アウトドアな日常

インドアからアウトドアへのススメ

分かれ道があれば僕はその真ん中を通る

2010年03月26日 | 読書日記 その8
「二十歳の原点」      高野悦子著  新潮社
「二十歳の原点ノート」   高野悦子著  新潮社

40年ほど前に出版された本です。(現在では新装版が発売されているようです)
学生紛争の最中、20歳と6ヶ月で鉄道に飛びこんで命を断ちました。
残されたのは、ノートに書き込まれた日記でした。
後者の本には、中学2年生から高校3年までの日記、前者の本にはそれ以降の日記が記されています。

40年程前といえば、連合赤軍のリンチ殺人が行われた時代だと思いますが、その頃は右か左かに別れていたのだろう。
その二つの選択肢しかなく、意見が違えば排除してしまう、そんな時代だったのかもしれない。
よくいえば連帯感があり、悪くいえば排他的な、そんな空気が流れていたのかもしれない。

これほどまでに感受性が豊かな女性がいるのだろうか、そんな第一印象を受けました。
学校のこと、異性のこと、社会のこと、そんな悩みが綴られています。

「きれいな人といわれるより、美しい人と言われた方がよい。どうしてかというと、きれいな人というのは、いわゆる顔のきれいな人という意味にきこえる。美しい人というと、心も共に本当に美しい人をさすような気がする」(二十歳の原点ノートより)

現在を今、評価してはいけない、というのが僕にはあります。
それは、どちらかに流されてしまう危険性があるからです。
だから「中庸」が大事で、僕にとって中庸とは、たとえば自転車やオートバイで遊んだりメンテをすることです。
それでバランスをとっているともいえます。

もし彼女にそういうものがあったなら(恋愛でも)、ずいぶんと楽に生きられてのではないだろうか。
生きていたら60歳くらいですが、生まれる時代がもう少し遅かったならと思わずにはいられませんでした。

「二十歳の原点」はうつ的傾向な文章も多々みられます。
「二十歳の原点ノート」は、思春期、もしくはそのこを持つ親が読むのにいいのかもしれません。
人は、色んな悩みや事情を抱えて生きている。
それを分かることは不可能に近いだろうけども、だからこそ分かろうとする努力が必要になる。
大人になると、そのようなことを忘れてしまう。

ひとりひとりの心とは、なんと大事なものなのだなと思わせてくれました。
ありがとう。

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小森秀雄氏

2010年03月26日 | 絵 その11
100326

「僕であったら、とぬかす輩がいますわな。(昨日のブログを参照)
 ああいう言葉を聞くと、嘆かわしく思いわすわな。

 自分では何もやらずに、揚げ足ばっかりとっている。
 嘆かわしいですな」


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