山型は、有明山(ありあけさん)。
ふもとは安曇野。

「残雪の嶺々」。燕岳から、さらに右(北)の北アルプス。2011年11月。

左の大きな山が蓮華岳(れんげだけ)、
3つのピークがある爺ケ岳(じいがたけ)、
2つのピークの鹿島槍ヶ岳(かしまやりがたけ)が連なる。

左端の白い三角形は空木岳(うつぎだけ)、
その右に立山(たてやま)が小さく見える。
ふもとは、安曇野の松川で、「安曇野ちひろ美術館」があるところ。

鹿島槍ヶ岳の右(北)の「残雪の嶺々」。2011年11月。

左から鹿島槍ヶ岳、五竜岳(ごりゅうだけ)、唐松岳(からまつだけ)、そして、
白馬三山(しろうまさんざん)の白馬鑓ケ岳(はくばやりがたけ)、
杓子岳(しゃくしだけ)、白馬岳(しろうまだけ)が連なる。

日が昇って、老若男女が長峰山に来る。2011年11月。

ふもとから狭く曲がりくねった6キロの林道を、
登ってきたごほうびがある。それは、
川端康成が言われた、「残したい 静けさ 美しさ」、
東山魁夷が言われた、「安曇野は、なんと美しかったことか」、
を実感できること。

「安曇野を想う」の碑の裏には、つぎのようにある。


          撰 文
 日本芸術院会員
 文化勲章受章者
東山魁夷画伯 かって昭和四十五年五月に
川端康成、井上靖両先生とともにここ長峰山で遊ぶ

 そして雄大な安曇野の景観を目の当りにして
圧倒的なパノラマに驚愕感動した 
以後豊かな自然の贈り物に囲まれた日々を過ごせることへの感謝と
最近の急速な開発によってそこなわれつつある景観を憂慮し
多くの人たちに郷土を愛する心を持ち続けてほしいとの切なる願いから、
ここにその熱き想いを揮毫していただく

 平成七年は明科町制施行四十周年にあたり
自然保護の立場からこれを刻し
保全への決意とともに記念するものである

  平成七年九月
           長野県 明科町

「安曇野を想う」の碑は、3巨頭が会した長峰山に、
明科町(あかしなまち)、現在の安曇野市が1995年に建てた。

「残雪の嶺々」を、ふもとの安曇野から撮った写真がある。2011年3月。

左から3つのピークがある爺ケ岳、2つのピークの鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳、
そして、白馬三山の白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳が連なる。

「安曇野を見たい」と、
たずねて来るお客さんには、この景色や長峰山にご案内する。
屏風のようにそそり立つ、3,000メートル級の北アルプスの嶺々に、感激される。

長峰山頂近くにある「天平の森」では、
北アルプスを眺めながら食事ができる。

明科の名物、ニジマスのから揚げをメインとした天平定食。
「新米ですよ」
と言われたご飯をお代わりした。
うまかった。2011年11月。
床暖房で、足がホカホカしてくる。
目も、口も、足も、満足! 満足!

平日に食事をすると、風呂のサービスがある。
風呂から眺める北アルプス、最高だ!
「いいところだな!」と思う。

スイスのツェルマットの景観にも劣らない。

ツェルマットの街とマッターホルン(4,478m)。

しかし、ツェルマットとの違いがある。
安曇野には、クモの巣のような電柱・電線があり、
ツェルマットには、電柱・電線がない。
このことを、
「ツェルマットの景観」、2010年11月21日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/b72eadc9f0ef5e924b4da2e3d1a78fbb
に書いた。

日本の「電線の埋設率」は、大きく立ちおくている。
「電線の埋設率の国際比較」、2011年2月13日、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7ed94ec8f3bdafa473ac134d7ee7c355
を見てください。

先進国の中では、最低である。そして、
1)「景観」が悪く、
2)「危険」で、しかも、
3)「電気料金」が高い。

安曇野市は景観条例で、景観を良くしようとして、
広告看板を規制し、視野をさえぎる高い建物を規制している。
つぎは、電柱・電線の「埋設」にも取り組んでほしい。

「二年坂の電線」、2011年10月30日では、
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/ec3c920c2d3b97c768793cdc09f5cede
「二年坂」から、クモの巣のような電柱・電線を取り払った、と書いた。

そして、「」が開いた。
日本も、電線を埋設する技術はある。

電力会社は、電線を埋設しないと、
利益を、景観のために使っていない、
安全は、後回しにしている、と思われる。

川端康成が言われたこと、そして、
東山魁夷が言われたことは、
いまの日本を表している。
川端康成は、
「余りに美しい」
「残したい 静けさ 美しさ」。

東山魁夷は、
「安曇野は、なんと美しかったことか」
「最近の急速な開発によってそこなわれつつある景観を憂慮」、
「多くの人たちに郷土を愛する心を持ち続けてほしい」

東山魁夷からのメッセージが、安曇野市の明科高校にある。
玄関前にある「碑」を撮らせてもらった。


次代を荷う皆さんは
あの安曇野の美しさを
長く伝えて下さるよう
お願いいたします

 平成四年二月
         東山魁夷
コメント
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