畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

一代の間に

2023-07-17 19:20:53 | 農業の事

7月17日(月)

1948年生まれの私が、物心ついたころからの、見聞きし、実際に体験してきた農業の、特に、稲作の歴史をざっと振り返ってみた。それは、100年にも満たない、人の一代の間の事だ。日本列島の稲作の歴史は、3000年以上だろうといわれている。長い歴史の中で、少しづつ改良がおこなわれ、食味も収量も現在のようになってきた。人の体だけであっただろう栽培技術も、木や石を道具として使うようになり、鉄を主とした金属の道具を使うようになってきた。人力だけだった労力も、馬や牛を家畜として、その力を利用するようにもなった。しかし、育苗も、田植えも、稲刈りもすべて人の労力だけで行ってきた。脱穀や籾摺りなどは、いろいろと改良され、新たな道具は作られてはきたが、ほとんど、人の労力だけで行われてきた。つい、100年ほど前までの事だ。

1900年に入り、特に戦後の1945年以降の70~80年の急激な変化は、稲作の歴史を急激に変えた機械化の歴史は、あまりにも異常なことだ、と思う。3000年という長い歴史の中で、つい最近のほんの100年にも満たない時間なのに。
人は、一切田んぼに立つことなく、米を作ってしまった。栽培技術はあるし、肥料設計や、天候を読み、細やかな観察は必要かもしれないが、人のやることは、機械を運転し、操作することだけ、という農業、そんな稲作となってしまった。
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機械化の完成

2023-07-08 18:56:31 | 農業の事

7月8日(土)

集落内で、米つくりを続ける農家は減り、経営を拡大する農家はが数件残り、また、今までの規模で、働けるうちはと、続ける農家も何軒かは残る。大規模経営はもちろんだが、同規模で経営を続ける農家にとっても、人頼みの経営はできなくなる。ほとんどの機械はそろってはいるが、最後の籾摺り作業は委託をしていたが、これが難しくなる。少しだけの量なら、乾燥モミを、運んで、玄米にしてもらうこともできるが、都合に合わせ、袋詰めのモミを運ぶのはおっくうになる。

そんな状況下に、小型で、選別も操作の簡単な、ロータリー式や揺動式の籾摺り機が普及してきた。米選機と計量機が一体となった計量パック機も普及していた。機械メーカーも個別農家が所有できるような、小型機械を販売してきた。こうして、自給だけの農家は別にして、ある程度規模で、コメを販売している農家は、作付けから収穫調整までの一貫した機械化を達成したことになる。

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一式での引継ぎ

2023-07-06 19:07:06 | 農業の事

7月6日(木)

農業の高齢化が言われて久しい。私たちが移住してきた房総地域も、その典型的な状況だった。集落の私たちが加わった農家組合でも、20戸ほどの内、専業は5~6戸で、施設農業中心の2戸以外は、私たちの親世代が担っていた。後継者はすべて、正規の勤め人で、田植えや稲刈り時だけ、何日かの有給で、手伝っている状態だった。規模の小さな農家はほとんどが小作に出し、それ以外の数戸は土木会社や建築会社の日給で働くのが主で、農繁期だけ、まとめて休んでの農業だった。稲作は、田植えと収穫以外の管理作業はそれほど複雑でなく、朝晩、日曜日の作業で、ほどほどにやっていけた。

こうした形で農業が続き、次第に機械化が、少しづつ広がっていった。そして、われわれの親世代が、リタイヤしていったとき、まだ、定年前の後継者は、圃場の規格化と、広さと、作業機械の一式そろいも引き継ぎ、休日稲作を、忙しいながらも、やり続けることができた。

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スルス祝い

2023-07-05 18:10:30 | 農業の事

7月5日(水)

【昨晩。日没後、雷の音が、遠く聞こえる。ぽつぽつと屋根をたたく雨音もしてきたが、どうせまた、遠雷、雨雲は素通りしてしまうのだろうと、すねていた。が、しばらくして、バシャバシャと強く振り出し、弱まったりもしながら、降り続いた。雨雲レーダーでは、幅は狭いが細長い強い雨も含んだ雲が南下する予報だ。雲の際の方だから、どれだけ降るかわからないが、当たれば、降ったりやんだりしながらも、だいぶの量にになるかもしれない。雨音を子守唄に床に就く。結局は、計量できるのは、二時間ほどの雨量だが、数ミリは降ってくれたようだ。こんな調子で、時々降ってくれたら、いいのだけれど。】

