今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

486 ブリュッセル =2= (ベルギー)

2013-01-15 01:13:19 | 海外
大自然の絶景を眺めるのは素晴らしいと思うけれど、どちらかといえば関心は異国の暮らしや歴史に向くものだから、旅の目的地は《街》になることが多い。そして歩いて観て食べることになるのだが、街の匂いを肌で感じるにはマーケットを歩くのが手っ取り早い。従ってしばしば《蚤の市》を探し歩くことになる。ブリュッセルではジュ・ド・バル広場が名高いというので出かけてみる。12月24日だから休みかな、と危惧しながら。



クリスマス商戦だイブだと騒いでいるのはむしろ日本の方で、キリスト教圏の人々は、ただ静かに「生誕の日」を待つ日々のようだ。ジュ・ド・バルの蚤の市も、小雨の中をいつも通りといった風情で店開きしつつあった。ガラクタというしかないような品々が、濡れるのも構わず並べられていく。パリで立ち寄ったヴァンヴの蚤の市も雨にはいっこうに無頓着で、「濡れたらかえって古風な味わいが出るさ」といった鷹揚さなのだった。



余談だが、パリでもここでもアムステルダムでも、傘を差している人は極端に少なかった。東京なら歩道は傘がひしめいているはずの(だからわれわれは当然、開く)降りでも、こちらの人はまず差さない。帽子姿が多いのは確かだが、被っていない人も平気で濡れている。帽子やコートは濡れるためにある、というのだろうか。言葉が通じるものなら、どれほどの降りになったら傘を用いるのか、聞いてみたくなるほど不思議だった。

 

さて蚤の市。どうやって集めたものか、見事にガラクタばかりである。だが実に見事に何でもある。それらを持ち分のスペースの石畳に、じかに並べている(放り出してある、と言った方が正確かもしれない)。店主はなぜか、ほとんどがアラブ系と見受けられた。市の仕組みは知らないが、どこかいかがわしさが漂っていなければ蚤の市とはいえない。一人、肌の白さが目立つ女の子が、ギターを弾き語って雰囲気を盛り上げている。

 

私が漁るのはもっぱら焼物だ。こうしたところに並ぶのはほとんどが日用雑器で、だからかえって日本では見かけないテイストや色づかいの器が楽しめる。猫を描いた小ぶりの皿に目が止まった。大柄なオヤジが5ユーロだと言って「負ける気はないよ」と腕を組んだ。私はフンと発してそっぽを向き、隣の露店に関心をそらす振りをした。すると大柄オヤジは慌てたように近寄って来て「3ユーロでいい」と囁いた。交渉成立である。



午後、グランプラス広場近くで象のオブジェと戯れるヘンな東洋人を見かけた。彼も確か蚤の市にいた。テントの中で特別扱いされている革のコートが気に入ったらしく、店主と交渉していた。店主が「50ユーロ。昨日までは65ユーロだったんだ」と言うのが聞こえた。確かにガラクタ市では高級品だ。彼は店主を遮って手のひらに「30」と書いた。店主は論外だと首を振る。そしてどうなったか知らないが、いま着ているということは・・。



日本の蚤の市はフリーマッケットのことになるだろうか。だがバルセロナでもパリでもブリュッセルでも、もっといい加減でいかがわしくて面白かった。長引くデフレの副産物か、東京ではリサイクルショップや古着屋が増えているけれど、みんな生真面目だ。(2012.12.24)












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