畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

収穫の機械化

2023-06-30 18:27:56 | 農業の事

6月30日(金)

【6月も晦日。”23年も半分過ぎた。梅雨明け前の暑い暑いとぼやくばかりの今を考えると、猛暑をぐったり過ごすうちに、いつの間にか秋を過ぎ、冬を迎え、寒さに震えると、新年を迎えることになるのか。あまりゆっくりと考えている暇はなさそうだ。どうするかを。】

収穫期の機械の変化は、さらに進み、高額化している。移住したころは、稲は刈るのが当たり前だった。しかし、手鎌での稲刈りはごく一部の農家で見られるだけで、ほとんどが、バインダーという機械を使っていた。この機会は、エンジンで自走しながら、稲を刈りある程度の量になると、麻ひもやビニールひもで結束し、脇に放り投げるところまでを一工程として、やってくれる機会だった。腰を曲げて、鎌で稲株を刈り、藁で縛るという腰と手を酷使する作業を機械化した。刈った稲束は、同じ圃場に、竹の支柱を組んで、三脚を作り、竹竿を渡して作る稲架に架け干しする。天日で乾かし、頃合いを見て、脱穀するが、このころには、クローラー走行のハーベスターという機械が普及して、稲の束を運ぶことなく、干してある稲架場を走りながら、脱穀して、袋詰めし、その袋を運べばよい仕組みになっていた。脱穀した籾は、天気の良い日に、何日か、蓆干しし、籾摺りという順番だった。灯油を使用する、乾燥機もすでに普及していて、脱穀した籾を乾燥機で乾燥して仕上げる農家も多かった。

そんな農村の稲束を架け干しする、秋の農村的風景をがらりと変えたのも、基盤整備事業だった。湾曲した田んぼの形状に沿って、輪のようにきれいに形作られた架け干し風景は、見られなくなった。脱穀した後の稲わらも、大事な収穫物だったが、その藁も農業の産業廃棄物化していった。

コンバインという、生育している状態のままの稲を、刈り取ると同時に生で脱穀し、そのまま乾燥機で、乾燥して仕上げる技術が出来上がった。稲刈りは、圃場の四隅を手鎌で刈るだけで、あとはすべて機械での作業に変わった。コンバインは、クローラー走行しながら刈り取りと同時に脱穀し、残った藁を細断し排出する。最初の数周回の四隅は、機械の旋回のため、手刈りが必要だ。小さな圃場では手刈りの面が増える。直線走行が効率が良いから、湾曲した変形田は能率が悪い。圃場の大型化で、コンバイン作業の条件はそろった。

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乗用田植え機に

2023-06-29 19:56:24 | 農業の事

6月29日(木)

【7月にもならないのに、もう完全に夏突入だ。暑くちょっと動くと汗、身体が重くだるい。カラカラ畑では何もやる気がせず、畑の片づけを少しやっては休みを繰り返し、一日を終わらす。そんな毎日で、いいんだろうかと思うが、気持ちも乗らない。】

田植え機は、ほとんどすべて、乗用田植え機に入れ替わった。移住した当時は、田植え機が普及するころだった。ごく一部を除き、二条植えの歩行型田植え機が主だった。ぼちぼちと四条植えの機械が見られるようになったころだった。基盤整備の完了は、四条植えを一気に加速し、六条植えの大きな機械も散見した。しかし、いずれの機械も、水の入った泥田を、歩かなければならず、機械の操作はかなりの重労働だった。当地の水田は、重粘土質で、深い田んぼが多いので、大型の乗用田植え機の普及は遅れ気味だった。しかし、基盤整備から年数がたち、耕土も落ち着いてきたことと、農機具メーカーの技術進歩もあり、順次切り替えてゆく農家も出てきた。乗用田植え機が、一気に増えたのは、コンパクトな、四条植えの田植え機が比較的安価で発売されたからだろう。それまでは、六条が主だった。その後、五条植えや、八条植えも見られるようになり、今では、歩行田植え機は、見ることができなくなった。

最初のころは、田植え機で植え終わった後、何日も田んぼに入り、補植をする農家がほとんどだった。欠株を補い、植え付け本数が少ない株には、何本かの苗を補い、機械での作業以上の日数をかけ「差し苗」をしていた。その後、コメ価格と、労力、さらに、補植の増収効果への疑問、労力減、経営の代替わり、窓などの影響で、補植する風景は変わってきた。機械で植えることのできない田んぼの四隅のみ、ちょこっと補植して終わり。あるいは、四隅すら、植えずにそのままにしておく、そんな田んぼが多くなった。

