
東京・巣鴨の地蔵通り商店街といえば、「おばあちゃんの原宿」とか呼ばれて全国的に名を馳せている商店街である。駒込庭園散歩を楽しんでいた私たちは、いつの間にか染井霊園に迷い込み、有名無名の人たちの墓を眺めながら神妙な気持ちになっていたのだが、その霊園も終わって広い道を渡ると、寺の裏らしき広場に出た。露店がたくさん並んでいて、赤い色も毒々しい下着が山積みされている。そこが「とげぬき地蔵」の高岩寺であった。
この街は、いつからこんな賑わいを見せるようになったのだろう。昭和もまだ50年代だったと思うが、目白通りを板橋方面に向かっていた私は「とげぬき地蔵」のことを思い出し、車に旧中仙道に入ってもらって高岩寺に立ち寄ったことがあった。お年寄りの奇妙な信仰を集めている地蔵のことはいささか評判になっていて、私のような無信心の若者の耳にも届くほどになっていたのだけれど、商店街が独特の賑わいで有名になるのは、もう少し後だったのではないか。
そして今度は「赤いパンツ」である。この色の下着を身に着けていると、下の病にご利益があるのだそうだ。それがお年寄りに大人気なのだという。「年を取って下の世話を受ける」ということが、年寄りにとって大いなる恐怖らしい。その気持ちは理解できるけれど、だからといってこんな迷信商売にすがるようになるとは情けない。全く気味が悪い色である。
「元気なままぽっくり死にたい」ということは、それなりの年齢に近づくとだれもが願うことであろう。奈良・法隆寺の近くに、かつて「ポックリ寺」と異名をとった吉田寺がある。アイディア和尚の法話が聞きたくて、近在のお年寄りがしだいに集まるようになったということを、雑誌『太陽』の斑鳩路特集で読んだのはずいぶん昔のことだが、そこにはこんな下着のことは一行も書かれてはいなかった。

私だってもういい年齢であって、いつ身体が不自由になるか考え出すと暗澹としてくる。しかし真っ赤な下着を身に着けることは決してない。いわんや「おまたぎ」や「おさすり」など、「死んだってやるもんか」と言いたい。リキんで宣言するほどのことではないけれど、年を取ることがなんだか悲しくなる話だ。

とげぬき地蔵の前には、お年寄りの長い行列ができていた。大阪・法善寺横町の水かけ不動と似た風景だが、法善寺では若い女の子が一生懸命手を合わせていたりしてかわいい。巣鴨は婆さんたちのおしゃべりがかしましく、かわいいとは言い難い。巣鴨は、私にはまだまだ縁遠い街なのであった。(2006.12.8)
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