今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

056 松島(宮城県)・・・松島をわがものとしてカモメども

2007-06-27 20:56:22 | 岩手・宮城

「松島」といえば「日本三景」であるが、それはもはや過去の話である。「天橋立」や「安芸の宮島」はともかく、松島はもう終わりである。さまざまな形をした島々が松の緑に覆われて、蒼い海に点在する風景は相変わらず美しいのだが、その向こうに2本の巨大な煙突が建ち、赤と白の模様で水平線を乱した時点で「三景」の資格を失った。芭蕉翁の意見も聞いてみたい気はするが、ここは権威ある機関によって速やかに「新日本三景」選定国民投票を実施すべきである。

松島は、いかにも古風な観光地である。みやげ物店がひしめく通りは国道45号線に面していて、大型車が騒音と排気ガスを目いっぱい撒き散らして行く。まずここで、行楽気分は50%は削がれてしまう。そしてお目当てのひとつ「瑞巌寺」は、参道の視界が住宅の安普請に遮られて味気ない。ここで気分は25%しぼむ。さすがの正宗公も権威失墜である。

仕方なく、30分コースの湾内遊覧船(1000円)に乗ってみる。すると驚いたことに、カモメが大群となって船を追ってくるではないか。客が投げるお菓子がお目当てなのだ。乗客の目線と同じ低空飛行で、ヒッチコックの「鳥」の世界である。カメラに夢中になっていた私は、指をがぶりと噛み付かれた。凶暴な目つきをした一羽が、「写真などどうでもいいから、早くご馳走を放れ!」と睨んでいる。

これはこれで珍しい体験であったが、景勝地には似つかわしくない狼藉者である。私は密かに一首捻りたいと考えていたのだが、これでは心が鎮まらない。追い討ちをかけるように例の煙突である。火力発電所だろうか、ものの見事に景観を台無しにしている。煙突は、狼藉カモメ以上にここには似つかわしくない。芭蕉がいま句を読めば、「ああ松島や」の感嘆符は「嘆息」という色合いになったことであろう。

歌を詠む風情には縁遠い松島であったが、嘆いてばかりではつまらないので、みやげ物店を覗いてみる。陳列棚は「笹かまぼこ」や「南部鉄器」が幅を利かせている。地元特産となれば牡蠣だ。

観光地のこうした店に立ち寄るたびに思うことは、行楽の一見客相手の商売のことだ。気まぐれ集団が対象だから、利幅は大きくとってあるのだろうけれど、それだけに地道な商売とは思えない。「美味しいよ」「地元産だよ」と宣伝に努める声もおざなりで、心がこもっていない。客の方も「どうせみやげ物だから」と高を括っている嫌いがある。

そんな通りに毛色の変わった品揃えの店があった。小さな店内にはフェアトレードなどと書かれたパンフレットが置いてある。近年、耳にするようになった言葉だ。どうせ買うなら途上国の人たちの利益になったらいいと、素焼きの馬の人形を買った。手のひらに載るかわいい馬で、一個550円。これでバングラの製作者にはいかばかりの手間賃が入るのだろう。
 
街外れに小さな駅があった。JR仙石線の松島海岸という駅で、ちょうど40年前、仙台から案内されて松島見物に来た際、降りたに違いない駅だった。島々を海岸から眺め、瑞巌寺をゆっくり観て回ったはずだが、記憶はない。ただあのころは煙突はまだなく、カモメたちも行儀が良かったのだろう。いまのような景観と狼藉の地であれば、かえってはっきり覚えているはずだからである。(2007.6.25)

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