西城秀樹の甥が、グラミー賞を受賞したというニュースが届きました。記事を。
>宅見将典さんがグラミー賞を受賞 西城秀樹さんのおい
2023年2月6日 月曜 午後0:27
アメリカ音楽界の最高峰「グラミー賞」で、大阪出身の宅見将典さん(44)が「最優秀グローバル・ミュージック・アルバム」賞を受賞した。
ロサンゼルスを拠点に活動していた宅見将典さんは、三味線など伝統楽器を取り入れた「SAKURA」で、「最優秀グローバル・ミュージック・アルバム」賞を受賞した。
宅見将典さん「こんな名誉な賞をもらえると思ってなかったので、人ごとな感じなんですけど、きっと僕なんだろなと思って、今ゆっくりかみしめていこうかなと思っています」
西城秀樹さんのおいにあたる宅見さんは、DA PUMPなど、日本のアーティストにも楽曲を提供してきた。
また、長崎県出身のドラマーでパーカッショニスト、小川慶太さん(40)が参加する作品も「最優秀コンテンポラリー・インストゥルメンタル・アルバム」賞を受賞した。
一方、韓国の人気グループ・BTSは、3年連続でノミネートされていたが、受賞を逃した。
今回、宅見将典さんにとっては、初めてのグラミー賞受賞となる。
このことを知ったとき、「おお、すごいな」と思ったのですが、まもなく「宅見将典」? 西城秀樹の甥? と思って、これはもしかしたらと思ったわけです。で、調べたのでなく別件で確認したツイッターにリツイートされていたのですが、こちら。
神戸のホテルで射殺された山口組宅見勝若頭の息子さんじゃん。すごい!/米「グラミー賞」に宅見将典さんのアルバム『SAKURA』 | NHK https://t.co/8Wt3BFCOhs
— 鈴木智彦/SUZUKI TOMOHIKO (@yonakiishi) February 6, 2023
で、こちらはずいぶん昔のツイート。
モー娘。9期メンお披露目曲「
— とびっこ (@tobikko_dx) November 9, 2017
まじですかスカ!」を編曲し、エビ中「手をつなごう」を作曲した宅見将典さん、お父さんそっくりだ pic.twitter.com/1JsgEQFifL
ツイートにも写真がありますが、上の引用記事からの宅見将典の写真と宅見勝の写真を。勝の写真はこちらから。写真の大きさに他意はないということでこうご容赦。
いろんなご意見はあるでしょうが、まあ顔が似ていますよね。これで似ていないと言ったらうそでしょう。西城秀樹に似ているとは言いませんが。
それで、こちらの記事によると、
>絵里子さんが宅見勝との間にもうけた男の子というのが、宅見将典さんという説が根強いです。
西城秀樹の姉(木本絵里子さん)の写真を入手できていないのですが、状況証拠からして、宅見勝と西城秀樹の姉の間は、婚姻はしていなくても男女の関係にあり、その子どもが昨今話題の人物であるということはほぼ確実でしょう。
ところで山口組の伝説的な組長である田岡一雄組長が1981年に亡くなった際、その葬儀の生け花に、演歌界の大御所からアイドルにいたるまで、さまざまな有名芸能人の名が連なっていました。写真の出典はこちら。
>西城秀樹、郷ひろみ、千昌夫、フランク永井、堺正章、
細川たかし、都はるみ、松山恵子、小林幸子、ジュディ・オング、
川中美幸、高田美和、石野真子、西郷輝彦
ほかにも待田京介や高田みづえらの名前も見受けますね。また美空ひばりも弔辞を読んだとのこと。
ことわっておきますが、このようなことがあからさまだったのは、1980年代のこのころまでかと思います。「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」が1991年に公布されるなど、国家権力の暴力団に対する締め付けがどんどん厳しくなり、有名芸能人がこのようなところで名を連ねるなどということはできなくなりました。
