畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

回復

2011-03-31 19:02:54 | 農作業

3月31日(木)    いちじ  

ダウンしていました。こんなに長期間のダウンは初めての経験です。それは、何の前触れもない、突然のことでした。20日(日曜日)は、集落の集まりの総会でした。当然、アルコールは、入ります。しかし、そんなに酔っぱらうことなく、帰って来て、机の前に座りました。が、どうにもならなくなってしまったのです。どんなにもがいて、あれやこれやと試みたのですが、駄目でした。それが、今日、突然の回復です。

私のことではありません。パソコンです。インターネットに接続できなくなったのです。我が家は、通信環境の関係で、ISDNを使っていました。ADSLには、基地局からの距離の関係で、変更しても、それほどのメリットはないということだし、光回線は、過疎地の悲しさ、当分利用できそうもありません。そんな時、モバイルのエリアに入ったので、利用できるとの案内があり、かなりの速さが保障されるということで、モバイル接続に切り替えました。ちょうど、2年になります。その時、ISDNは、メリットがないし、料金の関係もあり、モバイルの専用プランを選択したのです。パソコンにデータカードを接続することで、電波による通信で、インターネットの接続を行っています。

20日、少々は、よい気持ちで、ブログを更新しようと、パソコンを起動。モバイルを選択し、接続をクリック。「あれっ!」画面が切り替わりません。よく見ると、「接続」ボタンが、ライブではありません。さあ、それから、悪戦苦闘が始まりました。カードを取り外し、取り付け直し。USBポートを変えてみたり。カードをインストールし直してみたり。最後の手段と、OCNサポートセンターへ、電話。電話サポートを受ける。が、どうにもならない。その日は諦めて、遅い食事後、床に就いた。

21日、翌日も悪あがきを続けました。雨を良いことに、作業は、ちょとだけで、パソコンと格闘。OCNの電話サポートも受けながら。駄目。駄目。で、モバイルカードを交換してくれることになった。その到着まで、数日インターネットは使えない。

思いのほか、早く、カードは到着した。23日、午前も早いうちに、クロネコ便が、届けてくれた。作業は、午前中に切り上げる。午後、パソコンの前。いやな予感を持ちながら、カードの交換。アンインストールとインストールの繰り返し。やはりだめ。セキュリティーソフトの関係も考えられる、とのアドバイスも受け、トレンドマイクロにも電話。最後の手段と、ハードディスクのメーカーのサポートも受ける。

もうどうにもならない。訪問サポートを受けることにする。OCN訪問サポートに申し込む。かなり、先になるとのことだが、いたしかたない。諦めたら、すっきりする。何か、解放されたような感じでもある。ブログの更新を、する必要もない。メールでの連絡では、困ることもあるが、こう云うことも、起こりうること。何が起きるか分からないのが、世の中。たまたま、3月11日の直後であることが気にかかったが、すべてに目をつぶった。後日、連絡が入り、訪問は、31日、とのこと。

こうして、長期ダウンに突入してしまったのです。

続きは、明日にします。

今日の作業。畔付け作業。すべて終わり。畔付け機の洗浄。(粘土質の土が、がっちりと付着しているので、高圧洗浄機を使っても、数時間の作業。)

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放射能汚染

2011-03-19 19:22:34 | 暮らし

3月19日(土) 

昨日、終わらなかった、種蒔作業の続き。苗箱を苗床に運び並べ、保温用の不織布の被覆。さらにその上に、太陽シートという、アルミ蒸着のポリシートで被覆する。銀色のアルミ面が、太陽光を反射するから、そのシート内は、極端に高温にはならず、種籾や、発芽した芽が焼けないという資材である。これを使うことで、電熱の育苗機やを使わず、しかも、最初から苗床に並べた状態で、発芽させ、育苗まで移行できる。育苗機や、積みこみ発芽をさせると、発芽後、苗箱を再度移動させることになる。太陽シートは、発芽したら、シートを剥がせばそれで終わる。労力の節約にもなる。10時を過ぎると、ハウス内は、30℃を超える。汗びっしょりにならながら、作業する。これで、種蒔作業は終わる。順調に育ってくれれば、35日から40日で、田植となる。これからは、田んぼの準備が忙しい。

