チェコスロヴァキア(当時)出身で、現スイス国籍の元テニス選手であるマルティナ・ヒンギスがダブルスの選手として復帰するとのこと。何をいまさらという気もしますが、彼女からすると燃焼していないところがあるんですかね。記事より。
>32歳ヒンギスがダブルスで復帰「闘争心は健在」
女子テニスの元世界ランキング1位で殿堂入りを果たしたマルチナ・ヒンギス(スイス)が29日に米カリフォルニア州カールズバッドで開幕する南カリフォルニア・オープンのダブルスで復帰すると16日、大会主催者が発表した。
32歳のヒンギスは大会のホームページで「復帰を楽しみにしている。私の闘争心は健在だ」とコメントした。2007年9月以来のツアー出場となり、ダニエラ・ハンチュコバ(スロバキア)とペアを組む。(共同)
テニスは個人競技ですから、本人が現役復帰しようと思えばできますもんね。個人スポーツですから、本人がその気になれば、活躍できるかどうかはともかく復帰はできます。するのならするで、彼女にはがんばってほしいものです。
そして私が注目したいのは、彼女のダブルスの相方がダニエラ・ハンチュコワだということです。ハンチュコワもさすがに年齢からの衰えは隠せず、世界ランクもだいぶ下に来てしまっていますが、スロヴァキアつながりで(ヒンギスはチェコ出身者だと私は長きにわたって勘違いしていましたが、彼女はスロヴァキア出身です)ペアを組むということでしょう、きっと。
そうすると、ヒンギスを美人と考えるかどうかは趣味の問題でしょうが、ハンチュコワは文句なしの美女ですから、これは(やや年増ではありますが)スロヴァキア美女ペア、とでも売り込む算段ですかね。スロヴァキア人女性は、チェコ人女性同様美女です。こんなきれいな女性がいるんだとため息がでることもしばしばです。
というわけで、ヒンギスとハンチュコワの写真をまた特集します。まずはヒンギスを。
これはわりと有名な写真。
ヒンギスでは、こういう写真はお約束です。
わりと肉感的です。
2005年のヒンギス。
2010年、馬術に挑戦するヒンギス。彼女の夫は、馬術の選手です。
2012年、オーストラリアオープンで、マリア・シャラポワと。
2013年のオーストラリアオープンにて。
2013年ウインブルドンでの彼女。
では次は、ダニエラ・ハンチュコワの写真を。
足の開き方が大胆でかっこいいですね。スタイルがよくないと、こんな写真撮るだけ恥です。
2012年に見せてくれたセミヌード。ほんとかどうかはともかく、引退したら彼女はヌードになってもいいそうです。スロヴァキア人とかチェコ人は脱ぎっぷりがいいからね。それにしても、テニスの写真よりパーティーやイベントでの写真が主になっちゃうのが、彼女らしいといったら失礼かな。まだ現役だし。
前に記事にしたテータム・オニール同様、ヒンギスも十代で人生の絶頂を迎えてしまいました。その後ヒンギスもずいぶん悔しい思いもしたでしょう。どこまでリカヴァリーできるかは難しいかもしれませんが、でも彼女が今度の復活である程度心のもやもやを吹き飛ばしてくれればとてもいいなと思います。たぶんハンチュコワも、選手生活の最晩年であることを意識しているからこそヒンギスとペアを組むのでしょう。彼女らの活躍を期待したいと思います。
>スロヴァキアつながり
ヒンギスがデビューした頃ってチェコと離れたばかりだったので全然気にしてませんでした。
ヒンギスといえば、伊達選手が引退決めた年のマディソン・スクエア・ガーデンで行われたシーズン最終戦で彼女に勝ち、引導渡した張本人(MSGで引退セレモニーした日本人て伊達さん位?)ですから、現在の伊達選手見てて、期するものがあったのかも知れません。
元々器用な選手ですから、ダブルスも得意(クルニコワ唯一のグランドスラム・タイトルは彼女とのダブルスでした)ですし、ハンチュコワとのペア、いいんじゃないでしょうか。
頭脳的(引退後の解説も上手いと定評があったみたいです)と言ってしまえばそれまでですが、予測の速さを伴った無駄のない動き、一見無造作のようにススッと前に出ては決めるドライブボレーや攻撃的なドロップショット、爽快そのもののダブルバックハンドのダウンザライン等、観る者を飽きさせないプレイスタイルが大好きだっただけに、ここはシングルスにも挑戦して、ぜひ全仏で生涯グランドスラムを狙って欲しいものです。
えっそうなの?と思いウィキペディアを見てみます。
かなり長いですが引用。確かに「十代で人生の絶頂」ですね。
『1997年1月25日、4大大会史上最年少の「16歳3か月」で全豪オープン初優勝を達成。同年3月31日に「16歳6か月」で史上最年少の世界ランキング1位になり、こうしてヒンギスはモニカ・セレシュが持っていた2つの最年少記録を更新した(セレシュの記録:1990年全仏オープンに16歳6か月で優勝、1991年3月に17歳3か月で世界ランキング1位)。その後ウィンブルドン・全米オープンも制覇し、史上最年少の16歳で4大大会3冠を達成した。
ヒンギスは少女時代から日本での広告出演で人気を獲得し、グリコの「カフェオーレ」(1996年)やタニタのヘルスメーター、日本食研の「バランスデイト」(ともに1998年)のテレビCMで日本語を披露したことで、日本のお茶の間にも広く浸透した選手になった。
しかし、あまりにも早くして頂点に上り詰めたせいか、ヒンギスは徐々にテニスへの情熱を失っていく。この頃から女子テニス界は、リンゼイ・ダベンポートやビーナス、セリーナのウィリアムズ姉妹などのパワーテニスの時代になりつつあった。情熱を失ったヒンギスは、彼女たちに押されてゆき、少しずつテニス成績が降下していった。1999年全豪オープンを最後に、ヒンギスは4大大会のシングルス優勝から見放されてしまう。』
『2003年の全豪オープンの時期に新聞を通じて引退表明を行った。それ以後は日本で開催される「ヨネックス・テニス・フェスティバル」に参加するなど、競技とは異なる分野でテニス振興活動を続けてきたが、2005年11月に次年度からの現役復帰を表明する。』
『2007年11月1日、ヒンギスはウィンブルドン3回戦敗退後の検査で、薬物のコカインに陽性反応を示したことを明らかにした。本人は薬物使用を否定したが、情熱の喪失を理由に、2度目の現役引退を表明した。復帰から2年での引退表明となった。
コカイン陽性反応に対する処分として、国際テニス連盟(ITF)は2008年1月4日、ヒンギスに対し2年間の出場停止、2007年ウィンブルドン以降の大会はすべて失格扱いとし、世界ランキングのポイントと賞金6万5500ポンド(約1400万円)を没収すると発表した。』
で、現時点ではこれで記述は終わりですが近々今回の復帰が追記されるんでしょう。
こうやってどんどんグランドスラム・タイトルの白星を塗りつぶしてくると、どうしても全仏シングルスのタイトルが惜しい気もしますが、どの試合解説者も異口同音に「さすがはヒンギス~」と言う通り、誰もが認めるレジェンドの今後はやっぱり気になりますし、少なくとも個人的には今大会は、シングルスはそっちのけでヒンギスの大会として記憶に残ることと思います。