本当の機械化で、田んぼの中を歩くことはなくなった。

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水田準備、管理の機械化(B)

2023-06-28 18:33:00 | 農業の事

6月28日(水)

水田の耕起は、丁寧な人は数回行う。稲刈りが終わると、秋田起こしとして、ロータリでざっと耕す。プラウ耕で、土の反転好機をする人もいる。春になると、水を張らないうちに一度ロータリー耕をする。最近は、大規模化したことから、春まで秋田状態の田んぼも多い。耕した田んぼに水を張り、ロータリーで土を細かくして、水持ちをよくする。代掻きは、以前は、ロータリーの後ろに長い丸太をロープで引きながら、均平にする風景も見られたが、今では、ロータリーより幅が広く、回転爪の短いロータリーで、代掻き専用のハローという作業機で、耕土の表面を浅く耕しながら均平にする。

施肥は、粒状の肥料を20㎏入れた散布機を背負っての作業がほとんどだった。しかし、圃場の拡大化で、この作業も変わった。田植え機に専用の散布機を取り付け、田植えと同時に施肥を行うやり方。トラクターの作業機で肥料散布機で、施肥をするやり方。どちらかになっている。

草刈りは、刈払機が主だが、畔刈用のモア―がかなり普及した。平地用のモアと、傾斜地を刈るスパイダーモアという機械のどちらか、あるいは両方を使う農家も増えた。トラクターの作業機のモアを取り付け、農道わきや、作付け前の畔の草を処理する農家もある。水田の溝切作業もやることが増えた。歩行式のは以前から使う人もいたが、今は、半乗用式に変わった。田植え機の植え付け作業機を外し、溝切機や、中耕除草期を取り付け作業する農家も見られるようになった。

あらゆる作業が、機械化されてきた。

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水田準備、管理の機械化(A)

2023-06-27 19:12:31 | 農業の事

6月27日(火)

【雨は降らない、梅雨時なのに畑はからからに乾き、野菜の生育は悪い。完全に定着し十分音を張っている野菜は良いが、生育途中の野菜にはつらい乾燥だ。とりわけ、植え付けたばかりの野菜は、枯れる心配はあるし、イモ類の植えたものは水分が不足で、休眠から目覚めてくれない。要するに、目が伸びてくれないのだ。雨のせいばかりにできないのは、私たちの畑の準備が遅れ、植え付けが、適期よりひと月以上も遅れたからなのだが。

そんなわけで、このところ、畑に行くときは、灯油用のポリタンクを必ず積んで、少しづつ、株の根元に水をたらしている。】

水田には水をためるから、その水が漏れないように、モグラやザリガニなどが明けた穴をふさぎ、二尾割れなどを補修する作業が必要だ。房総南部の畔付けは独特だ。一般に多くは、平鍬を使い畔の表面を削り、水で練った土を塗り付ける。当地の畔はゆるい傾斜の畔だ。まず、スコップで畔切をする。前の畔を掘り上げる。そのうえで水を入れて、畔際を良く練ってドロドロにする。その泥土を四本鍬で切ったところに引き寄せて、平鍬で平らに均して、新しい黒にする。畔切、土寄せ、平鍬均しの工程が必要だ。そのうえ、丁寧の人は、土寄せ、均しを二回も三回もやったという。下畔、中畔、上畔といったそうだ。

田んぼの水は大事なもの。そのために、水を漏らさないように、丁寧に手間を惜しまず、畔付けをしていた。しかし、時間はかかるし、肩腰は痛くなるし、大変な重労働だ。

トラクターの普及は、その畔付けを機械化した。作業機としての畔付け機の登場。ロータリー機を外して、畔付け機に付け替え、作業する。今まで、数日かけていた作業をわずか半日もかからずにやってしまう。そのうえ、水和張らずに作業した方がよいので、段取りさえよければ、適度に早期にやっておけることになる。手間暇かかる重労働からの解放だ。

 

 

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大型機械へ

2023-06-26 18:16:00 | 農業の事

6月26日(月)

機械作業は、狭い圃場や、不整形の圃場では能率が悪い。基盤整備により、圃場の拡大と長方形に整備されたことで、機械化は急速に進んだ。水田の耕起や代掻き作業は、小型機械での歩行作業では、時間がかかるばかりでなく、一つの圃場に時間をかけて作業する人間の気持ちの面でも、精神的ストレスを生じさせる。小さな圃場なら、一作業終わらせ、次の圃場に移動したり、一段落と別の作業に移ったりできる。しかし、圃場が広くなると、作業の途中で、昼上がりだったり、中途半端で、翌日に繰り延べたりと、決まりがつかないままに、作業を中断することも出てくる。隣で、大型機械を運転し、車の運転さながら、何倍もの速さでの作業を見せつけられる。少々無理をしても、トラクターを購入したくもなるというものだ。

