ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

ヘンリーの子、ジェーンの弟、ブリジットの父親(ピーター・フォンダの死)(追記あり)

2019-08-20 00:00:00 | 映画

イージー・ライダー」で知られるピーター・フォンダお亡くなりになりましたね。記事を。

>「イージー・ライダー」俳優ピーター・フォンダさん死去79歳
2019年8月19日 13:00

[映画.com ニュース]映画「イージー・ライダー」などで知られる俳優・監督のピーター・フォンダさんが8月16日(現地時間)、肺がんによる呼吸不全のため米ロサンゼルスの自宅で死去した。享年79歳。バラエティほか複数の米メディアが報じている。

広報担当によると、フォンダさんは同日午前、親族が見守るなかロサンゼルスの自宅で安らかに息を引きとったという。遺族は声明を通し、「私たちの人生において最も悲しい瞬間。心の痛みを表現する適切な言葉が見つからない」と悲痛な心境を述べた上で、「心優しく寛容な彼の死を嘆くとともに、皆さんが不屈の精神と愛に満ちた彼の人生を祝福することを願っています。ピーターを讃えるべく、自由という名のグラスを掲げ、乾杯をしてあげてください」と呼びかけた。

1939年、名優ヘンリー・フォンダを父に、ジェーン・フォンダを姉に持つ芸能一家のもと米ニューヨークで生まれたフォンダさんは、ブロードウェイの舞台で俳優としてのキャリアをスタートさせたのち、63年に「タミーとドクター」で映画デビューした。アメリカの真の姿を求めてバイクを走らせる若者たちの旅路を描いたアメリカン・ニューシネマの傑作「イージー・ライダー」(69)では製作・共同脚本・主演の三役を務め、共演のデニス・ホッパー&ジャック・ニコルソンとともに一躍人気スターに。同作は、第42回アカデミー賞の脚本賞にノミネートされたのに加え、98年にはアメリカ文化の遺産として保存に値する「文化的、歴史的、芸術的」に重要な作品としてアメリカ国立フィルム登録簿(National Film Registry)入りを果たしている。

その後も、「さすらいのカウボーイ」(71)や「未来世界」(76)、「キャノンボール」(81)、村上龍原作・監督の日本映画「だいじょうぶマイ・フレンド」(83)など幅広いジャンルの作品に出演。97年の「木洩れ日の中で」では家族の絆を取り戻そうと奮闘する老養蜂家を熱演し、ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)を受賞。アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされた。

2000年代に入ってからも、「サラ、いつわりの祈り」(04)、「ゴーストライダー」(07)、「3時10分、決断のとき」(07)、「処刑人II」(09)、「コンテンダー」(15)などの映画から、「ER緊急救命室」「カリフォルニケーション」「CSI:ニューヨーク」「ブラックリスト」といった米人気ドラマへのゲスト出演まで精力的に活動を続けていた。

「イージー・ライダー」の公開から50年にあたる今年は、9月20日(現地時間)に米ニューヨークのラジオ・シティ・ミュージック・ホールにて開催される記念コンサートにも、特別ゲストとして参加する予定だった。

(映画.com速報)

引用した記事のタイトルにもありますように、ピーター・フォンダというとどうしても「イージー・ライダー」の人というイメージがあります。記事にもありますように、この映画で彼は、制作、共同脚本(映画でもフォンダと並ぶ主演のデニス・ホッパーテリー・サザーンとの経堂脚本)、主演(ホッパーとのダブル主演ですが、どちらかというと、フォンダのほうが中心だったと思います。クレジットもフォンダのほうが上)で、彼は脚本賞にノミネートされました(受賞はせず)。

彼は言うまでもなく、ヘンリー・フォンダの息子でしたが、母親が自殺したりといろいろあったので、ヘンリーと関係はあまりよろしくなかったようです。これは姉貴のジェーン・フォンダも同じで、父親との和解には長い年月がかかりました。

ヘンリーと比べると、どうしてもピーターは役柄もいまいちへんてこなキャラクターが多く、また姉貴が政治運動などでも一世を風靡したりして、どうも彼自身は地味な感が否めません。娘のブリジットが女優としてデビューしたら、今度はブリジットの父親のイメージが強くなりました。そうなるとどうしても「イージー・ライダー」の人という印象が強くなることは免れません。

しかし1997年「木洩れ日の中で」で、彼はアカデミー主演男優賞にノミネートされます。

残念ながらこの映画は、日本では劇場未公開、VHSビデオのみの発売、DVDですら見られないという状態ですが、ストーリーをWikipediaから引用しますと

>フロリダ州の小さな田舎町で養蜂業を営む初老のユーリー。妻はすでになく男やもめであったが、服役中の息子ジミーからふたりの孫娘ケイシーとペニーを預かり、静かなる生活を送っていた。ある日、刑務所の面会に赴いたユーリーは家出した妻ヘレンを助けてほしいと息子に懇願される。ジミーの不良仲間と関わってしまい、彼らと暮らしているらしい。ユーリーはヘレンをどうにかそこから連れ出すのだが、彼女は重度の麻薬常習者へ成り果てていた。隣人の独身女性の看護師コニーの協力を得ながら、ユーリーたちは家族の絆を取り戻してゆく。

義理の娘が麻薬中毒というのがまさに、実際のピーターではないかという気がしますが、50代半ば過ぎの彼は、ようやくこのような役を演じることができるようになっていたのでしょう。晩年まで作品に出続けられたのは、彼にとってもよかったでしょう。なおヘンリーは77歳で亡くなりましたが、ピーターは79歳まで生きたので彼のほうが長生きだったわけです。晩年のヘンリーと比べるとピーターの晩年はだいぶ若い印象がありますが、たぶんこれも時代の変化というものなのでしょう。先日の記事でもご紹介しましたが、「イージー・ライダー」のフロントクレジットの動画と、さらには映画のエンディングのシーンの動画、あと今年撮影された写真を掲載してピーター・フォンダさんを追悼したいと思います。

Easy Rider - Intro - Born to be wild!

EASY RIDER - The End

写真は今年の2月24日に撮影されたもので、隣の女性は日本語版Wikipediaには出てきませんが、2011年に再婚した奥さんです。

記事発表日の追記:すみません。お約束を忘れていました。下の写真は、1969年に撮影された、ヘンリー、ジェーン、ピーターの写真です。

Peter Fonda(1940-2019)

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