(木曽駒ケ岳から南アルプス・仙丈岳方面を望む)
夏休み中の課題である「ブログの引っ越し作業」中です。引っ越し先はHatena Blogです。
記事の移行は終わりましたが、写真の移行にどのくらい時間がかかるのか見当がつきません。写真が7000枚近いので、1枚1分として計算すると4~5日かかりそうです。
・・・それで後はPCにお任せして、予定していた1泊2日の旅へ出ました。
8月3日(日)朝5時40分に横浜の我が家を出発。
東名高速~圏央道~中央高速を走り、諏訪で高速を降り、杖突峠を越えて高遠城を目指しました。運転はツレですが、杖突峠への山道は車酔い防止のため暁庵が運転し、9時半頃に高遠城に到着しました。
高遠城は諏訪氏の支族である高遠氏の居城でした。天文14年(1545年)、高遠城は武田信玄によって攻め落とされ、以後は武田氏の支配下となりました。
天正10年(1582年)、織田信忠を総大将とする織田軍は武田の領内へ侵攻、高遠城を包囲します。高遠城城主・仁科盛信は織田軍を相手に最後まで奮戦し、城を枕に壮烈な討死を遂げたといいます。武田氏滅亡が間近に迫るなか、武田氏にとって最後の意地をみせた戦いになりました。
(往時をしのばせる深い堀跡・・高遠城)
深い堀や曲輪が残っていて、往時の面影をしのびながら、今は桜樹がたくさん植えられている高遠城内を汗だくで散策しました。本丸跡に高遠城主・仁科盛信(武田信玄の五男)を祭る神社が建立されています。
(信州高遠美術館のエントランスの壁画)
城近くの信州高遠美術館を訪れました。暑さにうだりながら中へ入ると、そこは別世界。冷たいウェルカムジュースをカフェ「パレット」でご馳走になり、息を吹き返しました。折しも、地元の作家さんたちの「ふうけいのまにまに」が8月2日から始まったばかりです。
流木に彫られた像が展示されていました。作者は星野郁馬氏です。
ガラス壁の向こうの景色に溶け込んでいるような不思議な空間、まさに「ふうけいのまにまに」でしょうか。
木像の一点一点の表情、木の味わいや趣きが違っていて、ある像は五百羅漢や修行僧を、ある像は唐代のふっくらとした女人像を連想しました。まるで現代の円空仏のよう・・・。
それから高遠と言えば、江戸時代に起きた「絵島生島事件」の絵島が遠流となったところです。
この地で大奥の大年寄りであった絵島がどのような後半生を過ごし、どのように死を迎えたのか・・・気になっていました。高遠歴史博物館に隣接する「絵島囲み屋敷(復元)」を訪れました。絵島囲み屋敷の解説文を記します。
絵島(江島)は7代将軍・徳川家継の生母、月光院に仕えて大奥に入り、やがて出世して大年寄となり大きな権勢を掌握するに至ったが、事件を起こし高遠に永々遠流となった。
絵島事件は、正徳4年(1714)正月十二日、月光院の名代で芝増上寺の前将軍家宣の霊屋へ参詣した帰途「山村座」で芝居見物し、刻限に遅れて帰城したことに端を発する。
家宣の正室・天英院と月光院の勢力争いなども拍車をかけ、絵島のほか死罪二、流罪十、その他大勢の人々(七十名以上)が罪に問われ、当時としては非常に大きな粛清の嵐であった。
月光院の口添えにより減刑され高遠へ遠流となった絵島は、最初ここより4キロ上流の非持(ひじ、伊那市長谷)の囲み屋敷に入れられたが、享保4年(1719)この花畠に移された。そして寛保元年(1741)4月、六十一才で病死するまでこの囲み屋敷で幽閉生活を送ったのである。
この囲み屋敷は残存する古図により昭和42年(1967)ほぼ同じ地点に復元されたものである。
絵島の部屋は南側の八畳ひと間(庭に面した2方の廊下には格子戸がはめられています)、湯殿と厠(かわや)が隣接していました。他に番人詰所、下女詰所、台所などがありました。高遠藩の藩士が番人として5人交代で監視し、下女が身の回りの世話をしました。
高遠藩での取り扱いに関する文書(幕府と高遠藩の問答)が展示されていて
食事は朝夕の二食で、一汁一菜
着物は木綿のみ
冬でも火鉢だけ
たばこは出さなくてよい
硯や紙は出さなくてよい
酒は出さなくてよい
(2メートルの塀には忍び返しが設置されていました)
食事は朝夕の二食で一汁一菜なのに、38歳頃から魚を食するのを絶ったそうです。
書を書くことや手紙のやり取りも許されず、読経に明け暮れる日々を送りました。晩年になり許されたのが、日蓮宗の蓮華寺への参拝だったようです。
享保7年(1722)、「絵島生島事件」に関与したほとんどの人々が減刑、赦免されたことから、高遠藩は絵島の赦免を幕府に働きかけましたが、受け入れられず、寛保元年(1741)4月、絵島は亡くなりました。享年61歳。蓮華寺に墓があります。
27年間八畳ひと間に幽閉され、想像を絶するような絵島の生活ぶりですが、彼女の言葉(思い)は何一つ見事に抹殺され、残されていないのです。幕府という組織の背後に、怨念のような誰かの強い意志(指示)を感じるのは私だけでしょうか?
唯一、絵島その人が使用していたという机と座布団が高遠歴史博物館に展示されていました・・・嗚呼!
(絵島が使っていた机と座布団)
引っ越し作業中に旅へ・・(2)へつづく (3)へつづく