memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

欧州産ではない海産物

2009-09-09 00:01:47 | 
持続可能な海産物を見つけるため、Taras Grescoeは一年間を費やして世界を巡り、パリの素晴らしいレストランから単純素朴なものまで食の探索をした。 (英国 ガーデイアンより)

旅の間、シーフードを食べ続けた。漁業桟橋での晩餐は地元の伝統にのっとった簡単なもので、“旅行者向けの収容所”からの脱出には最も近道と思う。その食の間に、自分は地方的な生活が好きなのだと感じた。自分の経験の中ではかなり極端な料理も楽しんだ。

・ マドリッドでは、一碗のウナギの稚魚に相当な金を払った。それは、Pibales とかAngulasと呼ばれるもので、伝統的な方法で殺してから、トウガラシとニンニクの入ったオリーブ油で揚げたものを、木のフォークで食した。これを食べた後に自分は後悔した。ウナギは彼らが1メートルとかその半分くらいの大きさにまで育つのを待つべきで、いまだマッチ棒の長さしかない稚魚を河口で掬い取るべきではないと。
・ また自分は上海では上海蟹をすすって食べて楽しんだ(その爪は金色に輝く毛でおおわれていた)また、エボシガイをガリシアで食した(半フィートくらいの長さで、黒い皮のような軸身は先端がピンクと白色でモザイクの外套をまとい、エイリアンの男性自身のように見えた)
・ そして東京では塩辛を食べた(発酵させたイカの内臓で、習い覚えた嗜好のひとつである)

そして、可能な限りその地方の揚物料理を食した。アンチョビー(カタクチイワシ)のようなイカナゴをたくさん油で揚げて、まるで目のついているチップのようで退廃的でもあったが、皆は年齢に関係なくほうばっていた。
そうした日々は、自分の魚食についての選択からは程遠かった。1988年我々の漁獲はピークに達した、世界の漁獲高は7800万トンとなり、その後は減少を続けている現状である。種が壊滅した後の種の資源量は大西洋のマダラから地中海のクロマグロにまで及ぶ。グルメのトレンドがチリーのシーバスとかアンコウあるいはオレンジ・ラフィーといった見慣れない魚種までを破滅させてきた。

いま皿の上に並ぶ魚の半数は養殖生産物といえる。数多くの養殖ものがあり、エビやサケなどが含まれ、小型のものを大きく太らせ食べられるサイズにまで育て上げている。いまや自分は海洋の食物連鎖の中位から最終にあるものを好む嗜好が自分にはあるが、マグロやカジキ、サケ類を避けてサバ、イワシ、ニシンといったものを選ぶようになった。このことは、自分が食の冒険の感覚を失ったからではない。多くの欧州の料理に小さなもので旨いもの、そして食物連鎖の低位にあるものを用いることが美徳とされるようになったからだ。だから海辺の小屋のような場所での食に罪を感じることはないのだ。ミシュラン・ガイドブックのように自分が欧州で食べたお勧めの8件の維持可能な魚種をのせたノートがある
<写真はA platter of taste ... Chez Jacky in Brittany, France. Photograph: PR>