拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

日本人がからむ「ばらの騎士」

2024-08-08 14:33:08 | 音楽

BSで放送した今年のびわ湖オペラの「ばらの騎士」の録画を見た(筆者は私、横野好夫です)。素晴らしい演奏だった。思えば30年前、二期会がこのオペラの抜粋を上演したとき、いつか全曲をやりたい、とプログラムに書いてあったが、いつの間にかオール日本人キャストで欧米のオペラハウスに引けを取らない演奏をするようになっていた。ま、日本人がメジャーリーグでホームラン王になる時代だからびっくるするには当たらないか。以下、日本人がからんだ「ばらの騎士」の話である。

私が最初にこのオペラを映像でみたのは、ドイツ文化センターでの映画上演で、それはカルロス・クライバー指揮のミュンヘン・オペラの公演だった。イチコロだった(私が)。ゾフィーがルチア・ポップだった。この公演には、若くして世を去った間違いなく名テナーの山路芳久さんが「動物売り」の役で出演している。

私が最初にこのオペラを生で観たのは、1986年のウィーン国立歌劇場の引越公演だった。指揮はシュナイダーだった。クライバーの演奏のようなワクワク感はなかったが、それでも終幕、胸が熱くなった。吉田秀和氏も新聞の批評欄に「最高の演奏ではないけれど、聴きに行くべきかと聞かれたら行ってらっしゃいと言う。音楽が最高だから」みたいなことを書いていた。言い得て妙だった。この公演には佐々木典子さんが「小間物商人」の役で出ていた。当時、フライデーと並ぶ権勢を誇っていた写真週刊誌の「フォーカス」は毎週クラシックネタを一つ入れていて(好きな人が編集部にいたんだと踏んでいる)、主役級の歌手と佐々木さんが一緒に写ってる写真を掲載し、主役級の歌手を横綱・大関に、佐々木さんを前頭に例えていた。別に悪い話ではない。照ノ富士だって前頭の時代があった。前頭が後に横綱になるごとく、佐々木さんは数年前のびわ湖の「ばらの騎士」で横綱になっていた(マルシャリンを歌っていた)。現職は音大の教授だそうである。今、知ったのだが、佐々木さんは私と同い年であらせられる。

意外だったのは、イタリアオペラの「蝶々夫人」のイメージが強い東敦子さんがドレスデンのオペラハウスでゾフィーを歌ったことがあること。ご本人がFMで仰っていた。「可愛い」と好評だったそうである。ご本人は「音楽があまりに素晴らしくて、宙を浮いている感じだった」と仰っていた。

私がこのオペラを生で最後に観たのは、1994年のウィーン国立歌劇場の引越公演だった。指揮はカルロス・クライバーである。その素晴らしさは何度も書いたから書かないでおこうとしても、第2幕幕切れの「オックスのワルツ」には触れないわけにはいかない。クライバーの優美な指揮から導き出されたヴァイオリンのビビビな高音は、全てをとろけさせてしまいそうだった。因みに、「ビビビ」は私的にはウィーン・フィルの弦の音のイメージだが、多くの人は、松田聖子の「ビビビ婚」を連想するだろう。この段落のどこが日本人とからむのかと言えば、それは松田聖子である。

ウィーン・フィルのビビビが素晴らしかったからと言って、びわ湖オペラのオケ(京都市交響楽団)の演奏にケチをつける気は毛頭ない。クライバー&ウィーン・フィルは別次元である。あっちはあっち、こっちはこっちである。昔、オペラ会場によく「ブーイングおじさん」が出没しさかんにブーと言っていた。主宰者が見つけ出して理由を聞くと「フルトヴェングラーの演奏と違うから」と言ったそうである。だったら、こんなところに出てこずに家でフルトヴェングラーを聴いていればよいのである。京都市交響楽団の演奏はまっこと素晴らしかった。京都だから「地方オケ」ということになるのだろうか。いや、京都人にとっては今でも京都が「都」であるから「都のオケ」であろう。「地方オケ」と言ったら怒られそうだ。

なお、「Der Rosenkavalier」を日本語にする場合、「ばらの騎士」「バラの騎士」「薔薇の騎士」のどれにするか悩むところであるが、ときどき見かける「ばらきし」は、私は採用する気はない。豚のばら肉を連想するからである。因みに、さきほど、入力ミスをして変換したら「薔薇の枯死」になった。間違いだが意味は通じるところである。



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