畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

納骨

2019-09-02 18:09:36 | 介護日記

9月1日(日) 

猛暑のぶり返しの中、四十九日の法要と、納骨。住職と、連れ合いと甥だけのこじんまりとした法事だ。納骨は11時過ぎと、最も暑い中、木陰のない墓地に登る。家のすぐそばなのが救いだ。父の骨壺の隣に、母の骨壺を並べる。仲は良くなかった二人だが、再び隣り合って何を思うのか、などと思っても見る。精進落としはやらない。お墓の前で解散。といっても、住職が、ここから帰るだけのこと。我々3人は、家に直行。しばし、冷房の部屋で休む。

昨晩、3人で、寿司を囲んだので、昼は簡単に。冷凍ピザと、おにぎりで済ます。昼食後一休みして、甥は帰る。

今日の法事を終えて、片付いたとホッとする。母の死以来、というか、今年になって、母が入退院を繰り返し、主治医に、何時であっても致し方ない症状といわれて以来の、肩の荷をようやく下したという気持ちがする。

父の死から14年になろうとする5日前。父の納骨も暑い時だったが、母もみとった。両親二人を見取り、一応の送りを終えたわけで、やることはやったと言ってよいだろう。ここに至るまで、71年の歳月を送ったわけで、長かったなあとしみじみと思う。

だから、これからは、自分自身のこと。行き掛かり上、先祖代々の墓を見ることになったが、これをつなげるつもりはない。形ある墓を、自分の子供に見させるつもりはない。私の兄弟たちも、墓を継ぐことはしないという。ならば、将来的に、無縁仏なるように墓を残すのは、無責任だし、地区の人たちに迷惑をかけることになる。

墓仕舞いをして、きれいに跡形もなくしておくことが、求められる。これからは、その方向で、動いてゆくことになる。71歳の私には、それほどの時間はないと思う。しかし、一周忌の法要ぐらいは、寺にゆかりのある母にやってやってもよいだろう。そして、次の年が、三回忌に当たる。三回忌の法事を、墓仕舞いの法要と合わせる。そんな予定がベターではないかと考えている。


打合せ

2019-07-23 18:29:33 | 介護日記

7月23日(火)  いちじ 

大降りはしないが、降ったりやんだり。霧雨のような雨だが、思ったより、量は降る。

連れ合いは、明日の出荷に向けての収穫など、結構濡れたようだ。

葬儀会社との打ち合わせや、資金の準備など。夕方には,納棺で、斎場に行く。骨と皮のように痩せた母の顔も、なんとなくかっての面影がというほどに化粧してくれる。プロの仕事に感心しながら、足袋や脚絆、手甲を身に着けてやり、お棺に納めてくる。

通夜は明日、葬儀は25日。火葬で終え、納骨は後日。葬儀のやり方はがらりと変えて、近所の方たちには、香典も含め、御遠慮ということで、ごく身内だけの家族葬で執り行うこととさせてもらった。気持の上では、不満を持つ方もいるだろうが、これから先を思うと、何時か、どこかで、大きく変えなければならないことだと思う、。僧侶も含め10人ぐらいのこじんまりとした通夜と,葬儀になるだろう。

病院の支払いや、一部年金の手続きなどもやってしまう。


2019-07-22 19:21:58 | 介護日記

7月22日(月) 

開票速報のせいでの寝不足か、それとも、虫の知らせだったのか。なんとなく、だらだら、洗濯をして、まったく乾かないであろう空を見ながら、テラスの物干しにつるし終えたのは10時過ぎころだった。なんとなく眠くなり、ベットで、1時間ほど休み、昼食。

食後もゆっくり休み、少しは草刈りでもと、腰を浮かした時だった。携帯のコール先は、病院からだった。急に血圧が下がってきたので、危篤状態だとのこと。病院までは10分もかからない。主治医の話だと、心電図も、途切れがちで、今夜を超えられるかどうかだろう、とのこと。身近の方に、ご連絡した方がといわれるが、すでにこのことは了解し、別れは済ませている。と、話すと、数時間、いや、何分かのことかもしれないと。一応、兄弟に走らせ、母の枕元に、腰を下ろす。ポーチに入れてある文庫本を開き、読みながら、母の寝顔をチラチラ。骨と皮だけになった首が小さく脈打っている。これだけが生きている印かと、時々、本から目をそらす。

せっかちな性分を知っているからか、数ページぐらいめくっただけで、首筋の動きがなくなっていた。触れてみてもわからない。医師を呼ぼうかと腰を上げた時、主治医と看護師がドアを開けた。ステーションで、心電図が止まったのを見て駆け付けたとのこと。胸と心拍、瞳孔を診察し、午後3時3分、御臨終です。病院から連絡を貰ってから、1時間もたっていなかった。

