畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

➕12

2020-04-30 20:42:30 | 暮らし

4月30日(木)

還暦後、また、十二支が一回りした。今年は🐹年。十二才がプラスされた。よく生きたなあと感心する。

71才は、大変な年だったと、つくづく思う。台風の被害は今までに経験したことがない、大きな被害だった。幸い、保険に入っていたために、経済的には困ることはなかった。しかし、片付けや修理に時間を取られたし、畑の被害は、長い時間影響を受けた。

そして、我が身には、思いもしなかった、癌が襲いかかってきた。よくよく自身の生活態度を振り返ってみれば、納得できる、膵癌ではあったが、その時までは、自分は癌とは無縁だろうと思っていたし、公言もしていた。しかし、そんな思い込みは、見事に吹き飛ばされた。10月の中旬以降、現在まで、長期の病院係が続いている。

そして、入院生活の直中で起こったのが、今も世界中を席巻している、新型コロナウィルスによる感染症。今まで安穏と過ごしていた生活は、完全に打ち壊された。今後、どのように生活を再建して行けるのか、まだまだ、何もわかっていない。感染の収束の目処も立っていない中、しかし、じっくりと考えてみる必要がありそうだ。

そんな2020年の4月30日。気持ちの上では、イッコウに年寄りだとは思ってはいないのに、72才になっている。

まあ、なるように生きてゆこう。


癌に向合う時間

2020-04-29 21:03:25 | 膵臓癌

4月29日(水)

午後、花畑に行き、トウモロコシを植えた。トラクターで耕してあるところを、小型管理機で再度耕し、草を抑えると同時に、‘轍跡を植え溝として、とうもろこしの苗を植える。作業は1時間少しで終わるが、疲れを感じ、他の作業はせず、引き揚げた。

退院後は、消化器外科への通院から、次の段階に入った。主治医の説明で、術前化学療法から始めることにして、抗がん剤治療を専門とする、腫瘍内科へ罹ることになった。

このことも、私にとっては幸運の一つだった。手術前の抗がん剤治療は、点滴薬と錠剤服用を組み合わせて、2週投薬=2週休薬を2クールという、約2月の治療だった。手術前に、これだけたっぷりと時間がもらえたということは、大変ありがたかった。

副作用の心配から、かなりの長期入院を強いられたが、この間、自分の病気について、しっかり勉強できたし、きちんと向き合う時間ももらえた。たまたま新聞広告で見た、 膵がん患者の手記を購入し読んだ。癌研などの治療機関のホームページなどで、膵癌の治療の現状や、傾向などを調べることもできた。また、ゆっくりと休養もできた。手術前に、体も心もしっかり準備ができたと言える。


サナブリ

2020-04-28 20:13:44 | 農作業

4月28日(火)

曇り空で、時々、雨がぱらつく空模様。少し寒くも感じるが、とにかく植えてしまおうと、重い腰を上げて、苗を積み込んで、圃場に向かった。いざ始めて仕舞えば、6aほどの田んぼで、苗も10箱で余る程の田植えで、すぐに終わってしまった。

昨年までの田植えに比べると、あまりに呆気なく、もう終わりかと、張り合いがない気持ちだ。でも、それを選んだのだからと、田植え機を引き上げ、ドロドロの箇所を仮洗いする。軽トラの苗コンテナも片付け、これからの畑作業へと、気持ちを切り替える。

2クール目の抗がん剤の服用も、2週目に入った。体の中に、抗がん剤の成分がたまり始めた頃だ。なんとなくだるい感じがするし、眠気も強い。草刈りとか、苗運びなどのちょっときつい作業のせいでもあるだろうが、疲れをアナリ感じる。

植え終わりを良いことに、のんびりしてしまった。


切除可能

2020-04-27 21:23:39 | 膵臓癌

4月27日(月)

曇り空だが、風の強さはおさまった。田植えを始める。と言っても、今年は、耕作面積を大幅に減らした。だから、その気になれば、始めた日に終わってしまう。で、夕方早めに、コシヒカリは上終わったが、小さい田圃へモチを植えるのは、明日に延ばして片付けた。

膵がんには、切除可能かどうかという分類がある。膵がん手術は、難度も高く、高リスクだから、肉眼的に癌の遺残のない手術が可能かどうかが、治療にあたっての判断基準となっている。この分類は、切除可能(R)、切除可能境界(BR)、切除不能(UR)の3に分類されている。そして、それぞれの治療方針がたれられる。当然、それぞれに治療後の生存率に差異がある。

主治医の説明により、私の癌は、R膵がん。切除可能だから、手術により癌を切除することが最善の治療方針となる。しかし、最近は、手術前に抗がん剤により、目に見えない周辺リンパ節への転移や、癌自体の縮小を目的にする、術前化学療法を行うことも推奨されているとの説明もあり、医師としては、術前化学療法先行を勧める、との意見だった。

手術を含めた治療を受けると決めた以上、細かな専門的なことは、主治医の意見に従おうと決めていたので、推奨通りの治療方針でお願いする。

こうして、大まかな治療方針が決まり、10月29日、第1回の入院を終え、退院した。


診断

2020-04-26 21:14:44 | 膵臓癌

4月26日(日)

