畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

田んぼのある暮らし

2023-05-31 16:56:53 | 農業の事

5月31日(水)

田んぼの記憶はまだある。虫取り。田植え前、田植え時か少し後ぐらいだろうか。ニカメイチュウという稲の害虫の捕殺。1㎝~2㎝くらいの薄茶の蛾だった。農協か役場からかの奨励があり、子供たちは競って捕まえ、大人たちに届けていたように記憶する。誘蛾灯もあった。畳ほどの大きさの油のような液を張った枠の上に青い光の電灯をつけ、夜に虫を誘っていた。害虫だけでなく、カブトムシやクワガタも誘われ、子供たちを喜ばせた。田んぼでは、ドジョウ取もやった。田んぼの水口にざるや網を据えて、泥の中のドジョウを追い捕まえた。

稲の育つ田んぼは、そのまま、子供たちの遊びばでもあった。

農薬の共同散布も始まった。農薬散布の水田には、赤旗がたち、数日間は立ち入り禁止の公示があった。毒性の強いパラチオンだった。子供たちの虫取りや、夜の風景の誘蛾灯は、農薬の散布にとってかわられていった。

昔も暑い夏は終わり、秋になる。

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田植えが終わり

2023-05-30 18:36:53 | 農業の事

5月30日(火)

【梅雨入りしたような天気。関東は外される。午後、雨は上がり、薄日位になり、畑に、2時間ほど出てくる。】

田植えが終わると、稲の栽培管理は、大人たちの仕事。畔草刈りは、鎌を使う。田の草取りは、田んぼに入り四つん這いになり、両手の指を田の泥の中に入れて、かき回し、小さな草は水に浮かしての除草。草が育ちすぎると引っこ抜き泥に埋めなければならない。手押しの除草期はあったと思うが、畝間はやれても、株間や苗の周りは手でやっていた。米つくりで、最もつらいといわれる除草作業は、最低でも二回くらいか。丁寧な人は三回もやっただろう。苗が育ち、穂を作り始めるころには、稲株が繁茂し、田面を覆う。陽の光が差さなくなると、草も育たなくなり、除草から解放される。

子供たちの手伝いは、主に畑仕事に回される。田んぼ仕事の合間に、畑では、いろいろな野菜を作る。ほとんどすべてが、自給だから、イモ類、大根などの根菜、ナスやウリ類の果菜、菜っ葉など。畑仕事も全部、鍬での作業。耕す三本鍬、畝作りは平鍬で土をすくい上げながら作っていた。肥料はほとんど、下肥。天秤棒で担いだり、荷車やリヤカーに積んで、引いて行っていた。ゴボウや長芋など深く伸びる根菜はスコップを使って掘っていた。サツマイモや、ジャガイモは鍬で土を掘っての収穫だ。収穫したものの運搬も、背負子や、リヤカー。一輪車などは、かなり後になってからの記憶だ。とにかく、なんでもすべて、人力による作業だった。

畑や田んぼのあちこちには、桑畑も散在していた。養蚕をやっている農家もあり、桑は大事な作物であった。そして、子供達には、うれしいおやつを提供してくれる場所だった。初夏のころには、青から赤、そして紫色に熟した桑の実取は、手伝いの合間の楽しみだった。そのまま食べたり、茎を折って皮だけ残したフキの葉を漏斗のように丸め、その中に桑の実を詰めて、ぎゅうっと握ると、紫のジュースが、葉の付け根から皮をつたって流れ出る。大きく口を開け、首をちょっと曲げて、フキの皮を口に含みジュースを吸う。口の周りを紫に染めて、夢中になっていた。

そうこうしているうちに、夏も終わり、秋になる。

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田んぼの準備

2023-05-29 17:03:29 | 農業の事

5月29日(月)

【朝から、しとしと雨が降ったりやんだり。その気になれば、外仕事もできないことないが、雨休みとする。草刈りで疲れた体にはよい休み。】

どこの農村でも、そうだったろうが、田植えは、総出のお祭りのようなにぎやかさだっただろうが、そこまでの準備は、きつい重労働だった。

ほとんどが、人の手で使う道具を使い、土を起こし、砕き、均平にする。全部手作業だ。道具はその地域や、土質、水入れの自由さなどにより、様々だと思うが、私の記憶では、三本鍬、平鍬が主な道具だった。

稲刈り後の乾いた田んぼを三本鍬で耕し、土を起こす。水を入れて、畔塗(畔付け)をする。平鍬で今までの畔の表面を削り、水で練った土をつけて塗り込む作業で、モグラやケラの穴をふさぎ、水持ちを良くする。耕した土は、水を入れて柔らかくして、三本鍬で打ったり引いたりして土を細かくし、平らに均しやすくする。土が細かく、やわらかく、どろどろになったら、水を張ってレーキ(トンボとかいう地域もある)で平らに均す(代掻き)。