コンバイン作業が終わると、貯留してある、乾燥モミの籾摺り作業だ。籾摺り作業は、一般的の万石式の籾摺り機は、選別にちょっとした技術、コツが必要だ。そんなわけで、各農家を回り籾摺り作業を請け負う籾摺り屋がいた。大概、ジーゼルエンジンの耕運機でトレーラーをひき、籾摺り機を積み込み移動する。米選機や、計量器具などは、依頼農家がトラックで引き取りに行く。耕運機のジーゼルエンジンを動力にして、ベルトで籾摺り機を動かす。貯蔵籾を籾摺り機に入れるのは、バネコンベアーで、エンジン式だったが、次第に電動に変わっていった。米選機や計量機は電動で、選別された玄米をコメ袋に入れて、正規の量になるとシャッターを閉めブザーを鳴らす。計量器から袋を下ろし、袋口を縛る。作業場の隅に米袋が積まれてゆく。まだ寒い早春から、苦労して育ててきた稲作の成果。この日にその全部の方がつく。今年の出来は、豊作か、不作だったのか。これで、供出用、販売用のコメの出来上がりだ。

籾摺りが終わると、籾摺り屋と、手伝ってくれた人に、一席設けて、スルス祝いの膳を囲んで、秋の収穫を祝い、米つくりは終わった。

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コンバイン作業

2023-07-02 19:03:55 | 農業の事

7月2日(日)

稲作を始めたころ、近所の農家でコンバインを購入した。それはまだ小型で。運転者は歩行して作業するタイプだった。自走脱穀機のハーベスターに刈り取りと、脱穀済みの藁を処理する機能を付けたもので、このタイプの普及はなかった。基盤整備後数年すると、乗用型のコンバインが、あっという間に普及した。ほとんどが、二条刈りで、脱穀籾は袋取だった。農家の作業場には、灯油バーナーによる穀物乾燥機が据えられた。

秋の収穫は、晴天の日中、朝露が乾いたころから始まる。長方形に整備された水田のあちこちで、赤や青のコンバインが、みずすましのように、田んぼの中をぐるぐると、稲を刈り脱穀して、後ろに細断した藁を吐き出しながら走り回る。約30㎏ほどでいっぱいとなる籾袋が、おろされる。10aの面積だと、およそ30袋ほどになる。一日の刈り取り作業は、乾燥機の容量で決まってしまう。初めのころの乾燥機は、おおよそ20アールの収量分くらいの容量のものが多かった。

刈り終えるとと、乾燥機のスイッチを入れ、作業終了。モミの水分量にもよるが、翌朝には乾燥が仕上がるほどの速さになっている。翌日は、仕上がった乾燥モミをモミ置き場に排出してから、再び圃場に向かう。これが、コンバインの普及したころの収穫風景だった。四隅の刈り取りと、籾袋の運搬と、乾燥機へ入れる作業は人力で、暑さ厳しい収穫時の重労働だった。

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収穫の機械化

2023-06-30 18:27:56 | 農業の事

6月30日(金)

【6月も晦日。”23年も半分過ぎた。梅雨明け前の暑い暑いとぼやくばかりの今を考えると、猛暑をぐったり過ごすうちに、いつの間にか秋を過ぎ、冬を迎え、寒さに震えると、新年を迎えることになるのか。あまりゆっくりと考えている暇はなさそうだ。どうするかを。】

収穫期の機械の変化は、さらに進み、高額化している。移住したころは、稲は刈るのが当たり前だった。しかし、手鎌での稲刈りはごく一部の農家で見られるだけで、ほとんどが、バインダーという機械を使っていた。この機会は、エンジンで自走しながら、稲を刈りある程度の量になると、麻ひもやビニールひもで結束し、脇に放り投げるところまでを一工程として、やってくれる機会だった。腰を曲げて、鎌で稲株を刈り、藁で縛るという腰と手を酷使する作業を機械化した。刈った稲束は、同じ圃場に、竹の支柱を組んで、三脚を作り、竹竿を渡して作る稲架に架け干しする。天日で乾かし、頃合いを見て、脱穀するが、このころには、クローラー走行のハーベスターという機械が普及して、稲の束を運ぶことなく、干してある稲架場を走りながら、脱穀して、袋詰めし、その袋を運べばよい仕組みになっていた。脱穀した籾は、天気の良い日に、何日か、蓆干しし、籾摺りという順番だった。灯油を使用する、乾燥機もすでに普及していて、脱穀した籾を乾燥機で乾燥して仕上げる農家も多かった。

