ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

1983年の松田瑛子(英子)

2023-06-13 00:00:00 | 映画

先日なんてこともなく『愛のコリーダ』に主演した松田暎子(英子)のことを検索していたら、「お」という写真を見つけました。知っている人はもちろんとっくの以前から知っているものでしょうが、私は知らなかったので、これはなかなか貴重だと思いますから、ここでご紹介します。

1983年5月に、カンヌで撮影されたものとのこと。隣にいるのは、いうまでもなく大島渚監督です。つまり大島監督が、『戦場のメリークリスマス』をひっさげて第36回カンヌ国際映画祭に参加した際のフォトセッションのわけです。下は、同じ時期にカンヌで撮影されたもの。

大島渚監督の著作に、『答える! 』というのがありまして、『戦場のメリークリスマス』ほかに関するさまざまなことについて語っています。松田についても、彼女はフランスにいるということが書かれていた記憶があります(実物が手元にないので、確認はできません。確認したら、訂正の可能性もふくめてまた追記します)。でも逢ったっていう記述はあったっけな?

さて、彼女は、この撮影前年に公開された映画『Cinq et la peau』が、彼女の(確認できる)最後の芸能活動となりました。これはフランス映画で、日本では公開されていません。

たぶん左の女性が彼女だと思いますが、確信はありません。この映画は、82年にやはりカンヌ映画祭に出品されたとのこと。が、彼女と大島監督のセッションは、83年ですから、これは大島監督が彼女を呼んだのか、彼女が自分の意志でカンヌに来たのか、それとも第三者のあっせんでもあったのか。現段階そのことについて私は知識がありません。

私が知っている彼女の最後の写真は、

「愛のコリーダ」に出演していた女優さんの最近の姿を発見する(追記あり)

の記事でご紹介した写真です。いつ頃の撮影か不明ですが、たぶん1990年代後半くらいでしょうか。落ち着いた感じの美しい女性が写っています。彼女は2011年3月9日に東京で脳腫瘍で亡くなったとのこと。東日本大震災の直前ですね。彼女はフランスに移住していたはずですが、自分の余命とは関係なく何らかの理由で日本に帰ってきたのか、それとも死を覚悟して母国を終焉の地として選択したのか、そのあたりも私の知るところではありません。83年の彼女は明るい笑顔ですが、つまりは彼女は、日本での居場所がなくフランスに渡ったと思われるので、そこに何らかの悲哀を感じないでもありません。松田瑛子さんについては、これからも可能な限り情報を集めてこのブログで発表していきたいと思いますので乞うご期待。


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