memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

漁獲量減少しても金額は増加   アイスランドの2010年

2011-09-09 11:45:32 | 水産・海洋

昨年のアイスランド漁船の水揚げは顕著に減少したが、金額では増加を見た(8月31日FUD)
2010年のアイスランド漁船の水揚量は106.3万トンで2009年よりも6.6万トン減少した。金額は1330億アイスランドクローネで前年比15.2%増加した。
最大の漁獲をみたのが国の東部で、主に表層魚である。最大の比率を占めるのは底生魚で総量の4分の1を占めるがこれらは首都レイキャビックのある地区で加工された。マダラの加工は陸上工場での冷凍であり、ハッドクも同様である。

インド洋津浪後の困難を訴え スリランカ漁民

2011-09-09 01:16:12 | 亜細亜海道
スリランカ沿岸漁民は伝統的な仕事で生計を維持するのが難しいと訴えている(9月1日gloabalpressinstitute) 小さな子供がコロンボ地区の漁村Angulanaの浜辺で遊んでいる。魚の匂いが風に乗り海風が岸辺に吹いてくる。Jayasiri Peiris(39歳)は漁師で家族を支えている。だが漁師の収入で家族を養うことは難しいという。「父は50年間漁に従事した。その日々は毎日の糊口を凌ぐのがやっとで、将来のためには何も残せなかった」 Perisが学校に行けたのは7年次までで、父の獲った魚を売る手伝いをした。その後、かれは漁師を続けた。しばらくして小さなボートを買うことができた。彼の望みは船外機のついたボートを買うことだった。「ローンを組んで船外機船を買うことが欲望だ」と夢みるような目をした。しかしここには支払いの容易なローンなどはない。地元漁師の直面する問題はこれだけではない。Perisやその他の漁民たちは持船や漁具等を夜間保管する安全な場所を持っていない。ときに海は荒れる、となれば海には出られない。彼はまた大きな魚を獲る網も持っていない。 数か月前彼は足の怪我をした、不自由な身となった。自分で漁に行けないので兄弟に頼っている。今や収入源は彼の妻が造り商うビーフン、米麺からだけとなった。彼は5人の子持ち、娘4人に息子が1人いる。娘の一人は音楽の才能があるというが娘をレッスンに通わせる才覚はない。漁師らは沿岸集落の伝統的な生計を漁業で支えることは困難という。自らの家族を貧困から引き上げることができない。 政府やNGO団体は漁業推進のため様々な政策やプログラムを実行しているし漁民の支援も行っている。しかし当局者は漁業開発の中でもっと支援が必要という。漁業はこの国の消費する動物性タンパクの7割を支えていると国家統計局はいう。2010年は漁業生産が13%増加したという。 漁業は沿岸地区の最も大事な経済活動でスリランカの漁民数は22万人でおよそ250万人の生活に関連している。

津浪のあと魚市場は再開、生き残りと繁栄をかけて

2011-09-09 01:14:49 | 東北地震津浪災害 3.11

彼女ショウコ・タダさんはフォークリフトを運転、地方市場の魚の内臓や血のあるところで働く数少ない女性だが、笑顔を見せる(9月5日By Christopher Johnson to WashingtonTimes)

津浪と原発災害が日本の東北の産業を襲って半年がたち、国内や海外の消費者は日本の水産物から引き離されたが、大船渡魚市場は漁師の水揚げや入札をする買い付け人の声で活気ついている。仕事に就けて幸せだとタダさん(52歳)はいう。彼女は餌をあさるカモメと、水揚げに汗をかく男たちともに働いている。「災害からこんなに多くの仲間や友人が生き残ったことは喜ばしい」

大船渡漁港は3月11日の津波の襲った日、水中15メートルにあった。しかし今は数百人による作業者やボランテアの復旧活動によって再開した。港の関係者ナガサワ・カズシゲ氏によれば北海道から来た漁船が穴埋めをしているという。大船渡港の地元船の80%、とくに小船は津波で被災した。漁船はロシア極東の近くまで出かけサンマを漁獲する。サンマはナイフのような形の輝く魚体で、秋には日本人のこのむ魚である。北海道で安く売るよりも漁業者は需要の強い大船渡港まで運んでくる。供給の減った今、彼らには高値が得られる。「水揚げでより利益が得られる彼らにとってのチャンスだ」とナガサワ氏(59歳)はいう。「ここで売れば北海道よりも20~30%は高値になる」という。

大船渡港の復旧した一部を使い、北海道の人たちも燃料代の半分と輸送コストを節約できる。大船渡はもっと大型の市場である仙台、東京、名古屋、大阪よりも北海道に近い。ナガサワ氏は日本の消費者は普段は水産物を主に摂取する。福島原発による水産物の放射能汚染を恐れての忌避が数か月はあった。「東京からの人々は放射能検査をもはや気にせず喜んで消費する」彼は余暇を利用し日本を巡ったことがある人だ。
彼は壁にテープで張られた魚価の表を指さした。そこには政府による放射線検査の結果があり、5日前の段階で許容量以下の安全であることを示していた。「このサンマは福島原発からはるか離れたところで獲れた、人々は今の季節にサンマを食べたいのだ」という。大船渡港は近隣の陸前高田の人々にも仕事を供給している。陸前高田もまた15メートルの津波に被災した。市場で働く300~400人の人のうちの1割は陸前高田の人だという。「大船渡の地元民も、復旧のために、彼らが来ることは歓迎している」と彼はいう。

ヒガシ・アズマ氏62歳は活発な漁船の船長だ。引き締まったボデイビルダーのような体の彼は漁師の回復力について語る。「自分たちは海をお恐れない。日葡にゃ世界中の消費者に魚を届けたいと強く感じている」白い制服に頭には伝統の鉢巻をしている。「漁師は強い家族だ、おれたちは決してあきらめない」ヒガシさん、タダさん、ナガサワさんのように多くの漁業者が津波から逃げおおせた。それは彼らが、海の圧倒的な破壊力を本能的に知っていたからだ。しかし陸の人々は違う、家庭や車の中で亡くなった人も多かった。「ほとんどの犠牲者たちはあんな大波が来るとは思わず、逃げようとしなかった。しかし海で働く人には何が起こったのかを完全に把握していた。だから漁業者で亡くなった人の割合は少ない」

しかし津波は彼の船に襲い掛かり渦を巻いた、ヒガシさんは海神に祈り、自然の力を畏敬していたからという。「津波が港内の多くの船を破壊することは分かっていたから、地震が起こるや自分は沖に向かって逃げた」という。「自分は常々、健康と安全を祈っている。だから神は自分と船を助けてくれたのだと思う」

写真はChristopher Johnsonによるものである。

フィリッピン人漁業者のビザ更新を歓迎  アイルランド 

2011-09-09 01:13:04 | 水産・海洋
およそ70人のフィリッピン人漁民がビザ期限御問題で出獄を余儀なくされていたがそのビザ更新が一時的に救済されることになった。阿多更新されてニューポートに移動することになった。ウエストミンスターのイミグレーション担当大臣Damien Green は一年かンお延長を認めた(8月30日bbc)

漁船の船長の多くはフィリッピン人の雇用なくしては船を出港させることができないという。Strangford の議員Jim Shannonはフィリッピン人にかわって訴えを主張。議員は漁民の何人かと面談したが、彼らの労働倫理に感心したという。「午前2時に港に集合と伝えれば、彼らはその前に待っていて、すぐ出港できる」と。

「彼らは非常に経験者である。彼らは漁民としてフィリッピンからのライセンスを持ち、この国のそれと変わることがない」 「非常に能力が高く漁船で必要な仕事に長けている」