ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

けっきょく渡哲也は、渥美清と同じ轍を踏んだと思う

2020-08-22 00:00:00 | 映画

旧聞ですが、渡哲也が亡くなりました。記事を。

>俳優 渡哲也さんが死去 78歳 肺炎のため
2020年8月14日 21時10分

日活のアクションスターとして多くの映画に出演したほか、「大都会」や「西部警察」などのテレビドラマで人気を集めた俳優の渡哲也さんが、今月10日、都内の病院で肺炎のため亡くなりました。78歳でした。

「大都会」や「西部警察」 刑事ドラマシリーズで人気を不動に
渡さんは兵庫県淡路島出身で、昭和40年に映画「あばれ騎士道」でデビューし、日活のアクションスターとして活躍したあと石原裕次郎さんのプロダクションに入りました。

その後、「大都会」や「西部警察」など、刑事もののテレビドラマシリーズで人気を不動のものとし、裕次郎さんが亡くなったあとは、いわゆる「石原軍団」を率いて幅広く活躍しました。

NHKでは大河ドラマ「義経」で平清盛の役やスペシャルドラマ「坂の上の雲」で東郷平八郎の役を演じるなど、凛(りん)としたたたずまいと高い演技力で人気を集めました。

平成17年には紫綬褒章を、平成25年には旭日小綬章を受章しています。

渡さんは、平成27年に急性心筋梗塞で手術を受け、その後も肺気腫などを患い、自宅で療養しながらリハビリを続け、テレビコマーシャルへの出演などを続けてきました。

石原プロモーションによりますと、渡さんは、今月10日、都内の病院で肺炎のため亡くなりました。

(後略)

下の記事でも書きましたように、私は特に彼のファンということでもありませんが、しかし石原プロ制作の作品などは、楽しんでいました。まずはご冥福をお祈りします。

映画界の(元)スターが芸能事務所を作って芸能人マネジメントだけでなくコンテンツ制作にも勤しむ時代の終焉だと思う

それで上の記事で取り上げた石原プロをたたむ話の際も、渡は記者会見はおろか、表に出ることもありませんでした。さらに最近話題になった石原裕次郎とのCG共演も、渡の画像は2018年のものの流用ということで(録音はしたそうですが)、なんで新たに撮影しなかったんだと思ったのですが、つまりは体調が悪かったということでしょう。石原プロ閉鎖の件も、これは裕次郎の亡くなった日に合わせての発表ですが、たぶん渡がいつまで生きているかもわからないということも、この日の発表の際には念頭にあったのではないかと私は考えます。

さてさて、裕次郎は、報じられるところによると、自分が死んだら石原プロは解散しろみたいな話をしていたそうです。たとえば次のように報じられています。

>そしてつい最近報じられた「石原プロの解散」。裕次郎が生前、「オレが死んだら石原プロは畳め」と指示をしていたものの(後略)

裕次郎が実際にそういうことを発言したのか、どのようなニュアンスでのものか、その真意はわかりませんが、たぶん裕次郎からすると、特に渡に対しては、彼自身「申し訳なかった」という負い目があったのでしょうね。この発言は、渡哲也に対して「ぜひ自分の死後は、渡哲也のための芸能活動をしてほしい」という意味合いじゃないですかね。渡自身も、出られるのなら自分の出たい映画にたくさん出たかったはず。そういったことを記者などに吐露したことも報じられています。が、彼は石原プロのために、アクションドラマに出続けたわけです。

それでここで、柴俊夫発言をご紹介。

> 柴俊夫は1983年、渡哲也主演のテレビシリーズ『西部警察PART―III』に「タイショー」こと山県刑事役で出演した。

「渡さんに『荒唐無稽の番組ですが、ひとつ協力してください』と言われて出ることにしました。

「荒唐無稽」と言っているところが、渡の本音が出ているように思います。また『大都会 PARTII』に出演していた松田優作は、その出演自体は渡と共演したいから出演していたそうですが、Wikipediaによると、

>『大都会PARTII』の撮影中、ロケ現場ではしゃいでいる子供にからかわれた事があり、その際「考えると俺達って昼間からこんなおかしい事をやっているんだよな…」と自分が一般とは違う世界で生きているのに気づき、それを期に「よし、誰にも文句を言わせない作品を撮るぞ!」と決心し、それが後のモチベーションにつながった。

とのこと。太字も原文のままです。これは松田の話ですが、渡哲也も当然同じようなことは考えたでしょう。

もちろんこれは渡哲也自身が選んだ道ですから他人がどうこう言えることではありませんが、たとえば石原プロを去った寺尾聰が、一時期低迷していたのは否定できませんが、黒澤明が重用したり、さまざまな映画やドラマで大活躍をしているわけで、この活躍は、彼が石原プロを出たおかげでもあるでしょう。また、これも元石原プロの峰竜太は、渡から