だから、基盤整備が終わり、整備された圃場が供給されて数年で、あっという間に、トラクターは普及し、耕運機は駆逐されてしまった。早春の寒さの中水田に入り田んぼ長靴で歩きながら、耕耘する作業はなくなった。トラクターの運転で、田んぼを準備する。農業の重労働性から、幾分かは解放された。しかし、当時は、トラクターの運転席は露天で、雨風は防ぐことはできなかった。そして、今、ほとんどのトラクターは、キャビン式になり、雨風を防ぐとともに、エアコンまで整備されるようになっている。

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基盤整備

2023-06-25 18:32:04 | 農業の事

6月25日(日)

現在の稲作は、完全に機械化され、機械化は、同時に、大規模経営へと進んだ。人間個々の作業量は知れている。機械は、大型化すればするほど、時間当たりの作業量は増える。その単純な掛け算により、稲作は、大規模経営化が進み、今や、家族農業は一握りも見られ来ほどになっている。

私たちが移住したころ、個々の田んぼは、昔ながらの地形を残した、曲線が主な形状の田んぼがほとんどで、農道も限られ、歩くか小さな機械でなければ通れないような、畔を利用する農道や、ほかの田んぼを通る、田越しで行くような田んぼが、ほとんどだった。今、全国あちこちで、観光や、体験農業などの米つくりに歓迎される、棚田。棚田100選とか、日本農業の原点とか、美しい自然を保存する農業、等々、コメの生産を度外視して、語られる棚田。このような棚田ではなかったが、地形を利用し、水が低い方へと流れる自然を利用して、地域全体が、大きなダムといえる、田越の水を引き入れての稲作だった。堰の水は、主たる水路を流れ、上の田んぼに入り水路から遠い田んぼには、ほかの田んぼを経由して、引き入れていた。雨として供給される水も、段々と下に流れ、田を満たしていた。

移住した翌年から、農地の基盤整理事業が始まった。だから、この地域の原風景は、おぼろげながら、記憶の隅に残っている。地区の風景は、がらりと変わった。基本、農道と排水路を隣接させ、配水はパイプ配水となり各水田に給水バルブを取り付ける。暗渠排水管も原則敷設された。田んぼの形は、基本的に長方形で、30アールを原則としたものだった。田の水入れは、バルブを開くだけ、水の管理は、隣の田んぼを気にすることなく、自由にやれるようになる。一方で、度の田んぼも、流れ出る水は、すべて排水路に落ちることになる。必要な水は直接入れて、不要な水は、排水路へ捨てる。水田の管理は楽になるが、雨を利用する、自然による稲作から、人工的なものになっていった。

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必需機械

2023-06-24 18:07:49 | 暮らし

6月24日(土)

農業の機械化は、農機店とのかかわりなくしては、農業がやれなくなることであり、農機店への支払いに縛られる農業経営へとなることだった。

我が家に機械化の歴史を見てみる。移住した年に中古の耕運機を購入したことは、すでに触れた。

同じ年、中古の軽トラックを購入する。軽トラックは、必需品だ。田んぼや畑は、ちょこっと歩いて通えるところばかりではなかった。肥料や機械道具を運び、苗や収穫物の運搬にも、狭い農道には小回りの利く軽トラックはなくてはならない。のちには、より便利で、悪路にも耐える、四輪駆動の軽トラックに変わった。また、同時に、エンジン式の刈払機を購入した。農道や、田畑の畔や家周りの草の処理には、手鎌ではやりきれなく、以後も、手放したことはない。だいぶたってからは、二台以上用意し、連れ合いと銘々が使用した。最近は、自走式のモアも所有し、田畑の畔の平らなところや、畑の中などは、モアを使用するようになった。

