季節の変化

活動の状況

盗聴、密告、秘密警察で人生を失う

2009-03-25 05:55:11 | Weblog
東ドイツは、ベルリンの壁を築いて、東西の行き帰を遮断した。
そして、国民には情報規制をした。
しかし、東西の行き帰を遮断し、いくら情報規制をしても、
西ドイツの放送からは、刻々と情報が入ってくる、ドイツ語で。
「東ドイツはおくれている。もう、どうしようもない」
と、東ベルリンの市民は、気がついている。

シュプレー川沿いにある犠牲者の十字架(1988年)。

中央の黒い十字架は、だれだろう? 最初の犠牲者?

「この国には希望がない。もうだめだ。国を捨てたい
脱出のためにはをかけてもいい」
東ベルリンの市民を、こう思わせた。

そして、ベルリンの壁を越え、シュプレー川に飛び込んで、
泳いだり、ボートに乗ったり、シュノーケルで潜ったり……と、
脱出を試みた。が、東の国境警備隊に見つかって、射殺された。

「この国には希望がない。もうだめだ。国を捨てたい」
という市民の思いは、東ドイツのハレでも感じた。
ベルリンの南西150キロメートルにハレはある。

ハレの国際見本市の会場(1989年)。
尖塔にはが乗り、正面にはレーニンの巨大な顔像がある。

ベルリンの壁が崩壊するのは1989年11月で、
東西ドイツが統一するのは1990年10月だから、
東ドイツのハレに行った1989年3月は、
ベルリンの壁が崩壊する年(8か月前)で、
東ドイツが消滅する前年(1年7か月前)になる。

見本市のお客さんのホテルは、外人専用だった。
外人というのは、東ドイツ人以外で、私も外人。
1泊1万円は、東ドイツ人の1か月の給与にあたる。

西側基準のホテルは、東ドイツ人からすると、豪華すぎる。
キャビアがあり、ケーキや色とりどりの果物と、豊かだ。
ホテルは離れた新市街にあって、見せかけの豊かさは、
東ドイツ人には見せないようにしてある。それに、
西と情報交換や接触ができないようにしてある。しかし、
ホテルの従業員は東ドイツ人だから、西との格差は知れ渡る。

見本市会場からホテルへは、タクシーで帰る。
乗り合わせたタクシー・ドライバーのダークは話しかけてきた。
「インフレーションがないから、この20年間、
物価が上がってない。ガソリン代も値上がりしてない。
インフレーションもないし、暴力もないし、失業者もいない」
と、最初は、社会主義の良さを話した。
東ドイツ人と話ができるとは、ありがたい。
一市民が言うことは、飾りがない、重みがある。
しかも、ダークは積極的に、話してくる。

「家を建てるために、昼間は化学の教師
夜はタクシー・ドライバーをして、稼いでいる。
給与は1万円だが、アパートメントの家賃は200円で、
子どもの学校の授業料はタダだ」

木材は手に入り易いが、タイルなどの磁器
トイレのバスタブやシンク、便器などの陶器が、
手に入らない。それに、照明器具も手に入らない」
と、生活の状況、国の状況を話す。

冷蔵庫洗濯機は、高過ぎて買えない。
電話はぜいたく品で、持っているのは一部の特権階級だけだ。
は、タクシーが優先されているから、1年待てばいいが、
一般の使用は、後回しで5~6年は待つ。
新車よりも、いま手にしたい中古品のほうが高くなっている」

ドル・ショップでは、西の商品を売っている。
タバコや酒、肉、バナナ、オレンジ、チョコレートもあって、
利用できるのはドルを持っている裕福な人か、一部の特権階級さ」

あとで、ドル・ショップへ行ってみた。
お客さんがいなかった。売り子が2人の小さい店だ。
西でみかける免税店という感じだ。西のチョコレートを、
ドルで買った。円換算すると……高い、日本の3倍もする。
――たしかに、東ドイツの市民が買い物をする店ではない。

そして、ダークは気を許したのか、過激になってきた。
「西から東に電話をかければ、すぐにかかる。
しかし、東から西には、申し込んでから、しばらく待たされる」

「だれと交信しているのか、チェックしているのさ。
それに、“盗聴”されているのは当たり前のことなんだ。
脱出”の話をしたり、国家の“悪口”を言おうものなら、
秘密警察シュタージ”に“密告”されて、連行される。
それで、“人生を失った”人が多い」

――盗聴、密告、秘密警察で人生を失う、とは恐ろしい話だ。
それも、一般市民の身の回りに起きているとは、驚きだ。
よく、こんな話を、乗り合わせた日本人にするもんだ。
一党独裁による内部の腐敗恐怖政策計画経済の破綻に、
市民の不満は、もう限界に達している。

「国民は、国家の悪口を言っているだろう? 脱出するだろう?」
と、政府が国民を疑って、盗聴や密告、秘密警察の恐怖で抑え込み、
「言われるがままにやってきたが、幸せにしなかった。
その国民を守らないとは、なんのための国なんだ!」
と、国民が政府に失望して、国を捨て脱出をする。
これは、末期的な状態だ。国の破滅状態を見た。

西ベルリンのイギリス管理区、シュプレー川(1988年)。

対岸は、東ベルリンで、フェンス、ベルリンの壁(白)、照明が見える。
監視塔を入れて、東西ベルリンを遮断する、お決まりの一式になる。

フェンスとベルリンの壁の間は、国境警備隊が巡回する。
歩いたり、車であったり、シェパード犬を連れたりと。
ここシュプレー川では、さらに、“警備艇”が見える。
「この国には希望がない。もうだめだ。国を捨てる」
という、東ベルリンの市民を追跡して、射殺する。

手前の警告板には、
「イギリス管理区の境界。ここを越えるな」
とある。

イギリス管理区とは、第2次世界大戦後のベルリンは、
東西に分割され、さらに西ベルリンはアメリカ、イギリス、
フランスによって、3分割されて統治されていた。
分割統治は、ドイツが敗戦した1945年から、
1990年9月まで、半世紀も続いた。
一方の東ベルリンは、ソ連によって統治された。

1945年に、第2次世界大戦は終わり、
1961年8月に、ベルリンの壁が築かれ、
1989年11月に、ベルリンの壁が崩壊し、
1990年9月に、西ベルリンの分割統治が終わり、
1990年10月に、東西ドイツは統一し、
1991年12月には、ソ連が崩壊する。

半世紀かかった“イデオロギー”の“実験”は終わった。
一党独裁の内部腐敗、計画経済の破綻は、国民を幸せにしなかった。
西も東もなくなって、“地球規模”(グローバル化)になった。
そして、イデオロギーに代わって、“先端技術”の競争になった。
歴史の“劇的な変化(パラダイム・シフト)”である。

いまは、ベルリンの壁も監視塔も……取り壊された。
ハレのも、レーニン像も……取り壊されただろう。
盗聴密告秘密警察人生を失うは……もうないだろう。
いまわしいもの”は取り除いて……新しい変化に対応していく。
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