午後は畑。明日の夜から、雨になり、雨は続く様だ。春の菜っ葉類を蒔いておこうと出かける。ニンジンやダイコンの播種用、レタスの定植用、のマルチも雨前に張っておきたいと準備して、出かける。一畝マルチを張り、葉物の播種は、シーダーテープ使用だから、マルチを張らず、畝立だけにする。さあ、これから蒔こうかと、思った所に、携帯が鳴る。

今日の出荷の納品書。前回のものを事務処理しておくのを忘れていた。出荷表の記録で、納品書を作り、出荷量と金額を記録して、販売金額のデーターベースにもしてあるので、一処理しなくてはならないのだが、それをしていなかった。今日の納品書が打てないという、SOSだった。作業を打ち切り、帰宅せざるを得ない。畑作業は、明日だ。

原発の状況は、いまだ好転はしていないようだ。でも、国中の、あらゆる手段を使っての、放水作業は、少しづつ、結果を出しているようだ。ニュースの映像や、解説などを聞いても、水はいくらかづつでも、溜まりつつあるようだ。本当であってほしい。それにしても、だいぶ遅れての、この結果。なぜ、最初から、これをやっていないのか、と思わざるを得ない。東京電力には、その権限はないだろうが、政府は、そうした権限を行使できるはずだ。状況に応じて、責任を持って権力を行使するのが、国家である(それがよいかどうかは別として)。そうした、国家としての体もなしていなかったといわれても、しょうがないようなのが、今の政府だ。

ぐずぐずと、延ばしてきた結果が、報道された。ついに、放射物質に汚染された、農作物が出たと報道された。また、農業者が犠牲を強いられる状況になってきた。

 

 

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種蒔

2011-03-18 19:42:26 | 農作業

3月18日(金) 

水を湛えられた田んぼは、一面氷が張る。厚さは1㎜ほどだが、きれいに張っている。それほどに冷えた早朝だ。

予定通り、イネの種蒔だが、助っ人は来ない。連れ合いは、明日の出荷準備や、鶏の世話などもある。どのような段取りでやろうか、頭を巡らしながら、やることになる。まず、午前中は、苗箱への床土入れ。これは、一人でもどうにかなる。播種機の覆土をする部分が、土入れ作業もやれるようになっている。上部に土を入れるタンクがあり、土を落としながら、流れてくる箱に入れる。回転ブラシが、一定の量に削り落とす。

機械のコンベアの上に、苗箱をのせる係と、土の入った箱を下ろす係と二人いれば、機械は止まることなく、流れ作業でやれるが、一人では、両方は、ちょっと無理だ。箱を三つ載せて、機械が自動で、止まった所で、土の入った箱を三つ下ろす、の繰り返しで、作業する。作業能率は、半分以下になる。11時ころには、連れ合いが助っ人に来て、土入れは終わらす。

午後は、種蒔になる。土の入った箱をコンベアにのせる。コンベアが動き、まず、散水をする。次が播種で、最後に覆土をして出てくる。種籾や、覆土用の土をホッパーに補給しながら、連れ合いは、箱をのせる係。私は箱を下ろす係。こればかりは、一人で、両方は無理。出口係が、二人なら、苗箱を運び、苗床に並べながらできるが、一人ではそれは無理。出来上がった苗箱は、近くに積んで置き、後で運び、並べるしかない。三人と二人、一人いるかいないかで、能率は、ぐんと落ちる。途中、連れ合いが、畑に行ってる間は、私は、なえばこをはこびならべる。水を吸った苗箱の重く感じること。フウフウ云いながら、並び終える。休む間もなく、次の播種作業。

5時過ぎには、播種は終わるが、並べる作業は、明日へとある程度は先送りした。久しぶりに、めいっぱいの作業。腰は痛いし、腕は重さに麻痺するほどに疲れてしまった。風呂の気持ちよいこと。

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配給制?

