今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

888 松江(島根県)中海の広々とした空明日が満ち

2019-11-27 06:00:00 | 鳥取・島根
松江は私の好きな街だ。とはいえ暮らしぶりを何も知らない他所者が、軽々に「好き」などと言うのはおかしいのかも知れないが、宍道湖と中海の豊かな水と広い空、そして城下町の歴史が醸す気品ある静けさが好もしい。シンボルである松江城天守は、私の「要望」通り国宝に指定された。妻らへの案内もつい自慢めいた口調になるのは私の松江贔屓の現れだ。「さあ、この門を潜ると天守閣だ、その瞬間がいい」。ところが‥‥



標高29メートルだという小丘を登り、最後の小さな門から本丸広場に入る。右を向くやサッと視界が開け、中央に天守がそそり建っている。白と黒が際立つ壁と入母屋が、どっしりと、しかし軽やかに天に昇って行く。その脚下へ、イヌツゲだろうか、刈り込まれた植え込みが小道を延ばして誘っている、はずだった。ところが何ということだろう、植え込みはすべて取り払われ、芝が剥き出しになっているではないか!

(2009 年12月)

その芝も踏み荒らされ、無残に土を晒している。国宝指定で急増する観光客に対応するためなのだろうか、何という愚行、いや蛮行と言った方が適切だろう。松江城は、建造物としての天守の素晴らしさは特筆されるべきではあるけれど、緑の植え込みと白い小道が楼閣を結び、広場の周囲を松が囲むという、その全体の風情が他の城郭とは異なる品を漂わせていたのだ。せっかく国宝となりながら、品格を貶めてしまうとは。



植え込みのある広場は後世の作であろうし、広場の佇まいが芝に変わろうとも、天守の価値が傷つくものではない。しかし文化財とは対象単体だけではなく、それを包含する社会的景観も含めて大切にされるべきものなのである。国宝指定まで、築造年代の特定を探るなど並々ならぬ努力を続けた松江市民が、なぜこんな改悪を許しているのだろう。あの緑の中に建つ天守の美しさに息を飲んだ私としては、残念でならない。



松江の街は宍道湖から中海へ流れる大橋川で2分されていて、日本海側を橋北、内陸側を橋南と呼ぶのだそうだ。私たちは橋北の宍道湖畔のホテルに投宿したのだが、そこから見晴らす朝の湖は、シジミ採りだろうか、たくさんの小舟が湖面にとどまって何ともゆかしい。宍道湖大橋を渡った橋南側に、ひときわ巨大なビルが建っている。山陰合同銀行の本店だという。銀行ビルが突出している街の経済はいかがなものか。



山陰はとにかく人口が少ない。鳥取県と島根県を合わせても125万人程度だ。減少率も東北各県ほど大きくないが、かなり激しい。地域経済を維持することはなかなか困難が伴うだろう。「雲伯」という呼称がある。隣接する古代の出雲国と伯耆国を合わせた地域を指すのだそうで、松江・安来・米子・境港などの中海・宍道湖経済圏と重なる。4市は市長会を結成、県を超えて合併して「中海市」を目指しているという。



希望はある。島根県の合計特殊出生率が昨年、沖縄県に次いで全国2位になったことはその一つだ。子育て支援の拡充など様々な原因が挙げられているようだが、もしIT社会が、地方での就労を可能にしていくなら、松江を中心とした「中海市」は、子育てにも向いた暮らしよい街として注目されていくだろう。宍道湖の入日を眺めて松江城跡に戻ると、台風で延期されていた灯篭祭りの飾りに灯がともった。(2019.9.23-25)















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