100歳とほぼ11か月。母は死んだ。


主治医と

2019-07-17 17:49:58 | 介護日記

7月17日(水)  いちじ  いちじ 

朝のうちは雨が降るが、9時ころには上がり、昼ころからは日差しもある。蒸し暑くなる。

午前中は出荷作業。

午後、なんとなくけだるく、やる気はわかないが、気を入れて、外に出る。田植え機の整備が終わり納車になるというので、気持ちを入れ替え、奥に片付ける苗箱を洗うことにする。一部、まだハウス内に、刈れ上がった稲苗の入ったままの箱もあるので、まずはその引き上げから始める。30枚ぐらいづつ洗っては格納庫へ運ぶ。奥の方へ積み込む。水滴が垂れるが構わずにやっちゃう。残り30枚ほどとなるが、そこで今日の作業は中止。

母の病院へ行く。入院してから一月になるが、最近の状態を医師から聞いていないので、主治医に会えるかと、5時ころをためて出かける。ばっちりで、病室周りを終え、病棟会議に入るところだった。面会し、話を聞く。この5日ほどは、点滴だけだし、呼びかけても、答えてくれなくなり、意欲がなくなっているようだ、とのこと。足の壊疽も少しづつ進んでいるし、老衰が進みつつある状態だろう。よろしくお願いしますとしか言いようがなく、母の病室へ行き、様子を見る。ただ寝ているだけで、呼びかけても反応しない。時々唇を小さく離してて、息を吐いている。


病院

2019-07-04 18:02:43 | 介護日記

7月4日(木)  いちじ 

ほぼ一日、強弱を繰り返し、降り続く。夕方には、あがったかと思たが、今また強く降り始める。かなりの雨量をカウントする。

一日中、だらだらと休日。本を読んだり、連れ合いのネットでのカルテ閲覧ソフトの方法が変わった件で、パソコン操作。新たなページへ、ログインできないというので、やってみる。何度かやるが、エラー表示。あきらめて、一休み。どうにも、面白くないので、再挑戦。最初から、新たに私を会員登録して、ログイン。ログインできた。このやり方で、連れ合いの初期設定から、やり直し、ようやく、ログイン成功。検査結果や画像の閲覧ができるようになった。

こうした時間は、あっという間に過ぎてしまう。

夕方、雨の上がったので、母の病院へ。月が替わったので、保険証の確認と、病室と。ちゃんと目を開けてベットに横たわっている。声をかけるとこちらを見るが、表情に変化はない。何も関心を示さない。

看護師に様子を聞くが、変わりなしということ。口から食べることは相変わらずほとんどできず、点滴だけ。足のほうも皮がむけるほどになってきているので、菌が入らないように、注意しているとのこと。様子から、すぐにどうこうということはないようだが、急変するかもしれなさそう。

7日から3日間ほど、恒例の温泉行の予定。とりあえずは、行ってこれるだろう。


容態

2019-06-28 18:20:51 | 介護日記

6月28日(金)  のち  いちじ 

熱帯低気圧から変わったばかりの台風が、南岸を通り荒れるとの予報だった。が、雨は、明け方から降るが、大雨にはならず、朝起きるころには弱まり、すぐに上がった。風もほとんど吹くことなく、過ぎてくれた。ただ、一日中、蒸し暑く、気持ちもけだるい一日だった。午前中は、台風一過と決め込みゆっくりする。

午後は、斎場へ、手続き続きに行く。その足で、隣集落の基盤整備に伴う説明会に顔を出す。農機店の展示会に顔を出し、母の病院が近くなので、ついでに顔を見による。母の足のうっ血の治療は、馬むゆかず、中止になった。このまま血流の悪い症状を放置せざるを得ないので、どんなだろうと様子を聞くが、看護師からは、変わらない返答しか返らない。母の状態も、さほど変わらず、声掛けには、ちゃんと反応は示す。

病院に任せ、時々様子を見て、近じかの予定をたてながら、という毎日が、しばらく続きそうだ。

これから、明日の廃鶏の鶏を、コンテナに詰める。ちょっと暗くならないと、動き回る鶏を捕まえにくいから。


意識

2019-06-24 17:46:05 | 介護日記

6月24日(月)  いちじ 

ほぼ一日雨が続く。強く降ることもあり、雨量もかなりになった。

一番で、車検の軽トラを届け、代車を借りてくる。

物置の片づけ。田んぼの面積を減らしたので、もう使わないだろう穀入れを解体して片付ける。米にして、30俵のもみを入れる穀入れなので、鉄骨や、コンパネで作ってあるので重く、場所を取っている。上の枠は、ボルトを外して解体できるが、下の方は、鉄骨を溶接して作っているので、解体はしないで、最も場所を取らないように横にして、隅に寄せるしかない。三個作ったのだが、一つだけは、もしもの時ようにそのままにして、二つを隅に寄せる。かなり広くなった。

畑で使う、不織布や防虫ネットなどの被覆資材の置き場所として使うことにする。

午後、寺の会計で、農協に行く。その足で、母の病院へ様子を見に行く。相変わらず、点滴をしながら、横になっているが、たえず、あちこちと手を動かしている。声をかけるが、目をつむったままだ。しばらく様子を見ているが、帰ろうと振り返ろうとした時、目を開けた。わかるかっと声をかけて近づくと、小さいながら、声を出して、答えてくれた。誰かと分かるわけではないが、人がいるのは認識して、ちゃんと反応する。まだ十分に意識はあるようだ。長くなるかもしれない。