2011-03-17 20:27:29 | 農作業

3月17日(木)  いちじ 

またまた、氷点下の朝。昨日夜からの冷えは続き、日中も、空気は冷たい。夜も、急激に冷えてきた。このような状態なのに、追い打ちをかけるような寒気。雪の続く中、大変なことだと思う。避難所に避難している人たちも、電気の通じていない地区は、灯油不足で、暖房もない状態で、過ごさなければならないとか。こんな時には、ある意味、非常事態としての、強制力を使ってもよいのではないかと、思うのは間違いだろうか。私企業にまかせるのでなく、公の立場で、必要なものを運搬する位の事は。

原発の核の暴走は、相変わらず続き、コントロール不能に近くなっているようだ。東京の研究室と、マスコミのスタジオを行き来するだけの、学者さんの、絶対に、これ以上悪化しない。水で冷やしさえすれば、収まる。という言葉が、虚しく聞こえる。空からも、放水車でも、水は供給できなかったようだ。とにかく、どんな形でも良いから収めてほしい。爆発による大量飛散だけは起こさないでほしい。ただただ祈るしかない。

ハウス内、育苗プール作り。ポリシートを二重に敷き完成させる。種籾も、発芽しかかってきた。脱水機にかけ、水分を飛ばし、広げ気味にして、発芽の進行を休めておく。育苗箱、育苗培土をハウス内に運び、種蒔の準備を終わる。

応援を頼んでおいた、Kさん。こんな異常事態だから、無理をしないで、と云っておいたのだが、案の定。どこのスタンドでも、まともにガソリンを入れることができないという。こちらのスタンドも、配給状態。行きつけのスタンドでは、どうにか、日常活動できるくらいには、確保してくれるというのだが、それ以上は無理。こんなときは、無理をして移動することない。ということで、種蒔は、少々無理をしながらになりそうだ。

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減反させておいて

2011-03-16 18:36:57 | 暮らし

3月16日(水)  ときどき  いちじ 

ハウスの片付け。最後に残っていたシュンギク。今日の出荷用に摘む。そして、引っこ抜いて、鶏小屋行きに。苗を作るために、きれいに空けなければならないから。そして、苗床作り。二つ目も完了。後は、プール用のポリシートを被覆すれば、苗を並べることができる。18日に、種蒔を予定しているが、めどがついた。

福島では、一向に好転しない状況が続いている。悪い状況は広がり、かつ、悪化は深刻化している。もう、何でもよいから、最悪のことだけは避けるために、何でもしてほしいと、祈るような気持ちで、ただ、見聞きしているしかない、もどかしさを感じるだけだ。テレビにアップされ続ける、記者会見の顔と言葉の、他人事の様な、その軽さ。現場を見に行って来いと、云いたいのは、私だけだろうか。(官僚や、企業側でなく、自らの言葉で語る、そのための政権交代ではなかったのか。)

一方、さもしい買占めは、相変わらず続いているようだ。今日の宅配の集荷車、久しぶりの、満車状態。大部分が、米だという。ここは、水田中心の農村地帯。都市に住む子供や兄弟に頼まれて、米を送るのだという。近所の人も言っていた。盆暮れぐらいしか米を送っていない、横浜の親戚から、米を売っててくれと電話が来て、今送ってきた所だ、と。

米を食べなくなって、農家は減反=米を作るな=米は高すぎると、非難されてきた。そして、政府に対しても、農業に対して、補助が多すぎる、農家の甘やかしだと、批判してきた。(補助の在り方とか、政策的には、かなり問題もあるが) そして、現在の日本全体を見れば、米は、かなり余っている状況だ。余らせている。そんな現状を作っておいて、ただ、自分だけが、喰えなくなると困ると、必要以上に、米を買い占める。買いためる。少し状況が収まると、再び、陳列棚には米の山。流し台の下に押し込まれた米は、時間がたつと味も落ちる。邪魔になった米は、燃えるごみ。ごみ処理費用を増やすだけの買いだめ。(米の無い陳列棚を見て、不安から、実家にSOSも、同じことか?)

もう一つ。食べものがなくなる、という不安の原因は、都市生活者の、日常生活の中に、ストック=備蓄しておくという習慣がないことだと思う。おいしく食べたい。新鮮なものを食べたい。家の中に物を置いておきたくない。家が狭い。などと、自分勝手な理屈を作り、お金さえあれば、何時でも、どこでも、買ってこれる、都市の日常に麻痺していることだ。だから、何かあると、すわ一大事と、スーパーに掛け込むことになる。地震が起きたのは、11日だ。まだ、5日しか経過していない。自身の生活の脆弱さ、自立していない、他者頼みの生活であることを、しっかり認識することが必要だろう。

都市生活者に、かなりきつい言い方になったが、農村でも同じことだ。スーパーでは、トイレットペーパーや、乾電池はすぐ売り切れ、ガソリンの買いだめから、制限販売は続いている。日本人全体の問題なのだ。