が、それはともかく、西城秀樹のような超大物芸能人の姉が、宅見勝などという超大物かつ超有名暴力団の人物と男女の関係だったなんて、まさに時代ですよね。現在では全く考えられない。そういう意味では、マスコミが宅見将典のことを西城秀樹の甥とは書いても、やはり宅見勝のことは書かないのは、当然といえば当然ですが、やはりもはや時代が、そういう関係を許さないというところに来ているのだなと思います。
記事発表日の追記:bogus-simotukareさんがこの記事に関する記事を発表してくださいました。
山口組と芸能界、自民党
その記事でも指摘されているように、吉本興業の会長であった林正之助の山口組との癒着はすさまじいものがありました。なにしろbogus-simotukareさんの記事から引用させていただけば、
>「吉本興業は明治、大正、昭和初期まで、ヤクザとの関わりがありました。ところが1981年、山口組の田岡一雄三代目組長が亡くなる直前、吉本の舵をとっていた林正之助会長が所属芸人を集めて『今日から、ヤクザとは一切関わってはならん!』と宣言しました」
もっとも、「ヤクザとは関わるな」と言った当の林会長は、その後同じ年に行われた田岡組長の葬儀に出席しているのだ。
「葬儀では、林会長は位牌を持ちながら歩いていました。親族と同じくらい、田岡組長と関係が深かったですね」
林会長が田岡組長の葬儀に参列した様子をメディアが報じた。それを見た中田カウスが、会長と交わした会話を竹中氏は今でも鮮明に覚えている。本書から引用すると、
《会長には、新聞を見せて、『これは会長やないんですか』と聞いてみたんです。すると会長は表情も変えずにおっしゃりました。『カウスくん、キミはボクに双子の兄弟がおるのを知らんかったんか?。これはボクやなくて弟のほうや。しゃあない奴やな。きつく言っとくわ』と》
なんていうマンガのようなやり取りがあったというのですから。私も、田岡組長と林、力道山が一緒に映っている写真を観たことがあります。たしかこちらの本でした。
吉本興業というのは、東京証券取引所1部上場企業でしたからね(2010年上場廃止)。そういう企業のトップが、山口組のトップと一緒に写真を撮っているなんて、まさに時代ですよねえ。さきほどの記事の続きに、
>林正之助氏の話によると、山口登組長が襲われた現場に当時総支配人だった正之助氏も行く予定だったというのです。用事があって30分遅れたため、助かったとうれしそうに言っていました。その後正之助氏は山口組と関係が深くなり、兵庫県警の内部資料である『広域暴力団山口組壊滅史』には、正之助氏が山口組準構成員と書かれてありました。所属芸人にヤクザとは一切関わるなと言ったのは、ヤクザと付き合うのは自分で最後だと言いたかったのでしょうね
とありまして、林が亡くなったのが1991年、同じ年に暴対法が成立したことも、もちろんそれは、単なる偶然でしかありませんが、芸能界と暴力団の世界の関係の1つの終わりでもあったのでしょう。同時期伊丹十三が『ミンボーの女』をその翌年の1992年に監督したのは、まさに映画界の暴力団に対する決別宣言に期せずしてなったのかもしれません。なおWikipediaの『ミンボーの女』の項目に、
>映画監督の五社英雄は『ミンボーの女』の製作段階から、本作が公開されたらやくざ関係の事件が起きる事を危惧し、「彼(伊丹)はやくざの世界を知らなすぎる。世の中にはきちんと筋を通さない限り、絶対に触れることができない闇の部分があるんだ」と指摘していた。
国内公開直後の5月22日、伊丹は自宅近くで刃物を持った後藤組の五人に襲撃され、顔などに全治3か月の重傷を負う事件が起きた。「私はくじけない。映画で自由を貫く」と伊丹は宣言したものの、翌1993年5月30日には次作映画『大病人』が公開されている映画館で、上映中に暴力団組員がスクリーンを切り裂く嫌がらせも起こった。
とある事態になったわけです。なお太字は原文のまま、注釈の番号は削除します。五社監督の警告・指摘は、いまの時代からしても繰り返しかみしめないといけないと私は思います。伊丹は、この5年後の1997年に自ら命を絶っています。