赤瀬川原平氏の文章を読んでいたら、こんな言葉に出くわしました。
「ただ一つの神というのは、人間の依存心の結晶なのだろう。人間はそもそも弱いものであるにしても、自律する精神の弱い人ほど依存心が強く、何かにすがろうとする。そして一つの神にすがったとたんに、争いに強くなる。そこがまた困ったことなのである。
一方、カオスの多神教をもって生きているのは、自律精神の強い人だと思う。神にすがることなく、たくさんの神と交わって生きていける。だから一本の杖のような神の結晶というものは生まれてこない。・・でもその振り回す杖がないだけ争いは弱い」(本文より)
この前、「トイレの神様」(歌・植村花菜)という歌をラジオで聴きました。
幼い頃、トイレには女神が住んでいてトイレを綺麗に掃除するとべっぴんさんになるよとおばあちゃんから聞かされる孫娘、そんなふたりの物語です。
日本人にとって神とはどこにでもいて、その神の存在であまり争いごとは好まなかったのであろう。
明治以後、戦争に加担してしまったのは、西欧の劣化した思想(吉田健一はこう記していたかな)を取り入れてしまっただけで、本来は「和」の文化を大切にしてきた民俗なのだろう。