 

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爪痕

2011-03-15 20:43:45 | 暮らし

3月15日(火)  のち 

育苗用の合成培土を購入に出かける。有機栽培の適合培土なので、特殊なため、旭市にある、農業資材店まで行くことになる。朝6時過ぎに出かけ、昼前には帰れた。往復250km弱、5時間近くのドライブだ。

旭市といえば、今回の地震で、津波被害で、亡くなった方も出た所である。資材店のある所は、海岸からかなり入っていて、ほとんど被害はなかったという。九十九里海岸をドライブすることになる。海のすぐそばだし、海抜も、ゼロ近くの所も多い。あちこちで、今回の津波の痕跡があった。海にそそぐ川沿いでは、看板や、塀が壊れ、えぐられたような所もあり、工事中の所もあった。道路沿いの低いフェンスに、津波が運んだだろうゴミがへばりついたり、斜めに倒れている所もあった。家や商店の前の道路際に、積まれた家具類の山が続く通りも走った。津波が、床上まで侵入し、水浸し、使えなくなったものだろう。道路のあちこちを砂が覆っているのは、引いた津波が残して行ったものだろう。報道はされなくとも、こうした、大きくない被害は、あちこちにあるのだろう。

行きは早朝だったが、帰りは、営業が始まっている時間。あちこちで、給油渋滞に遭遇する。ガソリンスタンドに入る車が、道路わきに長蛇の列。片側一車線の道路だから、徐行ないし、はみ出し運転するしかない。昨日も記したが、本当に必要な、ガソリンを入れる車は、何割位なんだろう。もう一つ。スーパーの駐車場も、まだ午前も早い時間なのに、満車状態の所がほとんどだった。

複雑な気持ちでの、ドライブだった。

福島原発は、さらにひどい状態が進行している。稼働停止中のものまでが事故を起こした。もはや、なにも言い訳ができない状態だ。一企業の問題でなく、原発を推進してきた国の政策、それを強く要求する経済界、その電力を疑うことなく享受し、電気を使い、豊かな生活を送り、楽しんできた、私たち全員の生き方の問題になっている。

何処を、誰を責めるのも、必要ない。私たちが、今ある生活を、少しだけでも、見直すことができるか、出来ないかの問題だ。

そんな事を思いながら、午後は、苗代の育苗プールを作る。やらなければという気持ちもあるが、なにか、奥底では、倦怠感に似た気持ちも、膨らみつつあるようだ。

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惨事なのに

2011-03-14 20:01:29 | 暮らし

3月14日(月)   のち 

ハウス内片づけ。育苗プール作り。

被災地では、言葉にもならないような被害の実態が、次々と明らかになってきている。原発の事故も解決に向かうどころか、悪い方へと進行している。第一原発では、負の連鎖のように、一基また一基と、炉心の熔解が起きている。一号機の熔解が起きた時点で、他の二基に対して、対策を立てなかったのだろうか。とにかく、東北三県では、悲惨な状態が続いている。

昼に、弟から電話がある。米の注文だったのだが、住んでいる埼玉の状況を聞いた。バス会社に勤めているが、通勤の車に、ガソリンを入れることができず、今日は帰れるが、明日、出勤できるかどうか分からないとのこと。ガソリンスタンドには長蛇の列。すでに閉店している所もあるそうだ。スーパーにも、マイカーや買い物客が押し寄せているという。シャッターが開いていないのに、そんな状況だという。都会は大変だね、と電話を終える。

午後、ホームセンタに買物に出る。作業に必要な材料の購入のためだ。カートを押しながら、何時もと違う雰囲気に、アレ!と思う。ガラーンとした陳列棚が続いている。被災地に物資を送るために、入荷していないのだろうかなどと、間抜けに思って歩いてゆく。と再び、ガラーンとした棚。何の棚だろうと思ってみると、ガソリンの携行缶。先ほどの棚はと、確認すると、トイレットペーパーやティッシュの棚。そして、乾電池の棚も何もない。そばには、買い物かごに半分近くも電池を入れたおばさんが。

帰って来て、連れ合いに話す。連れ合いが言うには、隣の人が、珍しく、歩いて出かけるので、「ウォーキング!」と声を掛けたという。帰ってきたのは、「ガソリンスタンドが、もうみんなしまっていて、買えないので、歩いて、孫を保育園に迎えに行く所」

