拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

アッディーオ、庭木!

2024-09-08 08:51:38 | 植物

私の郷里の田んぼはなくなったが(前回の記事)、筑波山の回りには今でも豊かな田園風景が広がっている。「でんえん」というと、なにやら高級な感じがしないでもないが、そもそも「田」であるから、田んぼがある風景に使うのが相応しいはず。だからベートーヴェンの交響曲第6番は「田んぼ」と呼ばれてしかるべきである。え?ドイツに田んぼはない?なら、この交響曲の副題に「田園」という邦語を当てるのが間違っている。因みに、光源氏がふざけて作った歌に「常陸には田をこそ作れ」というのがある(源氏物語)。現在の常陸(茨城)の田園風景は平安の世からあったのだな。

茨城は海が近く、霞ヶ浦もあって低地だから田んぼだが、私の奥地の家の辺りにあるのは茶畑(と山)である。そんな奥地の家の「猫の額」は、狭いくせに未開地であり、鬱蒼としていて「秘密の花園」という別名を与えているが、

いよいよ討伐軍をさしむけることにした(植木屋さんに来てもらうことにした)。このままでは、内にあっては妖怪の住処然としていて恐ろしいし、外にあっては切っても切っても道に枝が張りだすし葉も落ちてご近所迷惑である。さらに、こないだなどは、家の雨戸のあたりでガタガタと鳴る音がして、ポルターガイストか?とはさすがに思わなかったが、雨戸の戸袋に鳥でも入ったか(そういうことは過去にあったと聞く)、と思い戸袋の中を覗いたりもしたが何もない。正体は、伸びすぎて風が吹く度に戸袋と接触した庭木の枝であった。こうした狼藉まで働くようになったので、討伐を決めたのである。

作戦は、信長(の家来の明智)が延暦寺に対してしたような、あるいは秀吉が秀次の妻子に対してしたような「根絶やし」(皆殺し)であるが、杏(梅だと思っていたのは杏であった)だけは残しておこうと思った。だが、頼朝に情をかけたばかりに滅亡した平家の例もある。というのはとってつけた話であり、実際は、植木屋さんと「この梅(杏)だけは残したい」「でも、これ、相当弱ってますよ」「え?今年、実をたくさんつけたけど」「最期に実をたくさんつけるものなんです」「じゃあ、これも切っちゃってください」「それがいいと思います」という会話があって作戦が決まった次第である。

というわけで、杏(下の写真の左)も、サルスベリ(右)も、

サザンカも、ハナズオウも、トキワマンサクも、カエデも、カナメモチもこの日が見納めである。サルスベリなどは、今が盛りと咲き誇っているが、道に落ちた花房は掃除しなければならぬ。樹上にあって咲いているうちは綺麗だが、道路に落ちたソレは厄介者である。

ホントを言えば、寂しい気がする。私が此処に常駐していれば、日々メンテナンスができ、剪定・除草によって生じたゴミは燃えるゴミで出せるはずである。常駐せずとも車があれば、生じたゴミはたやすく処分場に運べたところである。すべては、常駐せず、車を持ってないことから生じる不都合であった(リアカーの購入を検討したこともあるが、非現実的である)。

それにしても、サルスベリは、夏にきれいな花を咲かせるものだ。私はこの歳になるまで、サルスベリの花を認識してこなかったが、一度認識すると、至る所にサルスベリの花を見る(と同時に道に落ちた花房も見る)。