今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

809 人形町(東京都)人形も七福神に初詣

2018-01-08 11:01:56 | 東京(区部)
年明けの人形町を歩いている。年末年始を東京のホテルで過ごした新潟の友人が、帰る前に付き合えというので案内したのだ。彼は「しかし天気が違うなぁ」と呟き、眩しそうに冬晴れの空を見上げる。新潟ではめったに見られない日差しが、東京では当たり前のように降り注いで空気を乾燥させている。だから「唇がカサカサして痛い」という。私も東京に出てきた50年前はそうだった。たまに空が曇った日は、気持ちが落ち着いたものだ。



夕刻の新幹線で帰る予定の友人が「行ったことがない」というので、昼飯を食べようと誘った人形町である。私がこの界隈でしばしばお昼を過ごしたのは、世界で株価が大暴落したブラックマンデーのころだから、もう30年も昔になる。ビルが増え、歩道はずいぶん綺麗になった。しかしよく通った「キラク」「小春軒」「来福亭」「玉ひで」「快生軒」「六兵衛寿司」といった(私の)名店が、全く昔通りの店構えでいるのが懐かしくも不思議だ。



仕事始めのお昼時ということで、隣の兜町から新年の挨拶回りの証券マンが行き交っている。ドブネズミ色のスーツ姿は30年前とあまり変わらないが、大発会は高値更新で始まったらしいから、みんな顔を上気させている。街のところどころに延びている長い行列は、日本橋七福神巡りの人たちだ。いつもはビルの隅に押し込められている七福神たちも、新年ばかりは主役のようだ。正月を迎えると、どうして神社に詣たくなるのだろう。



水天宮の雑踏に紛れ込む。ここはもう蛎殻町だが、この辺り一帯は、人形町にしてもすべて「日本橋」を冠にいただく地名だ。だからだろうか、整理にあたるおじさんたちは、日本橋三越の揃いの法被姿だ。まだ腹が空かないから、いっそ深川まで歩いてみようということになって、永代橋で隅田川を渡る。上流にはスカイツリー、下流は佃島の高層マンション群だ。北からミサイルが飛んできたら、この風景はどうなる、と一瞬考える。



この永代通りは、皇居大手門前を起点に荒川に至る、都心部を東西に結ぶ幹線道路だ。大手町—日本橋—茅場町(兜町)と、日本のビジネス拠点を貫いている。面白いことに日本橋を挟んで、街を行くビジネスマンの雰囲気が異なることを30年前に私は観察している。大手町は大手銀行マンに代表されるエリート臭がプンプン臭うのに対し、茅場町界隈はネクタイをだらしなく緩め、眼は油断なくキョロキョロ光らせる証券マンのシマだ。



永代通りの地下を走る東西線は、茅場町駅で日比谷線と交差する。日比谷線の茅場町以南は日比谷—六本木—広尾—中目黒と、東京の最も山手らしい街をつなぐ。一方、茅場町以北は上野—入谷—北千住と、江戸情緒が残る下町を行く。「東京の分岐点は茅場町だ」と看破したのは、この地下鉄を利用していた私の先輩で、茅場町駅を境に乗客の雰囲気がガラリと変わるのだそうだ。澄ましたセレブ風が、気さくで飾らない下町風と入れ替わる。



暇なジジイ2人組は、年の瀬に発生した忌まわしい事件が参拝客にどう影響しているか、富岡八幡宮を覗いてみる。いつもより境内は閑散としているのだろうが、それでも賽銭を投げて手を合わせている人がいる。神頼みの心理とはなかなか図太いものだ。ずいぶん歩いたので腹が減った。昼食は深川飯にした。友人は予定通り、東京駅で家族と合流し帰った。彼の唇のカサつきなど、 日本海側の潤いの中に戻れば、1日で治る。(2018.1.4)













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