都会だけではない。こんな地方の農村部でも、買占めが始まっている。

今、東京に住む、野菜のお客さんから電話。「申し訳ないが、お米を送ってほしい」とのこと。スーパーにも米屋にも米がないのだという。

被災地では、一日に、一個か、二個のおにぎりで、飢えをしのび、ボランティアとか、助け合いとかで、その日その日をすごさなければならないののに。

今すぐに必要ないものを、金にまかせて、買い占める。それを使わずに捨ててしまわざるを、得なくなるかもしれないのに、こうして、衝動的に買い占めてしまう。

さもしいことだ。

が、このさもしさも、ボランティアの気持ちも、どちらをも持っているのが、我々だ。その時の状況で、どちらを表すことになるのかだけの違いだ。

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原発

2011-03-13 19:47:20 | 暮らし

3月13日(日) 

晴れて暖かくなる。田畑の作業には、よい日和だ。家の近くの田んぼの元肥。運搬と散布。米糠と鶏ふんだから、10a当たり、150kg位の量を散布する。トラクターが走れる状態の田んぼは、施肥が完了する。トラクターが走れない湿田は、粒状の有機肥料を、代かき前に散布する。こちらは、10aあたり50kgを、背負い動力散布機での施肥になる。夕方、早めの終了だったので、ハウス内の片づけ。苗代を作らなければならないから、冬の間の菜っ葉類を片付ける。ほとんど、とうだちしているので、鶏小屋行きだ。

私たちが、こんないつもと変わらない日常生活を送っている、一方で、今回の地震と津波の被災地の多くで、被害の拡大が、時間の経過とともに、明らかになっている。地域全体が壊滅しているゆえに、被害の実態が不明だった地域が多く、そんな地域が、次々と明らかになってゆく。原発では、事故による制御不能の状態が続いている。事態は、悪くなるばかりだが、最悪の結果にだけはならないように祈るのみだ。今回の地震の被災地の中心とも言える地域には、福島第一、福島第二、女川と三か所の原発がある。福島の両原発では、周囲の地域住民の避難を強制する事態になっている。それほどに、事故の進行を止めることが、困難に近い状況になっている。女川では、どうなっているのか。詳しい状況をつかめない事態が、続いているようだ。

そして、この原発事故の影響が、私たちの生活にも及んでくる。東京電力は、明日から、日に3時間づつの停電を、地域割で、実施するという。私たちの直接の生活は、どうにでもなる。今の時期なら、冷蔵庫が止まっても、それほど問題はない。他の電気器具は、どうでもよい。寒さは、厚着や、寝具を増やせば、どうにでもなる。

しかし、困るのは、農業の方だ。ニワトリの育雛の暖房は電気だ。ナスやピーマンの苗床の温床も電気を使っている。この地域の停電の時間帯が何時になるかはまだ分からない。時間帯によっては、大きく影響することになる。3時間ほどなら、全滅するほどにはならないだろうが、何らかの対策をとる必要が出てきそうだ。安易に、電気に頼る農業への、自然からの、しっぺ返しか。

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大惨事

2011-03-12 19:27:59 | 暮らし

3月12日(土)  いちじ 

未曾有の大惨事になってしまいました。昨夜、民放も、コマーシャルさえ放映することなく、報道せざるを得ないほどの、巨大地震と津波の映像。東北を震源としながらも、首都圏の脆弱さを露呈している現状に、テレビの前を離れられませんでした。

それは、今日も続きました。私たちのすむ所の揺れは、その後の余震でもたいしたことはありませんでした。だから、夜中には、一度くらいしか目を覚ますことなく、眠れました。娘とも、連絡は取れ、安心したこともあったと思います。何時もよりは早めに起床しました。夜中の間の、地震(余震)の回数と、その震源のあまりの広範囲さに、驚くというか、恐怖を感じました。日本列島の東半分が、あちらこちらで、軋んでいるような状態です。今までも大きな被害を受けた地域も、あちこちで、大きな揺れを観測していました。テレビのニュースにくぎづけです。

