今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

429 葉山(神奈川県)富士を望み地震を思ふ相模湾

2012-02-25 13:05:16 | 埼玉・神奈川
神奈川県立近代美術館《葉山》のテラスは依然として細かい雨に煙っているのに、相模湾を遥かに望めば、大きな富士が冠雪を輝かせているではないか。展覧会場を抜け出した人たちは、しばし見とれて言葉がない。日本人は本当に富士山が好きなのだ。三浦半島のこちら側はほとんど来たことがない私には、自分の立ち位置がどのあたりなのか、とっさには把握できない。富士の左に低く蒼く連なっているのは、箱根の山々だそうだ。

ベン・シャーンの「クロスメディア・アーティスト展」を観に来た。ロシアに生まれ、アメリカで育ったユダヤ人のベン・シャーン(1898-1969)は、労働者や農民の生活をリアルに描写し、原爆の罪を告発し続けたから「社会派」と呼ばれる。第五福竜丸の被爆事件の際は、焼津までやって来てその不条理を全身で確かめたという。画家にとって「アートはジャーナリズム」なのだ。

        

構図を創作するだけでなく、現場に出向いて写真を撮り、人々のリアルな姿を絵に移し換える手法をとった。そうすることで描かれた人物はむしろリアルになり、語りかけて来る内容は飛躍的に豊富になる。とはいえ画面は、小さな咳でも響いて来そうな静寂さに満ちている。線はあくまで繊細で、色は慎ましやかに控えめである。寡黙で繊細、それでいて反骨の強い意思を持つ・・・。好もしいジャーナリズム精神ではないか。

        

デザインと絵画が渾然としており、特にこの人は「文字」に強い関心を持っていたと思われる。ヘブライ文字を図案化したシリーズは、街のあちこちに書きなぐられている落書きの、上質なお手本のようでもある。スプレーで壁や塀を汚す輩は街の鼻つまみであるが、その行為は自らの存在を知らしめたいと、誤ったデザイン感覚によるマーキング行動らしい。自らの図案力を誇示したい欲求の、幼稚な発露だとは気が付かないのであろう。

私ら同様、逗子駅からバスでやって来る人が多い。交通の便が悪い「葉山館」だが、入場者は多かった。狭いミュージアムショップは身動きが取れないほどで、「混んでいますね」とレジで声をかけると、係の女性は「今日は天気が悪いから少ない方です」と胸を張った。「日曜美術館で紹介される前はどうでした?」と重ねて聞くと、「ガラガラでした」と声が小さくなった。げに恐るべきはテレビの力、衆生(私を含む)の浮薄である。

           

葉山は狭い半島の、丘陵の谷に張り付いているような街である。今どき、まだこれほど劣悪な生活道路があるのかと呆れるような通りが、バスの往き交うメインルートだったりする。道路を改良しようにも、海と崖に挟まれて、手の付けようがないのだろう。そうした土地に首都圏の人口が浸食して来るのだから大変だ。

富士が望め、穏やかな海が広がる。そしてご用邸があり、おしゃれなヨットハーバーがあったりするから、HAYAMAには特別のブランド力がある。丘陵地には国際村などを名乗る研修施設があり、企業人や研究者の研修に、快適な施設と景観を提供している。

           

唐突ながら、関東大震災の震源域はまさにこの冒頭の写真のエリアであった。湘南から三浦半島にかけては、東京を遥かに超える家屋全壊の被害が集中した。風光明媚な恩恵は、地震の危険と背中合わせである。東日本大震災後、半島の人々はどう折り合いをつけているのか、バスに揺られながら思ったのだった。(2012.1.22)







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 428 フィレンツェ =2=(イタ... | トップ | 430 鎌倉(神奈川県)湘南で... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

埼玉・神奈川」カテゴリの最新記事