こうした作業にどのくらいの時間がかかったのだろう。ようやく、田植えができるようになる。田植えは、田植え綱、線引き機、田植え枠などいろいろあるようだが、木の桟で作った六角形の田植え枠を転がして、他の表面に印をつけて、苗を植えていた。

時代的には、すでにエンジンをつかった機械もあったようだが、見た記憶はない。馬や、牛をつかって鋤やマンガ(馬鍬)で、田んぼ作業をする農家もあったが、それは、広い面積を経営する農家で、私の住む集落では、二件ほどだった(40戸ほどの内)と記憶する。

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今日の作業

2023-05-28 18:10:52 | 暮らし

5月28日(日)

【変換畑の草刈り。ちょうど、一年ぶりくらいだから、カヤやセイタカアワダチソウが、背丈近くまで伸びている。しかも、びっしりと。午前中はモアを走らせる。一番高い位置で刃が回転するようにして作業しても、機械の操作が大変だった。午後は、刈払機も使い、法面の草も刈る。段々の下の田んぼに迷惑がかかるので、優先的に刈るが傾斜の下向きに刈払機を操作するので大変だし、背の高い草が、下の田んぼに落ちないようにすくい上げるような動きをするから、疲れる作業だ。午前も午後も、実働2時間もやらないが、一日終わると、へとへと。

ダラーッと休養だ】

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農繁期休暇

2023-05-27 18:55:45 | 農業の事

5月27日(土)

触れたこともあると思うが、私が小学校に通う頃には、1950年代だが、農村地域では、春の田植え時期と、秋の稲刈り時期には、一週間ぐらい、学校は休みになった。子供たちの保頓田の家では、稲作をやっている。そして、当時はすべて人の手作業での農作業だったので、米つくりという、ある程度まとまった面積で、同じ作業が集中する田植え時と、収穫作業の稲刈り時は、それこそ、猫の手も借りたいほどの忙しさだった。年齢が小さくとも、下の子供の面倒を見たり、子供達同士で遊ぶなど、忙しい大人の世話にはならずに過ごさなければならなかった。そんな時、小学校に入りたてであったとしても、それなりの労力であり、高学年になれば、大人並みの作業をする立派な担い手であった。

少しだけの米つくりしかしていない我が家でも、休みになると手伝いはしたし、家の仕事が終わると、親戚の手伝いに駆り出された。

苗は、田んぼに水を張った水苗代で作っていた。裸足で田んぼに入り、15センチ以上に育った苗を素手を泥の中に突っ込んで、苗取りをする。値を傷めないように丁寧に、しかし、スピードも求められる苗取り。根についた泥を田の水で洗い、陽よ握りほどにまとめ、藁で縛っておく。その日植える分を撮り終えたら、田んぼに運び、家族総出の田植えとなり、手の空いている親戚たちもみな手伝いに集まる。そんな田植えは、当時の農村のあたりまえの風景だったし、農村全体の春の生き生きしたエネルギー溢れるひと時だった。

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田畑の記憶。

2023-05-26 18:48:12 | 農業の事

5月28日(金)

【今日は、花畑。モアでの草刈りをする。刈払機とははるかに違い、ほどには疲れない。】

1948年(昭和23年)、新潟県の魚沼地域の農村で生まれた。家のすぐ裏には、清流といわれる魚野川が流れている。城山と呼ばれる一番高く見える山を含む山々がぐるりとめぐる盆地の一角。遠くには越後三山が美しく見える。八海山、中ノ岳、越後駒ケ岳の三山。冬には、二階から出入りした方がよいほどの豪雪地帯。夏は盆地ゆえの蒸し暑さ。時折の川風に一息ついて、昼寝から覚める。そんなところだった。

農村ではあるが、我が家は農家ではなく、父は町役場に努める公務員だった。1反弱くらいの田んぼと、それよりだいぶ広い(3反ほどか?)畑があった。朝晩と日曜、土曜の午後の父の仕事場だった。木でできた荷車、いつ頃からはリヤカーの荷台に乗っかって畑に連れられて行った記憶はある。田んぼに入った記憶、畑で手伝って、芋ほりをしたり、大根を抜いた記憶。我が家での農業の記憶はそんなものだ。

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生涯

2023-05-25 18:27:33 | 農業の事

5月25日(木)

【午後、2時間足らずだが、田んぼの大土手の草刈り。やっと、大変な草刈りは終わった。2時間足らず、といったが、刈払機での草刈りは、これくらいの時間が限度だ。がっくりつかれる。】