>10日に亡くなった俳優の渡哲也さんに1カ前に電話し、「竜太、石原プロをやめてよかったな。たいしたもんでよかった」と言われたことを明かした。

>渡さんに相談したんです。そろそろ、石原プロを抜けて、と言いましたら、絶対、出た方がいいから、がんばれ、と言われたんです」とのやりとりがあったという。

言ってもらったとのことです。もちろんこの発言にはいろいろなニュアンスがあるかと思いますが、たぶん自分のような轍は、後輩(渡は社長だったから部下でもありますか)には踏ませたくないという意味合いもあったかと思います。芸能人としてのベクトルはずいぶん違いますが、特に寺尾に対しては、渡も正直「うらやましい」という想いはあったでしょう。ほかにも弟の渡瀬恒彦のほうがいろいろな役を演じられたことも、やはりうらやましさを感じていたのは間違いないところです。

そう考えていくと、やはり1人の国民的俳優を思い出しますね。渥美清です。渥美の場合、70年代まではテレビドラマでも主演をはっていました。Wikipediaから引用すれば

1972年、渥美プロを設立し、松竹と共同で映画『あゝ声なき友』を自身主演で製作公開する。1975年、松竹80周年記念として制作された映画『友情』に出演。1977年にはテレビ朝日製作の土曜ワイド劇場田舎刑事 時間(とき)よとまれ』にて久しぶりにテレビドラマの主演を務める。同作品はのちに長く続く人気番組『土曜ワイド劇場』の記念すべき第1回作品であると同時に、第32回文化庁芸術祭のテレビ部門ドラマ部の優秀作品にも選出されている。この成功を受けて同作品はシリーズ化され1978年に『田舎刑事 旅路の果て』が、1979年には『田舎刑事 まぼろしの特攻隊』がいずれも渥美主演で製作放送されている。映画『男はつらいよ』シリーズの大成功以降は「渥美清」=「寅さん」の図式が固まってしまう。当初はイメージの固定を避けるために積極的に他作品に出演していたが、どの作品も映画『男はつらいよ』シリーズ程の成功は収める事が出来なかった。唯一1977年『八つ墓村』でそれまでのイメージを一新して名探偵「金田一耕助」役を演じ松竹始まって以来のヒットとなったが、シリーズ化権を東宝に抑えられていたため1本きりとなったことが大きな岐路となる。

1979年4月14日NHKで放映されたテレビドラマ『幾山河は越えたれど〜昭和のこころ 古賀政男〜』では作曲家古賀政男の生涯を鮮烈に演じ高い評価を得るが、新たな役柄の幅を広げるには至らなかった。また、この時期、今村昌平監督が『復讐するは我にあり』の主役・榎津巌役でオファーしたが、「寅さんのイメージを裏切りたくない」との理由で断っている[要出典]。1980年代以降になると、当時の松竹の思惑や渥美自身も他作品への出演に消極的になっていたこともあって、『男はつらいよ』シリーズ以外の主演は無くなっていく。1988年紫綬褒章を受章。その後は主演以外での参加も次第に減っていき、1993年に公開された映画『学校』が『男はつらいよ』シリーズ以外の作品への最後の出演作品となった。

というわけです。実際79年に『皇帝のいない八月』に出演して以降は(思い出しましたが、これ渡瀬恒彦も出演していましたね)、山田洋次作品か、あるいは山田の弟子、共作者である朝間義隆監督の『俺たちの交響楽』に出演したことしかないわけです。それももったいなかったですね。上の『田舎刑事』シリーズは、私は2本観ましたが、なかなかの演技でしたが、松竹は経営のために寅さんを作り続けたし、渥美もそのあたりの事情は重々承知でしたから、体調を崩しても出演し続けました。これもWikipediaから引用すれば、

>病気については、1991年肝臓癌が見つかり、1994年にはへの転移が認められた。主治医からは、第47作への出演は不可能だと言われていたが何とか出演し、48作に出演できたのは奇跡に近いとのことである。

とありまして、「身を削った」という表現が、比喩でなく現実でした。

死が近い段階でも映画出演を続けた渥美と、晩年表に出ることすら難しかった渡とではまた状況が違いますが、2人とも、芸能活動に、自分の意向と違うブレーキがかかったということは確かでしょう。渥美も渡も、『男はつらいよ』と『大都会』『西部警察』でまさに国民的スター、最高レベルの知名度、時代を超越した一種のアイコンになったのだから、それなりの対価はあったのですが、やはりご当人たちにはくやしさ、無念さは、無視しえぬものだったと思います。

