拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

土手

2022-12-24 09:35:20 | 日記

"Herzlichen Glückwunsch zum Geburtstag!"(誕生日おめでとう!)
"Danke! Dir auch!"(ありがとう!君もね!)
「君もね!」ってことは、この二人とも誕生日だったのか。その通り。なぜなら、一人目も二人目もワタクシだからである。このような独り問答は、オペラ「ジークフリート」のミーメがするし、ミーメをモデルにしたと思われる映画「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムもする。つうか、考えてみれば、落語も腹話術も独りおままごともみんなこのパターンだから、別に一人暮らしが長くて頭が変になった兆候と見る必要はなかった。

当初の予定では、お誕生日前日祭、当日祭、後日祭の三日をかけて遊ぼうと思っていた。いつも遊んでるくせにと言われればその通りだが、いつもはプータローであるゆえに一抹の後ろめたさを感じているのに対し、この三日間は「堂々と」遊べる点に意義があるのである。ところが、諸般の事情により日程がずれ込み、昨日が前夜祭となった。さて、何をしよう。そうだ、ヒートテックの下着の効果を確かめるために筑波山に登ろう。と思ってTXでつくば駅まで行ったらあなた、11時半についたら山腹までのバスが1時までない。1時のバスに乗って2時頃から登り始めたら陽があるうちに下山できない。前もって調べなかったのかって?いいえ!この「いいえ」は欧米語的な「いいえ」である。つまり、否定疑問に対しての否定だから「調べなかった」ということである。何度か登ってるので甘くみた。とにかく登山は断念。残念(「断念」と「残念」で韻を踏んでいる)。じゃ、どうしよう?そうだ、京都ではなくて柏たなかに行こう!いつもTXに乗ってつくばに行く途中、利根川の手前に広がる田んぼを見て、一度歩いてみたいと思っていた。これが当たりであった。

TXの車窓からも見えたのだが、この街からも見えるのが、まずは筑波山。

これは当然である。筑波山は、関東のあちこちから見ることができる。驚いたのは、その筑波山の西側に日光連山がくっきり見えたこと。

その中でひときわ高い山が男体山。

男体山を含む日光連山のこの景色をこんな風に見た記憶はない。じゃ、なんで日光連山と言えるのか?と言えばその位置関係である。帰宅して調べてみると、うん、あの正面の縦の縞々は間違いなく男体山だ。さらに、これは街からはではなく車窓から見えたのだが、日光連山に夢中になっていて、ふと目をずずっと西に向けると、そこにはおなじみの白い円錐形。

TXの車窓から富士山を見たのは初めて。考えてみれば、あれだけ高けりゃ関東のどこから見えても不思議はない。

さて。柏たなかに行きたいと思ったそもそもの理由は利根川を間近で見たかったから。だが、近くになると柵がはられていて岸には出られなかった。ちらーっと見える川筋が恨めしかった。

羽音がして振り返ると鳥の群れ。

彼らは、柵など関係なく利根川の全貌を見ているのだな(ありがたみを分かってないに違いない。鳥は恐竜の子孫である(いつも言ってる))。

だが、利根川を間近で見られない鬱憤を晴らしてくれたのが手前の土手!これこそが今回の小旅のクライマックスであった。

「大草原の小さな家」のエンディングで、ローラたち三人姉妹が駆け下りる土手を思わせるこの土手がずーっと続いている。

これこそが「ペレーニの大地」。山よりも、川よりも、この土手が見られてあーよかったと思えた小旅であった。因みに、土手の手前は、ずーっと広がる田んぼ(の稲刈り後)。「柏たなか」というくらいだから、本来の主役は田んぼである。途中、こんな風景もあった。

なんてこたない、♪ピッチピッチチャップチャップランランラーンの水たまりだが、撮りようによっては立派な水景色である。

このようなたっぷりな自然が、駅前からちょっと歩いたところに広がっている。移住先にぴったり!と思ったら、既に、駅の周りにはおハイソな住宅街が広がっている。やはり、人は(つうか開発業者は)こういう立地をほっとかないのである。更なる開発もされているようだ。

その後、TXでウチの近所まで戻って、独りお誕生日前夜祭(本当は当日祭)。

久しぶりのマルゲリータ・ピザである。バジルが3枚乗っている。以前の私ならこの3枚にありがたみを感じたものだが、いまや冷凍庫には自家製バジルの葉っぱが腐るほど入ってるから「これっぽっち?」が偽らざる感想である。

さて。この後、当日祭と後日祭をこなさねばならないが、今日はイブ。レストランは憎たらしい連中(=カップル)であふれているだろう。そして明日は有馬記念。ジェンティルドンナの娘が走る。となると、当日祭以降がさらにずれそうである。いっそのこと、正月までずらそうか。「歳が一つ増えての抱負」と「新年を迎えての抱負」が二つあるのは変である。そう考えると、正月に一斉に歳をとるという昔の方式(馬は今もそうである)は合理的だった。

 

 


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