拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

恋とはどんなものかしら

2021-01-28 10:29:41 | 音楽
四方山話というくらいだからいろんなことをこのブログに書いているが、ときどき人々から感想を聞くと、どうやら一番期待されているのは「男女のコト」のようだ。と言っても、私が書けるのは、男女のことを知り尽くした強者の経験談であるはずはなく、逆に「che cosa è amor(恋とはどんなものかしら)」、すなわちケルビーノと同様の、未知の世界を覗いてみたい未経験者の心情吐露である。実際、私はまだまだである。と、がっかりしたのは、最近、千一夜物語をドイツ語で読み始めたのだが、妖怪に囲われている女が妖怪が寝ているすきに、木の上に隠れていた二人の若者を見つけて降りて来させた。そして「Da taten beide Brüder,was sie verlangte.」(兄弟は、彼女が望んだことをした)とあるのだが、さて、「した」(taten)って何をしたのだろう。肩をもんだのだろうか、腰をもんだのだろうか、足の裏をくすぐったのだろうか、舟歌をデュエットしたのだろうか、といろいろ想像したが、最後まで正解が浮かばなかった。正解はちょめちょめである(別の本であらすじを読んで知った)。そっか、そうだよなー、なんで思いつかなかったんだろう。と、自分の未熟さにがっかりして、まだまだだなー、と思い知った次第である。そのあたりの鈍感さは、そっち方面の経験不足に加えて、「あたし……なんです」の直接的表現につかりすぎたせいもあろう。源氏物語も、はっきり「した」とは書いてない。行為は短い行間で行われていることが、読み進むうちに解るようになった。そう言えば、高校の教科書に芥川の小説が載っていて、病気の夫のために定期的に医者に薬をもらいにくる妻が、ある日傘をくるくるっと回しながら帰っていくって話があって、あー、お医者さんから「お許し」が出たんだな、とそのときはすぐに察せられた。かくいう私だって、自分で書くときは「営む」という表現をよく使うが、そもそも何を営むかって話である。ピザ屋?安くてまずいよ!さて、冒頭にケルビーノのことを書いたが、私と一緒にして申し訳なかった。ケルビーノはとんでもないませガキである。これと双璧のませガキと言えば「バラの騎士」のオクタヴィアン。ともに十代。オペラではどちらもメゾソプラノが男装して演じる。このうちより経験豊富なのはどちらだろう。オクタヴィアンは実際に32歳の元帥夫人と営んでいるから「実績」が目に見えているが、ケルビーノだって、伯爵夫人やスザンナに色目を使うほか、バルバリーナとは明らかに「できて」いる。さらに、ケルビーノは、「フィガロの結婚」の後日談では伯爵夫人に自分の子を産ませているから、こちらが優勢勝ちか。人のことはどうでもよかった。問題はこの歳で「まだまだ」と思い知った私である。どうせ歳ならもう3歳上ならよかった。そしたら、医療従事者の次順位でワクチンを打ってもらえたのに、結局一番最後のグループである。打ってもらえるものなら今すぐでも打ってもらいたい。