そんな農村の稲束を架け干しする、秋の農村的風景をがらりと変えたのも、基盤整備事業だった。湾曲した田んぼの形状に沿って、輪のようにきれいに形作られた架け干し風景は、見られなくなった。脱穀した後の稲わらも、大事な収穫物だったが、その藁も農業の産業廃棄物化していった。

コンバインという、生育している状態のままの稲を、刈り取ると同時に生で脱穀し、そのまま乾燥機で、乾燥して仕上げる技術が出来上がった。稲刈りは、圃場の四隅を手鎌で刈るだけで、あとはすべて機械での作業に変わった。コンバインは、クローラー走行しながら刈り取りと同時に脱穀し、残った藁を細断し排出する。最初の数周回の四隅は、機械の旋回のため、手刈りが必要だ。小さな圃場では手刈りの面が増える。直線走行が効率が良いから、湾曲した変形田は能率が悪い。圃場の大型化で、コンバイン作業の条件はそろった。

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乗用田植え機に

2023-06-29 19:56:24 | 農業の事

6月29日(木)

【7月にもならないのに、もう完全に夏突入だ。暑くちょっと動くと汗、身体が重くだるい。カラカラ畑では何もやる気がせず、畑の片づけを少しやっては休みを繰り返し、一日を終わらす。そんな毎日で、いいんだろうかと思うが、気持ちも乗らない。】

田植え機は、ほとんどすべて、乗用田植え機に入れ替わった。移住した当時は、田植え機が普及するころだった。ごく一部を除き、二条植えの歩行型田植え機が主だった。ぼちぼちと四条植えの機械が見られるようになったころだった。基盤整備の完了は、四条植えを一気に加速し、六条植えの大きな機械も散見した。しかし、いずれの機械も、水の入った泥田を、歩かなければならず、機械の操作はかなりの重労働だった。当地の水田は、重粘土質で、深い田んぼが多いので、大型の乗用田植え機の普及は遅れ気味だった。しかし、基盤整備から年数がたち、耕土も落ち着いてきたことと、農機具メーカーの技術進歩もあり、順次切り替えてゆく農家も出てきた。乗用田植え機が、一気に増えたのは、コンパクトな、四条植えの田植え機が比較的安価で発売されたからだろう。それまでは、六条が主だった。その後、五条植えや、八条植えも見られるようになり、今では、歩行田植え機は、見ることができなくなった。

最初のころは、田植え機で植え終わった後、何日も田んぼに入り、補植をする農家がほとんどだった。欠株を補い、植え付け本数が少ない株には、何本かの苗を補い、機械での作業以上の日数をかけ「差し苗」をしていた。その後、コメ価格と、労力、さらに、補植の増収効果への疑問、労力減、経営の代替わり、窓などの影響で、補植する風景は変わってきた。機械で植えることのできない田んぼの四隅のみ、ちょこっと補植して終わり。あるいは、四隅すら、植えずにそのままにしておく、そんな田んぼが多くなった。

本当の機械化で、田んぼの中を歩くことはなくなった。

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水田準備、管理の機械化(B)

2023-06-28 18:33:00 | 農業の事

6月28日(水)

水田の耕起は、丁寧な人は数回行う。稲刈りが終わると、秋田起こしとして、ロータリでざっと耕す。プラウ耕で、土の反転好機をする人もいる。春になると、水を張らないうちに一度ロータリー耕をする。最近は、大規模化したことから、春まで秋田状態の田んぼも多い。耕した田んぼに水を張り、ロータリーで土を細かくして、水持ちをよくする。代掻きは、以前は、ロータリーの後ろに長い丸太をロープで引きながら、均平にする風景も見られたが、今では、ロータリーより幅が広く、回転爪の短いロータリーで、代掻き専用のハローという作業機で、耕土の表面を浅く耕しながら均平にする。

施肥は、粒状の肥料を20㎏入れた散布機を背負っての作業がほとんどだった。しかし、圃場の拡大化で、この作業も変わった。田植え機に専用の散布機を取り付け、田植えと同時に施肥を行うやり方。トラクターの作業機で肥料散布機で、施肥をするやり方。どちらかになっている。

