拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

E電

2024-03-19 09:47:04 | 音楽

町屋は都電荒川線が通ってるんだけど、いつの間にか町屋駅の案内図の「都電荒川線」があった辺りが「東京さくらトラム」になっている(「トラム」は路面電車の意味の英語)。これは都電荒川線の愛称らしい。因みに、「東武スカイツリーライン」「東武アーバンパークライン」も愛称で、「東武伊勢崎線」「東武野田線」って名前自体が消滅したわけではないらしい。

それに対し、東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の「業平橋駅」は、正式に「とうきょうスカイツリー駅」に改称したんだと。「なりひらばし」っていい名前だと思ってたから残念。やすやすと昔の名前を消さないでちょうだい、と言いたいところだけど、実は「業平橋駅」も最初からの駅名ではないそう。「吾妻橋駅」「浅草駅」を経た三つ目の名前だったんだって。じゃ、文句を言えた義理じゃないか………

漱石の小説には「電車」と「汽車」の二つの言葉が出てくる。文脈から、「電車」は現代の都電(当時の東京市電)で、「汽車」は東海道本線とかの鉄道の本線のことを言っているの?とあたりをつけた。検証してみましょう。現在の都電は、明治の初期は馬車鉄道だった。電化が完了したのは1904年。漱石の「虞美人草」が世に出たのは1907年。他方、東海道本線が電化されたのは1920年代だから、「虞美人草」の頃は汽車だった。時代的には合ってる。

因みに、「JR」の前身は国鉄だったわけだけど、国鉄の路線のうち、「本線」じゃないやつ、つまり大都市周辺で運転された近距離路線(山手線等)は「国電」と言われていた。それが民営化の際、「E電」になったんだけど、この名称は付けられたその日から死語になった。当時のことを覚えてる。「国電」に代わる名称を公募したらその中に「E電」があって、さほど多くの票を集めたわけではなかったんだけど、担当者が「悪くない」と思ってそれにしたって。でも、「悪くない」と思ったのが悪かったんですね。「国電って言ったらいけないんだ、E電と言わないとね」と言った外国帰りの友人がいたんだけど、たしかに「国電」は時代後れだけど「E電」て言ったらもっと変、と思ったものです。因みの因み、国鉄の前っていうのがあって、その時代には「国電」は「省電」だったそうな。そう言えば、古い小説に「省電」って出てきますね。

下の写真は、以前に大塚あたりで撮った都電荒川線。

そう言えば、「チコちゃん」で、日本の信号機の三色が横並びの理由は、路面電車に電気を供給するために道路の空中に張り巡らすケーブルの高さが関係してる、って言ってたっけ。

因みに、私が子どもの頃、横浜駅の辺りの道路をケーブルが覆ってた記憶がある。市電が通ってたんだろうな。横浜市電が全線廃止されたのは1972年!? じゃあ、記憶は合ってる。



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