渡哲也氏のご冥福を祈ってこの記事を終えます。


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24 コメント

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NHK『渥美清の伝言』 (bogus-simotukare)
2020-08-22 05:15:25
 後で拙ブログでも何か渥美関係で記事を書こうかと思いますが。
http://www.asahi-net.or.jp/~vd3t-smz/eiga/dokuson9.html
 渥美清は「男はつらいよ」の最終作品となった第48作「寅次郎紅の花」で、NHKの取材に応じている。その取材番組は「寅さんの60日」というタイトルでNHKの「クローズアップ現代」で放映され、さらに「渥美清の伝言」というタイトルで再編集され、平成11年に再び放映された(ボーガス注:後にNHK取材班『渥美清の伝言』(1999年、中央出版)として書籍化)。番組中、渥美清が車寅次郎の 格好でインタビューに応じ、自分の胸の内を話している姿があった。
 山田洋次監督はこの番組中、これらの発言は後で考えてみると遺言に聞こえると言った。確かにそうかもしれない。車寅次郎を演じるようになってから、渥美清はあまりメディアの 前ではこの手の話はしておらず、テレビを通じて自分の胸の内を明かすのはこの時ぐらいしか チャンスはなかったのではないか。渥美清はNHKからのインタビューの依頼があった時、「もういいんじゃないかな」と言ったそうである。つまり、(ボーガス注:もはや寿命が長くないことを覚悟し)もう素顔を隠す必要はないだろう、もう寅さんの大変さをさらけ出してもいいだろう、そういう意味だったのではないだろうか。そこまで覚悟を決めて取り組んだ第48作、 何度考えても心が痛む話である。
 このインタビューの中で一番印象に残ったのは次の言葉である。
『寅さんが、手を振り過ぎていたのかな。愛想が良過ぎたのかな。スーパーマンを、撮影の時に見てた子供達が、「飛べ飛べ、早く飛べ!」って言ったって言うけども、スーパーマンやっぱり2本の足で地面に立ってちゃいけないんだよね。だから(ボーガス注:渥美個人は本当は寅さんほど愛想の良い性格では無いが)寅さんも、(ボーガス注:ロケでファンに手を振られたり、声をかけられたりしたら)黙ってちゃいけないんでしょ。24時間手振ってなきゃ。ご苦労さんなこったね。飛べ飛べって言われても、スーパーマン飛べないもんね。針金で吊ってんだもんね。』
 この言葉で見えるのは、渥美清は車寅次郎であり続ける為に、限界まで全力で"らしさ"を作り出していたという事である。
(引用終わり)

 小生もこの番組を以前少しだけ見ましたが、渥美清が寅さんを演じることに複雑な思いを覚えていたことが伺える話です。
返信する
>bogus-simotukareさん (Bill McCreary)
2020-08-24 22:10:28
どうも貴重な情報のご教示ありがとうございます。まったくの偶然ですが、「赤いシリーズ」の「赤い運命」のからみで、前田吟のWikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%90%9F

を読んでいましたら、

>26年の付き合いとなった渥美清からは一度も演技についての助言はなかったが哲学者みたいに『吟ちゃん、スーパーマンは飛べないんだよ』と言われることはあり、僕の解釈としては、『映画の中のスーパーマンは空を飛べるけど、スーパーマンを演じる役者は空を飛べない』ということ。役者は全てを自分で表現するしかない。寅さんはみんなを笑わせて劇場で大歓声を受けているけど、あれは役柄としての『寅さん』であって、『俺自身はあんなに人を笑わせたり楽しませたりできないんだよ』と渥美さんは言いたかったんじゃないかなと推測している[要出典]。

とありまして、Wikipediaには「要出典」とありますが、スーパーマンの話は、渥美が常に言っていたことなんでしょうね。

>もう素顔を隠す必要はないだろう、もう寅さんの大変さをさらけ出してもいいだろう、そういう意味だったのではないだろうか。そこまで覚悟を決めて取り組んだ第48作、 何度考えても心が痛む話である。