75歳になり、この年での田植えを終えた今、農業を生業にしてきた私として、振り返るとしたら、農業の事だろうし、米つくりの事だろうし、農を中心に据えた生活の事だろう。私たちの年代のものにとって、生涯のどこかで、農とかかわることのなかったものは、ほとんどいないだろう。そして、その多くは、農的環境の中で生まれ、育ってきた。そして、いつの間にか、農的なものとは全く離れて、生きるようになっていた。今の日本の社会のありようそのものが、私たち世代の生涯のいきついたところといってよいのではないか。いわゆる、団塊の世代の生涯。

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今日の事

2023-05-24 18:42:04 | 暮らし

5月24日(水) 

【すがすがしい朝。快晴の空だが、空気は冷たく感じる。台所仕事、洗濯と家事に体を動かすが、手はかじかむほどで、食卓に着くと、暖房がほしくなり、ストーブに火をつける。ニュースでは、遅霜で、農作物に被害、とも流していた。

日中は晴天で、陽の光は強く、浴びていると汗ばむくらい。出荷作業を終わらせ、午後は、ゆっくり目に田んぼに行き、大土手の草刈り。まだ、昨秋の草が立ち枯れ、今年の草の勢い良く伸びているところの草刈りだ。昨秋のセイタカアワダチソウや、葦の枯れ茎は木の小枝のように固く、丈も身長を超えている。法面で、足を突っ張り、刈払機を振るのはつかれる。実働、2時間もしないで、くたくた、びっしょりになり、引き上げる。大変な草刈りは、あと一回で終わりそうだ。今後は、こんなにならないようにしないと。

5月も下旬。まだまだ陽は高い。が、浴槽にお湯を張り、昼風呂につかり、体をいやした。】

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老人性鬱

2023-05-23 17:50:07 | 暮らし

5月23日(火) 【朝から、しとしと雨が降っている。そして、久し振りの寒さがやってくる。家の中で、片付などをして、なんとなく過ぎてしまう。】

 

空白にしてきた4か月余りを、ざっと振り返ってみた。寒波、急ぎ足の春到来、気持ちの乗らない春作業の出発。後期高齢者に、体調不良に、疲れやすくなり、作業をきつく感じるようになる。それでも、経過観察は順調、大土手の草刈りも含め、農作業は、ゆっくりと、そして遅れ遅れではあるが、やれている。

初夏を思わせる陽気の下、田んぼや畑に出ていると、まだまだやっていきたい気持ちになる。田んぼは、自然のままの雨だけで田植えもできた。「もう少し付き合えよ! 協力してやるからさ!」との、天の声。「そうそう、もう少し、一緒にやろうよ、無理しなくていいからさ」「自分たちで、食べる分くらい、作り続けろよ! 収量など気にするなよ」「草刈りは大変だろうから、伸びすぎないうちに、少しずつやるようにだけはしなよ」 田んぼの声か。

身体はつかれるけれど、気持ちの良い汗だ。腰は痛くなるけれど、気分はすっきりしてくる。

何だったんだろうな。気分の落ち込みは。高齢になると、認知症と間違われるほどに、老人性鬱症状が出るという。まさか、自分が、と思うけれど、そうだったのかな。

これから育ち実を付ける稲の生育を見つめながら、米つくり、もう一度考えてみよう。

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田植

2023-05-22 18:36:41 | 暮らし

5月22日(月)

連休のころには、田植えをしたいと思い、1日、2日と代掻きをした。水がたっぷりある3枚は、いつでも植えれるようになったが、残る上の方の3枚は、植えるにも水が少なすぎるようだし、植えた後の水を入れることができないので、こちらは空模様を見ながらになるだろう。ということで、5日に植えれる田んぼの田植え。小さな田んぼは、モチ苗を植えるが、やはり、苗がマットにならず、ぐずぐずで、詰まったり、こぼれたりで、3~4割がた欠株となる。モチ米はいつも余ってしまうので、これでよいと残り苗を処分したら、連れ合いが、最後の田植えとなるのなら、補植をしようかなと、2枚ほどの苗をよけて、雨でも降ったら、差し苗するよ。

7日、8日と雨が降るが、それほどの大雨ではなかった。9日、残る3枚の田んぼの田植え。水の手をぎりぎりにしておいたので、ちょうどよい水加減となっていて、植えやすかった。が、土面が水から出ていたところは、土が固くなっていて、車輪跡がボコボコと水面から出てしまう。草が発芽してしまいそうだ。連れ合いは、田んぼに入り、手うえで、差し苗。

まあ、こうして、最後になるかもしれない田植えは終わった。植えた後の除草剤は、16日。雨での給水を期待していたが、当ては外れて、車輪跡の露出状態での処理だったが。

でも、19日から20日にかけての雨が、どうにか間に合ってくれたのではないかと、望みを持ちながら、今後の様子を見てゆく。

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