今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

285 筑波(茨城県)・・・筑波嶺を横切る雲に神想う

2010-07-16 12:20:58 | 茨城・千葉

いまだに解せないことがある。《神》のことだ。人間は、なぜ神という観念を必要とし、その不条理を正当化させることに四苦八苦し続けるのだろうか。言語や習俗はバラバラなのに、あらゆる民族がそれぞれの《絶対的存在》を持つ(持とうとする)のはなぜか。神などいなくてもいっこうに構わないと私などは思うのだが、そのくせ神社に立てば賽銭を放り、手を打って願いごとをしていたりする。このDNAは何処より来るのだろう。

まず、神々はどこにいるのか。日本では一木一草にも宿り、その数は八百万にのぼることになっている。そして巨岩や巨樹など、われわれの心を畏怖させる自然物を拠り代として降臨する。もちろんどこに拠り憑くかは神が選んでいるわけではなく、人間の心がそう思い込むのである。ヤマトでは神奈備が、アイヌはシャチと呼ぶ霊地が定められ、神の鎮座地に《神社》が建てられる。そこはカミの住むヤシロという拠り代の発展系か。

例えば筑波山神社のご神体は筑波男大神と筑波女大神という名の2神で、それを祀る筑波山南面の社は拝殿に過ぎず、神は870メートルあたりの二つの峰に鎮座する。山がご神体という奈良の三輪山と似た古式を伝え、その正体はイザナギとイザナミなのだという。神社由緒によれば筑波山こそが日本列島の素・おのころ島だというから、その神々しさは無二の霊峰ということになる。

古代の人々が筑波山に神を見た心情は、現代人にも分かるような気がする。何しろとりとめのない平原にぽつりと浮かぶ独立峰で、しかも二上形の山容が麗しい。当然のごとく人々は、この山を神々世界の中心と思い込みたかっただろ。だからこそこの地での歌垣にいっそう興奮し、ヤシロを営なむエネルギーが盛り上がって行く。そうした民心を権力者が取り込み、権威づける・・・。

筑波山神社の由緒がこんな具合であったとしたら、その《神》の誕生は私にも解せる。いささか牽強付会が過ぎるようにも思われるけれど、神話の引用だからフィクションだと納得がいくのである。ところが時代を下るに従って、実在の人物が神に仕立てられるようになると私は混乱する。人麻呂や道真はまだしも、吉田松陰、乃木大将、東郷元帥となると余りに生々しい。偉人を神に祀り上げる発想が、私の《神》観を混乱させるのだ。

キリスト教やイスラム世界ではGodは唯一の絶対神らしいから、日本のような神の乱立は考えられない。それでも唯一絶対とはいえ、神はあくまで観念の中にしか存在しない。私はどちらかといえば日本式のヤオヨロズ方式に親しみが湧くけれど、西洋式であれイスラム方式であれ、ヒトはなぜ《神》という観念を必要とするのか、そこが分からないのだ。そうやって振り出しに戻る。

笠間から下妻に向かう途中、筑波山の麓を回り込んで筑波山神社に立ち寄る。街道には石材店が並んでいる。良材が産出するのだろう。石や陶土が埋まり、ビール麦や養蚕の適地だという風土を、私たちは旅している。
            
バイパスの両側は見慣れた大型店の看板がひしめき、ローカル色などどこにも無い。いく筋かの川を越しはしたものの、関東平野の北の縁を走っている身に街の境界は確認し難く、道路標識で新しい街に入ったことを知るだけだ。平坦な風景の連続はつかみどころがなく、苛立ちを覚える。それでも筑波山神社界隈のホテルは、平野を見晴らす側の部屋の方が、料金が高い。(2010.3.16)
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