そうなんでしょうねえ。事実上の遺言みたいなものだったのでしょう。渥美の想いがいろいろ伝わってきますよね。
返信する
Unknown (bogus-simotukare)
2020-11-23 21:44:36
http://eno.blog.bai.ne.jp/?eid=214885
 藤子F先生は『チンプイ』という作品に愛着がなかったわけではないだろう。ただ利害打算がそれを上回っただけの話である。
「『ドラえもん』をやめさせてくれないんだ」
 生前、藤子F先生は家族に向かってそういう愚痴をこぼすことがあったらしい(ソースは『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版 7』収録の藤本匡美「父の持論」)。といっても別に小学館から暴力的な恫喝を受けていたとかいう話ではあるまい。自分はもう財産も名声も十分に得た、あとは本当に自分の好きな仕事だけをしたい、というふうに腹をくくったなら、編集者だって無理じいは不可能だったはずだ。ということは、それほど切実な苦悩でもなかったのだろう。
 そして『ドラえもん』の原稿を描きながら机に突っ伏して死んだ。
 藤子・F・不二雄はまぎれもなく日本史上屈指の偉大なクリエイターである。その人ですら、カネや名声のための仕事か、本当に自分のやりたい仕事か、どっちかを選ばねばならない時にどっちを選んだかを考える時、仮面ライダーやスーパー戦隊シリーズに関する今の東映の拝金主義を強く批判する気にはどうしてもなれないのである。

https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-10007116125.html
 藤子・F・不二雄にあって、『ドラえもん』を描き続けることは、決して望んでのことではなかったのである。
 藤子・F・不二雄は、娘である藤本匡美氏にこんなことを漏らしている。
◆『ドラえもん』をやめさせてくれないんだ。
◆SF短編の仕事が来ても断らないといけない。今度『(ボーガス注:エスパー)魔美』も終わりになったんだ。
 娘にそんな愚痴を漏らす藤子・F・不二雄の心中は、察するに余りある。『ドラえもん』は、まさしく一人歩きし始め、作者がドラえもんに引っ張りまわされるようになっていた。大昔の大ヒット曲を、今になっても歌わねばならない歌手の苦悩にも似ているのかも知れない。『ドラえもん』の連載が何よりも優先される中、上記の発言にもあるように、かの名作、『エスパー魔美』は、たった九巻で終わってしまった。
 私は(ボーガス注:小学館やテレビ朝日などを)今でも恨んでいるのである。
 勿論、藤子・F・不二雄自らが、(中略)ポスターなどに使用されるドラえもんを見て、「光栄だ」などと述べていることは指摘しておかなければならない。
 だが、手塚治虫のライフワークであった『火の鳥』に相当するものが、藤子・F・不二雄の場合、SF“短編”だったというのは、ファンからすれば少々寂しくもある。
 これだけの才能を、長編で結晶させて欲しい、心を揺さぶって欲しい。そう願いはしても、藤子・F・不二雄は私が小学六年生の時に亡くなってしまった(ボーガス注:藤本の没年は1996年)。それゆえ、こちらを圧倒し、呆然とさせてしまうような長編は、結局生まれなかった。だが、珠玉の短編だけは残った。数にして全百十二編のSF短編は、どれも『ドラえもん』ではやれなかった鬱憤が現れているようで、実に力強い。
(引用終わり)

 「やはりドラえもんもそういう話があるか」という気がしますね。
返信する
>bogus-simotukareさん (Bill McCreary)
2020-11-28 20:30:28
まあこれは藤本に限らないでしょうが、彼の場合「ドラえもん」が極端なヒットになりましたからね。石森(石ノ森)などは、「ドラえもん」ほどのヒットはなかった代わり、より好きなものを描けましたから、漫画家冥利という意味では石森のほうが上だったでしょう。手塚のような天才の中でも極端な天才は別格ですが、たとえば吉沢やすみなど一発当ててその後パッとしない人もいます。1度だけでも当てれば大したものですが、そういう人は2回目が出ないので精神的にもきつくなることもあります。赤塚不二夫が重度のアルコール依存症になったのも、つまりはそういうことにあるのだと思います。
返信する
Unknown (bogus-simotukare)
2020-11-30 06:02:05
>石森(石ノ森)などは、「ドラえもん」ほどのヒットはなかった代わり、より好きなものを描けましたから、漫画家冥利という意味では石森のほうが上だったでしょう。

 まあ、彼の「仮面ライダー(石森死後も特撮番組として継続)」、テレビアニメ化された「サイボーグ009」などはヒット作とは言えるのでしょうが、確かにドラえもんほどではないですね。

>手塚のような天才の中でも極端な天才

 ただし、その手塚も、
1)一時は「描いた作品がヒットしない」スランプに陥り、「ブラックジャック」が連載開始した頃(1973年)は「もはや手塚も過去の人」扱いされていたが故に連載が「マガジン(講談社)、サンデー(小学館)」に比べれば格下の「チャンピオン(秋田書店)」で始まったこと(したがって連載開始時点ではチャンピオン側もあまり期待していなかった→ブラックジャックが一話完結スタイルで連載が始まったのも、『今の手塚に長期連載スタイルはきついのではないか』『一話完結ならば、いつでも打ち切れる』というチャンピオン側の手塚評価の反映)
2)ちょうどその頃虫プロが倒産していること

