今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

284 笠間(茨城県)・・・パレットに陶芸稲荷てんこ盛り

2010-07-12 13:06:30 | 茨城・千葉

益子から笠間へ、丘陵を縫うようにアップダウンする地方道を行くと、東日本を代表する二つの陶器産地の隔たりは車で40分程度でしかなかった。江戸中期、信楽の技術を移入して始まった笠間焼と、その笠間から江戸末期になって技術移転された益子の焼き物は、程よいライバル関係を保ちながら販路を広げて行ったのだろうか。瀬戸の規模には及ばないにしても、関東一円の生活雑器を請け負う地場産業に育ち、作品も生まれた。

笠間は古い城下町であり、日本三稲荷の一つが鎮座する街でもある。だから製陶一色という瀬戸や益子とは異なり、街の佇まいは表情豊かだ。陶芸ゾーンは街の東側を占めて、多くの窯元のショールームを抜けて行くと茨城県の陶芸美術館に行き着く。その丘陵部は「笠間工芸の丘」として整備され、教室やショップが点在している。4年前、この美術館では近代の陶芸展が開催されていて、私たちは板谷波山を堪能する幸運に恵まれた。

今は合併して筑西市というようだが、笠間と益子の中間に下館という街がある。近世陶芸界の神様のような存在である板谷波山が、ここの出身であることに象徴的・宿命的なものを感じる。確かに一楽二萩三唐津かもしれず、備前もあれば伊万里もある。浜田庄司も河井寛次郎も素晴らしい。名品名人に事欠かない日本にあって、しかし窯業芸術の孤高の峰は波山であろう。

笠間焼そのものに心を揺すられることはなかったのだけれど、焼き物好きにとって笠間は、全くの理想郷だと感じ入った。波山が近く、民芸の益子にも隣接する。それだけでときめくのだけれど、陶芸の丘は、この近くで暮らしているなら毎日でも通いたい、羨ましい施設群だった。しかし今回は焼き物を離れ、美術館を目指す。

笠間には、画商として成功した街の出身者が開設した美術館がある。笠間日動美術館だ。評判通り、内外の名品が詰まった美術館で、質の高い作品群を堪能できた。興味深かったのは画家が実際に使っていたパレットの展示で、作家の個性がより生々しく感じられる。画家と画商の関係がなければ、こうした収集は不可能であろう。

これら個人、あるいは民間団体が運営する美術館・博物館を訪ねていつも思うことは、館を支える展示品の質はそれなりであるとして、展示施設の整備はさぞや困難に違いない、ということだ。特に敷地の確保が難しいのではないか。笠間のここも、笠間城跡に続く丘陵地の麓に、傾斜地をうまく利用して展示ルームがレイアウトされているものの、収蔵量に比してその敷地はいかにも狭く、いささか息苦しい美術鑑賞となる。

近年、多くの自治体に美術館が建設されるようになったが、公私の施設の差の第一は敷地面積であろう。公立の施設は十分な敷地の中に、設計者の好みが縦横に発揮されたような本館があって、そうした空間に身を置くこと自体が心地よいものとなっているケースが多い。それはそれで結構なことだとは思うが、民間で頑張っているこうした公益施設には、遊休地を提供するなど「公」の支援がもっと発揮されていいように思うのだが。
            
そしてお稲荷さん。関心はなかったものの、一応、鳥居を潜って仁義を切った。三稲荷といえば豊川の初詣に紛れ込んだことがあるが、笠間は彼の地と比べたらいくらか大人しく感じた。しかし日によっては信者で溢れるのだろう、門前は商店街が生きていた。(2010.3.16)
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