拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

カラヤンのこと

2021-01-29 11:04:13 | 音楽
小学校の音楽の時間に先生が第九のレコードをちょっとだけかけてくれて、第四楽章の冒頭(管だけ)と途中(トゥッティ)の二回出てくるファンファーレを聴いて、おっ、これCMで聴いた曲だ、第九だったんだ、全曲聴いてみたいなぁと思った(そう、私の第九への興味は歓喜の歌によってではなく、ファンファーレによって培われた)。チャンスはその年の大晦日に来た。テレビでN響の第九を聴いた。子供心にいまいちだと思った。テレビ欄を見ると、その1時間くらい後に(たしか)10チャンネル(って分かる?)でも第九の放送がある。親に見たいと言うと(当時はテレビは一家に一台)、一度見たからもういいだろうと言う(私の親は、なにごとも一度で十分って人達で、映画も、途中から見始めて、次の回、前回見始めたところまでくると、これで全部つながったからもういいだろう、と言って帰る人達だった)。そこを頼み込んで見た。カラヤン&ベルリン・フィルだった。子供心にすごいと思った。数年後、ようやく我が家にもステレオ装置がやってきてLPレコードを聴けるようになった。私がこづかいで最初に買ったレコードはベーム&ウィーン響の第九。選択の余地はなかった。財布の中の900円で買えるものはそれしかなかった。帰宅すると母が「べえむ?みんながカラヤンが良いって言ってるのに何でそんなものを買ってくるんだ。良くない演奏のレコードを買うのはお金をどぶに捨てるのと同じだ」といっちょまえに説教。無知とは恐ろしいものである(母のことである)。そのレコードのライナーの解説は評論家のUが書いていて、ベームのレコードのなのに半分はカラヤンの悪口だった。そのカラヤンのレコードを最初に手にしたのはそのちょっと後、英会話塾の先生から誕生日プレゼントとしていただいたエロイカだった。ベルリン・フィルの音がすごかった。そこからさらに小遣いをためて、とうとうカラヤンの第九のレコードを2000円で買った。あれぇ?変だった。評論家のUに洗脳されていることもあったが、音がうすっぺらく感じた。それからずーっとアンチ・カラヤンとなり、アンチ・カラヤンはベルリン・フィルを振った日本での最後の演奏を生で聴いて手のひらを返すまで続いた話はずいぶん書いた。因んだ話をいくつか。「変」だと感じた第九の演奏を近年デジタルで聴き直したらまるで別の演奏だった。素晴らしかった。変だったのは我が家のステレオだったということが判明した。それから、小学生のとき10チャンネルで見た第九の映像も近年見直した。こちらは、真に素晴らしい。収録時期はレコードのものと同時期だが、エンディングで珍しくカラヤンが火を噴いている。多分、音を先にとって後から映像を撮ったのだろうが、その音のスピード感にカラヤン自身が必至に合わせてる様子が見て取れる。それから、手のひらを返した後は、今度は以前とは逆に、カラヤンはいい、カラヤンはいいと念じて聴いてもどうも好きになれないものがでてきた。モーツァルトの交響曲がそうである。そして、私が、カラヤンの演奏で一番すごいなと思うのはヴァーグナーである。ヴァルキューレ第1幕のエンディング、ジークムントがジークリンデに覆い被さり、近親相姦かつ不倫が成就する瞬間、幕がト書きに従って急速に降りる、そこからエンディングまで空間を埋め尽くすベルリン・フィルのサウンドは真っ赤に解けた鉄のようである。