畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

神無月

2011-10-01 19:06:19 | 暮らし

10月1日(土)  

10月に突入。後三カ月。今年も100日を切っている。

畑作業。ニンニクを植えようと、マルチにポツポツと穴を開けたが、植え付けることができない。中の土が、カラカラに乾燥していて、穴を開けてもすぐ埋め戻ってしまう。ニンニクを持って差し込むように突き押しても、土が固くて駄目だ。一雨待って、土がしっとりしてからと、穴だけ開けておく。植付は、3~4日待ってからだ。

夏草が、畝間を覆い、一面の草原と化している部分の草刈。カボチャ後なので、畝部分は、ポリのマルチがある。気を使いながらの作業。

だいぶ経ってしまったが、朝日新聞の報道と、社説について、最後に一言。

新聞は、報道することが使命だ。集会の、主催者でもある鎌田 慧氏が、「おざなりにほんの少しだけ」との感想を持つなら、その通りだったのだろう。20日の報道が、「ほんの少しだけ」で、社説は、「民主主義が動き出す」と、主張している。

再度、新聞は、事実を報道することを第一義とすべきだと思う。そして、その事実を、伝え聞いた、読者が、一人一人で、その事実について、自ら判断し、考え、行動するなら行動する。事実を、事実として伝えることなく、一日置いて、集会の感想を社説とする。そして、民主主義を説いている。大江健三郎氏の言葉も引用している。しかし、「、、、、、実力者たちに思い知らせる必要がある。、、、何ができるか。私たちには民主主義の集会や市民のデモしかない。、、、」の「民主主義」と、朝日の「民主主義」とは、その質が違う。

多くの読者が見るであろう一面、誰もの目に飛び込んでくるであろう米粒を並べたような、人人の写真。これこそ、民主主義を説くことより、はるかに真実を伝え、意味あることだと思う。多くの人の目につく所では、「おざなりに」扱い、極少数者しか読まないであろうところで、もっともらしく、説いていると、思われてもしようがないだろう。

ひねくれた見方だろうか。