今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

034 調布(東京都)・・・街づくり駅ごと地下に埋めてまで

2007-04-18 17:44:52 | 東京(都下)

律令の時代、調布は特産の布を調(税)として納めた土地だったのだろう。市内には布田(ふだ)、染地(そめち)など、織物に関連した地名が今も健在だ。多摩川を下れば砧(きぬた)、等々力(とどろき)もその範疇だし、田園調布は同様の由来である。それから時代は下って、調布は世田谷区に隣接する甲州街道の宿場町として拓けていったが、今はむしろ京王線の1日10万人超が乗降する拠点駅のある街と言った方が分かりがいいだろう。

京王線は東「京」と八「王」子のことで、調布はその中間の東京(新宿)寄りに位置する。新宿駅を除けば、京王本線最大の客数なのだ。その調布駅がいま、大工事の真っ最中である。10年計画で駅ごと地下にもぐるのだという。隣接の駅も巻き込み、京王本線と、調布で分岐する相模原線も地下鉄化するのだ(写真・下)。踏み切り渋滞解消には線路の高架が一般的だが、すべてを地中化するというのは郊外では珍しいことなのではないか。

駅は生活に欠かせない街の重要施設だが、同時に線路によって街を分断する困り者でもある。調布も北口と南口は狭い地下道か、開かずの踏切りで行き来するしかなく、市民生活は分断されている。ここがすべて地中化したら、北と南の駅前ロータリーが繋がって、街の中心部にいっきに広場が出現することになる。

この「天佑」を、調布市はどのように生かそうと計画しているのだろうか。まさに「街100年の大計」である。他の街の見本になるような、すばらしい市民の空間を造ってほしいものだ。すでに計画はできているのだろうが、それを広報する看板は見当たらない。「こんな街が生まれます。ですからしばらくのご不便、我慢してください」という情報公開をなぜしないのだろう。

調布といえば深大寺だが、その深大寺界隈では道路の拡幅工事が急ピッチで進められている。武蔵境通り(都道・調布―保谷線)が現在の4,5倍ほども広げられて、たっぷりとした歩道や緑地帯が併設されるのだ。現行の規格ではほぼ最高レベルの道路だろう。土地の収容だけで何十年もかかったのだろうが、放射状に延びる東京の道路を、南北に繋ぐ幹線となる。

以前「府中」について書いた際、「調布などとは格が違う街だ」と紹介したが、それは律令の昔、税を徴収する街と納めさせられる土地であった違いを言ったのだが、1000年を経たいまもそのことが尾を引いているとしたら面白い。この二つの街には、確かにそんな雰囲気の違いが漂っている。

でも私は調布の方が好きだ。府中に比べ、街のインフラは確かに劣っているけれど、調布はどこか庶民的で気さくな感じがするからだ。駅の地中化と幹線道路の整備が進んで、街は大きく変わって行くのだろうが、格式や厚化粧とは無縁な、高齢者や弱者に優しい気の置けない場に育って行って欲しいものだ。

私は競輪に行ったのではないが、開催日でにぎわう京王閣の最寄り駅(京王多摩川)近くで、小さなカフェを見つけた。『カフェ大好き』という名前の福祉カフェだった(写真・上)。清潔な店内では障碍を持つ若者たちが生き生きと働いていて、野菜カレー(500円)とコーヒー(250円)はとても美味しかった。

その店から少し歩くと、「日本映画産業発祥の地」という碑があった。寄付をした往年のスターや映画人の名前を懐かしく読んだ。調布は「布の街」から「映画の街」になった時代があり、いまもその名残りの撮影所や現像所が作品を生み続けている。(2007.4.18)
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