しかし、私たちがやるべきことは、昨日と同じように、今の生活を、私たちの農業を続けることです。今日は、出荷の日です。ヤマト運輸のホームページで調べると、東北地区以外は、遅配の可能性はあるが、中止ではありませんでした。出荷の準備です。私は、少し手伝ってから、田んぼに出かけました。一か所、刈り草がそのままだった田んぼです。間に合わなければしょうがないと思っていましたが、風も穏やかなので、燃してしまうことにしました。すぐ脇が、雑木林になっているので、こんな日でなければ、恐くて燃せません。林に近い方の草を寄せて、燃してしまい、林との間を開けてから、本格的に火をつけます。少々湿った所もあるが、よく燃えてくれます。すっかりきれいになりました。

午後は、肥料の運搬と散布です。昨日やれなかった田んぼも終わらせました。連れ合いは、出荷作業ですが、ヤマト運輸から、午前中には、千葉県内の配達に限り、集荷できないとの連絡がありました。昼食時には、東京都内も、配達できないから、集荷中止との連絡です。今日予定の九割が、出荷中止です。お客さんに連絡し、事情を話し、明日への延期をお願いしました。

私たちが、こんな日常の作業をしている間にも、地震と津波の被害は、次々と明らかになり、あるいは、次々と広がって行っていました。昼と、夕方、家に入ってみるニュース。そして、今、最も恐れる事態になろうとしています。原子力発電所です。来るべきものが来た、としか言えないことです。想定範囲内の地震や事故に対して、安全だと言い続けてきた、政府や、電力会社、経済界。そして、電気で支えられる「豊かな」生活を享受している市民(私たち)。しかし、事故とは、起こりうるから、事故なのです。人間が制御できないほどのものを、持ってはいけないと思っていたのですが、いま、その現実化が、進行しているようです。

なんとか、最小限で納まってくれるのを祈るのみです。

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地震

2011-03-11 20:00:41 | 暮らし

3月11日(金)  ときどき  いちじ 

午後、最大規模の地震がありましたが、皆さんのお住いの所は、大丈夫だったでしょうか。

東北地方では、いまだ実態が分からないような大きな被害があったようで、心配です。三陸沖では、この数日、多くの地震が続いていたようですが、予知はできなかったのでしょうか。ニュージーランドの地震もそうですが、地球の大きさと、その上に生きる、人間が、如何に地球の活動を知りえていないのか、よくわかります。宇宙へ出かける夢の実現から、なんでもできるのだという人間至上の考え方が、弱弱しいものだと思い知り、それなりの生き方をした方がよいように思えます。地球の活動から、それに耐えうるものを作る、と、人間の科学と、技術力えを、誇示しても、地球は、さらに大きな力を見せるように感じてしまいます。地球の力の前には、被害が極力少なくて済むような、そんな生き方の方が、安心できるような気もします。

私たちの所は、被害は全くありませんでした。連れ合いは、畑作業中で、揺れの大きさから、まだ一週齢のヒヨコが心配で、一度家に帰り、出直したそうです。その時も、停車中など、余震の揺れを、感じたそうです。そして、ニュースでも、非常に大きな地震と、知ったそうです。

しかし、私は、6時半過ぎに、家に入り、テレビのニュースで、始めて全容を知りました。私は、地震の揺れを感じなかったのです。防災無線が、放送してはいました。しかし、たいしたことはないのだろう、ぐらいにしか思いませんでした。田んぼで、トラクターを動かしていました。でこぼこした所なども走ります。結構、ゆれながら動いているのです。エンジン音が大きく、防災無線もよくは聞こえないのです。ですが、あまりに何度も、放送されるので、エンジンを止め、静かに聞いてみました。「大津波注意報」の発令でした。房総半島沖も地震の巣です。そこを震源とする地震が起きたのかと、判断してしまいました。そして、たいしたことなくてよかったぐらいに考え、作業を続けていました。予定以上に時間がかかり、6時過ぎくらいまで、ライトをつけて、作業して、トラクターをトラックに積み込み、悪いことに、暗い空は、雨雲の広がりでもあり、雨も落ちてきました。もう一か所、予定していたのですが、暗い上に雨でもあり、明日にしようと、帰路に就いたのです。

明石に住む娘から、携帯に、留守メモ。「大丈夫かー」というもの。かなり大きな地震だったのかなー、などと思いながら、トラックを運転していました。地震のことより、もう一か所の田んぼに置いた、米糠が、この雨でぬれてしまうのではないかと、心配しながら。ちなみに、私たちの住む市は、周囲が、震度5弱なのに、震度は4でした。

 今日の作業  水田元肥運搬、散布。

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