ウィキペディア『ブラックジャック』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF
などが指摘していますね。手塚ですら「ずっと順風満帆ではなかった」わけです。

>吉沢やすみ

 ウィキペディア
『吉沢やすみ』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%B2%A2%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%BF
には
・『ど根性ガエル』以降はヒット作に恵まれず低迷が続き、プレッシャーやスランプに苦しむようになる。何度か漫画の依頼があったもののペンを持つと手が震えるようになり、その後吐き気も止まらなくなり、思うように作品が描けなくなる。その後は無職で収入ゼロになり、生計を立てるため看護師資格を持つ妻が働きに出た。
『ど根性ガエルの娘』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A9%E6%A0%B9%E6%80%A7%E3%82%AC%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A8%98
には
・1970年代に『少年ジャンプ』(集英社)で連載され、2度のアニメ化と実写ドラマ化もされた『ど根性ガエル』の作者吉沢やすみと家族を、実娘の大月悠祐子が描くエッセイ漫画
・父・吉沢が『ど根性ガエル』の終了後に漫画家を続けることが困難になり、ギャンブルに熱中した後に失踪、帰宅後は家庭内暴力(DV)や家族からの金品着服を行い、家庭崩壊に至ったことが記されている。
(引用終わり)
と書かれていますね。

>赤塚不二夫が重度のアルコール依存症になったのも、つまりはそういうことにあるのだと思います。

 赤塚の依存症が『連載終了』によって始まったらしいことはウィキペディア『赤塚不二夫』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%A1%9A%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E5%A4%AB
も指摘していますね。
返信する
>bogus-simotukareさん (Bill McCreary)
2020-12-02 22:06:43
漫画家というと、最近引退を表明した水島新司もやはり、連載をやめられませんでしたね。そういう例は多そうです。
返信する
Unknown (bogus-simotukare)
2020-12-03 05:43:21
>そういう例は多そうです。

当人たちが喜んでやっている(やっていた)可能性は勿論ありますが
ウィキペディア『100巻以上刊行している漫画作品』
https://ja.wikipedia.org/wiki/100%E5%B7%BB%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E5%88%8A%E8%A1%8C%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E6%BC%AB%E7%94%BB%E4%BD%9C%E5%93%81
で名前が出ている作品の作者は『やめるにやめられない(やめられなかった)』という可能性がありますね。
 ちなみに
・1位が『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(1974~2016年、200巻。ただしこれは『現時点での』ですので連載が終了したこち亀は順位が下がる可能性があります)
・2位が『ゴルゴ13』(1968~現在も連載中。198巻。こち亀は連載が修了したので現在も連載中の作品としてはゴルゴが1位)。
 水島は
・14位『あぶさん』(1973~2014年、107巻。ただしこれは『現時点での』ですので連載が終了したあぶさんは順位が下がる可能性があります)ですね。
 ちなみにさすがに『100巻以上刊行している漫画作品』は16作品しかないようです。ドカベンやドラえもんの名は上がっていません。まあ、ドカベンの場合『ホニャララ編(プロ野球編、スーパースターズ編など)』というのは『別の作品としてカウント』しているから(つまり全てあわせると100巻超えてる)のようですが。
返信する
Unknown (アンドリュー・バルトフェルド)
2020-12-03 22:33:23
>ドラえもん
「STAND BY ME ドラえもん」の2作目が上映されますが、色々と思う所があります。

ドラえもんがCGで作成するのに不向きな作品であると思ったり、ゼロ戦作家の映画監督が担当していたり、映画を盛り上げるのに芸能人を動員するのは幾らか許容できても「古市とかゆきぽよかよ」というのがあります。

それでも再来週に上映される白州次朗をダシにした憲法改悪プロパガンダ映画よりも興行収入が何百倍も上回って欲しい気持ちがあります。
返信する
>bogus-simotukareさん (Bill McCreary)
2020-12-03 22:36:58
ご指摘の作品は、「ゴルゴ13」はどうか知りませんが、あとはやはり続けるのが苦しくなっていましたね。まあそれは当然ですが。ギャグもそんなに長続きするものではない。
返信する
>アンドリュー・バルトフェルドさん (Bill McCreary)
2020-12-03 22:38:18
ドラえもんも正直過去の遺産で食っていますからね。原作者も死んで24年ですか、もう原作から離れて自由にアレンジしていかないとやっていけない時期なのかもです。
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