みどりの野原

野原の便り

7月20日 復元氷室 3トンの氷、残った氷は何キロ? 古代氷室跡 都祁氷室神社 

2015年07月20日 | Weblog
「復元氷室 氷出し」の天理のイベントに参加

「氷室」とは、氷が年中作られるようになる以前、冬の厳寒期にできた氷を夏まで保存する施設。
今は何時でもある氷を真夏に使おうとした先人の知恵が詰まっている。

「復元氷室」は道路から少し登ったところに作られていた。茅葺き屋根


私たちが到着した時にはちょうど復元氷室の前で神事がとり行われていた。
神事終了後、氷室の中を見学。

 
      階段を登り・・狭い入口から潜り込むように中へ。    

 
        穴の中に光る氷が見えた。

 
                 反対側の出口から出る。

 
全員見学後、地元小学生たちによって氷の運び出し。


それを荷車に積み込んで・・氷室神社へ?


氷をさわらせてもらった。 冷たさはどの氷も同じはずだけど、春夏と頑張って残った氷だと思うといとおしい。
「よう頑張ったね~」

「2月11日、氷を復元氷室に納め、海の日に取り出す」この行事は今年で17年目だそうだ。
「今年2月に納めた3トンの氷(48時間かけて凍らせた氷)は、どれだけ残っているか?」 これはクイズになっていた。
去年の残氷量は109キロ これを参考にやや少なめの量で投票した。

さて、今年の残氷量は?  正解は「36.8キロ」と発表があった。
元の1%ぐらいに溶けてしまった氷。ちょっとさみしい。
  
掲示されていた17年間の残氷量の記録を見ると、
第1回の1999年(H11)・第2回 ・第3回 の残量率は 62.5% 70% 70%あったものが・・
その後は30%台がつづき・・・ここ5年間では1%が今年含め3回。

復元氷室は道路近くの山裾に作られていて、地形的に水がしみこみやすいとの説明もあったが、温暖化の影響もあるのかなとちょっと不安になる。

「氷まつり」の行われている福住小学校へ。
 
途中の山裾にはたくさんのヤマユリが咲いていた。 
昔は普通の光景だっただと懐かしく思った。
イノシシが食い荒すそうで、ヤマユリを維持するのも大変そうだ。


「氷まつり」会場の都祁小学校 模擬店も出て賑やか。午後のコンサートも準備されていた。
サービスのかき氷をいただいて、模擬店で買った焼きそばを食べる。
残量の予想が近かった数人の人には賞品があった。 私は大幅に外れ。

午後からは「氷室跡」見学

 
山道を登った尾根筋に氷室跡はあった。    大きいすり鉢状の穴が2つ 

説明によると、復元氷室には立派な茅葺き屋根が作ってあったが、古代の氷室はもう少し簡単なものだったそうだ。
氷室跡に立っていると風が涼しい。福住は海抜480m前後の高地にあり、平地とは5度程度気温が低い。
その尾根筋は涼しい上に水はけもよく、氷室作りには適していた。
それに、当時はもっと気温も低く、浅い池に水を張っては凍らせ、また水を撒いて凍らせして、この辺で氷も作れたという。

長屋王の屋敷跡からは「都祁の氷室」「氷室の造り方」等を書いた出簡が出土し、また日本書紀にも、ここで作られた氷が奈良の都の天皇に献上された記録があるという。

平城京まで19キロぐらいといえど、人の足で氷をとかさずに運ぶのは大変なことだったろう。
まして天皇献上品となると、責任重大だ。
さらに平安京にも福住の氷を運んだ記録もあるというから驚き。
都では「氷を管理する役所」もあって、人が亡くなった時に(今のドライアイス代わりに)使われたりもしたそうだ。

古代氷室跡を見た後、「氷の神」を祀る都祁(つげ)氷室神社へ

ここでもボランティアさんの説明付き。
 
氷室神社 といえば、奈良の氷室神社を思い浮かべるが、ここの氷室神社から祭神を勧請したもので、ここが総本社にあたるという。
バスで天理駅まで送ってもらい解散。
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