最後の準備

2019-06-22 18:27:23 | 介護日記

6月22日(土)  ときどき 

共同作業の、農道、水路周りの草刈り。

予報通り、弱い雨がパラパラしている中、集合場所に集まる。いつもと違い土曜日なので、出席者は少なく、半分ほどの6人。この人数では、午前中に、終わり切らないだろうから、午後の堰土手の草刈りには出れそうもないねと、雨が降る中、作業を始める。途中、何回か、びしょぬれになるほどの雨は降るが、気温が低くはないので、汗をかかずに済むほどで、つらくはない。途中、たっぷりの休みは取るが、いつも以上の作業時間を取るが、昼前には刈残りが出る。11時を回るとまたもざあざあと降ってきて、30分には、もう昼上りだと、引き上げる。

午後は、1時に集まるが、霧雨が降り続き、あがる気配はない。本部の役員からの連絡で、午後の作業は、中止となる。

思いがけずの空いた時間ができ、こんな天気だからと、兄弟や、従兄たちに電話する。母親の状態を伝える。さらに、そのあとの葬儀についても、ごく簡単な家族葬にしたいと。お互い、我々自身、高齢者の仲間になっているのだから、無理をしないでと。兄弟であっても、無理に来る必要はないと話す。

その後、斎場ににもゆき、いざというときにごたごたしないで済むように、事前相談をする。父親の時は、05年だったから、もう15年近く前だ。だいぶ違いもあるだろうと。話を聞き、その時はよろしくと、事前申し込みもしておく。


退所

2019-06-20 18:52:41 | 介護日記

6月20日(木)  ときどき 

午前中、田んぼの草刈り。5枚のところの法面の草刈り。2枚目をほぼ終わらせる。途中の一休みを挟んで、一時間ほどづつ。都合に時間もやればいっぱいだ。汗びっしょりで帰ってくる。午後は、チョコっと花畑に行き、枝豆を120本ほど植え付けてくる。

昨日、母の入院する病院から、いくつか電話があった。その前の日にも電話をもらった。母の足首付近で、血流の悪いところがあり、紫色になりかかっている。悪くなると壊死する可能性がある、とのことで、様子を見ながら、対処する、というものだった。それに対して、整形外科の医師から、血液をサラサラにする注射で治療したい、との話があった。この治療の場合、ある程度の副作用の可能性があるが、このまま放置しておけないし、体力的に外科的対応はできないから。ということで、尾根配する。

もう一つの電話は、最後通告的なものだった。母が、再び施設に代えれる可能性はない。このまま入院治療を続け、ある程度の回復が見られたら、介護病棟に変わることになる。とのことで、施設のほうは、退所手続きをしてください。

施設に電話をして、今日の午後に、手続きをしに行ってくる。書類にサインして、保険証などを引き取り、私品は、使えるものは施設で使ってもらい、不要なものは、処分してもらうよう依頼。

この特養が、開所すると同時に入所して、丸4年と三か月弱。母の最期の生活の場だった。どんな思いで過ごしたのかはわからないが、職員の皆さんに、いろいろとお世話になり、刹那刹那は、気持ちよく過ごしたのではないかと思う。

その足で、病院に回る。今日から、足の治療も始めたという。いくつかの点滴を受けながら、静かに眠ってはいたが、表情は、悪くなかった。


再入院

2019-06-17 18:31:14 | 介護日記

6月17日(月) 

午前中、隣集落の、漏水田である3枚ある田んぼで、刈払機での草刈り。畔の水手周りや、モアで刈れなかったところと、法面の草刈り。法面は歩くところがないので、田んぼの中を歩きながら、刈払う。このところの雨で、水はたっぷりなので、回転刃が水に触れ、ブレーキがかかり木にしながらの作業。

昼上りをして、昼食後休んでいると、特養から電話がある。やはりかなと電話に出ると、どうしても、食事をちゃんととれないので、点滴をしたりしてみたが、病院のほうが良さそうなので、再入院ということにしたい、とのこと。で、午後は病院。入院手続きと、主治医や、施設の職員と話してくる。主治医の話では、点滴もしなければ、3~4日から一週間でしょう。まだはっきりと意識はあるし、それではあまりに切ないでしょう、と。施設の職員の話でも、食事を口元に運んでやると、ありがとう、ということもあるとのこと。

口から食べれないで、点滴だけを続けると、普通の人でも、三か月ほどしか持たないのだから、年齢から考えれば、一月とか、そんなものではないでしょうか。

私自身、点滴だけで生きるというのは拒否したいとの立場だが、母とそんなことを話したことはないので、点滴を続けて、様子を見ることで、お願いしてきた。一応、入院計画書上では、二週間ほどの入院ということになってはいるが、年齢的に、回復の見込みもない以上、ある程度長期になることもあり得るということになった。施設に戻ることができるかどうか。まったくゼロ、ということではないが、最後かなと考えざるを得ない。

施設へは、しばらく様子を見て、帰ることができないと判断できるまではよろしくと、お願いしておく。