田畑の耕起などの機械化は、中古ガソリンエンジンの耕運機で、ロータリー耕を中心に作業していたが、プラウも購入し、ジーゼルエンジンのロータリーも中古で購入、使い分けた。重粘土質の田んぼでは、よく乾いた場合を除き、ゴムタイヤでの作業はできない。水田用の鉄車輪に付け替え、ある程度の水を張らなければ、土が車輪にくっついて、動けなくなる。苦労しながらの重労働だ。ましてや、耕盤ができにくい深い田んぼでは、何度も埋まり、引き上げるに苦労した。その後、知り合いの農家から、新しく購入するからと、今まで使っていたトラクターを安く譲ってもらった。そのころは、畑は50アールほど、田んぼは150アールくらいを耕していた。以後は、トラクター中心の耕起作業になっていった。トラクターは、しばらくは中古を使用続けたが、10数年前には、重粘土質の深い田んぼが多いからと、クローラー式のトラクターを購入した。今も、それを使用している。

ここまでの機械は何をやるにも、必要な、最低限の機械だと思う。

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雨、降らず

2023-06-23 18:52:53 | 暮らし

6月23日(金)

【昨日の天気予報は、曇りのち雨。午後には降り始め、夜は本降りの雨となり、明け方まで、しっかり振ることになっていた。それは期待していた雨だった。だから、昨日は午前中も早めに花畑に行き、雨前にやっておきたい作業をした。マルチ畝への植穴も明け、移植水を畝内に入るようにとやってきた。昼頃からは、ぽつぽつともしてきたから、よかったよかったと、ハウス内の作業をやっていた。しかし、しっかりと雨を降らすような空模様には全くならず、暗くなる。弱いしとしと雨は落ちてはきた。天気予報の雨雲予報は、夜も遅くなるにつれ、強い雨を降らす、色付きの雲が、長時間ではないが、かかってくれることを示していた。悪い予感も感じながら、しかし、願いを込めて、床に就いた。

朝、しかし、全くと言ってよいほど降ってはいなかった。うっすらと色つくくらいの湿気を持っただけの表土。アメダスを確認しても、夜早いうちにごく弱い雨が数時間降り、全部で1.5ミリの降水量しか記録していない。一週間ほど降雨のない畑土には、表面を濡らすだけでしかない。

がっかりして、ポリタンクに水道水をいれ、冬瓜の苗を植え付けた。

天気予報には、傘マークが少なくなった。このまま、少雨のまま、梅雨明けへと向かうのだろうか。そんな嫌な予感を抱かせるような、天気になりそうだ。】

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スピード

2023-06-22 18:40:54 | 農業の事

6月22日(木)

私の生きてきた時代を振り返ると、あらゆることが、ものすごい速さで、変わってきた。それは進化なのだろうか。私の親たちの時代も、明治から、大正になったころに生まれ、60年も続く昭和の時代を生きた親たち。社会の目まぐるしい変化に翻弄され、変化を生活に取り入れ、肉体的には、いくらかは、「楽」になったと感じてきただろう。それをそのまま引き継ぎ、さらなる「変化」と、そのスピードを受け入れてきたのが私たち世代だろう。変化は、当然、人口の密集する都市部に現れ、広まった。地方の農山村部などは、かなりの遅れがあり、変化はゆっくりだ。しかし、私たち、いわゆる団塊の世代が、中心になるころには、変化は、中央と地方の格差を一気に縮め、均質化した時代でもあった。それは、人間が自然から飛び出し非自然化する過程でもあったように思う。そして、私たちの次の世代は、それを完成させる。人間という動物が、自然から、完全に飛び出し、自然を完全に対象化しようとしている。

そんな時代に、農業を生業にしてきた、40年。その変化のスピードを振り返る。

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移住、40年

2023-06-21 18:43:36 | 農業の事

6月21日(水)

我が家の農業は、採卵鶏養鶏と、水稲が主の出発だった。移住した地区は、強い粘土質の土地で、畑は少なく、田んぼが中心の地域でだった。雨が降れば、ぐちゃぐちゃ、乾けばガチガチになるような土質で、水はけも悪く作業は大変だった。米つくりの最初の数年は、友人たちの援農や、田植えツアー的に都市からの応援を得ての、手で植える田植えと、手鎌による稲刈りの、人海戦術による、作業だった。多いときは、10数人もで、田んぼに並んでの、にぎやかな田植えや稲刈りを行った。しかし、それでは、農業を主にする生活からは程遠く、中途半端な状態が続くことになっていた。

それでも、中古の機会を世話してもらったり、機械を借りての仕事を増やし、少しづつ機械も増えていった。人とのつながりも増え、少し遠いところに、まとまった畑を借りれるようになってから、米と卵と野菜のセットを消費者に直接、宅配便で届ける提携農業を、少しづつ増やし、それを中心にする農業へ進んでいき、今に至っている。

2023年。移住して、40年になる。この40年は、農業の変化の、ものすごいスピードを実感し、体感した、40年となった。

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