草刈りは、刈払機が主だが、畔刈用のモア―がかなり普及した。平地用のモアと、傾斜地を刈るスパイダーモアという機械のどちらか、あるいは両方を使う農家も増えた。トラクターの作業機のモアを取り付け、農道わきや、作付け前の畔の草を処理する農家もある。水田の溝切作業もやることが増えた。歩行式のは以前から使う人もいたが、今は、半乗用式に変わった。田植え機の植え付け作業機を外し、溝切機や、中耕除草期を取り付け作業する農家も見られるようになった。

あらゆる作業が、機械化されてきた。

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水田準備、管理の機械化(A)

2023-06-27 19:12:31 | 農業の事

6月27日(火)

【雨は降らない、梅雨時なのに畑はからからに乾き、野菜の生育は悪い。完全に定着し十分音を張っている野菜は良いが、生育途中の野菜にはつらい乾燥だ。とりわけ、植え付けたばかりの野菜は、枯れる心配はあるし、イモ類の植えたものは水分が不足で、休眠から目覚めてくれない。要するに、目が伸びてくれないのだ。雨のせいばかりにできないのは、私たちの畑の準備が遅れ、植え付けが、適期よりひと月以上も遅れたからなのだが。

そんなわけで、このところ、畑に行くときは、灯油用のポリタンクを必ず積んで、少しづつ、株の根元に水をたらしている。】

水田には水をためるから、その水が漏れないように、モグラやザリガニなどが明けた穴をふさぎ、二尾割れなどを補修する作業が必要だ。房総南部の畔付けは独特だ。一般に多くは、平鍬を使い畔の表面を削り、水で練った土を塗り付ける。当地の畔はゆるい傾斜の畔だ。まず、スコップで畔切をする。前の畔を掘り上げる。そのうえで水を入れて、畔際を良く練ってドロドロにする。その泥土を四本鍬で切ったところに引き寄せて、平鍬で平らに均して、新しい黒にする。畔切、土寄せ、平鍬均しの工程が必要だ。そのうえ、丁寧の人は、土寄せ、均しを二回も三回もやったという。下畔、中畔、上畔といったそうだ。

田んぼの水は大事なもの。そのために、水を漏らさないように、丁寧に手間を惜しまず、畔付けをしていた。しかし、時間はかかるし、肩腰は痛くなるし、大変な重労働だ。

トラクターの普及は、その畔付けを機械化した。作業機としての畔付け機の登場。ロータリー機を外して、畔付け機に付け替え、作業する。今まで、数日かけていた作業をわずか半日もかからずにやってしまう。そのうえ、水和張らずに作業した方がよいので、段取りさえよければ、適度に早期にやっておけることになる。手間暇かかる重労働からの解放だ。

 

 

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大型機械へ

2023-06-26 18:16:00 | 農業の事

6月26日(月)

機械作業は、狭い圃場や、不整形の圃場では能率が悪い。基盤整備により、圃場の拡大と長方形に整備されたことで、機械化は急速に進んだ。水田の耕起や代掻き作業は、小型機械での歩行作業では、時間がかかるばかりでなく、一つの圃場に時間をかけて作業する人間の気持ちの面でも、精神的ストレスを生じさせる。小さな圃場なら、一作業終わらせ、次の圃場に移動したり、一段落と別の作業に移ったりできる。しかし、圃場が広くなると、作業の途中で、昼上がりだったり、中途半端で、翌日に繰り延べたりと、決まりがつかないままに、作業を中断することも出てくる。隣で、大型機械を運転し、車の運転さながら、何倍もの速さでの作業を見せつけられる。少々無理をしても、トラクターを購入したくもなるというものだ。

だから、基盤整備が終わり、整備された圃場が供給されて数年で、あっという間に、トラクターは普及し、耕運機は駆逐されてしまった。早春の寒さの中水田に入り田んぼ長靴で歩きながら、耕耘する作業はなくなった。トラクターの運転で、田んぼを準備する。農業の重労働性から、幾分かは解放された。しかし、当時は、トラクターの運転席は露天で、雨風は防ぐことはできなかった。そして、今、ほとんどのトラクターは、キャビン式になり、雨風を防ぐとともに、エアコンまで整備されるようになっている。

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