拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

尊属殺重罰規定/ヤナーチェク

2024-09-11 06:26:34 | 音楽

朝ドラの2か月前の回で、尊属殺人を重罰に処す刑法の規定(法定刑は死刑と無期懲役のみ)が最高裁で合憲との判断を受けた際、尾野真千子のナレーションが、この問題が再び世間を賑わすのは20年後と言っていたが、その20年後がドラマでは2か月後に訪れた。実際にあった事件で、実の父親から性的虐待を受け続けていた娘に彼氏ができて結婚したいと思ったらその父親から猛烈に妨害され、思いあまって父親を殺害した事件である。有名な史実だから言ってもいいのだが、一応、朝ドラのみでこの事件を知った人のために結論を伏せておこう。

朝ドラの弁護団も、尊属殺重罰規定が違憲である旨の主張をするつもりだ、と言っていたが、そうしなければならない理由があった。事件は、あまりにも被告人が気の毒だから執行猶予を付けようと思っても、執行猶予は懲役3年以下が要件であるところ、無期懲役に法律上可能な減刑を施しても3年6か月より軽くすることはできない。すると、執行猶予を付けようと思ったら尊属殺重罰規定自体を違憲無効とする必要があったのである。

朝ドラでは、新聞にこの事件が最初に載った際「娘の恋愛から喧嘩か」との小見出しが付いていた。たしかに、きっかけは娘が結婚したいと思ったことだから新聞は当初そう書いたのか、そのうち徐々に内容が明らかになっていくのだな。朝ドラが描く被告人は結構しっかりした感じで、件の新聞記事には「(容疑者は)職場では……人気者だった」とも書いてあった。私が抱いていた人物像とは違う描かれようだった。史実をよく踏まえた脚本だから、そのへんのところも取材したのだろうか。

逆の、子殺し、孫殺しについては、従来から重罰規定はなく、普通の殺人罪で処断されていた。尊属殺だけが刑が重いのは「親は敬うべし」という儒教の影響である。例えば、犯人を匿うと犯人蔵匿罪が成立するが、匿った犯人が親だった場合、以前は処罰されなかった。論語に「子は父のために隠す」と書いてあって、親を匿うのはむしろ美徳だからだ(現在は、親族を匿うと刑が免除されうる)。

その孫殺し(と言っても、養母が養女の赤子を殺した案件なので、犯人と被害者との間に血縁はない)を扱ったオペラがヤナーチェクのイェヌーファ。チェコ語の語りのリズムを重視したヤナーチェクのオペラは、イタリア・オペラの「ブンタカタッタ」とは一線を画すと横野君が言っている。横野君は、このオペラをフランクフルトの歌劇場で観て、あまりの衝撃・感動に鳥肌が立ったそうだ……って、伝聞は面倒臭いので、この後は横野君にバトンタッチします。

横野好夫です。そのフランクフルトの公演なんだけど、特に孫殺し役を歌ったアニア・シリアが圧巻だった。この人は若い頃、ワーグナーの孫のヴィーラントから、祖父のオペラのヒロインにと嘱望された人なんだけど、今頃、どんな役を歌ってるのかと思ってたらこういう役を歌っていて、そうか、かつてのヒロインも今はヒロインの母親役か、俳優もそうなるよな、と思ったんだけど、結局、この人が全部もってった感じ。カーテンコールでは一番大きな喝采を受けていた。

ちょうど、昨日、レーザーディスクで観たオペラがそのイェヌーファ。因みに、一昨日観たのは、同じヤナーチェクの「利口な女狐の物語」。演技と歌が別撮りで、女狐の声はベニャチコヴァーだった。そう、「……va」は「ヴァー」が正しい。だから「グルベローヴァ」も正しくは「グルベロヴァー」である。ルチア・ポップの本名は「ポポヴァー」である。

因みに、「イェヌーファ」がアメリカで初演されたとき、あるイギリスの批評家は「明らかに素人に毛が生えた程度の男の作品としか思えない音楽」と酷評したそうだ(ウィキペディア)。どっちが素人か、と言いたい。私が子供の頃だって「バカと言ったらお前がバカ」と言ったものである。これほどの「はずれ」の批評が世に溢れてることを鑑みれば、人の批判など意に介す必要がないと思えてくる。

因みの因みに、村上春樹の小説の中にヤナーチェクの「シンフォニエッタ」という曲の話が出てくる。だから、ヤナーチェクの知名度は思いのほか高いかもしれない。