今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

515 サンフランシスコ②(米国)

2013-08-17 12:05:44 | 海外
サンフランシスコの歴史そのものと言ってよさそうな埠頭で、街灯の「The PORT of SAN FRANCISCO 150 Years」という飾り旗を見上げた。サンフランシスコ港は開港を1863年と定め、だから今年は150周年ということで様々な祝賀行事が行われているらしい。ただその3年前には、日本から勝海舟や福沢諭吉を乗せてやって来た咸臨丸が入港しているし、先住インディアンの歴史を思い起こせば、土地の歴史はもっと長くなる。



文明は暴力的である。先住民が長く細々と、しかし平和に暮らしていた土地に、文明先進地が勢力を拡大して来て土地を収奪することは、人間の愚かな歴史の繰り返しである。マヤやインカが滅ぼされたように、アメリカ大陸全体がその実験場のような歴史を有するが、日本だって大和朝廷による土蜘蛛退治に遡らなくとも、北海道のアイヌに対する和人の暴力的開拓があった。



おそらく先住インディアンが、平和に集落を営んでいたのであろうサンフランシスコ半島に、まずやって来たのはスペイン人だった。文明の上陸である。そしてメキシコ、米国と支配者が入れ替わって入植が進み、ゴールドラッシュがここに荒んだ街を産み落とした。第2次大戦では太平洋を睨む最重要の軍港になる。



世界の都市を経済活動や文化・研究の発信力などで比較する「都市ランキング」というものがある。ニューヨーク、ロンドン、パリ、東京が上位の常連だが、恐ろし気な街だったこともあるサンフランシスコだけれど、今ではボストンに次ぐあたりに顔を出す洗練された都会のイメージが定着している。ドラマや歌によるロマンチックな思い込みのおかげでもあるだろうが、何よりも市民が豊かになり、洗練されて来たからに違いない。



驚くべきはそれがわずか150年程度の時間で成し遂げられているということだ。しかも一度は巨大地震で街は灰燼に帰している。東京も「東京」となって同じ程度の年齢で、関東大震災や空襲といった厄災を潜り抜けて来たが、それでも江戸200年の蓄積がある。ロンドンやパリも同じことが言える。しかし米国の都市は、ほとんど無から今日を創っているわけで、西部の街・サンフランシスコはさらに新しい。私にはそれが驚異なのだ。



ゴールデンゲートブリッジ近くの太平洋を望む高台に「咸臨丸入港百年記念碑」が建っている。姉妹都市の大阪市によるものらしいが、未熟な航海術で太平洋を越えて来た一行は大したものだと、日本で考える以上に素直に感心した。19世紀の中ごろは、地球のあちらこちらで国づくり、国の造り替えが進んでいた「疾風怒濤の時代」だったのだが、そんな時に生まれ合わせたら、私はどう生きていただろうなどという思いにもなる。



私は20世紀の戦争の時代が終わって生まれた。高度経済成長とともに大きくなり、最も忙しく働いたのはバブル経済の渦中だった。国内ではいくつもの天災が起きたが、私の身に直接、厄災が降りかかることはなかった。還暦を過ぎた現在まで、安穏に生きて来たと思う。



しかし革命に身を投じるような興奮もない人生だった。いささか物足りないほどの幸運であり、風光と気象条件に恵まれたサンフランシスコのような、祝福された大地に似た人生だったといえるかもしれない。しかし恵まれてはいても、それなりの小さな辛苦は克服して来たのであって、そのこともこの街と似ている。(2013.6.22-28)






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 514 サンフランシスコ①(米国) | トップ | 516 サンフランシスコ③(米国) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海外」カテゴリの最新記事