田植えの予定で、田植え機を圃場まで運んだが、風が強い。昼食を食べながら様子を見る。なんとかなるかと、ハウスに入り、苗を運ぼうと思うが、風はさらに強まる感じだ。やめた。これから、何度田植えができるか分からないのに、こんな悪条件の時に、強行することもあるまい。ハウス周りや、取り付けの能動の草がひどいので、草を刈っておくことにした。

消化器内科での政権による病理検査や画像から、癌のステージが診断された。腹部大動脈、下大静脈、上腸間膜静脈などの血管系、十二指腸への浸潤は認められない。3✖️2cmの腫瘍。リンパ節腫脹はないだろう。ということで、T2 N 0M 0 IB。T2=膵内に極限した、2㎝を超える腫瘍。N 0=リンパ節転移なし、M 0=遠隔転移なし、ということで、ステージはⅠB(2㎝以下の腫瘍なら、A)という診断だった。

消化器外科へ引き継がれ、手術を担当する主治医による説明を受けることになる。


専門医

2020-04-25 21:04:45 | 膵臓癌

4月25日(土)

10月18日朝からの診察、検査等が全て終わった御は、夕方だった。血液検査、画像診断から、膵癌であることが、ほぼ確定的になった。が、最終的には、組織の生検をやって、最終判断をするため、さらに、がん治療を始める前に、黄疸症状を治療するために、即、入院ということになった。

一度帰宅して、家の作業の段取り、引き継ぎをし、入院準備をして、その夜から、病室での生活が始まった。自覚症状はほとんどないから、ほとんど苦痛なく、ベットの上での生活。気持ちを変えて、急速だと割り切ることにした。翌日から、再び、検査中心の診療。消化器内科医による、タンカンにチューブを挿入し胆汁の詰まりを解消する内視鏡手術を受ける。

膵癌を手術する消化器外科への紹介もある。ここで、またまた、幸運が。消化器外科の担当主治医は、胆肝膵の専門医だった。しかも、10月に着任したばかりで、私の膵癌の治療のためにきてくれたのか、と思えるほどの幸運だった。

前の病院で、かなりの膵癌の治療に関わり、手術経験も多いようだ。


早期発見

2020-04-24 20:56:21 | 膵臓癌

4月24日(金)

台風被害に一息つけるかと思った頃、なんとなく体の違和感を感じ、しかも、茶褐色尿という異常から、連れ合いに強く勧められて、予約なしに診察を受けた。血液検査や、CT画像検査から、即日、膵癌と思われる、と診断を受けた。

癌の場所が、膵臓の頭部で、その腫瘍の膨らみが、胆管を圧迫し胆液が肝臓に逆流し、横断の症状が出たことで、肝臓に関わる検査数値に異常があることが分かった。そのために、画像も含めた、色々の検査を、即やることになった。おかげで発見が早かったのだ。

これが、幸運の始まりかもしれない。


5年相対生存率

2020-04-22 21:17:55 | 膵臓癌

4月22日(水)

先日、15日、国立がんセンターが、国内のがん患者の統計を発表した。テレビや新聞でもニュースとして報じられた。国内で集計できた癌患者の治療の統計からの5年生存率だ。全国的調査故に、対象年度が、09年〜11年と、10年も前の数値ではあるが、一応最も公的な数値だろう。多くの部位の癌の中で、膵癌の生存率の低さたるやと、唖然とするほどの値だ。前立腺や乳房は90%台、胃や大腸でも60〜70%台。難と言われる肝臓や肺でも30%台と、二桁台だ。一桁台は、膵臓だけ。ワースト2の胆嚢胆管がんは24%。

値だけをみたら、暗く落ち込まざるを得ないような気分だ。が。 

ここからは、ではなくて、楽観的になれることを書いてゆこう。

まず、膵癌は発見がとても難しい。初期症状はほとんどなく、しかも進行がとても早い。臓器の特色として、十二指腸や肝臓など、他臓器と複雑な関係にあると言われている。

そんな膵癌だが、私の場合は、早期発見されたのが、幸いだった。


2クールへ

2020-04-21 18:55:47 | 膵臓癌

4月21日(火)

今日から、抗がん剤の服用が再開。4月2日まで、28日間飲み続けた抗がん剤の服用を終わり、休薬していた。4週投薬ー2週休薬を1クールとして、4クール続ける術後の化学療法だ。主治医の外来診察の曜日が変わったため、休薬が数日延びたが、月曜日の昨日、外来診察を受けてきた。血液検査の数値も、問題はなく、1クールの体調や、症状の問診(特に顕著な重い副作用もなかった)後、引き続き継続してゆくことになった。

5月18日まで、服用することになる。次回の診察は、2クールが終わり、3クール目に入る前日、6月1日。たっぷりの薬を袋に詰めて、帰ってきた。抗癌剤は、28日分だが、胃腸薬は、42日分の処方だから」

ところで、自分の病気どころではないような、新型コロナウィルスの感染症の蔓延で、非常事態宣言が出され、病院も人出は少なく、閑散とした状態、といって良いような状態だった。